読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「やわらかい生活」

2006年06月28日 | 映画
『やわらかい生活』(廣木隆一監督、2006年)

この監督がどういう人なのか、どういう作品を作ったのかよく知らなかったのだけど、絲山秋子の『イッツ・オンリー・トーク』が原作だということだったので、それに興味をもって観にいった。結論から言おう。つまらない、駄作。

うちはJ-Comに入っていて、ときどき日本映画専門チャンネルを見るのだけど、若手の監督の名も知らない作品がときどきかかっている。そういった映画の特徴は、主人公だけを写す長回し、セリフが少ない、効果音楽を使用しない、動きが少ない、からみが少ない、などで、たぶん彼らはそういう手法が、主人公の内面をうまく表現できると思っているようだけど、まったく表現できていない。ただただたいくつなだけだ。主人公がうろついたりしているところをただ長回しすれば内面が表現できると思っているのは、きっとテオ・アンゲロブロスの『旅芸人の記録』かなにかの影響だろうけど、あれだって退屈なだけで、とても全部を見ていられない。この作品もそういう系列の映画なのだろう。だって、あまりの退屈さに、また眠ってしまったのだから。

妻夫木のやくざもやくざに見えないし、トヨエツのどこがいいんだか。そもそもなぜ躁鬱病になったのかがきちんと描かれていない。だから恋人を地下鉄サリン事件で死んだことにしてみたり、両親が阪神淡路大地震で死んだことにしてみたり(これは作り話だということが後で分かるが)、ライバルだった同僚の女性を9.11ハイジャックの犠牲者にしてWTCタワーで死んだことにしてみたりしなければならなくなるのではないか。まるで、そういった精神的ショックで優子は躁鬱病になったように作られているが、本当はそうではない。そこのところをきちんと描いていないから、なんか訳のわかんないことで精神を病んだ女が親の財産で遊んで暮らしているようにしか見えないし、周りの男たちのとの絡みがぜんぜん生きてこない。

あの原作の小説のほうがまがりなりにも面白いのは、優子が競争社会からドロップアウトした人間で、全てを捨てて生きているからこそ、いろんな意味でドロップアウトした人間たち、あるいは精神的な安らぎを求めている人たちが集まってくるのだし、彼女も彼らを受け入れてあげている(あるいは彼らが勝手に受けいれてもらったと思っている)のでは?ところが映画のほうは、そういうところがきちんと描かれていない。

唯一うまいと思ったのは、優子が発作を起して立ち上がれなくなり、何日かふとんにもぐりこんだままになっていたのが、薬が効いてきたのか、だんだんと調子がもどってきたときの演技だ。あのあたりは演技だけでなく、部屋の照明もうまく使いこんでいた。

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