ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

普天間基地移設問題に思うこと

2010-05-17 12:39:00 | 社会・政治・一般
今、貴方は何日もまともな食事をとっていない。

空腹のあまりに立眩みが起きそうだ。でも自分はまだ我慢できる。なによりも飢えている家族のために、食べるものを手に入れなければならない。なんとしても!

そんな貴方の前に、家族を十分に食わせるに足る食糧と、弾丸が装填された小銃が提示された。どちらか一つを取りなさいと言われた。

貴方なら、どちらを取りますか?


おそらく、多くの国の人たちは小銃をとるはずだ。それがこの世の常識だ。

銃は食べられない?そんな馬鹿げた言い草は、政府(警察や軍隊)がまともに機能して、安全が保たれた平和な国の人々(日本をはじめとした先進国だけ)しか口にしない。

まず、自分の、自分の家族の、自分の村の平和があってこその食事だ。ちなみに、アフリカをはじめとして、大半の国々の人々ならば、まず小銃をとって、その小銃を相手に突きつけて食糧を奪い取る。

食糧は大事だ。でも、手にした食糧を奪われないようにするには武器が必要だ。武器さえあれば、食糧を奪い取ることだって可能だ。

信じられないのならアフリカのソマリアなり、スーダンなりに行ってみることだ。国連軍が制圧していない地域のイラクやアフガニスタンでも同様だろう。

社会が安定せず、見知らぬ他人を信じられない社会では、まず自身の身の安全を自らが確保することが必要不可欠だ。そのためには武器が必要となる。

これが世界の常識であり、人類不変の現実でもある。

だが、そのような野蛮な社会は、決して幸せではない。武力により奪い、奪われる社会に安定はない。安心して暮らすことが出来ないではないか。

だからこそ、太古より人々は集まり、自分たちを守るための武器を整えることを第一に考えた。自分たちが弱いのなら、強い者の支配下に入って守ってもらう。その代償として税金(年貢とか賦役)を払う。

実のところ、日本以外の先進国は当然にそんなことは分っている。彼らが後進国に援助をする場合、ほとんどの場合軍事力を背景にしている。疑うことさえバカらしい、当然の常識だ。

日本だって戦前は分っていた。だからこそ大陸進出には軍部の後押しが必要不可欠だった。軍部が侵略を率先したかのように思っている人は少なくないと思うが、実際には一旗挙げようと大陸に渡った一般庶民の要望があってこその軍部の大陸進出だった。武力により安定が保たれてこそ、平和な暮らしが出来る。

戦後、アメリカによる教育への介入は、日本人を軍事的非常識に仕立て上げた。経済にさえ集中していれば平和だと思い込んだ。その平和がアメリカの軍事力を背景にしていることを、平然と忘れ果てた。

もし、沖縄にアメリカ軍の基地がないとしたら、日本の軍隊を駐留させねば奪い取られる。平和とは守る努力を怠れば、いとも容易に奪い去られる。

沖縄の地理的条件が、沖縄を軍事的要衝とさせている現実を忘れた普天間基地移設問題の迷走にこそ、戦後の日本人の歪んだ平和観が、よくあらわされている。

非武装中立といった非現実的な妄想に逃げていないで、しっかりと目を開けて現実を見据えて欲しいと思う。

コメント (6)
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