読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『魔笛』

2012年02月20日 | 舞台芸術
モーツァルト『魔笛』(第23回大阪音楽大学学生オペラ)

大阪音楽大学に学生オペラを見に行った。今回は『魔笛』。去年は『ドン・ジョヴァンニ』で、一昨年が『コジ・ファン・トゥッテ』だったので、ずっとモーツァルト続きだ。いまから10年くらい前に、フェスティバルホールにドイツからきた一団の『魔笛』を見たのが、オペラ元年だったが、そのオペラは一人3万円くらいしたのに、酷いもので、いまではどんなんだったかさえも忘れてしまったくらいのものだったが、昨日の公演は、上さんもやっと話の内容が分かったと感想をもらしていたくらいに、よくできていた。ドイツ語の発音がどうだったのか私たちにはわからないが、歌唱力は十分にあったし、パパゲーノの学生なんか歌やドイツ語の発音だけでなく、演技力も十分に備わっていたと思う。

タミーノや、ときにはパミーナを導く三人の少年たちも(もちろん女子学生が演じているので)可愛らしいし、それプラス一人ひとりに個性が出ていたし、夜の女王の侍女たちも、みんな恰幅がよくて、あの冒頭のタミーノを見て、惚れ込んでしまい、自分が・自分がといって取り合う場面でも、けっこう上手に演じていた。またモノスタトス役もちょっと声量が足りない感じがしたし、上背がもう少しあればよかったのにと思うが、役としてはうまかった。

そして夜の女王である。『魔笛』をやるには、プロの劇団ではないので、学生の中にこの役をやれる、あの高音域のコロラトゥーラを歌える学生がいないとできないのだが、彼女は見事にやってのけた。どんなことになるのだろうと、見ているほうがハラハラしていたのだが、堂々とした演技と歌唱力でなんなく乗り切った。見事というほかない。

タミーノ役はどちらかというと演技よりも歌唱力だが、声量もたっぷりとあって情感豊かに歌っていたし、なんといってもパパゲーノ役の学生は大学院生とはいえ、もうプロでも通用すると思うくらいの歌唱力+演技力をもっていた。

あっという間の三時間であった。また来年もいい公演を期待している。
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『恋するトマト』

2012年02月14日 | 映画
『恋するトマト』(大地康雄、2005年)

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NHKBSで『恋するトマト』を観た。テレビで渋い脇役を演じている大地康雄が企画・脚本・製作総指揮・主演と一人で作ったような(そんなわけないけど)映画作品だ。原作は小檜山博という人の『スコール』(集英社刊)ということらしい。

前半は土浦が舞台になって、農家の跡取り問題、フィリピン女性によるジャパゆきさんなどの問題が描かれているが、こうした問題はそれほど目新しい問題ではない。この映画の面白いところはやはり主人公の正男がフィリピン女性と結婚するために彼女の両親のところへ出かけて行ってからの話だろう。

実はその女性の両親(この女とぐるになっていた)のためにもっていった200万円を騙し取られ、日本に帰るに帰れなくなり、ホームレスになったところを、マニラで日本向にジャパゆきさんを送り込んだり、日本からきた買春目的の旅行者たちにフィリピン女性を斡旋する会社の社長に拾われ、そこで働くようになる。それから1年後にたまたま人を送っていった帰りに土浦によく似た農村地帯(ラグーナ)での稲刈り作業中の家族のなかに、マニラのレストランで見てちょっと気に入っていた女性(クリスティナ)と遭遇し、刈り取り作業を手伝い、それがすむと、フィリピンでは高価なトマト栽培を教えることになる。そして二人は恋仲になり、正男は意を決して、裏稼業をやめて、彼女を連れて日本に戻って農業をやりなおしたいと思うようになるのだが…。

トマト栽培のために堆肥作りから始めて、畝を作り、苗を育て、支柱を立てて…という日本の農家なら当たり前にやっていることが、フィリピンでは全く知られていないようで、驚きをもって迎えられる。彼らにしたら、まるで魔法でもかけたみたいに、立派なトマトができる。

私には、あらゆる労働が社会的に認められることがどんなに重要なことかということを、この映画は問うているように思える。社会的に認められるということは、なにも国家から認定を受けるとかそういうことではなくて、見ず知らずの女性が認めてくれて、嫁に来てくれるということも含めての意味だ。それは3kと呼ばれるような労働だってそうだろうし、社会の見方からは評価のたかい仕事であってもそうだろう。人から認められる、それが今の日本の欠けている。収入が高いかどうか、マスコミへの露出があるかどうか、そういうことだけが評価の基準になっている日本社会への強烈な批判がこの映画には込められている。

前半の画一的な描き方に批判もあるようだが、日本映画によくあるだらだらした映像ではなくて、テンポよくストーリーが展開していくので、あっという間に映画の中に引き込まれる。富田靖子やルビー・モレノの演技もうまいから、ストーリーを何も知らないで見ていた私は、最初は富田靖子とうまくいくのかな、次はルビー・モレノとうまくいくのかなと思い込んだくらいに自然な造りになっていた。まさかこんな展開になるとは。

原作の『スコール』はこちら





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ラモー『プラテ』

2012年02月10日 | 舞台芸術
ラモー『プラテ』(ジョイ・バレエ・スタジオ公演)

フランスのバロック・オペラを日本の主催者が公演するというのは本当に珍しい。以前、ウィリアム・クリスティー率いるレ・ザール・フロリサンが『遍歴騎士』を上演したが、あれはひどかった。今度はコメディー・ブッフォンというジャンルになる喜劇もので、非常に面白かった。

ルイ15世の王太子の結婚が行われた1745年に祝賀の一環として上演されたもので、浮気者のジュピテルが嫉妬深い妻のジュノンをなだめるために、沼の精の女王である醜いプラテに恋をして永遠の愛を誓うと思わせて気を引き、その現場にジュノンを立ちあわせ、じつはこんな滑稽なものを相手にしていたのだと分からせて、ジュノンの誤解を解くという話だが、醜い沼の精が最高神のジュピテルと相思相愛の仲になったり結婚したりするなどということがあるわけがない、身の程知らずの恋や野心は命取りになるぞ、という教訓を含んでいるとされる道化話をオペラにしたものである。

初演時には、後に世紀最大のテノール歌手と言われることになり、当時もすでに若手として頭角を表していたジェリオットがプラテを演じたし、最近の名演といえばポール・アグニューによるプラテが有名だ。今回は武井基治という人がなかなかの好演だった。表情や声も多彩で、出ずっぱりの役にもかかわらず、笑いの壺もおさえていた。

『プラテ』のもう一つの見所はフォリーである。これはイタリア・オペラのパロディで、当時のフランスではアリエットと呼ばれていたダ・カーポ・アリアのような歌を歌う。旋律感が豊かで、ヴォカリーズもふんだんにあり、当時のフランス・オペラはどこからエールが始まって、どこで終わったのかが分からないような、レシタティフとエールの区別がはっきりしないことが特徴であったので、こうしたリズムにあふれ、旋律のはっきりした歌は浮き上がってしまうのだが、それを逆手にとって、この作品の規則逸脱性を見せつけるためのものであった。ところが、現代ではそうした歌は当たり前になっているので、せっかくフランスで評価されている唐沢まゆ子という人を充てたのだが、そうした初演当時に持っていた特異性があまり見えてこない結果になってしまったのは残念だ。

その他いろいろ見所や問題はあった(たとえば、ジュノン役の堀万里絵が好演、ダンスがバロックダンスではなかった)が、珍しいフランスのバロック・オペラをここまで好演したことに拍手喝采したい。
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ポール・アグニューがプラテを演じたこのDVDは秀逸。

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