ミシェル・ウェルベック『地図と領土』(筑摩書房、2013年)
なんだかウェルベックもずいぶんと丸くなったなと思う。『戦線を拡大せよ』や『素粒子』や『プラットフォーム』の、あのタブーをタブーとも思わない、シニカルな態度はこの小説ではほとんど姿を消してしまったように見える。
ジェド・マルタンというアーティストが、機械の写真、ミシュランの地図の写真、人物の肖像画によって、成功していく様を、描き出したこの小説には、これまでの彼の作品にあったような反社会的な視線が欠落しているように見える。
唯一注意を惹くのは、言うまでもなく、小説家ミシェル・ウェルベックが描かれている点だろう。アイスランドで精神的にまいっている状態が描き出されたあと、彼が少年時代を過ごしたフランスの田舎で犬と一緒に元気を取り戻して再生したかのように見えたウェルベックが、猟奇的な仕方で殺される。ジェドが彼のために書いたウェルベックの肖像画がないことから、それを狙った殺人ということが示唆される。
フランスで気に入っていた作家の一人だったのだが、もう興味を惹きつけるものがなくなった。
彼の前作は、2005年にフランスで出版された『ある島の可能性』だが、この邦訳を読んで、その感想をこのブログに書いた。その感想を私は「ウエルベックは人間の未来を描いてしまうことで、自らの「可能性」を閉じてしまったような気がする。こんなものを書いた後で次にいったいどんな作品が書けるのだろうか?」という言葉で締めくくった。
その「可能性」は、作家ウェルベックを作品内で殺してしまうことによって完全に閉じられた。翻訳者の野崎歓は「この作品によってウェルベックはなにかふっきれたのではないかと思わせる、すがすがしいまでの力が全編にみなぎっている」と馬鹿みたいにはしゃいでいるが、彼の考えとは正反対に、私はウェルベックはもう小説は書かないだろうと思う。
なんだかウェルベックもずいぶんと丸くなったなと思う。『戦線を拡大せよ』や『素粒子』や『プラットフォーム』の、あのタブーをタブーとも思わない、シニカルな態度はこの小説ではほとんど姿を消してしまったように見える。
ジェド・マルタンというアーティストが、機械の写真、ミシュランの地図の写真、人物の肖像画によって、成功していく様を、描き出したこの小説には、これまでの彼の作品にあったような反社会的な視線が欠落しているように見える。
唯一注意を惹くのは、言うまでもなく、小説家ミシェル・ウェルベックが描かれている点だろう。アイスランドで精神的にまいっている状態が描き出されたあと、彼が少年時代を過ごしたフランスの田舎で犬と一緒に元気を取り戻して再生したかのように見えたウェルベックが、猟奇的な仕方で殺される。ジェドが彼のために書いたウェルベックの肖像画がないことから、それを狙った殺人ということが示唆される。
フランスで気に入っていた作家の一人だったのだが、もう興味を惹きつけるものがなくなった。
彼の前作は、2005年にフランスで出版された『ある島の可能性』だが、この邦訳を読んで、その感想をこのブログに書いた。その感想を私は「ウエルベックは人間の未来を描いてしまうことで、自らの「可能性」を閉じてしまったような気がする。こんなものを書いた後で次にいったいどんな作品が書けるのだろうか?」という言葉で締めくくった。
その「可能性」は、作家ウェルベックを作品内で殺してしまうことによって完全に閉じられた。翻訳者の野崎歓は「この作品によってウェルベックはなにかふっきれたのではないかと思わせる、すがすがしいまでの力が全編にみなぎっている」と馬鹿みたいにはしゃいでいるが、彼の考えとは正反対に、私はウェルベックはもう小説は書かないだろうと思う。