読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『獏のゆりかご』

2016年06月11日 | 舞台芸術
劇団大阪『獏のゆりかご』(劇団大阪第78回本公演、2016年)

台本の作者は青木豪、演出は兵庫県立ピッコロ劇団の岡田力。劇団大阪の本公演とはいえ、演出を外部から招いている点で、ちょっと異色の作品といえる。当日もらったパンフレットの「ごあいさつ」にも「いつもの劇団大阪公演とは一味違った風合いの世界」と書かれている通り。

まずテンポがじつに早い。会話のやり取りがポンポン進む。けっして漫才のような掛け合いではないが、よく考えこまれたセリフのやり取りを、演者たちも小気味よく演じている。言葉と表情がそのまま一体化しているので、演者たちもセリフを完全に自分のものに消化しているのが分かる。

話が二転三転していくので先が読めない。要するに、本筋は動物園の副園長の菅原とバツイチで子持ちの岡田の恋愛問題なのだが、これに、若手の職員の小森とアルバイト職員の那須の恋愛がからみ、クレーマー立川がからみ、X-JAPANのよしきを意識している客の江藤が絡んで、複雑なあらすじを作り出している。

演者たちがその個性を際立たせる演技をしているので、じつにわかりやすい。決して話がこんがらがることもない。みんな演技がじつに上手いので、初めて見る演者は、この人ってこんな人なんやなと思い込んでしまいそう。

芝居の面白さを堪能させてくれる、良い作品だった。

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『国宝消滅』

2016年06月05日 | 評論
デービッド・アトキンソン『国宝消滅』(東洋経済新報社、2016年)

経歴も興味深い。オックスフォード大学で日本学を専攻し、ゴールドマン・サックスに入社して証券アナリストをして、最終的には金融調査室長、取締役であるマネージング・ディレクターになるが、これと同時期に裏千家に入門して、日本の伝統文化に親しみ、2007年に退社後、重要文化財の補修を手掛ける小西美術工芸社に入社して、2010年には社長になったという。

外国人だから見えてくる、日本の文化政策の弱点を指摘して、このままでは日本の文化財がダメになるという警鐘を鳴らしている。彼の主張は、日本が人口減少し、労働人口が減る時代に入り、それは同時に日本の財政赤字の深刻化を強めることになるが、それに対処する方法は、文化財を出来るだけ有効に観光に利用する観光立国を進める以外にないという観点からも指摘していることに、日本人としても無視し得ないところがある。移民を入れることはいろんな問題が生じるから勧めないと書いているところも好感が持てる。

文化財の観光資源化は、観光事業の歴史の古いヨーロッパでもそれほど昔からのことではなくて、高齢化社会の到来によって社会保障費が財政を圧迫するようになってきた十数年前からのことだという。そういえば、フランスのパリだって、パリ・オペラ座を金箔を貼り付けて見た目にも豪華な感じにしたのは割りと最近だし、1982年ころに初めてルーブル美術館を訪れたときには、なんかきちんと整理してないなという印象をもつ場所があったのに、2000年に再び訪問した時には、それはもう素晴らしい展示になっていた。

翻って日本の現状を見ると、著者の指摘することがあちこち思い出される。例えば、奈良に新薬師寺という由緒あるお寺があり、そこには国宝の十二神将像がある。こちらがそのサイトだが、サイトの写真では素晴らしい保存状態のように見えるが、じつは薄暗くて、空調設備もない場所に、ただ並べてあるだけで、ホコリまみれになっている。

著者が指摘する問題点は、このような展示のあり方の問題だけではない。箱物を見るだけの観光になっているという。つまり、日本文化を味わう、体験する、体で感じる、そういった工夫が足りないというのだ。日本文化の関係者にはそういうことを言われると納得するところもあるだろう。着物を着てみる、お茶を体験してみる、座禅を経験してみる、というような体験型の観光も重視すべきだというのだ。

そして最大の観光は街づくりにある。例えばパリ。パリの町は歩いているだけで、観光になる。とくにアジア人にとってはそうだ。では欧米の人が京都に来て、同じことを感じるだろうか。私は多くの観光客はがっかりしているのではないかと思う。面の観光ではなくて、まさに点の観光になっているからだ。ぎゅうぎゅうづめのバスに乗って龍安寺、金閣寺、銀閣寺、清水寺に行って、外から建物を見るだけ、その途中の町並みは、一部を除いて、よくある近代的な都市と同じなのだ。

今後の日本の財政再建の観点からもこの著者の提言を真摯に受け止めるべきだと思う。


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『ルイ14世期の戦争と芸術』

2016年06月01日 | 人文科学系
佐々木真『ルイ14世期の戦争と芸術』(作品社、2016年)

本当は図書館で借りたかったのだが、大学図書館も含めて、私が借りることができる図書館には所蔵されていないので、古本を探したら、手頃な値段で売っているところがあり、しかも大阪市内だったので、仕事帰りに寄って買った。

私の興味から読みたいところは、第一章と第九章くらいだったが、この二つの章だけでも読んでみてよかったと思うくらいに、なかなか興味深い内容の本だ。ルイ14世期とあるので、ルイ14世の治世だけではなくて、その前のルイ13世やアンリ4世などの、いわばリシュリューなんかが実質的に行政を担当していた時代からの王権と芸術(とくに美術系と建築系で、絵画、彫刻、レリーフ、建築物)の関わりが、時系列に読み取ることができる。

ルイ14世の治世下でも、一様ではなくて、まだルイ14世が子どもであった初期には、彼自身が国王としての実績を何も残していないので、アレクサンダー大王に比するという形、要するにアレクサンダー大王の偉大さを借用する形で、国王の偉大さを顕彰しようとすることがメインになっていたが、実際に彼が戦争を起こして、あちこちで実績を挙げるようになると、つまり1670年代になると、古代人の実績を借用するという形から、彼自身の姿を偉大なものとして描き出すほうへ方針が転換されていったということなどが、わかりやすく説明されている。

その実績というのが、戦争であった。ルイ14世は72年にわたる在位期間のほぼすべてにわたって戦争をしていた。フランドル戦争、オランダ戦争、大同盟戦争、スペイン継承戦争など。

この本ではまったく触れられていないが、1673年に創始された音楽悲劇でもそのプロローグがルイ14世を賛美する内容になっていて、ほぼどれもルイ14世が悪を退治てヨーロッパに平和をもたらした英雄として描かれている。

大変な量のの資料を読み込んで書かれた本であり、この分野の研究も新しい段階に入ったなと感心した。


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