読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『有頂天家族』

2009年02月28日 | 作家マ行
森見登美彦『有頂天家族』(幻冬舎、2007年)

高畑勲の『平成狸合戦ぽんぽこ』を思わせる狸が主人公のお話。舞台は京都。狸界の頭領であった下鴨総一郎は犬猿の仲で養子に出た弟の夷川早雲にはめられて狸鍋になってしまった。数年前の暮れの金曜倶楽部の宴会で食されてしまったのだった。そしてその後釜をねらって矢継ぎ早やに陰謀を仕掛けてくる早雲とその息子たち金閣銀閣(そして娘の海星)、そしてそれに対抗して父総一郎の意思を継ごうとする総一郎の息子たち、責任感は強いがここ一番にパニくる長男の矢一郎、父の死の前まで一緒に酒を飲んでいたために父の死を自分の責任だと思い込み蛙に化けてから元にもどれなくなった次男の矢二郎、一応この物語の主人公であり語り手でもある三男の矢三郎、まだヒヨっこですぐに尻尾をだしてしまう四男の矢四郎の闘い、それに総一郎が懇意にしていた天狗の赤玉先生こと如意ヶ嶽薬師坊とその弟子の弁天たちがからんで、京都を舞台に馬鹿なひと騒動を繰り広げる。

面白かった。けど後に何も残らないお話。前にも他の小説について同じことを書いたような気がするけど。まったく何も残らない。時間を無駄にしたとは思わないが、まぁ二度と読もうとも思わない。別にけなしているわけではない。そういう小説もあっていいだろう。でもこんな小説ばかり書いていてむなしくないのかなと、他人事ながら思う。

彼の第一作の『太陽の塔』とか『夜は短し歩けよ乙女』とかについても似たようなことを書いたと思うのだが、いつまでもバンカラ高校生が世の中を斜めに見て武士は食わねど高楊枝的に放歌高吟するようなものばかり書いていて、最初のうちは珍しがられてちやほやされるかもしれないが、こんなものばかり書いていたらダメになると思う。もう一度言う。こんなものばかり書いていてむなしくないのかな。

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サドルを換えてみた

2009年02月27日 | 自転車
サドルを換えてみた

私のロードバイクにはVelo Sensoという、まぁ一般的なサドルが付いている。買った当初からお尻が痛いということは何度も言っていて、だんだんと慣れてきてはいたのだが、3時間を超えると腰まで痛くなってくるし、一番辛いのが会陰部が圧迫されて尿が出にくくなるという問題がある。

そこでいろいろなブログなどを見ているとみなさんパーツをいろいろと取り替えていらっしゃるよう。やはりこれから長時間のライドをするつもりなら、現在のサドルでは限界だなと思っていたので、一度取り替えてみようと思いついて、あれこれ探してみる。SELLE SMP Strike TRKなんかよさげ。使用者のコメントもいくつかあって、えらく気に入って5個も買いだめしておいたなんて人もいる。ところがこの商品はどこも売り切れ。たまに在庫があるという店もあるのだが、写真とか商品データをみるとどうも違う。まず重さが違う。SELLE SMP Strike TRKは395グラムなのに、460グラムと表示されている。それになんかお尻側のラインが微妙に違う。写真を見るとStrikeという文字が印刷されているのとそうでないのとある。やはり違うんだな。

そこで現在のサドルがVeloなので、それで探してみると、よさげなのがありました。VELO RACER SADDLEというやつです。中央に溝というか切れ込みが入っていて、会陰部の圧迫を和らげてくれそう。形も現在のサドルとそれほど違わないようなので、あまり違和感もないのではなかろうか。値段も安い。早速注文。

昨日、早速乗ってみました。石川CLを往復で約3時間。うーん。どうだろう。会陰部の圧迫ということではあまり効果はないみたい。切れ込みの大きさが中途半端で、あまり役にはたっていないかも。しかしゲル入りということでクッションとしての役目は十分果たしており、舗装といっても古くなってけっこうぼこぼこした舗装でもあまり腰に影響を及ぼすことがないということは確認した。もうしばらく乗り続けてみないと、このまま使い続けるかどうか判断はできないな。


SELLE SMP Strike TRKも在庫のあるところが見つかったので、すぐに注文した。どうです。なんかよさげでしょ。クッション性もありそうだし、大きな穴が開いているので、会陰部の圧迫も避けられそう。重さも395gということで、今つけているVELO RACER SADDLEの350gとさほど変わらない。ちなみにVELO SENSOは240gだった。ヒルクライムのタイムトライアルなんかやっている人だったら、この百数十グラムも気になるだろうけど、ロングライド向きの自転車にするには私の場合にはどうしても必要なことだから、まったく気にならない。それより長時間乗っていてもオマタが苦痛にならないことのほうが大事なのだ。試乗レポートはそのうちに。

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『サクリファイス』

2009年02月26日 | 作家カ行
近藤史恵『サクリファイス』(新潮社、2007年)

棚からぼた餅? 瓢箪から駒? この小説はたしか桜庭一樹が取り上げていたので図書館に予約したのだったと思う。だからきっとこの「サクリファイス」というタイトルからもきっと凄惨なミステリーなのだろうと思っていたのだが、表紙の写真を見て、あれ、ロードレースを描いた小説?と思い、ページをちょっとめくってみたら、あれあれ自転車乗りのことを書いた小説じゃないか。やっぱ自分がいま関心を持っているスポーツのことを描いた小説だとあっという間に読んでしまった。私は最近では夜に寝る前にベッドの中でしばらく本を読むのだが、たいていは薬を使わない睡眠導入剤となっており、すぐに眠くなるのだが、昨夜は読み終わるまで眠くならなかった。

いわゆるスポ根ものではないし、成功物語でもない(ちょっとその気があるかな)。高校まで陸上の中距離選手をしていた白石誓はインターハイで優勝しオリンピックも狙えると有望視されていたにもかかわらず、たまたまテレビで観たツール・ド・フランスのゴールシーンに触発されて陸上推薦で決まっていた大学をけって自転車の強い大学に入学し、それいらい一貫して自転車の世界につかってきた。いまは実業団のチーム・オッジに所属する。

彼が陸上を捨てたのは、香乃という付き合っていた女性から差し向けられた「私のために勝って」という激励の言葉がプレッシャーになったこと、そしてもなによりもどんなことがあっても一位にならなければならないというプレッシャーが嫌になったことだ。自由に走りたい、その結果できれば一位になれればいいが、そのために走るというのは嫌だという気持ちがぬぐいきれなくなったということ。ところが自転車のレースは個人競技とはいえ、実際にはチームのレースで、チームのエースのためにアシストは競技者としてのレコードを犠牲にしなければならない。エースのために先頭を引っ張って他チームの選手を引き離し、最後にエースが独走するところまでで力尽きて自分は最下位になってもよしとしなければならない。誓はそこに惹かれたのだった。レコードは残らないがそれで賞金は均等配分でもらえるし、アシストとしての評価も高まるのだ。そういう、ちょっと他の競技では理解できない自転車独特のものの考え方を教えてくれる小説でもある。

ロードバイクを始めてまだ1年にもならない私の場合も、じつはこれを読むまでチーム競技だという意味がよく分かっていなかった。なんで一人のためにほかのチームメートが自分を犠牲にしなきゃいけないのかな、もっとシビアに、もっとクールにものごとを考えてもいいんじゃないのかなと思っていたけれども、たしかにレコードとしてはアシストたちのレコードはなにも残らないが、そうすることでエースにはそれなりの重荷が課せられるのだということ、またその重荷を実直に担っていける人間でないとエースにはなれないということも分ってきた。

この小説では、チーム・オッジのエースである石毛が最後の章でレース中に事故死するまで、自分がエースに居残るためにはチーム内のライバルを事故にあわせて選手生命をだめにしても平気でいる強欲な奴と読者に思わせ、それと同時に同室する主人公の白石誓に石毛のレースに対する愚直なまでの真摯さを見せることで微妙なバランスをとって、読者の早急な判断を抑えて抑えて最後まで引っ張ってくるというしくみになっている。また同期の伊庭に石毛とは対極にあるものの考え方――レースはチームためにするものではなく自分のためにするものという考え方――をする若手を演じさせることで、これまた微妙なバランスをつくりあげていた。読者はきっと伊庭や事故で選手生命を絶たれた袴田のほうへ傾きを強めながらも、ときには石毛にも揺れをもどすというようなバランスで読んでいたはずである。

だが最後のどんでん返しで、なぜ石毛が袴田の選手生命を奪っても平気で競技を続けていたのか、競技中に観戦していた袴田からなにか言われた石毛がなぜ事故死に見せかけてまで自殺して競技を中断させようとしたのか、そしてそれはいったい石毛のどのようなものの考え方(もちろんロードレーサーとしての信念)から発したものなのかが解き明かされることで、自転車レースというものの面白さを読者に教えてくれるようになっている。

近藤史恵という作家がなぜこんな小説を書こうという気になったのか、ロードバイクとどんな関わりを持っているのか知りたいなと思う。あちこちのブログなどを見ていたら、2008年度の本屋大賞の第2位だったらしい。あったあった。Cycling Peopleというサイトで彼女へのインタビューが載っていた。

「サイクリングタイム」でのインタビュー記事

「ロードレースをリアル観戦したこともなく、ロードバイクにも乗ったことはない」という人らしい。それでもなぜこんな小説を書こうと思ったのだろう。ジロが好きな人のようで、テレビで何度も観戦しているうちに今回の小説のストーリーが浮かんだのだと言う。しかも選手にインタビューとかはまったくしないし、取材旅行もまったくなしで、すべて想像力で作り上げたというから、すごい。実際に経験していないと分らないようなところ(空気抵抗だとか、選手同士の駆け引きだとか)は、テレビの解説を聞いているうちに理解できるようになったというから、よほどロードレースが好きな人なのだろう。

続編の予告もあって、こんどはツール・ド・フランスが舞台らしい。楽しみ!

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『黒と茶の幻想』

2009年02月25日 | 作家ア行
恩田陸『黒と茶の幻想』(講談社、2001年)

利枝子、彰彦、蒔生、節子という大学時代の親友四人が潔の退職送別会の飲み会がきっかけとなって10月の連休を外れた4日をかけて屋久島旅行をすることになり、その旅の途中でそれぞれが過去に封印をしてしまっていた思い出したくもないような事実を再び意識にのぼらせることでその事実が持っていた新たな意味を見出していくというような小説である。数年前に本屋大賞をとり映画化もされた「夜のピクニック」の中年男女版といったところか。

利枝子と蒔生は学生時代に似たもの同士のカップルだったが、利枝子の友人となった憂理と蒔生の確執のために蒔生が利枝子に絶交を宣言したことで関係は切れていた。二人は互いに自分たちが、同じところに美や面白みを感じる似たもの同士だと自覚している。彰彦には自分が紹介した男友だちがみんな姉の紫織に奪われてしまうという経験をしており、大学時代に知り合った蒔生も同じように19歳から最近までそんな状態にあった。だが彰彦が大学教員の美人女性と結婚したことでその関係は終わる。節子と利枝子と蒔生は小学校時代からの幼馴染でもある。

まぁこのなかで一番危ういのは利枝子と蒔生であろう。利枝子は付き合っていた蒔生に突然の絶交を言い渡され、しかもそれが自分が紹介した女友達の憂理という女優志望の美人との恋愛問題らしいということから、また社内結婚していた女性と離婚するらしいということも聞かされていて、蒔生がよりを戻したがっているのではないかとかいったいなぜ突然に絶交を言い渡されなければならなかったのかを知りたいという気持ちもあり、今度の旅行の過程でそうした問題が明るみに出てしまうことを期待する気持ちもあれば、何も起きてほしくないという気持ちもあるからだ。それは怒りにかられた利枝子が蒔生に憂理の死の真相を教えるように迫り、蒔生が憂理に愛を強要した結果であったことを知って、利枝子が蒔生を平手打ちするというところでクライマックスを迎えることになる。

第一部利枝子、第二部彰彦、第三部蒔生、第四部節子という区割りになっており、それぞれのところでそれぞれが語り手になるので、彰彦や節子にもなにか得体の知れない過去の怨霊のようなものが浮き出てくるのかなと思っていたのだが、彰彦の場合は、上にも書いた姉の紫織と蒔生の関係ということがメインであったし、節子の場合は子どもの頃から夢の中に出てきた「割烹着のおばさん」というのが、じつは蒔生が親切を装いながら冷淡な人間であるということを知った幼稚園時代のエピソードにあるのではないかと回想するくらいのことで、そんな怖ろしいものではない。

そういう意味では600ページを越える大部の小説を読まされて「そんだけかよ」と少々がっかりくるような内容ではある。

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へんな夢

2009年02月24日 | 日々の雑感
へんな夢

夢はわりとよく見るほうなのだが、昨日(というか今朝方)はへんな夢を見た。電車の中で居眠りから目覚めると、なんか見たこともないような駅についている。みなが下りるので、私もいっしょに慌てて下りた。駅員に駅の名前を聞いてもなんか聞いたことがないような駅名でいまひとつよく分らない。いちおうターミナル駅のようなので、ここから出る電車にのればもと来たところに帰れるだろうとおもう。ところがおかしなことに、私は1時前には目的地に着いていなければならないのに、もう4時20分くらいで、これではもう仕事が終わった時間で完全に仕事をサボったことになる。

駅員に駅名を聞いていると駅員があなたの切符はどうなっていますかと尋ねるので、ポケットを探したら切符が出てきて、それは「くずは→」となっている。くずはと言えば、京阪の「樟葉」?と思うが、そんなところに行った覚えはまったくない。だいたい自宅は南海沿線にあるので、くずはからの切符をもっているということは、淀屋橋か北浜あたりで京阪に乗り換え、さらにくずはで乗り換えたのだろうが、まったくその記憶がない。それにくずはから出ている線なんかないよね。

夢を見たときにはその細部よりもその夢を見ながらどんな気持ちがしていたかのほうが大事だと私は勝手に思っているのだが、その夢を見たときというか、名も知らぬ駅に降り立って時刻はすでに仕事の終わっている時刻になっているということを知ったときの私は、なんか焦りと不快な気持ちになったような記憶がある。まぁ当たり前の感情か。

前にも書いたことがあるが、20台の頃、高校の数学のテストの時間にまったくできないで卒業ができないという焦りの不快感に支配された夢を見たことがあるが、なんかそれに似た感情だった。まるで寝坊でもして仕事に遅れてしまったような、そんな不快感。

でもなんで樟葉なんだろう。樟葉といえば大学院を出たばかりの頃に○○セミナーという塾でアルバイトをしていて、なんかとくに特技もないので中学の社会科を持たされていた。ところがそもそも中学の社会科なんて覚えればいいだけの科目だから、とくに説明をするようなこともないだけでなく、地理なんかで大隈半島を「おおくまはんとう」と読んだり、関西の人にはあたりまえの阪神圏の都市の位置関係がいまひとつ分らず、姫路と明石と神戸と西宮の位置をよくまちがえていったりしたので、ずいぶんとひどいものだった。だからだったのか一年で首になったような、自分で辞めたような。そういう思い出しかないのだが、でもどうしてくずはからの切符をもっていたんだろう。へんな夢。

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『聖骸布の仔』

2009年02月23日 | 現代フランス小説
コヴラルト『聖骸布の仔』(中央公論社、2006年)

『片道切符』でゴンクール賞を受賞したコブラルト(コヴラールと表記してあることが多い)の最新作で、あの竹下節子さんが翻訳をしているので、これはこれはと思いつつ読んでみた。竹下さんといえば「バロック音楽はなぜ癒すのか」のことをここでも何度か触れているが、私ももとから音楽が専門の人かなと思っていたのだが、音楽は余技みたいなもので、専門はカトリック史、エゾテリスム史なのだ。だから十字架に磔にされて殺されたイエスが三日目に復活したときに墓の中に残されていた遺体をくるんだ亜麻布についていた血痕から取り出したイエスの血液をもとにしてイエスのクローンが作り出され、そのクローンを政治的に利用していこうとするアメリカの大統領周辺の動きを描いたこの小説の翻訳は、竹下さんをおいてほかにはなかっただろう。翻訳の話はどうも竹下さんが出版社に持ち込んだ話のようでもある。

この小説の元になっている聖骸布というのは、イエスの遺体を包んでいた亜麻布のことで、そこにはイエスが流した血のあとや全身のシルエットが残されていたことから、この亜麻布が聖骸布として、いわゆるキリスト教のさまざまな聖遺物のなかでも最高度に重要なものとみなされている。多くの画家が描いてきたイエスの顔もこの聖骸布に映写されたように残っていたものをモデルにして描かれてきたらしい。この小説の中でもこのシルエットにイエスのクローンとされるジミーの顔を重ね合わせてみているが合わないなどという会話も出てくる。

聖遺物というのはいろんなものがあるようで、たいていの大きな教会や大聖堂にはなにかしらの聖遺物が安置されている。もともとキリスト教は、巨木とか巨岩などを信仰の対象とする日本の神道なんかとはちがって物質崇拝を拒否したところに成り立っているので、聖遺物などを信仰の対象とすることはないのだが、人間というもの目に見えるものを信仰の対象にするほうが楽なのだろう。

で、この小説ではこの聖骸布に残されていた血痕から取り出したイエスの血液をもとにしてイエスのクローンが作り出されるという話が出発点になっているのだが、もちろん結論からいえば、このクローンによってできたジミーは、じつはある負傷した植物人間になった美人女性兵士を看護師がレイプしたことで生まれた子で、彼がイエスのクローンだと思わせるために彼が女性のくじいた足を治したとか自動販売機からドーナツがお金を入れなくても出せたとかそのほか奇跡を起こしたかのように見せかけるための裏工作がなされていた。

まぁ大方の読者はそんなことは現実にはありえないということは承知の上で読んでいると思うのだが、ではなにが面白いのかといえば、2030年頃の近未来として設定されている世界とりわけアメリカが嘘のクローンをつくってイエスの再来を偽造しなければならないほどに終末的な様相をしめしているということだ、あたかも宗教――キリスト教の没落と期を一にするかのように。そこで聖骸布から復活したイエスとしてジミーを利用しようとするアメリカ政府内部の動きが出てくる。

読みようによっては、ダン・ブラウンばりの政治的科学的サスペンス読みものにも見えるが、ほんとうは宗教と科学、宗教と政治といった問題圏のなかに一石を投じようというようなたくらみがあったのだろうと思う。ただ、どうもそういった問題にうとい読者の一人である私にはやはりどこでイエスのクローンという話が嘘だったと暴露されるのかというところにしか興味が向かわなかったのも確かで、上のような問題圏を射程に入れた論評というものも読んでみたいと思わせる小説であった。

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天野街道ウォーキング

2009年02月22日 | 日々の雑感
天野街道ウォーキング

久しぶりに上さんと天野街道を歩いた。自転車で行くかと聞くと歩きのほうがいいと言うので歩いていくことに。

天野街道に入るところに陶器山というのがある。ほとんどだれも山だなんて意識してないが、いちおうこのあたりの陶器トンネルとか東陶器とか西陶器なんて名称の元になっている山だ。このあたりは陶荒田神社なんて名前からも分るように、陶器がたくさん作られていたところで、たぶん良質の粘土があるうえにこの陶器山というか天野街道の周辺のようにクヌギの林が続いていることから、陶器を作るのに条件がよかったのだろうと思う。

さらに天野街道沿いには三都神社なんてしゃれた名前の神社もある。映画の「三都物語」のように「さんと」ではなく「みつ」と読むから、三都というのは当て字なのかもしれない。なんのことはない普通の神社なのだが、それでも正月にはたくさんの参拝客があり、破魔矢などを買い求めている。

天野街道はこの陶器山をはじめとしたこのあたりの山々の峯をずっと歩くかたちで通っているので、葉のおちた冬は下に広がる町を見ながら歩くことができる。ところが最近ではこの道のすぐそばまで宅地が開かれている。つまり住宅地がだんだんと山の斜面を上がってきているのだ。そういうところからは山の上の天野街道が家の庭先みたいになっている。

あちこちに梅が満開に近い状態できれいであった。まぁ梅林とかではないので、それ目当てに歩いている人はいないが、ジョギングをする人やウォーキングをする夫婦などで、けっこうな賑わいを見せている天野街道であった。

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スーパー散髪屋の乱?

2009年02月21日 | 日々の雑感
スーパー散髪屋の乱?

ひと月に一回は行く駅前の格安散髪屋さんに出かけた。昼前に行くとだいたい空いていることが多いので、今日もそのあたりの時間帯をねらって出かけた。運よく、客は一人だけ。三番の席に座ってくださいといわれて機嫌よく座る。さっと見渡すといつもの、生意気店長がいないし、タレントの土田晃之似の人もいない。あれっと思いつつも、初めての兄ちゃんに「どうしますか?」と聞かれたので、「ぐるりを二枚刈りで、上はスポーツ刈りよりも長めに」と説明。普段なら「いつもと同じでいいですか?」と聞かれるので、「はい」と答えれば、思い通りの長さにしてくれるのだが、いつもの人がいないので、調子が狂う。(左の写真は、この記事とは無関係です)

なんか雰囲気もいつもと違うので、今日初めて切ってくれている若い兄ちゃんに「いつもの人たちがいないんやね。転勤にでもなったん?」と聞くと、「会社の方針とちがうことをしていたもんで」と意外な反応。へぇ、会社の方針とかってあるんだ。でも散髪屋って、客の言うとおりに髪を切っていたらいいのんと違うのかな、と思いながらも、それ以上は聞かなかったが、どうも店長らしい新しい人がばたばたしているところを見ると、つい最近変わったみたい。

この散髪屋は私がここに住むようになって20年以上前からずっと使っている。最初は安ければなんとかで、とにかく安いだけが売りの散髪屋だった。ひと月かふた月に一回は行っているので、すぐに覚えてしまう。けれども最初の頃は働いている人たちの意識も最近とは違ったみたいで、毎回「どうしましょう」と聞かれる。ひと月に一回は行く私のことを覚えていないのか、覚えていても、とりあえず尋ねているのか知らない。

5年くらい前から駅前再開発があって店も新しくなった頃からその人たちはいなくなり若い人たちが働くようになった。その中に一人すごく生意気な感じの人がいたが、しかし彼がどうも店長のようで、とにかく人の下でいつまでも働いていないぞ、いつかは天下取ったるみたいな感じの若者であった。もう一人私のお気に入りは土田晃之似の人でこの人はきちんと私のことを覚えていて、初めて「いつものとおりでいいですか?」と聞いてくれた人だったので、覚えてくれていたのだと少々感動したものだ。私はねちねち散髪されるのは嫌いで、ぱぱっと切っておしまいというのが好きなのだが、ふたりともそういうタイプ、それでいて私の思い通りにきってくれるので、気に入っていたのだ。

ところがその二人が二人ともいなくなってしまった。とくに店長だったらしき若者はどっかに飛ばされてしまったのだろうか。「会社の方針とちがうことをしていたもんで」って首になったわけではないだろうが。生意気店長のことだから、きっと経営者に反乱でも企てたのだろうか。

散髪ってどうでもいいようなことだけど、どんなにしても数ヶ月に一回は行くところなので、できるだけよく覚えていてくれるところがいいのだが。残念だ。

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『黒い悪魔』

2009年02月20日 | 作家サ行
佐藤賢一『黒い悪魔』(文芸春秋、2003年)

小学一年生のときに担任だったA先生は持ち上がりで二年生も担任で、その担任が終わる頃、なぜだか一人呼び出されて、一冊の本をプレゼントされた。ユゴーの「ああ無情!」だった。なぜこの先生が私にだけそんな本をプレゼントしてくれたのか、まったく分らない。親がなにかA先生にお返しをしなければならないと思わせるようなことをしたはずもなく、特別に出来がよくて「褒美」にくれたわけでもない。あるいは一人ひとりに個別に渡していたのだろうか?それで自分ひとりがもらったと思っていたのだろうか?そうだとしたらその出費や大変なものになっただろうから、そんなはずもない。まぁどうでもいいことなのだが、いまだに夢だったのかもしれないと思ってしまう事実の出来事だ。

その結果、私はこの手の物語が好きになり、「モンテクリスト伯」とか「三銃士」なんて本を図書室から借りて読むようになった。とはいえ、またその内容をまったく覚えていない。だから私が大学に入るときに仏文学を勉強したいと思ったのは、まったくこれらのこととは無関係だったことを申し添えておかねばならない。

どうも小学校の三年生あたりに一つの断絶があったようで、その前後で私はまったく違う人間になったのかもしれない。小学校初期に読んでいた上記の本以外に「小公子」だの「小公女」だのといった本を高学年になると馬鹿にしていたからである。

まぁそんなこんなで、「三銃士」などを書いたアレクサンドル・デュマ・ペールの父親アレクサンドル・デュマがフランス人貴族とカリブの黒人奴隷のあいだに生まれたとか、ナポレオンと同時代であるというだけでなく、フランス革命、とくにロベスピエールの徹底した民主主義的思想に共鳴していたというようなことはまったく知らなかった。

作者は西洋史がまさに専門の研究者でもあったので、こうした史実についてはきちんと調査した上で書いているようだ。だから、前読んだ「カルティエ・ラタン」でのフランシスコ・ザビエルの生き生きとした姿をはじめ、まるで質のいい伝記を読んでいるような思いがする。

なんといっても圧巻は尊敬するロベスピエールを助け出そうとサントノレ街のはずれの広場まで掘られた地下道を通ってギロチンの下まで進み、その土台となっている板をはずしてロベスピエールを救出しようとする場面である。ロベスピエールは20人目に処刑予定で、それまでギロチンにあった者たちの血を浴びながら待機するアレクサンドル・デュマが機を見て板をはずし、ロベスピエールの足をつかんで、引きづりおろそうとするが、もはや観念したロベスピエール。昨年の「篤姫」で勝海舟と西郷隆盛の面談の場面が出てきたが、あまりに有名だけれどもいったいどんな言葉が交わされ、どんな表情でどんな風に進んだのか、あまり知らない場面というものは、映画・芝居などにしてみせるとあまりに白けたものになることが多いのだが、この場面は作者の筆力で読ませる小説ならではの、怖ろしい場面になっていた。

現在、佐藤賢一は小説「フランス革命」を執筆中のようだが、きっと興味深いものになるに違いない。ロベスピエールという人物に興味がもてるようになった、それだけでもこの小説を読んでよかったと思う。

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久しぶりの金剛寺

2009年02月19日 | 自転車
久しぶりの金剛寺

久しぶりに金剛寺に来た。ただ今日はいつものコースではなく、昨年夏に初めて来たときに通ったけれど、170号線のトンネルに恐怖して、それ以来遠ざかっていたコースだ。といっても外環状と呼ばれる170号線の新しいほうではなく旧道のほうを走った。

泉北ニュータウンの環状道路を光明池のほうに走り、170号線に抜ける道に入る。すごく見晴らしのいい急坂と橋を渡って、左に折れるところで、新道ではなく、旧道に入らなければならないのだけど、前通った感覚でそのまま行ってしまい、引き返す。

170号線の旧道もたまにダンプは来るけれど、まぁずっと車は少ない。途中から、滝畑ダムに行く道が分岐している。途中まで行きかけたのだが、どうも天気が不安だし、腰も不安だし、不安要因ばかりなので、やめて引き返し、旧道をそのまま進んで、なつかしい金剛寺に到着。

金剛寺というのは、奈良時代に行基によって作られたという由緒ある名刹のようだ。まだここの有名なしだれ桜を見たことがないので、今年の春は上さんと自転車でこようかな。上さんは電動自転車、私はロードバイク。

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