元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

連想Ⅱ 稲穂ーさだまさしー妹

2007年09月26日 | 音楽


妹の結婚式のことに多くのコメントをいただきました。
家族への想いはみんな同じです。

後日談です。
結婚後 妹は「順風」ではありませんでした。
二人の子供を産んだあとしばらくして、妹に病巣が発見されたのです。

その連絡を受け、頭のなかが真っ白になりました。
母親は、大きな衝撃を受けました。

手術と静養の間、二人の子供を預かりました。山口に赴任していた時です。
我が家は当時三人の娘がいましたが、そこへ二人の子供ですから、都合五人です。
二歳から八歳までの五人の子供を数カ月ですが育てました。

食事や風呂・トイレすべてが「戦争」です。
小さな子どもを五人を風呂に入れるとのぼせます。

もう十数年たちます。妹はすっかり元気になり、肝っ玉母さんです。
子供たちもその時の「お父さん」役の私になつき、その関係が今も続いています。
お父さん、お母さんが二人づついるわけです。

妹はその時、気持ちよく子供を引き受けてくれたかみさんに今でも感謝し(私もそうですが)、  
母親とかみさんの間に嫁姑の問題が起きないように、かみさんの味方をしてくれています。かみさんと妹に感謝です。

                 

さだまさしの歌に「案山子(かかし)」があります。

「元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか」
「寂しかないか お金はあるか  今度いつ帰る」
「手紙が無理なら 電話でいい 金頼むの 一言でいい」
「お前の笑顔を 待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ」

妹が学校に行くため家を離れていた時、私の気持ちを代弁してくれていました。

(子どもと離れた数ヶ月間、妹は一度も電話をしてきませんでした。幼い子供の声を聞くと会いたくてたまらない気持ちが抑えられないと思ったからだそうです。
子供にも里心が起きないようにとの配慮もあったようです。)


画像  http://ibrk.jp/vipsv2/search.aspx?no=00078069



コメント (23)
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