ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

口蹄疫に思うこと

2010-05-28 17:27:00 | 社会・政治・一般
自然のしっぺ返し、なのだろうか。

現在、九州で猛威を奮う家畜伝染病である口蹄疫対策に政府は大童だ。畜産農家の人々の悲嘆と苦悩がさかんに報じられ、政府の対策が後手後手に回ったと批難されている。

率直に言って、前回の口蹄疫の時に比べて遥かに強力な伝染力は、政府のみならず防疫機関の関係者の予想を覆すものであった。政府が後手にまわったのもいたし方ない気がする。もっとも外遊に出た赤松大臣の言い訳は見苦しく、保身しか感じられないのは醜悪に過ぎる。

私はこの手の家畜伝染病にそれほど詳しいわけではないが、ある種の違和感を禁じえない。人間はあまりに家畜をいじりすぎたのではないだろうか。

豚にせよ牛にせよ、消費者の嗜好に合う種を選別して増やす。ビールを飲ませたり、クラッシク音楽を聴かせたり、あるいはマッサージを施すこともしているという。それだけではない、その過程で使われる大量の栄養剤や抗生物質等の薬剤が商品としての家畜の価値を高める。

鶏のブロイラー同様に、牛や豚も単なる生物ではなく、緻密な計画の下に生産加工されて出荷される商品なのだ。しかも大量に供給される商品だけに、均一性までもが求められる。

はっきり言って、生物としては極めて不自然なものとなっている。だからこそ、生物として脆弱になっているのではないか。

もう忘れ去られている感があるが、狂牛病騒ぎにも同様な不自然さがつきまとった。生物を商品として多量に売りさばくために、肉骨粉を食べさせたり、自然界ではありえない育成が病魔を招きよせるといったら大げさだろうか。

美味しい肉を産みだすための畜産農家の努力と苦労を誹謗する気はないが、あまりに純潔種であることは脆弱さにつながることは、昔から経験的に分っていたこと。

それでもやらざる得ないのは、消費者がブランド肉を求めるからであり、均質で大量の食材を求める食品業界あってのものだ。

牛や豚だけではない。見た目が綺麗な野菜にこだわり、選別と改良を繰り返す農業にだって、この手の脆弱さは伴うはずだ。だからこそ、昔に比べて農薬や化学肥料の使用頻度は上がっている。

私にはある種の滅びの火種がチラホラと見えて仕方がない。考えすぎでしょうかね。
コメント (2)
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