ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

思秋期を聴いて思い出したこと

2010-05-11 12:29:00 | 日記
思秋期
作詞 阿久悠
作曲 三木たかし
唄 岩崎宏美


足音もなく 行き過ぎた
季節を ひとり見送って
はらはら涙あふれる 私十八

無口だけれどあたたかい
心を持ったあのひとの
別れの言葉抱きしめ やがて十九に

心ゆれる秋になって 涙もろい私
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ふとしたことではじめての
くちづけをしたあのひとは
ごめんといったそれきり 声もかけない

卒業式の前の日に
心を告げに来たひとは
私の悩む顔見て 肩をすぼめた

誰も彼も通り過ぎて 二度とここへ来ない
青春はこわれもの 愛しても傷つき
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

ひとりで紅茶のみながら
絵葉書なんか書いている
お元気ですかみなさん
いつか逢いましょう

無邪気な春の語らいや
はなやぐ夏のいたずらや
笑いころげたあれこれ 思う秋の日


先月半ばのことだが、風呂上りに天気予報を見ようと思ってTVのスイッチを付けたら、懐かしい歌声が聴こえてきた。NHKのSONGSという番組で、その日は岩崎宏美の特集だった。(You Tubuで聴けます)

私が小学生の時にデビューした女性歌手だが、当時からずば抜けた歌唱力だった。その彼女が芸能界に居ることを執拗に反対し続けた父親が、はじめて認めてくれた歌、それが冒頭の「思秋期」だそうだ。

私も久々に聴いたが、たしかに良い歌だと思う。彼女ののびやかな高音が、哀しい調べと見事に調和した名曲だ。思わず聞き惚れてしまったほどだ。

その夜、夢をみた。

中学3年の頃のクラスメイトたちが入れ替わり、立ち代り現われては消える。なにを話したかも思い出せないし、何を言われたかも思い出せない、そんな春のようなぼんやりした夢だった。

でも、朝起きても忘れられない夢もある。そうか、M子は待っていたのか。気がつかなかった。どうやら私は勘違いしていたのだろう。

M子にはずいぶんと助けられた。私がクラスで窮地に追いやられた時、彼女の無言の寛容さが私を救った。私はそのことを恩義に感じていた。でも恋愛感情はなかったと思う。それでも彼女を傷つけたくなかった。

誤解されると困るが、彼女にはクラスの皆が公認している幼馴染みのBFがいた。私は隣のクラスにいた彼とは親しくはなかったが、それでも二人の仲にさざなみをたてるような無粋はするまいと考えていた。

たた、なんとはなしにM子の気持ちが、そのBFから離れていることは感じていた。だからこそ、M子との距離感には気をつけていた。いや、M子自身は控えめな子で、自分から積極的に動くタイプではなかった。

夢をみて思い返すうちに気がついた。M子の女友達たちは彼女の本心を知っていたらしい。だから私を煽ったのだろう。そんな会話の時、少し離れたところにいたM子の眼差しを敢えて無視していたのが当時の私だった。

あの時、私はなにに怯えていたのだろう。なぜに踏み込まなかったのだろう。私はM子に甘えすぎた。彼女の優しさに無雑作に擦り寄りすぎたのだろう。それが誤解を生んだと思う。

私は不器用な無骨者だ。とりわけ男女間の微妙な心のやりとりについては、疎いというより鈍感だ。そのことを夢の中で気づかされるとは思わなかった。

「青春はこわれもの 愛しても傷つき 青春は忘れもの 過ぎてから気がつく」

今更ながら身にしみる歌詞だと、つくづく思い知らされた。
コメント (4)
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