読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

2022年04月23日 | 作家ハ行
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)

これも読みたいと思っていた本で、図書館の返却コーナーで偶然に見つけた。ラッキー!

イギリスのパブリックスクールの話は、じつは知り合いが東京のある相撲部屋の師匠の息子の家庭教師をしているのだが、その知り合いが言うには、家庭教師をしている子供はイギリスのパブリックスクールに行っていて(したがってイギリス在住)、夏休みとか春休みに日本に帰ってきたときだけ、ラテン語を教えているという。

私はずっとパブリックスクールというのは公立の学校のことだと思っていて、どうしてそんなところにわざわざ日本から通わせるのだろうかと不思議だったのだが、この本を読んでいる途中にも同じ疑問が復活したので、ネットで調べたら、伝統のある私立の学校をイギリスではパブリックスクールと言うらしいことが分かった。

この本の著者の子供はパブリックスクールではなくて、元底辺中学校に入るところから、このエッセーは始まっている。

この本はいろんな側面がある。第一の側面は、子育て奮闘記みたいなもの。中学生という、ある意味で、一番厄介な子育て時期を親子でどんなふうに過ごしたのかの記録。これは世界に共通するような側面でもあり、日本の読者にも大いに参考になる部分がある。

この点では、この著者と息子の関係で感心するのは、もちろん幼少期からだと思うのだが、言葉で自分の思いや感情を相手に伝えるということを大事にしていることのようだ。だから、息子も「うっせー」とか「知らねーよ」とかではなくて、しっかり言葉で悩みを口にするし、疑問も投げかけるし、それに著者も分かりやすく説明をしてあげている。

第二の側面はイギリスの学校制度の解説みたいなもの。イギリスの地方都市の中学校の話なので、当たり前だが、日本とはまったく制度が違う。そのあたりはこの本のもとが連載のエッセーなので、繰り返し説明がなされて、わかりやすい。

イギリスの学校制度を知っても別にどうにもならないが、それでも感心するのは、底辺校だった学校が中くらいのレベルになるには、校長を始めとした学校の先生たちの努力や親たちのフォローがあってのことだということが分かる。

第三にイギリスの政治も分かる。そうはいっても、「ゆりかごから墓場まで」という社会福祉の充実したイギリスから、サッチャーの新自由主義への転換による社会福祉の切り捨てというような大雑把なことしか分からないのだが。ケン・ローチ監督の作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)とかを見れば、ここで書かれていることがもっと理解しやくなるだろう。

この著者はこの本でぽっと出の作家になった人かとおもっていたが、2013年くらいから毎年のように日本で本を出版している人で、それなりに年季の入った著述家なのだ。ただイギリスで暮らして、子育てを経験したから、書けた、というようなものではないということがよく分かる。

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奈良・若草山

2022年04月20日 | 日々の雑感
奈良・若草山

天気が良いので、奈良の若草山にハイキングにでかけた。

以前、奈良にはよく行っていたのだが、若草山は上がったことがない。中学の修学旅行以来、あるいは学生の頃にも一度上がったことがあるかもしれないが、いずれにせよ、ずいぶんと久しぶりだ。

近鉄奈良駅から奈良公園を歩いていくと、浮見堂がある。そこで腹ごしらえ。池を望むベンチでサンドイッチを食べた。後ろのほうでは鹿たちが日陰で休んでいる。毛の生え変わりの時期のようで、ズタ袋のような状態になっている。


そこから志賀直哉旧居のほうへ歩く。車のこないコースとトイレがあるコースを選んで歩く。志賀直哉旧居は、いわばただの部屋なので、パス。

そこから森の中を歩いて春日大社へ。藤の花がきれい。


さらに、西に歩くと、やっと若草山の麓に到着。


柵があって、入場料を払って入るのだが、ここまででけっこう疲れており、日差しが強いのに、日陰がなさそうなので、山の上にあがるのはやめて、下の木陰で休憩。

若草山の前にある商店や旅館、食堂などはコロナ禍の影響で、見る影もないようになっている。

そこを歩いて、東大寺へ。


大仏殿は何度も見ているので、新緑の楓の下で池越しに休んでいると、なにやら砂埃のようなものが。よく見ていると、砂ぼこりではない。スギ花粉だかヒノキ花粉が風に煽られて、巻き上がっているのだ。恐ろしや。テレビで見たことはあるが、目の前でスギ花粉が目で見えるくらい巻き上がるのは、見たことがない。誰も気づいていない。あまりの恐ろしさに早々に撤退し、バスに乗って駅に向かった。


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『女帝 小池百合子』

2022年04月19日 | 作家ア行
石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋、2020年)

2020年の6月に書いた石井妙子の『原節子の真実』でも、本当は『女帝 小池百合子』を読みたかったのだが、と書いているように、著者のインタビュー記事を読んで、この本に多大な関心を持っていたのだが、いつの間にか忘れていた。それがこの間図書館に行ったら、返却コーナーでばったり遭遇した。最近は返却コーナーで掘り出し物によく遭遇する。

『原節子の真実』についての感想はこちら

前置きはこれくらいにして、感想を一言で言うなら、「こんな人間を日本のトップの政治家、ましてや東京都知事なんかにしておいてはいけない」ということになる。

学歴詐欺。ろくにアラビア語も学習せず、大学に通わず、超難しいことで知られるカイロ大学を卒業したと、卒業証書と卒業証明書を数回チラ見させただけで言い張る。学歴詐称なんか簡単に明らかにできると思うかもしれないが、この本を読むと、軍部が支配するエジプトに日本からもODAなどで多額の援助金が入っていることを考えると、ほとんど立証不可能だと言う。

嘘八百。表向には弱者救済を言いながら、実際の弱者の前では弱者を冷たく突き放す。表向きの姿しかマスコミは追わない。実際の弱者(少数者)や彼らと為政者のやり取りの真実など、華やかさに欠けるとでもいうように、マスコミは見向きもしない。だから真実の姿は表に出てこない。関係者の世界だけのうわさ話で終わってしまう。

権力者へのすり寄り。次々と蜜を求めて権力者に近づいていき、篭絡する。政治的信念も信条も皆無で、あるのは権力によって自分を輝かせたいという願望だけ。小沢も小泉も安倍も、自分を利用しただけと知って初めて彼女の真実が分かったという。でも、それは政治家というものが多かれ少なかれ持っている資質と思われてしまう。

この本は、小池百合子という闇の世界を明るみに出したという点で大きな意義を持つが、それだけではなく、彼女が追い続けた権力の姿も描いてくれているので、1980年代から現在までの、非常にわかりやすく、かつ本質をついた日本政治史にもなっているという意味でも、重要である。

そしてこんな「怪物」を作り出したマスコミの責任も問われなければならないと思う。Youtubeやネットメディアの創生によって、テレビなどの比重が相対的に落ちているとはいえ、いまだにテレビで言っていることは真実だとみんな思っているだろう。決してそうではないということがもっと語られなければならない。

とにかく、もうこれ以上「怪物」を権力に近づけてはいけない。日本政治の危機は、この「怪物」にとっては格好の餌食なのだ。

ここまで真実を書ききってくれた著者に敬意を評したい。著者の身に何事も起きないことを祈っている。

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『少女を埋める』

2022年04月15日 | 作家サ行
桜庭一樹『少女を埋める』(文藝春秋、2022年)

この作品集は、表題となっている『少女を埋める』と、鴻巣友季子(作中ではC氏)が朝日新聞の文芸欄に書いた書評をめぐるやり取りを書いた『キメラ』と『夏の終わり』の三編でできている。

純粋に創作として書かれたのは最初の『少女を埋める』だけだし、鴻巣友季子の書評をめぐる問題は多くの人が書いているので、私は取り上げない。ここでは『少女を埋める』だけを取り上げて、私の感想を書いてみる。

舞台はほぼ鳥取県の米子市の駅前のビジネスホテルとそこからあるいて10分くらいのところにある錦海(中海の一番底にあたる部分を地元では錦海と呼ぶ)に面した鳥大医学部の附属病院(通称医大病院)と葬儀屋である。

2021年2月も終わり頃に、20年来病気と闘ってきた父親の様子が悪いというので、7年前から帰省していなかったこともあるし、コロナ禍であるため面会に行っていなかったので、ネットでの面会をしようとしたが、不可能になり、思い切って帰省したところ、その数日後には父親が亡くなり、これまたコロナ禍のために親戚一同を集めた葬儀もできないので、母親と二人で葬儀を済ませ、遺骨を持って、父親の出身地の町に出かけて、そこで法事をしてから、東京に帰ってきた、というようなあらすじになっている。

私の感想としては、この小説の主題の一つは、語り手であり主人公の冬子(東京で作家をしている)と母親の確執であるように思う。

この母親は冬子が子供の頃に冬子に暴力を振るったこともあるような女性で、冬子が作家として駆け出しで、まだ作家として食べていけるかどうかわからない時期には、自分が探してきた寺の息子と無理やりお見合いをさせて、寺の住職の嫁の仕事をしながら小説を書けばいいと言うような母親、作家として軌道に乗ってきたら、秘書をしてあげると言うような母親として描かれている。

そういうこともあってか、冬子は母親に東京の自宅の住所を教えていないし、今回の米子行きの後でも、母親からのメールに着信拒否を設定するような関係として描かれている。

そして例の論争で問題になった出棺前の場面

「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね…」と涙声で語りかけ始めた。(…)
内心、(覚えていたのか……)と思った。
自分は知らない、という人たちは、実際はすべてわかっているものだのだろうか。あの人もこの人も、みんな。
異母妹の百夜を虐め殺した赤朽葉毛毬みたいに……。
(…)
父は、許しているように、わたしには感じられた。あれだけ優しかった人が、泣いて謝っている人を、しかも愛妻を許さないという姿は想像できなかった。
何もかもが一昨日で終わったのか。すべては恩讐の彼方となるのか。
それにしても、とわたしは思った。
――夫婦って、奴はよ!
深いな。沼だな。で、おっかねぇなぁ、おい。
(…)
……愛しあっていたのだな。ずっと、わたしは知らなかったのだな。
(p. 75-76)

私はこの箇所を読んだとき、冬子の母親への侮蔑感・嫌悪感を思った。この小説は父親の死に直面した娘の話ではなくて、母親に対する娘の縁切りを決断した一連の経緯を書いた小説なんだなと思った。

考えてみれば、同じ市内に実家があるのに、帰省してもそこで過ごさずに、ビジネスホテルに宿泊するというのも変だし、母親が家に来るなと娘に言うのも変だし。

そしてさらに遺骨を持って父親の出身地に行って、父親の一族と合流して寺に行く場面で、突然SF小説の『キリンヤガ』の話になり、自分自身としての成長と夢の実現を願い、生まれた共同体にありのままの自分を受け入れてほしいと願っていた主人公の少女と自分を冬子がダブらせて見ていることが明らかになると、この小説は、母親をこうした共同体を擬人化したものとして描き、そこからの離脱を「少女を埋める」という言葉で象徴させているのではないかと、考えるようになった。

この連作は、こうした抑圧的な共同体―朝日新聞社という共同体、評論家の文芸共同体―との闘いを描いたという意味で一貫していると言えるのかもしれない。

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春はいいなぁ

2022年04月13日 | 日々の雑感
春はいいなぁ

暖かくなってきて、セーターもフリースもいらなくなった。長そでTシャツ一枚、またはそれに薄手のパーカーを羽織ればもう充分になった。



冬の間のように、もう一枚着ていないと冷えて風邪をひくんじゃないかとか、喉を痛めるんじゃないかとか、心配する必要もなくなった。



桜はおおかたもう終わったけど、いろんな花が咲き、新緑もこれからどんどん増えていく。うちのベランダでも、ニラバナ、フリージア、チューリップが咲いている。バラも新芽が次々と出ているから、もうじき花を開かせるだろう。



デュランタ、イチョウ、あじさいなども新緑で賑やかになってきた。

孫たちも、小学校入学が一人と中学校入学が一人いる。ほぼ同じメンバーがそのまま小学校から中学校へあがる、田舎の暮らしであった私なんかと違うだろうけど、楽しい学校生活を送ってほしい。



91歳になる私の母親は1月に階段を上がっているときに足首を骨折して、ずっと入院生活を送っていたが、4月初めにやっと退院できた。のんびりリハビリ生活を送っていたおかげで、問題なく歩行できるようになった。

2年間コロナで行けなかったのだが、退院後のひとり暮らしが心配で、まだ新規感染者数も下がりきっていないなかを新幹線と特急を使って行ってきた。

母親の様子もよくわかったし、近くに住んでいる弟がしっかりとサポートしてくれているのがわかって安心した。そろそろ施設への入所を考えて、見学を始めようという相談もできた。

この弟の息子夫婦のところも第一子誕生で喜んでいた。

こんなこともあって、今年はとくに「春はいいなぁ」と感じるのかな。

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奈良・藤原京跡の桜と菜の花

2022年04月04日 | 日々の雑感
奈良・藤原京跡の桜と菜の花

今の季節、桜のピンク色と菜の花の黄色のコントラストが美しい場所があちこちにあるようだが、私が行ってきたのは、奈良・藤原京跡。



大和三山に囲まれているのが藤原京だが、電車で行くには、私の場合には近鉄の八木西口駅から真東に20分程度歩いたら菜の花園に着く。

藤原京跡はただの広っぱなので、桜や菜の花の季節以外には、あまり人も訪れることがないと思うのだが、今日は暖かくて風もないので、平日ながらそこそこの人出だった。

少し離れた場所に広場があってベンチ風のものがあったので、そこで昼食を食べた。そこからこの桜と菜の花が広く見渡せるので、それはそれでよい。



ただ困るのが、トイレ。駐車場脇に、工事現場にあるような仮設トイレみたいなトイレが二つあるだけなので、私が用を足したときには混んでなかったからそれほど待たなかったけど、混雑した日はたいへんかも。

以前のブログを見ていたら、どうやらロードバイクに乗っていた頃に、二・三度ここを通っていたようだ、しかも一回はここで休憩して写真まで撮っている。やはり季節が違うので、まったく印象が違うようだ。
こちらこちら


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「布マスク 5億円かけて配布」!?

2022年04月02日 | 日々の雑感
「布マスク 5億円かけて配布」!?

だれーも使う人がなかった通称アベノマスク。なぜ使わないか?布マスクだから。布マスクはウィルスは素通りで、なんの役にも立たないからだ。

実際、病院に布マスクで行ったら、玄関のところで職員が監視していて、布マスクではだめだからと不織布マスクを付けるようにとくれる。

こんなものを希望する個人や団体がいるからという理由で、希望者に配布するのに5億円かかるという。

7100万枚のマスクに対して2億枚以上の希望数なので、選択が必要だが、よりによって厚生労働省がしている事業なのに、ガーゼやハンカチとして使う人ではなくて、マスクとして使用する人に送るのだという。

布マスクがコロナ予防にはまったく役に立たないことは厚生労働省が一番良く知っているんじゃないのか!!役に立たないことをよくわかっている厚生労働省が、マスクとして使用する人に優先的に送るってどういうこと!?

こんなことをやっている厚生労働省のコロナ対策がどんなものか推して知るべし。バカみたい。



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石川の桜並木

2022年04月01日 | 日々の雑感
石川の桜並木

カミさんと石川の桜並木を見に行ってきた。

このブログでも何度も書いているが、石川のサイクリングロードはロードバイクをやっていた時代にも、またそれ以降もハイキングで何度も通っているところ。



いつもここを通りながら、桜の季節に来てみたいものだなと思っていた。とくにサイクル橋があるあたりが河川敷も広いし、桜がずっと続いているところ。

それでちょっと肌寒いけど、週末は人出が多くなるだろうし、来週ではもう遅いかもしれないからということで、今日行ってきた。正解だった。

家を出た頃はやはり風が強いし、寒いかなと思っていたけど、近鉄の喜志駅について河川敷まで歩いているうちに温かくなってきた。

私たちが行ったところは近鉄の喜志駅からまっすぐ河川敷に行って、河川敷を南下して、サイクル橋まで行き、橋を渡った向こう岸で昼食して、もう一度橋を渡って、今度は富田林駅に行く、というコース。

この河川敷はトイレも何箇所もあって、とても便利だ。

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