何を根拠にしてるのか自転車から転げ落ちて顔面流血なんぞは擦り傷、という妙な自信があった。それは世間で言うところの過信というものらしい。そしてその過信が、遂にとっても痛いことを引き起こしてしまった。
どんより曇った14時過ぎ、赤葡萄酒号で出走して小田原定例コース復路での出来事。
時は遡ること2月17日の土曜日。
どんより曇った14時過ぎ、赤葡萄酒号で出走して小田原定例コース復路での出来事。
夕暮れ押し迫る17時半頃、ミニッツタフに交換した赤葡萄酒号を気分良く時速25キロで巡航していたところ、突然ハンドルを取られ、咄嗟にブレーキをかけたけど、あれよあれよとあっという間に歩道側へ突っ込み派手に落車をしてしまった。一瞬の出来事ではあったが幸い車も人も巻き込まない完全なる単独自爆転倒となってしまった。
後日、ストリートビューで現場検証をしてみると、
アスファルト面と側溝コンクリート面の境に乗っかってしまい、アンコントロールのまま歩道の段差に前輪が接触し、どかッと転けて肩から落下してしまったことが判明。赤線が進入経路だと思う。
すぐに起き上がり確認すると流血は無く単なるかすり傷。でも左肩に今まで経験したことの無いボッコリとした違和感を感じ、これはただごとではないことが分かった瞬間、これ以上走行するのはもう無理と思い、二宮駅まで押し歩いて即座に輪行での帰還を決断。
赤葡萄酒号を分解し始めたら既に左腕は痛くて上がらず右手のみで必死に分解してようやく袋へ収納できた。
で、階段を上がるのも辛くなってきたので、目の前のタクシー乗り場からタクシーに乗っかり秘密基地へなんとか帰還。
更にタクシーを乗り継ぎ休日診療の病院へ行きレントゲンとCT撮影を行った結果、鎖骨粉砕骨折要手術との宣告され目の前が真っ暗!
これで人生3回目の骨折だ。
1回目は学生時、新歓合宿先で酔い潰れて階段から転げ落ち右足甲の骨折でギブス装着二ヶ月間。
2回目は3年前、顔面から道に落下した時の顔面骨折。血だらけになって6針縫った。
そして今回の鎖骨粉砕骨折。
全く懲りてないというか学習能力の無さに我ながら呆れてしまう。
レントゲン撮影する際、服を脱ぐ時のその痛さは尋常ではなく、診察室から呻き声と絶叫が聞こえてきた時には、待合室の皆々様は凍りついたと思う。
日曜日は、鎖骨バンドをしたまま秘密基地で安静も激痛との闘い。左肩がゴリゴリとしているのが気持ち悪い。
月曜日に入院手続きして手術前の事前検査。
火曜日午後、いよいよ全身麻酔による手術。
持っているマグカップやコッヘル類はチタン製という、ちょっとしたチタンフェチな自分。とうとう体の中までチタンを取り入れることになってしまった。一生の付き合いになるか?その判断は一年後にする。ただ、それまでの間に飛行機へ搭乗する機会があったら、毎回引っかかってしまうのかな。
地獄は全麻が解けて点滴鎮痛剤も切れた後にやってきた。切った痛さではなくおそらく骨にプレートをネジ止めた痛さか、超鈍痛で明け方まで寝れずじまい。いよいよ我慢できずナースコールして鎮痛点滴を処置してもらった。この時ばかりはもう自転車からおりると思ったよ。秘密基地に戻ったらそんな思いは即時撤回したけどね。
水曜日の午前中には無事退院できたけど、当分自転車に乗ることは不可能。もちろんまだ痛くて仕方がない。秘密基地隊員達も口を揃えて自転車禁止令を。
ということことで、この1ヶ月間は正真正銘の冬眠春眠となってしまったのだ。
今思うと、こける数日前にカンチブレーキを巻き込み台座を曲げてしまったりと、よろしくないことが起きていたんだけど、今回もこのまま復路を突き進んでいたら、もっと大きなアクシデントに巻き込まれ命に関わっていたかもしれない。きっとコレは事前に察知してくれた赤葡萄酒号が身を挺して転けてくれ、この程度の怪我で済ませてくれたんだと考えると、ますます赤葡萄号が可愛く愛おしくなってきた。
リハビリと称して術後19日目、こっそりと18キロ乗車したけど、残り2キロで痛くて辛く、自転車押しての帰還した。
また、ある会合で術後初の飲酒が強烈に効いてしまい、その夜、鈍痛に見舞われ地獄だった。無茶は禁物だ。
自転車活動はできずじまいになってしまったけど、再開に向け少々道具を変えたので、そのレポートは後ほど。
オマケ↓術後の姿。
皆さんもお気をつけてくださいませ。