読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

墓じまい

2024年11月25日 | 日々の雑感
墓じまい

11月10日に鳥取県にある実家の墓じまいをした。私は大阪に住んでいるし、車の運転ができないので、まず一人で行くことができない。それで墓の面倒は、つい最近までは母親に任せていた。その母親もよる年波には勝てず、とても墓そうじなどに行ける状態ではなくなった。米子に弟が住んでいるので、墓そうじやお寺さんとの関係などはすべて任せていたのだが、その弟が、墓じまいをしたいと言い出した。

なんでも知り合いで墓じまいをする人が増えているという。それに、弟の息子の嫁の実家でも墓じまいをしたいと言っているとか。もちろん私には異論はない。問題は母親なのだが、きちんと話してみると、自分が行けないので、気にしていたようで、墓じまいを了承してくれた。

それで弟と二人でお寺さんに行って、事情を話して、了解をしてもらった。つい最近も大阪在住の人が墓じまいをしたというので、話は早い。

近在の石材店に見積もりをしてもらうと50万円という。こんなのは値段なんてあってないようなものなので、弟に別の石材店からも見積もりを取ってもらうと、こちらは少し安かったが、商売っ気が盛んなので、やめておく。少し高めでも、やはり知り合いの石材店のほうがいい。

心配なのは天気だったが、11月10日は穏やかな好天だった。母親、弟、私が10時に墓に着くと、すぐ後に石材店さんが来て、墓から骨壺を取り出してくれた。30年くらい前に父親が亡くなったときに、祖父母の骨壺はお寺さんが引き取ってくれていた。

そうこうしているうちにお寺さんもやってこられて、線香を立ててから、読経をしてくれて、30分ほどで一通りすんだ。墓じまいということで、中心となる墓石以外にも無縁仏の墓石などがあるので、それらは骨壺ではなくて、お寺さんに土を持っていって供養してくださる。石材店さんが墓石を移動させて、土をビニール袋に入れてくれた。

墓は石材店さんに任せて、私たちは父親の骨壺と土の入ったビニール袋を持ってお寺さんに行くと、このお寺には永代供養の墓所があるので、そこに入れて、読経をしてくれた。その後、お寺さんの住まいでお茶をよばれて、あれこれ世間話をして、帰ってきた。

後日、墓のある町の役場にメールで問い合わせをしてみると、改葬申請書というものを出さないといけないらしい。今はホームページから書式をダウンロードして、弟に提出してもらった。



山形旅行

2024年11月09日 | 日々の雑感
山形旅行


久しぶりにかみさんと二泊三日で山形旅行をした。コロナ禍の前2019年に大津のびわ湖ホールにワグナーを観に行って、その二日目に石山寺を見物していらいになる。

山形を選んだ一番の理由は、昨年に「なんでも鑑定団」で知った、瞽女の絵や吉原芸者たちの絵で有名な斎藤慎一の絵をたくさん所蔵していて、毎年秋になるとその一部を展示している「出羽桜美術館」が山形市の北の天童市にあることを知ったからだ。美術館紹介の写真では数枚しか写っていなかったので、直接メールで問い合わせしたら、学芸員の方から丁寧な返事をいただいて、30枚くらいは展示しているという話だったので、ぜひとも見物したいと思っていた。

日頃忙しくしているかみさんも斎藤慎一の絵には興味あるので、山形旅行に行かないかと誘ったところ、最初は山形に何があるのかと聞いてきたが、斎藤慎一の絵を見ることと芭蕉の句で有名な立石寺の予定だと言ったら、行こうということになった。

立石寺とは言ったものの、奥の院までは階段が1015段あるという有名な山寺で、日頃運動をしていないし、一番の心配の種は腰痛の持病があることで、かつて金比羅神社に上がった(こちらは800段くらい)ときにも、翌日に足が痛くて辛かったことを思い出し、どこか電車とかバスだけで行けるところはないかと探してみたところ、蔵王があるじゃないか。

蔵王なら、バスで麓まで行き、そこからゴンドラとかリフトで上がればいい、きっと絶景も見られるだろうと思い、いろいろ調べていたら、なんと11月5日からゴンドラはすべて整備点検のために休止とわかった。仕方がない。立石寺に上がるしかないかと腹を決めるが、戦々恐々。

おまけに投宿した黒沢温泉の宿で天気予報を見ていたら、この時期一番の寒気が入ってきて、大荒れの天気になるとか言っている。とりあえず山門まで行ってみて、天気や体調しだいで帰るかと言いながら、山寺駅に着くと、風は強くて冷たいが、雲も切れてきて日差しがさしている。それに参拝登山をする人たちもたくさんいる。そういう人たちにつられて、するするっと山頂まであがってしまった。足も腰もまったくなんともない。たぶんドーパミンかなんかが大量に出ていて、気持ちをハイにしてくれたんだろう。

記録のために書いておくと、山門から奥の院まで30分くらいで上がれた。山頂は風もないし、鮮やかな紅葉に囲まれて、素晴らしい景色が堪能できる。下山したら、川の側の蕎麦屋でなめこそばをいただいた。宿に戻って、温泉に入って、満足の思いにひたった。

三日目はいよいよ出羽桜美術館である。これも苦労したのは、山形駅と天童駅の往復。帰りは山形空港から飛行機で帰ることになっているで、最初は天童市から山形空港は近いから、JRで東根まで行って路線バスに乗るか歩けばいいと考えていたのだが、とてもそんな距離ではないことがわかった。結局、天童から山形駅まで一旦戻って、山形駅前から空港シャトルバスで行くしかないし、これは各便の出発時間に合わせて走っているので、これが一番いいのだ。

問題は山形駅と天童駅の往復の電車がちょうど良さげな時間にないこと。しかも朝の出発のときに黒沢温泉の宿から山形駅までのバスが時間的に当てにならないこと、そういうことから、駅で長時間待たなければならない。実際、前日の山寺行きのときには、タイムテーブルよりも10分くらい遅れて山形駅に着いたので、当初予定していた電車に乗れなかった。

出羽桜美術館は天童駅から歩いて15分くらい。広い道に面しているのでわかりやすい。出羽桜酒造のオーナーの蔵全体が美術館になっている。だから廊下は板張りで、部屋は畳敷きのまま。私たちの到着する直前に中国人団体客が入っていたのだが、嵐のように過ぎ去っていった。後は私たち二人だけで、静かに鑑賞できた。斎藤慎一の絵の他にも、高麗青磁や李朝白磁なども展示されていたが、こちらは中島誠之助さんがいてくれたらと思うほど知識がないので、ちょっと立ち止まって見ただけだが、斎藤慎一の絵は二回鑑賞した。

出羽桜美術館には一時間弱ほど滞在してしっかり斎藤慎一の絵を記憶に焼き付けてから、また天童駅に向かった。天童駅から山形駅まで戻ってから昼食をとって、山形空港から飛行機で無事大阪に戻ってきた。

バスや電車の時間など事前の調査はやはり必要で、私は紙に書いて持っていくほどの準備をしていたのだが、天候というのは本当に当日になってみないと分からないものだなと改めて思った。前日の天気予報では雨は50%くらいで、実際、山形駅から山寺駅まで電車に乗っているあいだに雨が降ってきて、登頂するのは無理だねとか言っていたのだが、山寺駅に着いてみると、雨もあがっていい天気になってきた。結局この日に雨に降られて傘をさしたのは、夕方に黒沢温泉のバス停から宿までの3・4分のあいだだけだった。



年寄りクレーマー

2024年10月02日 | 日々の雑感
年寄りクレーマー

今日こんなことがあった。今日は生協配送の日だった。牛乳は予約注文といって、いちいちチェックを入れなくても、毎週注文するようになっている。いつも◯◯牛乳が配送されるのだが、今日はパッケージが違っていた。いろんな商品を買うので、そのリストが紙にプリントされて一緒に配送されるのだが、とくに変更になったことについて何もお知らせがない。

「どうして勝手に商品が変わっているの?」と思い、いつもWebサイトで注文しているので、そこのマイページを見ると予約注文の内容が勝手に変わっている。誰か勝手にログインして書き換えたのか?と思い、かみさんに電話させた。

かみさんのやり取りでは埒が明かないので、私が直接電話口に出て話した。もう私の頭の中は勝手にログインして書き換えられたということしかなくて、大声を出して担当者にクレームを叩いた。

担当者が言うには事前に「お知らせ」で連絡してあるという。しかし紙のリストを見てもそんな「お知らせ」欄には何も書いてない。そこでさらにエスカレートして、ガンガンとクレームを付ける。とりあえず、以前の◯◯牛乳がリニューアルして(ついでに量もすこし減らした)、名称も変更したということなので、勝手にログインして商品名を書き換えたとかということではないことがわかったので、私としては了解をして、電話を切った。

その後かみさんと以前の紙の配送リストを見ると、二回にわたって事前にリニューアルと名称の変更のことが書かれていた。

やっちまったなぁ~と思い、すぐにもう一度生協に電話して、担当者に謝った。

このようなことになってしまったことを思い起こすに、世の中にはこんな爺さんのクレーマーが山ほどいるんだろうな、カスタマーセンターの担当者(たいていは非正規雇用なんだろう)は大変だなと、自分自身のことを顧みて思った。

電話する前に、もう少し紙の配送リストを見直してみるとかすればいいのに、予約注文のリストに商品名が変わっていただけで、勝手にログインして?と思い込んでしまったのだ。

我ながら悲しい経験をした。



『コロナワクチンその不都合な真実』

2024年08月28日 | 日々の雑感
アンリオン=コード『コロナワクチンその不都合な真実』(詩想社、2023年)


新型コロナに明け暮れた2020年、日本全体が安倍の一声でロックダウンさせられた初春(3月)、例に漏れず、もっと速くワクチンが出来ないのかと心待ちにしていた。

やっと一回目のファイザー社ワクチンを打ったのが6月、二回目がその二週間後の7月、暑い中を予約が取れた会場まで電車に乗って出かけたのを覚えている。そして三回目はその半年後の22年2月に家から近くの会場で打った。

副作用があれこれ言われていたが、私は少し熱が出て、軽い頭痛がしたくらいだったが、かみさんは相当の熱が出て、体がだるくなったので、カロナールを勧めて、収まった。だが、世間では、口から泡を吹いて突然死したとか、知り合いが行ってみたら死んでいたとか、体全体の不調で仕事にも行けないだとか、などあれこれの情報が入ってきた。もちろん新型コロナそのものの後遺症と同じように、ワクチンの後遺症ということが言われるようになっていた。

22年の夏には四回目のワクチンの通知がきたが、上のような情報を知っていた私は、副作用がきつかったかみさんともども、もうワクチンはやめておこうということになった。もちろんそれはワクチンは必要悪と考えていた私にとっては一大決心であった。

私のかみさんの兄という人はちょっと変わった人で、地方に住んでいることもあって、最初から一度もワクチンを接種しなかった。「壮大な人体実験だ」などと「うそぶいていた」。私がこの人の言動に違和感を抱いたのは、ワクチンそのものに批判的なだけではなくて、新型コロナそのものを「風邪」のようなものだと言っていたからだ。現実はそうではない。志村けんなどの有名人の死がいい証拠だ。

遅まきながらコロナワクチンに警鐘を鳴らすこの本を読んだ。

恐ろしいことの第一は、mRNAを使ったワクチンや治療薬はずいぶん以前からあれこれの病気の治療を目的として作られてきたが、一つとして成功したものがなかったという事実である。そして、今回のコロナワクチンも、そういうものなのに、アメリカの保健局をはじめとして全世界の保健当局が、ファイザー社、モデルナ社などにきちんとした資料を提出させずに(75年後に資料が公開される!って?)、認可したということだ。

第二に、人体の細胞に入り込み、遺伝子を改変してしまうものだということだ。それは子々孫々にまで災禍を及ぼす可能性があるということではないか。

新型コロナの対策についての総括は何もされていない。ワクチンについても同じだ。だが、ワクチン薬害について声を挙げている京都大学の教員がいる。そして何よりもこの本が人々に真実を知らせてくれることを期待している。




『ヴェルサイユの祝祭』

2024年07月27日 | 日々の雑感
小穴晶子『ヴェルサイユの祝祭』(春秋社、2024年)



イタリア・オペラの誕生から説き起こし、フランス・オペラが、フランスで初めて紹介されたイタリア・オペラ、エール・ド・クール(宮廷歌謡)、宮廷バレエ、モリエールとリュリが創始したコメディ・バレエなどを複合して創始されたという話が第一章で紹介される。

第二章では、リュリとキノーが創始したフランス・オペラ(音楽悲劇)の実作―『カドミュスとエルミオーヌ』、『アルセスト』、『アルミード』―のあらすじ、原作、特徴、聴きどころなどを中心にして紹介される。

第三章はバロック音楽の特徴が理論的に論じられている。

多摩美大を定年退職されて、こうしたまとまった著作を書かれたようだが、あちこちにキラリと光る優れた記述もあって、いろいろと勉強になる著作のようだ。




『ザイム真理教』

2024年07月26日 | 日々の雑感
森永卓郎『ザイム真理教』(三五館シンシャ、2023年)


これを出版した後、著者の森永卓郎はガンだかなんかでもう余命数ヶ月と宣告されたという(今でも生きているけど)ことで、ネットを賑わせていた。

21世紀になってから、とくに安倍第二次政権になってから、日本銀行と結託して、ゼロ金利どころかマイナス金利にして、福沢諭吉のお札をジャバジャバ市場に流して、大企業に楽して儲けることができる時代にした政策を苦々しく思っていた私として、この本で森永卓郎が言っていることは、にわかには信じがたい。

政府が毎年の財政バランスを税収をはるかに超えた支出をすることで、いわゆる赤字国債をどばどばと発行して、収入に近い金額の国債をプラスした支出をしても、この国債を日本銀行が買い取って、永遠にもっているかぎりは、借金なんてチャラだというのだ。それは確かにそうかもしれない。

ただ、森永卓郎の主張は疑問に思うところはこの点だけで、あとの主張は、納得がいくものばかり。財務健全化を葵の御紋にして、増税を言い続け、それに立て向かうような政権は倒してしまうくらいの団体である(と森永卓郎が言う)財務省の増税は、国民を苦しめるだけのものだという。

日本の消費税が低所得層に厳しくて、金持ちにはただみたいなものというのは、本当だ。累進課税なんて嘘で、一億を超えると、税率が下がるのだから、金持ちにとって日本は天国だろう。完全な累進課税にすべきだという森永卓郎の主張には賛成する。

消費税が景気を悪くしてきたというのも本当だ。結局日本の景気が国民の消費行動に左右される。消費税増税が国民の消費行動を押させ付けるというのは、誰が見てもわかることだ。

森永卓郎がザイム真理教を知るきっかけになった専売公社勤務の経験の話はじつに興味深かった。




天才的作曲家と画家

2024年07月17日 | 日々の雑感
ともに印象派と言われる作曲家ドビュッシーと画家ルノワールとモネ。
この人たちは多くの優れた作品を残しているのだが、私がとりわけ好きなのが、ともに光のきらめき、光線のゆらめき、光と影の移ろいを描いた作品だ。

ドビュッシーは「アラベスク第1番」
CANACANAさんというピアニストのユーチューブ。下のルノワールとモネの絵を見ながら聞いてみてほしい。

ルノワールとモネは「ラ・グルヌイエール」(二人して出かけたセーヌ河畔の水泳場を描いたもの)
モネ


ルノワール


ドビュッシーは決してルノワールとモネのこの絵に触発されて「アラベスク」を作曲したわけではない。むしろ「アラベスク」というのはイスラム風装飾のことなので、まったく違うのだが、私にはルノワールとモネが描いた水面のゆらゆらする様子を音楽にしたように聞こえる。

三人の作品は、これだけあれば、他の作品はなくてもいいというくらいに、素晴らしいの一言しか出てこないような作品だ。

大阪万博ってなに?

2024年06月24日 | 日々の雑感
大阪万博って、いったいなんのためにやるのか?
1.「リング」ってただの渡り廊下にすぎない。とくに目新しい技術で作られているわけでもない。ただの渡り廊下にすぎない「リング」に大量の木材と重機と人材を投入している。能登地震の被災地は半年過ぎてもいまだに倒壊した家々がそのままになっている。道路などのインフラの整備ができないだけではなくて、木材も重機も人材も足りないからだろう。ただの渡り廊下のために大量の木材・重機・人材を投入しているために、復興のほうに回ってこない。この「リング」、万博が終わったら、壊すだけだという。再利用もできないらしい。何のための万博やねん!

2.もともと関係者以外立入禁止の島が夢洲だ。そこには産業廃棄物をはじめ、ダイオキシン、PCB、水銀その他の危険な物質を廃棄するところだ。そしてメタンガスが大量に発生している。その数値は労働者を働かせてはいけいな水準。メタンガスなんて、ガスだから、こっちおいでと誘導しようとしても、好き勝手なところから湧き出る。その結果が、このあいだの爆発事故。メタンガスが発生する場所には、駐車場、トイレ、レストランが予定されている。火気厳禁のレストラン!何のための万博やねん!

3.万博会場へのアクセスは、現在工事中の地下鉄一本、夢舞大橋の一本だけ。おそらく一番怖いのは何かの事故が起きて多数のけが人が出るというようなケースだろう。地下鉄では救急車は通れないので、夢舞大橋しかない。そこはシャトルバスが数珠繫ぎになっているだろうし、そこへ救急車が何台も通れるのだろうか?海上交通を使うという手もあるかもしれないが、船が停泊できる場所は限られており、都合よくその近くで事故が起きるとはかぎらない。なんのための万博やねん!

万博の真実を知りたかったら、こちらのユーチューブをご覧になるといい。


マイナンバー保険証の張本人はこいつです

2024年06月20日 | 日々の雑感
河野太郎が聞く耳を持たない猪突猛進で進めようとしているが、6%から全然増えないマイナンバー保険証。増えるのは、トラブルばかり。今年の秋には、完全移行というが、この調子でいけば、完全移行どころの話ではない。

しかしもう紙の保険証は発行されないから、しぶしぶマイナンバー保険証に登録する人、何も知らないで放置して、紙の保険証が使えなくなる人、資格証明書を発行してもらって急場をしのぐ人ということになる。

本当にどうなるんだろう。医療はまったなしなので、保険証が使えなくて、医療が受けられなくなる人が続出することになる。

私が本当に恐れるのは、国民の大半がしぶしぶマイナンバー保険証に登録したとしよう、すると毎朝ものすごい数のカードが医療現場で使用されることになるが、大元のコンピュータシステムは大丈夫なのだろうかということ。よく銀行ATMがパンクして送金、引き出し、入金ができなくなることがある。それで商売に打撃を受けるケースもあるだろうが、多くはしばらくは様子見をしておけば、そのうち回復する。

だが医療現場ではそんなことは許されない。今日は手術日だ、今日薬をもらわなければ飲む薬がない、今日診察を受けなければ重症化する…。コンピュータシステムが不調でマイナンバー保険証が使えないから、しばらく様子見はできない。かといって紙の保険証はもうない。小さなクリニックなら、名前を言えば、カルテを見つけることができるかもしれないが、医療費計算はどうする?大病院なんか悲惨なことになるのは目に見えている。

河野太郎が意地を張っているように見える裏にいるのは、経団連会長がマイナンバー保険証を言い出したから、彼らはこの映像にあるように、皆保険制度をやめさせて、民間保険に支配させるというアメリカ型の医療制度にしようとしているのだ。
下のURLをコピーしてご覧いただきたい。

https://x.com/RobbyNaish77/status/1802554033716228356


『パチンコ』

2024年06月03日 | 日々の雑感
ミン・ジン・リー『パチンコ』(文藝春秋、2020年)


最近は、7日から10日くらいの間隔で、母親の介護に米子まで出かけている。母親の家では3日から6日くらい滞在して、また自宅に帰るという生活である。その行き帰りや母親の家では、なかなか本を読む気力がないのだが、これは一気に読んでしまった。

チェジュ島の近くの影島で生まれたパク・ソンジャとその両親の暮らし、そしてパク・ハンスの子どもを身篭ったソンジャを連れて、大阪の猪飼野に移り住んだパク・イサクの朝鮮人町での貧困の暮らしの描写は、一家を支えるオンマの腕にかかっていることをリアルに描き出す濃密さを持っている。

影島での生活は、まだ畑があって、野菜を作りができるし、下宿している漁師たちが持ち帰る魚を使って美味しい汁物を作ることができるのだろうからまだマシとしても、大阪の猪飼野での生活は、それこそ都市生活ゆえに現金がないと生活していけないわけで、自分たちの食べるものにも困るような状況の中で、現金を捻出して、材料を買い、キムチや飴を作って、駅周辺で売って、日銭を稼ぐという暮らしの描写も、作者の後書きを読むと、相当に在日の暮らしや環境や日本人の差別などを膨大に調べた上で書いたというのが納得できるほど、リアルである。

それに比べるとソンジャの子どもたち(パク・ノアやモーザス)の世代や孫(ソロモン)の世代は見た目には全く違うように思える。もう食べるものにこと欠くことはなくて、場合によっては、ノアやソロモンのように高学歴さえ手にすることができる時代になった。母親世代の描写にあった、あの濃密さは消えて、スカスカな世界を見ているような、そんな平板さが描写を支配している。しかし在日朝鮮人の苦悩は形を変えて彼らを苦しめ続ける。

そして医者、弁護士、会計士、大学教員などのように、在日であっても、日本人と肩を並べて仕事をすることができるような職業に就くことができる人たちはごく一握りだが、彼らの世界でさえも、差別が消えてなくなるわけではなくて、一般の多くの在日と同じように、ノアやソロモンと同じ苦悩を背負って暮らしている。

結局、私がこの小説に感じた描写の濃密さ・のっぺらさは、時代の違いなのだとおもう。おそらく貧困層の日本人が戦前・戦後を生き抜いた小説だとしても、同じ構造を見せたのではないだろうか。だからと言って、この小説に意味がないということではない。とりわけこの小説の舞台となった日本という国の、朝鮮(韓国)への差別意識の問題は、本当に、この小説が描き出したように、永遠に変わらないのだろうかと思わせる根深さを持っている。

訳者があとがきで、「異国に移住した一世と二世が異なる部分で苦労するのは、実はどの国の移民にも共通している」と書いているが、アメリカでのそれは、特に在日朝鮮人について、まったく違うようにおもう。なぜなら戦前の日本の統治者たちが作り出した(多分に一般民衆もそれに迎合した)中国人・朝鮮人への差別意識は、いまだに根強く、日本人の無意識層に刻み込まれているからだ。

朝鮮支配を正当化するために、国家の維新を遂行することができなかった「劣った」朝鮮民族のために、日本民族が統治してやらなければならない、といったような論理で、韓国併合を実行した。そのために日本人に「劣った」朝鮮人というというイデオロギーが延々と刷り込まれていったのだろう。

それはつい最近まで日本の文化は中国と朝鮮の文化の影響を受けて発展してきたにもかかわらず、まったくそんなことに触れることさえはばかられるように(さすがに中国4000年の文化からの影響を否定することはできないが)、一切触れられることがない。日本語という言語の発展にしても、古くから朝鮮語の影響を受けてきたし、古墳や仏教寺院にしても朝鮮から持ち込まれた文化であることは明らかなのに、そういう影響関係を調べようともしないで、「古事記」や「日本書紀」を訳のわからない解釈をするばかりで、一向に研究が進まないのは、本当に馬鹿げているとしか思われない。

あまり話の間口を広げても意味がないので、この辺でやめておこう。この小説は、こういう問題についてはオープンな、アメリカという国で、アメリカに在住するコリアン系の人によってこそ描きえたのだと思う。ただ、自然な描写、まるで日本に住んでいる在日が書いているように自然な描写が可能だったのは、翻訳者の技量によると言わざるを得ない。





45年来の知り合いと再会する

2024年04月12日 | 日々の雑感
45年来の知り合いと再会する

大学入試のために大阪に来たさいに、高校のクラブの先輩の下宿に泊めてもらった縁で、その大学に入学したときに、そこが空いていたので、すぐに下宿先を決めた。その先輩がやっていた縁で、ある社会系のクラブに入った。その時に知り合った友人は吹田市役所に採用されて、もう何年も前に定年退職している。

最近になってやっと連絡をとるようになったので、一度会いたいと思っていたのだが、コロナも下火になってきたことから、昨日待ち合わせして大学で会った。

お互いジジイではあるが、このK君のほうが年上(入学に浪人しているし、卒業時も一年留年している)ですでに70歳ということだが、まぁ髪の毛は真っ白で地肌が見えているが、趣味で畑をしているそうで、しっかりした体をしている。

大学の近くに住んでいるのに、卒業してから一度もキャンパス内に入ったことがないそうで、私は一年前までそこで非常勤講師をしていたので、ざっと案内して回る。キャンパスの半分以上が、新しい建物になっているからだ。

早め目の時間に学内にあるレストランに入って、昼食を取る。入ったときにはあまり客もいなかったが、12時過ぎるとすごい混みようだった。日替わりランチをいただきながら、あれこれ話をする。
けっこう話を振ってくるのが上手で、学生時代のことや、共通の知り合いのことや、最近読んだ本のことなどをあれこれ喋りまくった。

1時前にレストランを出て、一駅離れたところに自転車を置いてきたというので、そこまでまた喋りながら歩いて行った。そこは私が大学に入った頃に住んでいた地区で、そこも完全に様変わりしているが、懐かしい。

我ながらよく喋ったなと思うくらいによく喋った。楽しい半日であった。今度は共通の知り合いも含めて再会したいものだ。



大学図書館の思い出

2024年03月31日 | 日々の雑感
大学図書館の思い出



私は高校生の頃から読書(とくに日本文学)が好きだったが、もっぱら商店街にある本屋で文庫本を買って読むタイプで、図書館にはまったく行かなかった。というか、図書館で本を借りるという発想がなかった。だから高校3年間で高校の図書館に入ったのは一回か二回しかない。それも本を調べるとか本を借りるためではなくて、三年間ずっと同じクラスだったI君と、理由は覚えていないが、図書館で待ち合わせしたからだ。

そんなこんなで、図書館というものにまったく縁がなかった私だが、大学に入るとそうもいかなくなった。現在のK大図書館は、関西でも最大規模の蔵書を誇る図書館を有しているが、私が入学したころは、戦後すぐに建設されたものがそのままであった。ワンフロアが狭いので、そのぶん何階もあって、書庫に入って(と言っても、それは大学院生になってからの話しだが)、複数階を上がったり下りたりすることがよくあった。図書館員たちは大変だったろう。

閲覧室(自習室)によく出入りするようになったのは、二年生になってからだ。一年生の期末テストは散々だった。もともと英語をやりたくなくてフランス語を履修したのだが、英語の授業はつまらないなりになんとか単位は取れた。問題はフランス語であった。英語は二年でおしまいだが、フランス語は四年間使うことになる。こんな調子では、四年間持つまいと反省した私は、二年生になってから真面目に勉強するようになった。

一年生の夏休みは二ヶ月のうちの一ヶ月を阪急デパートでアルバイトしたが、二年生になると、そんなことはしていられないほどの成績だったので、田舎暮らしの祖父母の家に籠って、あらゆる誘惑を排除してフランス語の勉強をした。

とにかく動詞の活用がまったく分からないので、直説法現在形、複合過去形、半過去形、単純過去形、単純未来形、条件法現在形、接続法現在形などを必死で丸暗記していった。夏休みでは完全に終わらなかったので、後期に入ってからもその続きをやることにしたが、当時は大学の近くの、三畳一間の下宿屋(5000円の家賃)に住んでいたので、机もなかったこともあり、大学の図書館で勉強するようになったのだ。

恐る恐る入り込んだ閲覧室(自習室)は、昔の大学図書館のイメージそのままであった。昼間にも行ったはずだが、思い出すのは、煌々と灯る明かりの下で、勉強している学生たちの姿だ。相変わらず本を借りるということはあまりなかった。もっぱら勉強をしに行っていた。

本を借りるようになったのは、大学院生になって、結構な量の本を読まなければならなくなってからだ。その頃には、自分で研究書を買うだけでは不十分なので、図書館にある蔵書を借りる。そしてそれを院生に与えられた無料カードで全部コピーして、これまた大学院に備えられていた製本機を使って、簡易製本する。するとなんだか読んだような気になるものだった。

しかし本当の意味で大学図書館を縦横無尽に使うようになったのは、非常勤講師になって、自分の専門の研究を真面目にやるようになってからだろう。大学院生時代にやっていた研究主題とはまったく違う分野の研究をするようになったこともあって、大学図書館が非常に便利だった。古いものでも全集が揃っているし、関連分野の文献も豊富にある。さらにこの大学図書館に所蔵されていない文献は他大学の図書館から取り寄せたり、紀要などなら、論文コピーを送ってもらえるサービスもある。

現在は、非常勤講師を辞めたので、校友カードで本を借りることができるだけで、書庫にも入れないし、文献複写のサービスもしてもらえない。まったく不便なので、図書館長に手紙を書いて訴えたのだが、けんもほろろに拒否された。もっぱら市立図書館を利用することが多い。




『チャップリンとアヴァンギャルド』

2024年03月18日 | 評論
大野裕之『チャップリンとアヴァンギャルド』(青土社、2024年)


チャップリンの映画は、初期のものは別として、有名なものは、ほとんど観ている。だから、この本のアヴァンギャルドという言葉を見たときに、あまりピンとくるものがなかった。

私にとってアヴァンギャルドといえば、フランスの第一次世界大戦後におきた文芸運動であるシュールレアリスムが思い浮かぶ。アンドレ・ブルトンとかルイ・アラゴン、そして絵画ならダリあたり。

ところが、この本によれば、彼らから高い評価を得ていたという。さらに同じ時期に舞踏の分野でおきたニジンスキーなどの新しいダンスの潮流にも高く評価されていたというから、まさにチャップリンの演技や映画手法はアヴァンギャルドだったのだという。

この本では、私たちが今では当たり前と思って観ている演技や演出などが、まさにチャップリンの創作によるものであったらしい。マイケル・ジャクソンのムーンウォークなんかも、チャップリンが最初にやったらしい(そのままではないけどね)。

チャップリンってすごいわ。





『明治の御世の「坊っちゃん」』

2024年03月15日 | 評論
古山和男『明治の御世の「坊っちゃん」』(春秋社、2017年)


代表的な作品としては『猫』に続く第2作にあたる『坊っちゃん』も漱石の小説では一・ニを争う人気の小説である。

主人公「坊っちゃん」とは明治天皇のことであり、父であり「毒殺」された前天皇の孝明天皇の亡霊を「清」、兵士の血で染まっている「赤シャツ」は山県有朋、「野だ」は、日本を中国などのように、幕府と薩長による内乱を起こさせて、最終的には植民地化しようと考えていたし、薩長と手を組んで軍備増強させて巨富を手にしたイギリス、「山嵐」は孝明天皇を守ろうとしながらも、薩長によって朝敵にされて滅ぼされた会津藩主の松平容保、「うらなり」は「乃木希典」、「マドンナ」は「迷う女」つまり日露戦争で赤シャツに使い捨てにされて成仏できないでいる日本人兵士たちに、擬した能楽として読み解くという、斬新な研究である。

夏目漱石が、日露戦争に反対し、国民を戦争に煽り立てる新聞報道に批判的であり、反体制的で反権力的な個人主義を標榜したというような話はよく耳にするし、そうした研究もたくさんある。しかしここまでストレートに権力批判をした小説を書いたという分析は、驚きと言わざるを得ない。

しかし、この本を読めば、『坊っちゃん』『猫』『三四郎』などの作品が、「百年かけても斃さなければならない敵』に対する「権力の目をかすめて我理を貫く」巧妙な風刺であり、舌鋒鋭い果敢な体制批判であることが了解される。

『坊っちゃん』を書いた直後の漱石が「僕は世の中を一大修羅場と心得ている。其内に立って花々しく打死をするか敵を降参させるかどっちかにして見たいと思っている。敵というのは僕の主張、僕の趣味から見て世の為にならんものを云うのである」という決意のもとにこれらの作品を書いていたというのだ。

『坊っちゃん』人気が出て、あちこちで評判になった頃に、この小説の登場人物たちのモデルとなっていると思われた当時の「松山中学」の校長だかが、抗議の文章を新聞に載せたという話を聞いたことがあるが、漱石はどう思っていたのだろうか。普通の読者なら、どうしたって「松山中学」の教員たちをモデルにしているとしか読めなかったらだろう。能楽や江戸戯作の心得のある人たちにしか漱石の真意が伝わらなかったとすれば、作者としてはそれも痛し痒しというところだろう。

こうした読みは、とくに現代においては、能楽の知識、言葉を符牒として読み直す言語感覚などが必要で、誰にでもできるものではない。「全編を解説つきの対訳にように通して書ければ流れが解りやすいかもしれないが、それはまたの機会としたい」とあるので、そのような対訳本を出すことも念頭にあるのかもしれないので、それを待つことにしよう。

夏目漱石が明治天皇・睦仁を「坊っちゃん」にしてこんな小説を書いた動機の一つに、天皇をまさに「錦の御旗」にして、天皇の意思などお構いなしに、国民を戦争に動員して、多数の兵士を湯水のように死なせ、国民に暴力を振るう権力者たちへの反抗であったということだ。

この本を読んで初めて知ったのだが、薩長の思い通りにならない孝明天皇は毒殺された可能性があり、明治天皇も日清戦争や日露戦争を望んでいたわけではないにもかかわらず、権力者たちが決めたことに従わざるをえなかったという。安倍晋三たちが「美しい国」などと耳触りのいい言葉で作ろうと計っている国のかたちも、このような戦前の日本、つまり天皇を利用して、国民の自由や幸福を奪い去って、権力者の思うがままに動かして戦争に動員できる(戦前と違うのはアメリカの戦争に動員できるということだ)日本なのだということが、見えてくる。

この本は、現代とは遠く離れた明治の小説を解き明かしているように見えて、じつは現代の権力者の意図も解き明かしてくれるという稀有な評論だと言える。




『秘密諜報員ベートーヴェン』

2024年03月12日 | 評論
古山和男『秘密諜報員ベートーヴェン』(新潮新書、2010年)


政治の世界とは無縁と思われている音楽家(作曲家)が、当代の政治に深く関わっていたという話は、最近になってぽつぽつと研究が進み始めた分野である。

その嚆矢となったのは、ヘンデルが、後にイギリス王ジョージ1世となるハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒの諜報部員として、先にイギリスにわたり、イギリスの政治情勢を報告していたということを詳細に研究した山田由美子の『原初バブルと《メサイア》伝説』(世界思想社、2009年)である。これについては、こちらに書いている。

ジョージ1世の理想を支えるべくイギリスの敵対人物たちの社会に入り込んでスパイまがいのことをしていただけでなく、ジョージ1世を文化的に支援すべく音楽を創りだしたというヘンデル像は、はっきり言ってすごい驚きである。なんらかの理想を抱いていて、それを実現すべく、音楽家として関与するということは、あって当然のことだろう。

それと同じように、封建制を打破し、自由で民主的な社会の実現しようという大きな理想を抱いていたのがベートーヴェンであったらしい。彼はナポレオンのヨーロッパでの改革に期待を抱いていた。それが1812年のナポレオンによるロシア遠征の失敗によって、旧体制の復活というなかで、晩年をすごすことになったという。

この本では、<不滅の恋人>への三通の手紙と言われている有名な手紙の解読を軸にして、1812年のベートーヴェンの動きをヨーロッパの政治情勢と関わり合わせて、解き明かすという内容になっている。

最初はたんなるとんでも本だと思っていたのだが、読んでみると、中身のしっかりした素晴らしい本だった。