読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「陰の季節」

2006年06月30日 | 作家ヤ行
横山秀夫『陰の季節』(文芸春秋、1998年)

これは短編集でも、同一のD県警本部に勤務する者たちが主人公になっているという意味で、連作的な短編集になっている。

「陰の季節」は人事を担当する警務課調査官の二渡が主人公。昨年、刑事部長を定年退職し、警察の肝いりで作られた「産業廃棄物不法投棄監視協会」という社団法人の専務理事に天下りした尾坂部が三年の任期が終わるというのに後任に席を譲らないと言ってきたために、人事にごたごたが起きたら本部長の栄転に差し障るために、なんとしてでも尾坂部を辞めさせろという指示が二渡に言い渡される。じつは6年前に起きた、自分の娘のレイプ事件の犯人を尾坂部は追っていたのだった。専用の車と運転手がつくので、それを利用してくまなく調査をしているようだというところまで二渡はつかむのだが、最後の最後で、この運転手が犯人だということが尾坂部にはわかっていて、彼を追い詰めるためにわざと事件現場のそばを走らせたり、もうじき捕まるというようなことを言っていたのだった。そしてついにこの運転手=犯人は自殺してしまう、というお話。

「地の声」は警務部監察課監察官の新堂が主人公。謹厳実直で真面目一筋だが、けっして持てる男ではない、切れ者でもない、長年昇進から見放されていた生活安全課長の曽根がクラブのママと密会しているというタレコミの文書が届き、新堂に真偽の調査が依頼される。結局、これは曽根自身が流したもので、こうすることで、このクラブが売春をしていることを摘発して点数稼ぎをするためにこれを流したのだということが分かる。そして温情から新堂はこれをつぶしてしまうが、ライバルの二渡にこれを利用されてしまい、曽根だけでなく、自分までも昇格できなくなってしまう。

全部の短編をこうして紹介しようと思ったけど、つまらないからやめる。横山秀夫の短編はたしかに密度が濃くて、集中して読んでしまうけど、あとに何も残らないから、もう読まない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ぼくの青春映画物語」

2006年06月29日 | 評論
大林宣彦『ぼくの青春映画物語』(集英社新書、2000年)

あの大林宣彦監督が自分が見た映画の表現のし方について書いたものなのだが、映画監督だからだと思うけど、文章はあまり上手ではない。はっきり言って最初の第一章とか第二章は退屈だ。しかし第三章になって子供時代のことCFを作っていたころの話になると、じつに面白くなるし、彼の生きてきた子供時代自体が面白いので、文章も読みやすくなっている。

やはりあれだけの面白い映画を創る人は子供時代から違うようだね。小学校に上がるか上がらない頃、といっても1937年生まれだからちょうど戦中になるのだが、その頃から映画ということも知らないで、医者をしていた家にあった映画のフィルムを切り刻んで遊んでいるうちに、固定した絵をいろんな順番に組み合わせることで映画ができるということを知ったというのだから素晴らしい。すでにその頃からモンタージュの技法を掴んでいたわけだ。それに今度は固定していると思っていた一コマ一コマの絵が少しずつ変化していることに気づき、撮影のキャメラがないので、普通のキャメラで自分が鞍馬天狗に扮装して、少しずつポーズを変えて撮影し、それを一本のフィルムのままで現像するように頼んでみたり、ネガということが分かると、今度は白く映るところを黒塗りの衣装にしてみたりとか、いろいろ創意工夫をして最初の映画を作ったなんてところを読むと、すごい!の一言しか出てこない。それに、芸術家はそれ固有の表現手段の眼を通して世界を見るようになるという。たとえば画家なら鉛筆の線をとおして世界を見るようになる。絶対音感の持ち主ならあらゆる雑音までが絶対音として、和音や不協和音として知覚されるようになる。映画監督の場合はコマとして世界を見るようになるらしい。大林監督もこうした経験をすることで少年時代にすでに人の動きがコマ送りとして見えるようになったらしいのだ。なんとも面白い話だ。

そして代々受け継がれてきた医者の家系なので当然のごとく医者になるべく東京に受験にきて、受験中に映画監督になることに決め、途中で退出し、両親に医者にならない、映画監督になると知らせたときに両親の反応も素晴らしい。私などとてもあのような対応はできまい。うろたえるか、どなりつけるか、だろう。

私は大林監督の映画は、誰のものともしらず、なんの呼び知識もなく、偶然に観て、どれも気に入った。『転校生』『青春デンデケデケ』『あの、夏の日。―とんでろ じいちゃん』みんなそうだった。彼の映画の魅力はなんだろう? 『青春デンデケデケ』は自分と同世代ということもあるせいか、とくに気に入っている。自分もエレキをしてみたかったのかもしれない。自分も文化祭でエレキを弾いて拍手喝采を受けたかったのかも。それができなかった(その頃はそんなことも思っていなかった)から余計心惹かれるのだろうか。ただそれだけではあるまい。一つのことに向かって仲間と一緒に苦労すること、これも心打つものがある。自分だってそんなことをしていた。でもそれを懐かしく思えないのはなぜか。

まだ観ていない映画もある。一度観てみたいものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「やわらかい生活」

2006年06月28日 | 映画
『やわらかい生活』(廣木隆一監督、2006年)

この監督がどういう人なのか、どういう作品を作ったのかよく知らなかったのだけど、絲山秋子の『イッツ・オンリー・トーク』が原作だということだったので、それに興味をもって観にいった。結論から言おう。つまらない、駄作。

うちはJ-Comに入っていて、ときどき日本映画専門チャンネルを見るのだけど、若手の監督の名も知らない作品がときどきかかっている。そういった映画の特徴は、主人公だけを写す長回し、セリフが少ない、効果音楽を使用しない、動きが少ない、からみが少ない、などで、たぶん彼らはそういう手法が、主人公の内面をうまく表現できると思っているようだけど、まったく表現できていない。ただただたいくつなだけだ。主人公がうろついたりしているところをただ長回しすれば内面が表現できると思っているのは、きっとテオ・アンゲロブロスの『旅芸人の記録』かなにかの影響だろうけど、あれだって退屈なだけで、とても全部を見ていられない。この作品もそういう系列の映画なのだろう。だって、あまりの退屈さに、また眠ってしまったのだから。

妻夫木のやくざもやくざに見えないし、トヨエツのどこがいいんだか。そもそもなぜ躁鬱病になったのかがきちんと描かれていない。だから恋人を地下鉄サリン事件で死んだことにしてみたり、両親が阪神淡路大地震で死んだことにしてみたり(これは作り話だということが後で分かるが)、ライバルだった同僚の女性を9.11ハイジャックの犠牲者にしてWTCタワーで死んだことにしてみたりしなければならなくなるのではないか。まるで、そういった精神的ショックで優子は躁鬱病になったように作られているが、本当はそうではない。そこのところをきちんと描いていないから、なんか訳のわかんないことで精神を病んだ女が親の財産で遊んで暮らしているようにしか見えないし、周りの男たちのとの絡みがぜんぜん生きてこない。

あの原作の小説のほうがまがりなりにも面白いのは、優子が競争社会からドロップアウトした人間で、全てを捨てて生きているからこそ、いろんな意味でドロップアウトした人間たち、あるいは精神的な安らぎを求めている人たちが集まってくるのだし、彼女も彼らを受け入れてあげている(あるいは彼らが勝手に受けいれてもらったと思っている)のでは?ところが映画のほうは、そういうところがきちんと描かれていない。

唯一うまいと思ったのは、優子が発作を起して立ち上がれなくなり、何日かふとんにもぐりこんだままになっていたのが、薬が効いてきたのか、だんだんと調子がもどってきたときの演技だ。あのあたりは演技だけでなく、部屋の照明もうまく使いこんでいた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビル・ゲイツが慈善活動

2006年06月27日 | 日々の雑感
ビル・ゲイツが慈善活動

少し前の新聞報道によると、ビル・ゲイツがマイクロソフトの社長を引退してビジネスの一線から身を引き、今後は慈善活動に専念するのだそうな。私はこれを読んで、アメリカ人って軍人もビジネスマンも思考回路が一緒だなとおもった。アフガニスタンでもイラクでも、空爆をしてたくさんの民間人を死傷させておいて、人道活動とか称して、そうした死傷者の看護活動をする。彼らを空爆で死傷させたのは、まさに当人たちなのに、まるで他人が彼らを死傷させたかのように、人道活動だって。そんなことをする前に空爆を止めろっていうの。

ビル・ゲイツだって同じだ。マイクロソフトの従業員から搾り取れるだけ搾り取っておいて、それで莫大な収入を得たら、今度は慈善活動だって。そんなことをする前に、マイクロソフトの従業員を世界で最も恵まれた労働者にしてみたら、どうよ、と言いたくなる。そうではなくて低賃金と過重労働で搾り取れるだけ搾り取って、それで儲けた金を慈善事業だってさ、ご立派なことだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中沢×太田対談

2006年06月26日 | 日々の雑感
中沢新一×太田光「宮沢賢治と日本国憲法」(「すばる」7月号)

たまたま図書館で手にした雑誌にこの二人の名前を見たので、なんだろうと思って、ぱらぱらと立ち読みし始めたのだけど、面白くなって、本格的に椅子に座って最後まで読み通したけど、それはそれでがっかりでした。

彼らの問題意識はおもしろい。冒頭で、中沢新一は「いったいなにが怖いのか、みんな自分の考えていることを、思い切ってしゃべらなくなっているような気がします。そういう時代に、太田さんのように、まだことばを使って表現をおこなうことで、世界を変えていくことができるかもしれないと考えて、それを大胆に実行している人は、ほんとうにめずらしいと思うんだ」と言い、「太田さんがいま考えていることと自分が考えてきたことが、あまりによく似ていることに、正直驚きを隠せません」と対談に太田を呼んだ意義を提示すると、太田は、中沢を「知の巨人」とちょっとよいしょしながらも、いつもの明確なものいいにもどって、憲法九条が改正されるという流れの中で、いま自分の主張をはっきり提示しておかねば、「あの時、あなたたちは何をしていたのか」と言われかねないし、現在の日本がイラクの人質事件のときにあっという間に人質バッシングに多くの国民が流れたのは「かなり怖い状況になっている」という危機感を表明する。

そこでこの対談のテーマである宮沢賢治の問題に話が移るのだが、宮沢賢治の作品が読者に与える方向性と、彼が実生活において国家神道によって国を糾合し、天皇を中心とした日本の国体という考えで戦前の日本人の進む道を提示した田中智学への思想的傾倒をどのように理解したらいいかというが太田の提示するこの対談の中心論点になるはずだったのだが、中沢新一はそれにたいしてあれこれ当時の思想的背景を説明したりするばかりで、太田が、宮沢賢治のこうした側面を「一時の気の迷い」として片付けずに、きちんと解明しなければ、「賢治のあの感受性を信頼に足るものだとして肯定できない」となんども突っ込んでいるのに、話はぜんぜんそれを解明する方向には進まないで、そうした解明が必要だねという確認で終わってしまう。なんとも後味の悪い対談だった。

ただ、太田というのは、なかなか面白いことを考えているんだなということが分かったことが、収穫といえば収穫かな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「月夜の道化師」

2006年06月25日 | 日々の雑感
劇団大阪公演『月夜の道化師』(作・渡辺えり子)

日本では芝居というとどんなイメージがあるのだろうか? 訳の分からないシュールなものばかりやっている学生演劇? バタ臭い・泥臭い大衆演劇? 芝居というのは、本当はじつに知的な活動だと思う。言葉の意味を考え、それ合わせた口頭表現を取り出し、またそれに合わせた身体表現を創り出す、それだけだって、じつに高度な思考を必要とする。もちろんその結果が、まったくバタ臭い・泥臭いものが表現されていたとしても、やはりそうだと思う。若い頃は、人間のやる芝居がじつにみっともなく見えた時期があって、たまたま知り合った人形芝居にのめりこんでいたときがあった。糸操り人形は体の部分は動くが表情を変えることはない。だが、操作の仕方によっては表情を変えて見せることがある。もともと大仰な表現ができないだけに、微妙な身体表現をこちらが補ってみることができるのが好きだったのだ。だが、劇団大阪を知って20年くらいになるだろうか。ほぼ毎年この劇団の上演に足を運ぶようになって(知り合いがやっているので、公演の時期になると教えてくれる)からというもの、人間のやる芝居もすばらしいと思うようになった。

今年は、あの渡辺えり子が書いた『月夜の道化師』という芝居であった。谷町にある劇団の練習場をそのまま舞台にしているので30・40人くらいしか収容できないが、目の前で見ることが出来るので、私は好きな公演である。以前は近鉄小劇場でやっていて、このアトリエでやるのは劇団員の有志でやるちょっと実験的なものとか、登場人部が少ない習作的なものだったのだが、近鉄小劇場がなくなってからは、ずっとここでやっている。

双子の光児と青児は対照的な性格で、光児は特攻隊に志願し、戦死した。青児は自分の代わりに兄が戦死したと思い込んで、それを負い目にしてきた。兄の妻である春(本当は二人は愛し合っていた)と遺児の光男を支えて一緒に暮らしてきた。春はボケ症状が出ており、過去にもどったり現在にもどったりを繰り返している。過去に戻る春に付き合って、青児やその教え子や春の孫の笑たちが”演劇ごっこ”をやろうとしている。最初の1時間くらいはそうした登場人物たちの人間関係の提示に費やされる。後半になると、光男のバイト先の上司(といっても光男よりもずっと若い)が登場すると、彼を春が光児と勘違いしたり、笑の婚約者の伸夫が神戸からやってきて、彼が光児の孫であることが分かり、光児は特攻で死んだのではなく、つい最近まで生きて家族をもっていたことが分かる。

演出の問題なのか台本の問題なのか、最初私には人間関係がよく分からなかった。あまりにもいろんなことが盛り込まれているということもある。まぁそれはそれで話を単純化しすぎないために必要なことだろう。ボケ老人の問題をとおして戦争を考えるというのがこの作品のメインモチーフなのだろう。渡辺えり子は今回の公演に寄せた文章の中でつぎのように書いている。「戦争で生き残った市井の人が死んでしまった人を思う心を描いています」が、「まるで道化師のように影の部分を演じざるを得なかった元教師の姿と今の日本人の姿を重ね合わせたかった」。前半部分は分かるとしても、そもそも渡辺えり子のいう「まるで道化師のように影の部分を演じざるを得なかった元教師の姿と今の日本人の姿を重ね合わせたかった」という意図がなにを意味しているのか私には分からない。死んだと思っていたのに生きていたことが、しかも生きていながら自分たちの所へ戻ってこなかったことが問題なのか。作品というものはいろんな解釈を可能にするものだろうから、それぞれの公演でどの側面を重視するかということは、演出家の判断によることになる。ある演出家の判断が絶対とはいえない。いえないが、演出家としては自分なりの判断をもって作品を構成しなおすほかはない。今回の公演は、その意味で、演出家の判断があまりに曖昧だったために、見終わって、もやもやしながら家路に向かうほかなかったのではないだろうか?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「セル」

2006年06月24日 | 映画
『セル』(アメリカ、2000年)

ジェニファー・ロペス主演の『セル』をGyaoで見た。2000年に公開されたときにも見たのだけど、今回もやはり、すごい映画だなという感想です。

精神に障害をもっている人の精神世界を映像化するという考えもしなかったことが行なわれているから。それも昨今のコンピュータグラフィックスの賜物でしょうが、もちろんそれも監督やデザイナーのイマジネーションがあってのこと。これがなければ、コンピュータもただの箱とはよく言ったものだ。エドワードの精神世界、砂漠の荒涼とした世界を最初に提示したので、分裂症のスターガーの恐ろしい精神世界が見事に活きていた。

こうした精神障害を引き起こす家庭環境の恐怖。この点もスターガーの少年時代のことがきちんと描かれていた。今日のテレビでも母親と小さな兄弟を放火によって殺した高校一年生は、父親から相当の精神的な抑圧だけでなく暴力も受けていたらしい。子どものことを思って厳しくしているとか言いながら、自分の社会的見栄や欲望から子どもに対しているから、それを子どもは敏感に感じて、抑圧に耐えられなくなるのだろう。この子どもは「人生をリセットしたかった」と言っているらしい。だれだってそういうことは思うものだが、家族を殺してリセットしようとする自己中心的な世界が恐ろしい。

やはりジェニファー・ロペスの演技がよかったですな。なんとも茫洋とした雰囲気でいながら、ちょっと知的で。劇場公開のときのも思ったんだけど、映画の最後で彼女が例のFBIの捜査官を尋ねてきたときのサンダルっていうでしょうか、履物が、なんだがそれまでの役と不釣合いで気になりました。なんかその辺のねぇちゃんという感じで。あれはやめてほしかったな。でもあの頃はああいうのが流行っていたのかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベランダ・ガーデニング

2006年06月23日 | 日々の雑感
ベランダ・ガーデニング

マンションに住んでいるのだが、ベランダでガーデニングをしている。葉ものでは樫、ニセアカシア、いちょう、アロエ、南天、ゴムの木、サンセベリア、パキラなんかを並べ、花ものではクスコ、バラ、菊、マーガレットなんかを季節に合わせて植えている。

悩みはなんといっても、東向きにベランダがあるために日照時間が短く、花物が咲き乱れるほどにならないということかな。昼前から直射日光があたらなくなるので、長時間の直射日光を必要とするバラは、何回も試みたけど、買ってきたときのつぼみが咲き終わると、それでおしまいになる。たいていアブラムシがついて枯れてしまう。土を専用のものにしてみたりしたけどだめでしたね。ぐんぐん伸びて、つぎつぎつぼみを出しているほかのうちのバラがうらやましい。葉ものはけっこう成長してくれるのだけど(あまり大きくなってくれなくていいのに)、花ものはどうもいけません。

ニオイパンマツリという白い花や水色の花を咲かせる木も一度はつぎつぎと花を咲かせてくれたのだけど、枯れたようになってしまって、最近やっと葉っぱがまた茂ってきたけど、花が咲くかどうかわからない。

なんとかタカラズカというような名前の、小さな青い花をたくさんつける木も3年くらい続けて咲いてくれたけど、枯らしてしまった。こういう木ものはどうも花のあとに剪定をする時期とか、し方というのがあるようで、それを間違えると、次の年には花をつけてくれないみたい。それで近所の、きれいに花を咲かせている家の様子をみならって、そこが剪定したらうちもする、みたいなことをしていたのだけど、枯らしてしまったので、そのときはがっかりでしたね。

どうも我流では、花も上手にきれいに咲かせることができないのかもしれない。

私が小学生の頃、学校までの通学路のとちゅうに、家の裏庭(というか空き地のようなところ)に花をたくさん咲かせているところがあって、将来はこんな庭のある家に住みたいものだと、なんだか乙女チックなことを考えていた。その頃は、種さえ植えてやれば、花なんて勝手に咲くとおもっていたのだけど、そうでもはないのでしょうね。土壌の質だとか肥料の与え方なんか、あるいは虫の駆除のしかたなんかも、知っておかないとうまくきれいに咲かせるというわけにはいかないのかもしれない。

たまに気分が乗ると、ベランダの花を絵に描いている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョギングとダイエット

2006年06月22日 | 日々の雑感
ジョギングとダイエット

ダイエットにはいろいろな方法というかアプローチのし方があるのだが、運動によってダイエットをしようという場合には、二つの側面がある。一つは運動をすることによってエネルギーを消費する、脂肪を燃焼させるという側面。もう一つは脂肪燃焼しやすい体を作るという側面である。そこで、このためにジョギングとウォーキングがどの程度有効なのかということを素人考えで書いてみる。

ジョギングはエネルギー消費という面からも脂肪燃焼という面からも、優れたダイエット効果があると思う。どんなにゆっくり走っても1時間程度ジョギングをすれば、かなりの汗をかくし、それを毎日続けていると太腿に筋肉がついてきてくる。正座をしてみるとよく分かる。

それに対して、ウォーキングは1時間程度歩いても汗はかかない(真夏の昼間にあるくというのは別、ここで想定しているのは朝の涼しい時間帯のこと)し、その程度歩いても筋肉はつかない。つまり脂肪燃焼という面でも、脂肪燃焼しやすい体を作るという面でも、ウォーキングはダイエット効果はもう一つということだ。私は、前にも書いたが、去年の秋に肉離れを起してから、今年の3月くらいまでずっとウォーキングをしていた。しかしあまりダイエット効果はなかった。それよりも、外を歩くということで、精神衛生上の効果はあったと思う。

ジョギングがいいと言っても、どの程度のスピードがいいのかということがある。私は、となりの人とおしゃべりしながら走れるスピードと答えよう。喋りながら走ると、そんなにスピードは出せないが、それでいいのだ。朝ジョギングをしていると、息が上がるほどのスピードで走っている人がいる、しかも朝一ですよ。そんなの体によくないのは分かるでしょう。だから隣の人と「昨日飲みすぎちゃってね」「今日の調子はどう」などと喋りながら走るのが一番いい。それでも小一時間も走っていると汗をかいてくるから、脂肪を燃焼しつつあるなということが実感できるし、一週間も続けていれば、筋肉がついてくる。もちろんウェイトトレーニングをした人のように、筋肉ムキムキにはならないけど、そうなりたければ別のトレーニングをしなきゃね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ククーシュカ」

2006年06月21日 | 映画
『ククーシュカ・ラップランドの妖精』(2002年、ロシア)

第二次世界大戦のラップランドで、敵対するフィンランドの兵士とソ連の兵士が、そこに住む女性のアバラ小屋で共同生活をする、しかも三人とも別々の言語しか話せず、会話はまったく成立しないという、一種の喜劇だけど、ほのぼのとしたものが漂っているところが、とてもいい。

フィランドの学生だったヴィレ(役の上での名前は覚えてない)は、ナチスドイツに占領されて強制的に徴収され、ラップランドに出兵するが、ちょっとよく分からない事情で、森林地帯にくさりつけにして放置するという処刑を受ける。なんとかして鎖を外さなければ寒さで死ぬか、飢え死にするかのどちらかだ。彼は一生懸命岩の上でたき火をしては水をかけて岩を割ろうとする。そんなことをしているうちに、ソ連兵で捕虜になったヴィクトルが運ばれてきた所へ戦闘機が飛んできて爆弾を落とし、吹き飛ばされてしまう。それを見ていたラップランドの原住民のククーシュカがやってくると、ヴィクトルだけがまだ生きていたのでアバラ小屋まで連れて帰る。ククーシュカが彼の手当をしているところへ、ヴィレが鎖を抜いてやってくる。そこで三人の共同生活が始まる。ククーシュカは二年ぶりの男(夫は2年前に出兵していらい戻ってこない)なので、うれしがっている。ラップランド語(?)しか話せないので、だれも分かってくれない。ヴィレは戦争はもういやだ、自分はもう戦争はしないとフィンランド語で言うがだれも通じない。タクシーの運転手だったが、ムヌーシュキンという詩人を乗せたときに、自作の詩を見せた所、この詩人からよい出来だと言われたことを自慢するヴィクトルもロシア語しか使わないので二人の言っていることがよく分からない。

ククーシュカはたまらずヴィレを寝床に誘う。ヴィクトルはいたたまれず逃げ出そうとするが、また戻ってきてしまう。ある日、近くに飛行機が墜落する。それを見に行った先でヴィクトルがヴィレに発砲してしまう。ククーシュカが必死でヴィレを看病し、死の旅からヴィレを呼び戻す。生き返ったヴィレを見てホッとしたククーシュカは、思わずヴィクトルを寝床に誘う。しばらくして二人はやはり祖国が懐かしくなって、ここを立去る。そして後に残ったのがククーシュカと二人の息子というわけ。

三人が三人とも互いの言葉がわからないという状況で、ククーシュカがずいぶんあけすけにセックスへの欲望を口にしても、二人の男はどちらも分からないで真面目な話だと勘違いしているというようなところが、喜劇的で面白かったね。ただ欲を言うと、ラップランドの人たちが自然の中でどんな料理、裁縫、狩猟をして暮らしているのか、もう少し細かく描写してほしかったな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする