ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

血と骨 梁石日

2010-05-07 09:43:00 | 
問答無用で暴力によりわがままを押し通される苦痛。。

批難するのは容易いが、実際に目の前で吹き荒れる暴力の嵐を止めることは難しい。この圧倒的な横暴さには、正義も黙り込み、正論は踏みにじられるのが現実だ。

なによりも身体がすくむ。逆らうことを許さない拳骨の嵐が、顔面を襲い、悲鳴を上げることさえ許されない。ただ、殴られるままの惨めな現実は、身体の痛みよりも心を打ち砕く。

暴力の嵐が過ぎ去った後になって、静まり返った中で自らの嗚咽だけが生きていることを教えてくれる。腫れ上がった顔面は痛みを訴えるし、歯茎からの出血は止まらない。

でも、なによりも心が叩きのめされたことの衝撃が、誇りを奪い去り、尊厳を剥ぎ取られ、自己憐憫の泥沼に潜り込ませる。これほど惨めなことはない。

ところがだ、暴力を振るった側は簡単に忘れてしまう。他人を自分の欲望の犠牲にしたことのよる快楽があるだけで、それすら一過性の悦楽に過ぎず、気がつくと忘れている。

だが、その犠牲に供された側は、その痛みを、その屈辱を容易に忘れやしない。いや、誰が忘れてやるもんか。

だからこそ、表題の作品の主人公は病み衰えた晩年に不幸のどん底に落とされる。辛いのは財産を失うことでも、自らの強靭な体力を失ったことでもない。

本当に辛いのは、自分の未来を失ったことだ。あまりに吝嗇で、家族を省みない頑なさが孤独な晩年を招いた。自分がふるった暴力がいかに家族を傷つけたかを最後まで理解できず、家族の助けが必要な時にその家族を失っていたことに気がつかされる。

法も政府も信じなかった主人公が、最後に頼ったのは北の人民政府だった。すべての財産を寄付して帰国船にのり、北へ渡り、病院で人生を終える。ちなみに本当の郷里は、半島南部の済州島だ。

単なる悲劇ではない。根無し草のように生き、他人を喰らい、踏み躙り、自分のためだけに生きた男の壮絶な生涯。その圧倒的な凄惨さには、目を逸らす事を許さぬ迫力がある。在日文学の最高峰かもしれない。

ただ、この作品は日本の純文学の世界では、あまり評価が高くない。なにせ、強制連行という言葉はまったく出てこない。むしろ借金をしてまでして日本に渡りたがった当時の朝鮮人たちの心境が赤裸々に語られている。

これでは、長年「強制連行」を錦の旗として謝罪姿勢をみせて、自らの善意を誇示してきた日本ペンクラブの面子丸潰れである。まったくもって困った作品である。(と、思っているんじゃないの?日本の純文学作家様たちはよ)

まあ、強制連行はともかくも、日本の社会の底辺で差別と迫害に追いやられながらも、逞しく生きた半島人たちの生き様を、見事に描いたこの作品は、一読に値する名作だと思います。未読でしたら是非どうぞ。
コメント (4)
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