読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

長浜旅行

2017年03月31日 | 日々の雑感
長浜旅行


3月30日・31日で長浜と彦根に一泊旅行をしてきた。山口とか高松とかに行っていたが、今回は滋賀県、つまり近畿圏ということで、かなり手近な旅行になった。

大阪駅から新快速一本で長浜まで行く予定だったが、大阪駅に着いたら、なんと膳所駅で人身事故があったとのことで、私たちが乗る予定の10時30分発の新快速が大阪止になった。

仕方がないので、新大阪まで行って、新幹線に乗り換えて、米原まで行き、そこから在来線に乗り換えて長浜まで行くことに変更した。

こだまに乗って30分で米原に到着。在来線のホームに降りたら、ちょうど長浜行きの電車が来てくれたので、予定よりもかなり早く、12時前には長浜に到着した。(新幹線の自由席特急券だけ余計な出費になったけど、快適に旅行できたからいいか。)

駅前のカフェで昼ご飯を食べて、すぐに街に観光にでかける。黒壁スクエアというのが売りのようで、広くもなく狭くもないスペースにいろんなお店やら、有名な曳山の記念館やらがあって、観光しやすい街だった。

今回は上さんまかせでブラブラショッピング。布の小物や木工の小物を売っている店、ガラス細工を売っている店を見て歩く。春休みということもあり、また気温も20度くらいまで上がって、観光客で賑わっていた。

ホテルは「グリーンホテルYes長浜みなと館」というビジネスホテルで、駅にも近いし、港にも近いホテルだった。非常にきれいなホテルで、二階には大浴場もあるし、夕食もこのホテル一階のレストランで食べたが、お造りもサラダも美味しかった。安くていいホテル。ビジネスマンがたくさん使っているよう。部屋は本来ならシングルでベストなところを二人で使うので少々窮屈。


二日目は、ホテルの近くにある「長浜城記念館」に行った。長浜城やこの周辺の武将たち(浅井長政、石田三成など)のことが簡単に紹介されている。それから電車で彦根に移動。駅前から歩いて、彦根城に行った。あいにくの天気で、途中から雨が降ってきた。

彦根城は国宝で、築城410年になるとのこと。昔のお城がそのまま残っている。割りと小さな城なので、中は何もない。急な階段を上がって、降りてきただけ。

昼はPomme d'AMourというフレンチレストランでランチ。彦根にもこんな洒落たレストランがあるんだね。お腹いっぱいになって、新快速で帰ってきた。


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『杉原千畝 情報に賭けた外交官』

2017年03月29日 | 評論
白石仁章『杉原千畝 情報に賭けた外交官』(新潮文庫、2015年9

ユダヤ人を救ったヴィザを発給して、たくさんのユダヤ人を助けたことで、テレビでもときどき放送されるので、よく知られるようになった杉原千畝の外交官活動を、外務省の資料を駆使して、調査し、優れたインテリジェンス・オフィサーとしての杉原千畝像を示した本ということらしい。

一般的に知られている程度のことしか私も知らないのだが、複数の外国語を習得し、白系ロシア人と結婚したことで、人間関係を作り、それを武器に、外交官として、重要な情報を掴んで、日本本国に送っていたこと、とくに独ソ不可侵条約の後、ソ連とドイツの戦争はありえないと思われていた、そして多くの大使級の外交官が、独ソの開戦はないと本国に報告していたが、杉原千畝だけが、開戦間近という報告をしていたという。

さらにユダヤ人を救ったヴィザ問題でも、できるだけ多くのユダヤ人を救えるように、本国からの指示を逆手に取ったような電報を打ったり、また自分が発給したヴィザをもった人々が日本に着いても、入国できなくなることがないようにするための方法を考え出していたという話も、興味深かった。

もちろん、最後の解説で手嶋龍一が書いているように、優秀なインテリジェンス・オフィサーになればなるほど、自分の手柄や情報源などはいっさい口にしないで、墓場まで持っていくことになると述べているように、最後の最後では、歯にものがはさまったような記述になっていることに、もどかしさを感じたが、それも仕方がないことなのだろう。

米子の行き帰りに読めた面白い内容だった。

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共謀罪に反対

2017年03月22日 | 日々の雑感
共謀罪に反対

共謀罪が、小泉首相時代に3回も廃案になっているというのに、テロという文言を付け加えただけで、内容的にはほぼ同じものが、閣議決定されたという。今国会で短期決戦で採決したい構えだという報道が、今日の新聞などに載っていた。

私はこの共謀罪に反対する。従来の法律で対応できるだろうし、何よりも、今回の森友学園問題で、都合のいいように発言を変えていく安倍首相のような政治家にこの法律を委ねるわけにはいかないと考えるからだ。

きっと戦前の治安維持法のように、拡大解釈されて、無辜の人々までしょっぴかれ、ついには言論の自由を脅かすことになりかねない。戦前の政治を真摯に反省していない安倍のような人間は、とくにこのような法律に関しては、信用できない。

下の画像は共謀罪で挙げられている270の罪のリストである。こんなの現在の法律で対応できる。(東京新聞政治部の3月1日のツイッターで掲載されていたもの)


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テレビを見ていると腹の立つことばかり

2017年03月15日 | 日々の雑感
テレビを見ていると腹の立つことばかり

この週末から週明けにかけて米子の実家に行っていた。今回もすることがなくて、テレビばかり見ていたのだが、本当に腹立たしいことばかり。

1.稲田朋美は大臣を辞めろ
森友学園の籠池理事長との関係を民進党の議員に聞かれて、「まったく関係はない」「面識はない」「会ったこともない」とふてぶてしく言い放っていたのに、籠池理事長が10年前に民事訴訟で裁判をした時の顧問弁護士として夫とともに担当弁護士として連名していた書類を突きつけられても、知らぬ・存ぜぬとバカにしたような態度で答弁していたが、翌日にその裁判に稲田朋美本人が出廷してたという新聞報道をされて、観念したのか、謝罪したというが、それでも「私の記憶にはなかった」などと平気で嘘を言っている。6日にも同じ質問をされているわけだし、今回の国会質問だって事前に籠池理事長との関係を聞きますと通告されていたはずだから、それにもかかわらず、調べようともしないし、たぶん調べていて分かっていたのだろうが、嘘を言うのだから、こんな人間が防衛大臣の資格なんかない。

森友学園の問題は首相や大阪の松井知事も関わっているようだし、今度は社民党の福島議員が岡山の加計学院との関係を追求し始めたようだから、とことんやってほしい。

2.残業100時間で決着だって?ふざけるな。
電通の職員が過労で自殺した問題が契機になって、残業時間の抑制が問題になり、政府、財界、労働者側の代表で協議されているという報道がテレビで流れるたびに私はチャンネルを変える。今の政治に残業を抑制させる意志なんかないことがまるわかりだし、連合なんかにそんな意志があるはずもないだろうし、不愉快になるだけだからだ。そしてヤフーニュースで「月100時間未満で決着」という報道があった。こちら

それにコメントしたツイッターで、ある人が、「厚労省の示す残業限度が月45時間で、いわゆる過労死ラインが月80時間。なのになんでそれより上の上限で決着してん」と書いていたが、本当にその通りだ。労働者を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい。

3.あいも変わらぬアカハラに大学が加担するパターン
今回のケースは、専任教員がボス教員からアカハラ・パワハラを受けて、それを大学が守ってくれるどころか、大学がボスに加担しているもの。そのボスというのは、業績改ざん―同じ論文を順番を変えて載せることで、実際には150くらいしかない論文総数を390本に水増ししていたという。そして研究室の使い方が規定違反で、それを准教授にしてきされたら、准教授の持ち物を別室に移動させて、研究させなくさせ、それを内部通報したら、腹いせに、研究していないとしてクビを通告されたという。詳しくはこちらこちら

本当に東京オリンピックなどやっている場合ではないと思う。福島には避難解除と言われてもいまだに汚染数値が高くて帰れないし、そもそも放射能汚染がそんな6年くらいできれいになるわけない。貧困家庭で修学旅行に行けない子や高校進学、大学進学を断念しなければならない子、まともな食事もできていない子たちがたくさんいるというのに、柔軟に行政が対応してほしい。きっとこういう問題に関わっている人たちは、東京オリンピックで○千万円だの○億円だのという金額が10円100円程度の感覚で扱われているのを見て、卒倒しそうになるのではないだろうか。そのほんの数%だけでも福祉行政にまわしてくれたら、どれだけの子どもたちが救えるのか考えてほしい。




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ついに石川サイクルロード全線歩く

2017年03月11日 | 日々の雑感
ついに石川サイクルロード全線歩く



前回、JR柏原駅から石川沿いにJR浅香駅まで、たぶん14Kmか15Kmを歩いたのに気を良くして、今回は柏原駅から石川をずっと上流にさかのぼって、河内長野駅まで歩いた。たぶん20Kmはあると思う。

8時半ころに自宅出て、JR柏原駅についたのが、9時半。駅前のコンビニでおにぎりやパンを買って、歩き始めたのが9時40分。

10分位で大和川に到着して、左の白い橋を渡る。ここからは石川沿いの歩行者専用の道を歩くので、気持ちがいい。とはいえ、今日はやたらと風が強くて、しかも向かい風なので、気持ちが萎える。

私は歩き始めはどうしても、過剰に発汗するので、服の調節が難しい。ジャンバーやフリースを脱いだり着たりが何度もあって大変。今日は風が強いので、マフラーも付けたり外したり。

今日は一人歩きなので、歌を歌ってみたり、鼻歌で元気の出る曲を歌ってみたり、自分で自分を元気づけないと、気持ちが萎える。ただ、ロードバイクでも、上さんとの歩きでも、何度も通っている場所なので、精神的には楽だった。

やはり一番しんどかったのが、半分あたりの、河南橋付近。足も痛くなるし、腹は減るし。足休めも必要だと思い、このあたりで昼食休憩にした。ただ風が強いので、じっとしていると寒い。そこで葦の林のようになっているところを風よけにした。これはいい。風が来なくて、ちょうど陽が当たってポカポカ。

休憩をして元気が出たところで、また歩き始める。石川ロード橋を渡って、川西大橋までが単調で、またきつかった。そこを過ぎると、田舎道のようになるので、気持ちも楽。滝谷不動の下のセブンイレブンでコーヒー休憩で一息入れてから、あとひと踏ん張りで、河内長野駅に着いた。ちょうど4時間の行程だった。

今日は上さんが用事で行けなかったので、今度は二人で行ってみよう。

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『パリの福澤諭吉』

2017年03月10日 | 人文科学系
山口昌子『パリの福澤諭吉』(中央公論新社、2016年)

福澤諭吉が文久遣欧使節団の一員としてフランスをはじめとしたヨーロッパを歴訪したのは、1863年4月と9月であった。

当時のフランスは、ナポレオン三世による第二帝政の時代で、産業革命を経たフランスは、鉄を中心にした都市開発が始まろうとする矢先で、まだエッフェル塔はないけれども、イギリスとならぶ二大強国となっていたから、パリの繁栄ぶりに諭吉も驚いたという。

一行は日本から船でマルセイユまで行き、そこから汽車でパリに到着した。パリでは数年前に結んだ条約関係の交渉のためにひと月くらい滞在しているから、諭吉たちは公的な訪問としてアンヴァリッドや病院などを訪問したのとは別に、個人的に知り合いとなったロニという、自然史博物館に出入りしていて、自分も肖像写真を撮って販売などしていた人物から多くの情報を得て、あちこちを訪問したようだ。

とくに諭吉が関心をもったのは、彼自身エンジニアでも自然科学の学者でもないので、最先端技術の紹介よりも、病院なら、それがどんなふうに維持経営されているのか、病人は支払いをどうやっているのか、どんなふうに看病されているのかをしつこく尋ねたりしたという。

また当時、イギリスやオランダなどの公的図書館の中で最大の蔵書数を誇っていたパリにある国立図書館を訪れて、自分たちが洋学のためにたいへんな苦労をした経験から、このような誰にでも開かれた図書館の存在意義に心を打たれた。

この本は、こうした1863年の文久遣欧使節団全体の行動と当時のヨーロッパと日本の政治状況の中に諭吉の活動を位置づけて、詳しく追跡した本であると同時に、当時の本にさえも載った諭吉の肖像写真の出所や現在の保存状況についての調査について書かれている。

30数人の使節団が4月にパリ滞在で使用したオテル・デュ・ルーヴルというホテルからの請求書が1億円くらいになるというから、こ出発から帰国までの一年間にどれだけのお金を使ったのだろうか。

毎日風呂に入る習慣もないし、せいぜシャワーを浴びる程度のフランス人にたいして、使節団の日本人が毎日風呂に入って、石鹸を大量に使用したのでフランス人がびっくりしたという記述もあって面白い。

そこまで詳細でなくてもいいのにと思う箇所が幾度となくあるが、福澤諭吉、パリ、文久遣欧使節などに興味があれば、面白い本だと思う。


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『テレマックの冒険』

2017年03月06日 | 作家ハ行
フェヌロン『テレマックの冒険』(現代思潮社、1969年)

時はルイ14世の統治の後半の17世紀末のこと。度重なる領土拡大戦争と疫病や冷害などのために国民は疲弊し、国庫は底をつきそうになっていたが、ルイ14世は、国民を犠牲にして、さらにかつての大貴族を没落させて得た栄光にすがりついて、政策を変更しようという気はまったくなかった。

そういう状況の中でルイ14世の近くにいて彼の王位を継承する王太子の側近や王太孫の教育に携わってきた貴族たちは、彼ら王位継承者を教育することで、貴族と民衆を大事にする新しいフランスを作ることを考えていた。

それがヴェルサイユで影響力をもっていたシュヴルーズ公やボーヴィリエ公であり、王太孫のブルゴーニュ公の師傅であったフェヌロンであった。彼は『統治計画案』を書いて、その中で、ルイ14世亡き後に曾孫が5才で王位を継承してルイ15世になったときに摂政となったオルレアン公が行った合議制や三部会の招集などを提言している。

残念ながら、1711年に、つまりルイ14世よりも先に王太子が、その翌年には王太孫のブルゴーニュ公が病死したために、彼らの希望は潰えてしまった。

そのフェヌロンが出版したこの『テレマックの冒険』は、1699年に出版された。ホメロスの『オデュッセイア』をもとにして、トロイ戦争の英雄であるユリス(オデュッセウス)を父とする王子テレマック(テレマコス)が、師メントール(実は英知の女神ミネルブの化身)に導かれて、行方不明の父ユリスを探して旅をして、辛苦を重ねたすえに父と再会するという話である。教え子のブルゴーニュ公の古典的教養を深め、君主はどのようにあるべきか、どのように国を治めるべきかという帝王学の伝授を目的としたと言われている。

それゆえに、人々は、巻七で語られる暴君ピグマリオンにルイ14世を、奸婦アスタルべにマントノン夫人を見ながら読んだと言われている。また同じ巻でアドアムが語るべティック国の素晴らしい治世や、「この国には、技芸を生業とする者はわずかです。人間の真実の必要に役立つ技芸しか認めようとしないからです」とか、めったに肉を食べず、果実とミルクを食料とし、質素だが、賢明で、純朴な生活をしているというこの国の風俗などを読むと、ルソーの『エミール』を思い出す。まさにルソーが最も理想とするような生活習慣や考え方が描かれている。

次から次へとテレマックとメントールに襲い掛かってくる困難や悲惨を乗り越えていく冒険譚は確かに読んでいても面白い。以前から一度読んでみたいと思っていた本だったが、古本屋で手に入れることができて、やっと読むことができた。

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『ラインの黄金』

2017年03月05日 | 舞台芸術
ワグナー『ラインの黄金』(びわ湖ホール)

びわ湖ホールのプロデュースオペラとしてワグナーの『ラインの黄金』を見てきた。「ニーベルングの指環」第四部のうちの序夜になる作品である。

ニーベルング族の小人のアルベリヒは「愛」を放棄したのと引き換えに、ラインの乙女たちが守るラインの黄金を奪い、魔の指輪を作って王となり、世界支配を狙っている。天上の神の長であるヴォータンは巨人族にヴァルハル城を作ってもらった代償として、妻フリッカの妹で愛と青春の女神のフライア(彼女が栽培するリンゴは神々にとて若さと活力の源である)を奪われることになる。

それに代わるものとして巨人族は黄金を要求したので、ヴォータンと火の神のローゲは地底に赴いて、アルベリヒを騙して天上に連れ去り、黄金をもってこさせ、さらにアルベリヒがもっていた金のスカーフと指輪を奪い取る。その時アルベリヒは指輪に呪いをかける。その結果、フライアを取り戻すために巨人族にわたした指輪のせいで巨人族は兄弟で喧嘩になり、兄が撲殺される。

まずラインの乙女たちと小人のアルベリヒのやり取りはライン川の水中で行われるという設定になっている。この舞台では、舞台前面に置かれたシルクスクリーンのようなものと舞台奥のスクリーンに映し出された水中の揺らめく中をラインの乙女たちが泳ぎ回る映像と、個々の乙女が歌うときに生身の役者を登場させることで、じつに見事に水中の雰囲気を出していた。私はこれを見た時点で完全にこの演出に感心させられた。

というのはびわ湖ホールが主催したワグナーセミナーにも私は参加していて、そこでこの箇所を過去の上演でどんなふうにやっていたかという話を聞いていたので、ずいぶんと興味を惹かれていたからだった。

この第一場が完全に成功していたので、私はあとは少々変なところがあっても(例えば、巨人族の演出など)、わりと作品世界に入ることができた。さらに、第三場で、ヴォータンとローゲが地底のアルベリヒのところに行った場面。ここでは何にでも変身することができる金のスカーフを自慢するアルベリヒが大蛇に変身した場面の演出がじつに見事だったので、ここでも感心した。

全体として、映画の『ロード・オブ・ザ・リング』の原作みたいな知識しかなかったが、休憩なしの2時間30分で上演されたこのオペラで、ワグナーって面白いなと思った。大阪の南から琵琶湖くんだりまで出かけただけの甲斐があった。来年は「ワルキューレ」だそうだから、楽しみにしておこう。

今回は、いろいろ迷った末(せっかくだから京都見物でもしようかとか、京都三条で昼食でもとろうとか)、梅田まで南海と地下鉄で行って、梅田で昼食をとった。「司」という和食屋さんで、カツオのたたきと和野菜の炊いた定食をいただいた。昼食は量を少な目にしているので、ちょうどよかった。

そしてJRの新快速で一気に大津へ。本当は膳所まで行って、そこで京阪に乗り換えて一駅戻るとびわ湖ホールに近いので、その予定だったが、大津についてみると、まだ時間はたくさんあるし、暖かそうなので、歩いて行ったが、正解だった。

終演後は、浜大津で一泊した。

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