元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
就職相談・紹介が「天職」

転勤族の住まい 山口編

2007年02月10日 | 住まい、場所
およそ20年近い前 山口県の販売会社に出向をしていた頃があります。

山口市は静かで落ち着いた町でした。
神田町の借家用の一戸建てでした。周辺には田んぼもありました。
維新公園は広くて、子どもも喜んで走り回っていました。いい街です。

 でも家庭には、「マグマ」を抱えていたのです。

 かみさんが子育てに悩んでいたのです。
2歳、4歳、6歳の子供を連れての知らない街でしたから。
かみさんの苦悩に気づかないくらい家庭を見てなかったのです。(今もそうかも知れませんが)

かみさんが毎朝早く、子連れで出かけていたのをしばらくの間知りませんでした。
ある朝 早くに目覚めたとき一緒に行かないかと言われました。朝5時前です。
驚きました。悩みを話し合う集会にでていたのです。毎朝5時から1時間です。

近くの集会所に行くと、数十人が集まり、交代で5分程度のスピーチをしていました。
結論は「自分が変われば子供も変わる」「感謝の気持ちを持つこと」でした。

この会へは、山口から広島に転勤したときに出席しなくなりました。
しかし生涯のバイブルである心理学との橋渡しをしてもらい、又感謝の気持ちを教えてくれたからです。
       

同じ頃、妹の子供を数ヶ月預かっていた時期があります。

妹の手術と療養のため、1歳と2歳の男の子と女の子を預かりました。
当時の我が家には 3人の女の子がいましたので計5名の子育てをしました。
私にとっては妹の子とは言え、よく引き受けてくれたとかみさんには感謝しています。

1歳から6歳まで5人ですから、風呂も食事も「戦争」です。
風呂に5人入れるとのぼせます。食卓の上は食べ物が散らかり、家中が落ち着きません。

一緒に居たのは短い期間ですが、私は妹の子供に愛情を感じ、それは今でも続いています。妹はかみさんに感謝し、年下の「お義姉さん」さんを立ててくれます。
                  
                          


山口で慌てたこともありました。

長女が妹達とお金を配って歩いたのです。車の購入代金です。気持ちよく1万円札を配ったのです。あせりました。近所の子供達に頭を下げ回収して歩きました。

又レコード盤を円盤替わりに飛ばしていました。数万円のカートリッジの針(レコード針)を曲げていました。それ以来オーディオ類はしばらく触らせませんでした。

しかし山口はあたたかい思い出でで一杯です。維新公園とともに。

画像 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E3%       81%AE%E7%94%BB%E5%83%8F より 
   http://www.city.yamaguchi.lg.jp/kanko/org/kabe/index.html より
   
コメント (5)
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