読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「ブラフマンの埋葬」

2006年06月06日 | 作家ア行
小川洋子『ブラフマンの埋葬』(講談社、2004年)

「僕」が管理人をしている「創作者の家」というのは、ある出版社の元社長が別荘として使っていた農家を改造して作った建物だったが、彼の遺言によって、創作活動をしているあらゆる種類の芸術家のために無償で仕事場を提供するための家になったものだった。「僕」がある日、生まれて間もない野生の動物を見つけ、世話するようになった。傷の手当をし、粉ミルクを哺乳瓶であたえた。湧き水によってできた池で泳ぐのが大好きというから、いったいなんだろう?この動物は?最初は犬なのかなと思っていたけど、どうも違うし、リスかなと思ったが、リスは泳いだりしないだろう。かわうそ?って日本の固有種だったっけ?なんでも齧ってしまうということだから、うーん、分からない。

私はこの<創作者の家>の管理人をする「僕」の日常生活が好きだ。もちろん気難しい芸術家が多いのだろうけど、こうした田園の中で、午前中は掃除、洗濯、ベッドメイキング、料理などで時が経ち、午後は送迎、買出し、片付けなどで過ぎていく。もちろんクリエイティヴではないけど、この作品ではなんだか創作家たちよりも彼のほうがクリエイティブのように見える。そもそももの書きにせよ、ものを創り出す行為そのものはそれほど見た目に格好いいものではないのだ。髪の毛をかきむしったりして懊悩しつつ作曲をする音楽家なんていうのは、ロマン派的芸術観が作り出した虚像にすぎない。意外と、お茶をすすってみたり、屁をこいてみたり、鼻くそほじくってみたりしながら、ものはできていく。ある意味、たんたんとしたものであったりもする。

なんだが宮沢賢治の小説を読んでいるような錯覚を起させる小説だ。

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