読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「冬物語」

2006年08月30日 | 作家ナ行
南木圭士『冬物語』(文芸春秋、1997年)

『阿弥陀堂だより』がもつ癒し系の読後感を期待して読んだ『ダイヤモンドダスト』が期待に反して「暗くてやりきれないような作品ばかり」ばかりだったので、この短編集にはあまり期待していなかったが、『阿弥陀堂だより』のような癒しの効果をもつような作品が多く含まれていた。どうも作者自身が、『阿弥陀堂だより』の妻のように、先端医療のはらむ非人間性のストレスからうつ病になったことが作品全体の雰囲気を変えてしまったようだ。これ以前の彼の作品はとにかく暗くてやりきれない感じものが多いが、これ以降には、人の死を扱っていても、死が自然なものとして、恐怖の対象とか戦いの対象ではなくて、自然なものとして受けいれるべきものとして描かれているように思う。とくに気に入ったのは「川岸にて」「空の青」「晩秋」「木肌に触れて」などであった。

「川岸にて」の松田幸吉の思い――できれば健康なままで死にたい。本当はなんかの病気が原因で死ぬとしても、そんなことは知らないで老衰が原因であるかのように死にたい――に私は共感した。どうせ死ぬなら楽に死にたい。これまで貧しくとも人の迷惑にならぬようにつつましやかに生きてきたのに、どうして人生の最後の最後にガンだとかなんだとかという大仰な病気に体だけでなく精神まで心まで蝕まれて死ななければならないのか。人生の最後は苦労した人生の終わりにふさわしい、安らかなものでありたい、どうして先端医療かなんか知らないが、抗がん剤かなにかに知らないが、「闘いながら」死ななければならないのか。こう言って「私」の治療を拒否して、楽に死なせてくれると評判の青山医師に紹介状を書くように要求したのは「木肌に触れて」に出てくる末期の胃ガン患者である「まきさん」だった。

私の祖母は人生の最後に卵巣ガンかなにかで苦しみながら死んだ。私の祖母の時代にはまだこのような終末医療というような考え方もなく、苦しみながら死んだ。私がそれを見て納得できないとずっと思ってきたのは、祖母が一度だけ口にした「慎ましやかに生きてきたのにどうして最後にこんなことになるのか」という無念の思いであった。人生ってこんなものなのだろうかという思いがずっと私のなかにあった。「川岸にて」や「木肌に触れて」はこの無念の思いに新しい光をあててくれた。そうだ、祖母の無念は当然のことだったのだと。戦争では長男を戦艦大和の二等水兵として戦死させ、田舎なのに水田がなくてわずかばかりの畑を耕して、無職の夫を助けながら、家を切り盛りしてきた祖母は、良妻賢母の見本のような女だった。年老いては、半身麻痺のでた夫の介護を自宅でしながら、夫の死を見取った。当然、祖母は安らかな死を期待していたのに、そうではなかった。

作者は、回復不可能だと分かっていながら先端医療と称して抗がん剤を投与したり、最新の器具を体中につけて身動きもできなくさせてきたにもかかわらず、彼らに幸せな死を与えることができなかったことで、先端医療というものの欺まん性に耐えられなくなって、自らがうつ病になることで、そういう多くの老人たちの当然の思いに気づき始めたのではないだろうか。そのとき彼の作品は死を暗いものから、恐怖の対象から、人間の誕生から幼年・青年・壮年・老年の行き着く先として、自然なものとして見ることができるようになったのではないだろうか。その結果、彼の作品は大きく変化したのだろう。どこがどうと問われても、今の私には答えることができないが、変化したということだけははっきりと言える。

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旅先での読書

2006年08月29日 | 日々の雑感
旅先での読書

旅先での読書はどうなんだろうか? 今回はフランスとスイスへの旅行だったので、かならず読書用の本が必要と考えていたのは、飛行機の中でいつも持て余す時間を有意義に過ごしたいと考えたからだ。これは文庫本をもっていったので正解だった。もちろんずっと読んでいられるわけではないが、気分転換に目の前にあるモニターでゲーム(チェスをよくやった)をしたりするが、けっこう読んでいた。まぁこれは人それぞれなので、フランス語会話の本を読んでいる人もいたし、そんなに眠れるのかというほどよく眠っていた人もいる。

それ以外の時にはあまり読書はできない。もちろん頻繁に出張とかをしていて、ホテルに泊まることがおおい人で、早朝は読書タイムにしているなんて人はいるだろうが(武田鉄也がそうらしい)、普通は旅行中はあまり読書できない。今回、割と本が読めたのは、前回にも書いたように時差ぼけが酷くて、はじめの頃は割と早くホテルに戻ってきて、休むようにしていたので、眠れないときには本を読んでいたからだ。その頃読んだ『阿弥陀堂だより』がよかったことは書いた。ホテルの部屋はふつうあまり明るくないので、ベッドのそばの明かりをつけて読んだ。すると意外と眠れたりする。

その後は、今回の旅行でパリからジュネーヴに行くのに乗ったTGVが、電気系統の故障とかで2時間くらいストップしていた。そういう場合に、いらいらしないために読書をした。またスイスでは一日目に天気が悪くて、あまり外に出たくない気持ちだったので、電車にのってあちこち出かけた。車窓からスイスの風景を堪能し、それに飽きたら眠ったり、本を読んだりした。ジュネーヴ、ヌーシャテル、ローザンヌ、ベルンなどスイスの南部をはしる電車に乗りまくった。スイスの国鉄はじつにいい。時間は正確だし、2時間程度で大きな町につくし、ICN(インターシティーナショナル?)という電車が1時間に一本程度は走っていて、これが二等車でも人が少なくて快適で、今回はスイスパスを持っていたので、切符のことを気にしなくてもいいしで、大満足。予定にはなかったベルンまで行って観光できた。スイス観光には、スイスの中央にある町のホテルに滞在して、電車であちこち出かけて日帰りしてくるなんてのもいいかもしれない。しょっちゅうホテルを変えるのはたいへんだからね。

というわけで今回は書評を書いた本以外にも読んでいたのだが、あまり面白くなかったので書かなかった。だが、意外にたくさん本が読めた。もって行った本を読み尽くしたら、パリのブック・オフでいくつか仕入れた。ちょっと高かったけどね。

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時差ぼけ

2006年08月28日 | 日々の雑感
時差ぼけ

歳とともに時差ぼけが酷くなっている。フランスに着くとニ・三日は、外国の大都市、しかもすりとか置き引きとかが多発する大都市にいるということからくる緊張感、交通事情の違いから来る交差点での緊張感、言葉の問題による緊張感などから、すごく疲れるものだったが、もちろんこれは何度目になっても、そんなにしょっちゅう行っているわけではなく、せいぜい一年ぶりとか二年ぶりなので、なかなか慣れることはない。どうしても数日間は緊張しっぱなしである。そのためもあってか夜眠れないことが多く、それが引き金となって、吐き気がでてきたり、眠れないあいだに妄想のような考えに取り付かれて、精神的にしんどくなったりする。吐き気がしてものが食べれなくなるのがきつい。とくに見た目と実際の味が違っていたり、日本で普段食べているようなものがまったく食べれないために、こういう状態になるとたいへんだ。食べれないためによけいに精神が参る。

一人だと適当にやり過ごしたり、無理をしないで自分のペースで観光したり、食べ物も食べやすいものだけを選んで食べるとか、早めにホテルに帰って休むというようなことができるが、連れがいたりすると、それが難しい。ツアー形式の外国旅行というのはしたことがないが、どうなんだろうか?気分的には楽だし食べ物も日本人に合ったものが食べれるから、こういう心身疲労はあまり生じないのかもしれない。眠れないだけのことなら睡眠導入薬で寝てしまえばいい。今回の旅行でジュネーヴからパリにTGVで帰るときに同じ車両になった日本人の団体客たちには、コンビニ弁当のようなものが配られていた。私の母親と同じくらいの歳の人たちがたくさんいたから、やはり日本人が普段食べているような弁当でないとお年寄りには無理だろうなと思いながら見ていた。バゲットにハムとチーズをはさんだサンドイッチを老人に食べろといっても無理だろう。

そして日本に帰ってきてからの時差ぼけは精神的には辛くないのだが、昼と夜が逆転してしまうので、本当に困る。数年前の場合には、睡眠導入薬を使って寝るようになったのはいいのだが、これを飲まないと眠れないという思い込みをもつようになって、つまり薬に依存するようになってしまい、薬を止めるのにちょっと勇気がいった。どうも薬に依存する気質のようなので自分が怖い。だから今回もできるだけ薬を飲まないようにしているのだが、いまだに夜眠れないので困っている。こういうときこそ、読書できるじゃないかと思うかもしれないが、なんだが真夜中に眠れないからと本を読んでいたのでは、よけいに昼夜逆転が改善しないのではないかと思って、踏ん切りがつかない。

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「ダイヤモンドダスト」

2006年08月26日 | 作家ナ行
南木圭士『ダイヤモンドダスト』(文芸春秋、1989年)

第百回というきりのよい回の芥川賞受賞作である「ダイヤモンドダスト」をふくむ短編集になっている。作者が難民医療日本チームの医師としてタイ・カンボジア国境に三ヶ月赴任した経験の前後のことが書かれ、それの影響が色濃く出た作品集。全体的に暗くて、闇に包まれたような作品が多い。

高校から浪人生時代に「付き合っていて?」、山の診療所の医師となるのなら、自分はその妻になるのも悪くないなと話していた千絵子と、医者と末期がん患者として再会した、ちょうどそのころ、自分はまさに山の診療所の医者になり、千絵子はぼろぼろになって人生の最後を迎えるという「冬への順応」。灼熱のカンボジア難民収容所から帰ってきたばかりで、寒さに順応できないで微熱が続く様子が、千絵子の死によって、それまで千絵子とのあいだにあった淡い思い出を断ち切っていくこととダブらせて書かれている。

「長い影」では、帰国してちょうど一年目に開かれたカンボジア難民医療団の忘年会に参加した「ぼく」が一人の女性看護士に絡まれる。彼女は、外科医たちがちょうど留守のときに運び込まれた腹膜炎を起した女性の措置を「ぼく」が誤ったとしてしつこく言いがかりをつけてきたのだった。彼女は、その女性が死んだ後、彼女が残した乳のみ児とその父親のために過剰な同情を寄せ、乳のみ児の世話をしただけでなく、その父親と肉体関係までおよび、結婚したいとさえ言い出したのだが、認められなかったのだった。日本政府の役人が、こうした医療団を派遣しているだけで十分であって、献身的に働くことはないと、出発前に話したという、ちょっとした描写のおくには、こうした医療団の思いと現実との齟齬、葛藤がある。

別荘地のある田舎で看護士をする和夫のいくつかの人間関係を描いた「ダイヤモンドダスト」がやはり一番いいかなと思う。和夫の父の松吉と、和夫が勤務する病院に入院してきた末期がん患者のアメリカ人神父マイクとの交流が不思議なものを感じさせる。ヴェルサイユとなく戦争でファントム戦闘機にのっていたマイクと、第二次大戦中からこの村で小さな機関車に乗っていた松吉とのあいだには、まったく共通の体験もないし共通の話題もないが、マイクが松吉の仕事への理解を示すことで、二人は共通の世界に入り込んでいく。そしてマイクの死が近づいたために、松吉を退院させることになった日に、彼は最敬礼をしてマイクのもとを去る。マイクが死んだあと、松吉はかつて全ての駅に作る予定だった水車を自宅の庭につくり、それが出来上がった寒い日、ダイヤモンドダストが舞うほどの寒い朝に死んだ、というようなお話。

どれも暗くてやりきれないような作品ばかりなので、きのう図書館で南木圭士の本を四冊も借りてきたけど、どうしようかとためらっている。

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「慟哭」

2006年08月25日 | 作家ナ行
貫井徳郎『慟哭』(創元推理文庫、1999年)

首長のひょろっとした相貌を新聞の広告で見てから、こんな貧相な作者の顔写真なんか載せるなよ、と思っていた。別に作者の相貌は作品とは関係ないが、まだ読んでもいない将来の読者に貧相な作者の姿を見せたら、こんな作者の書いたものなんかたいしたことないだろう、と予断と偏見をもたれたらどうするの!と思わないのだろうか。またそのときの作者のコメントが「絶対に損はさせません」って。大阪のおばちゃんなら飛びつくかもしれないけど、東京の冷めた読者予備軍には、このセリフはきかないでしょう。

さてこの小説は作者の第一作で、第4回鮎川哲也賞の受賞は逃したものの、受賞作にも劣らないという評価を得て、作家としてデビューしたとのこと。たしかに構成は面白いし、最後まで飽きさせない。一見すると、幼女連続殺人事件を捜査する側と犯人の側の行動を交互に描いているので、それが同時進行しているいるように思って読んでいくことになるが、最後でこの二人は同一人物で一年間のずれがあることがわかる。両者の名前が違うのは、捜査一課長の佐伯は警察庁長官の娘の婿養子にはいっているから佐伯を名乗っているのであり、もう一つの物語のほうで松本として描かれるのは、連続幼女殺人事件で自分の娘が殺害され、全てを投げ出して、離婚し、旧姓に戻ったからである。佐伯が調査する幼女殺人事件と、みずからが犯すことになる幼女殺人は前者の結果である。

最後まで読者を騙して読ませたことをどう評価すべきだろうか?だいたい、きちんとした時間的な指示がないかぎり、物語ははじめのページからあとのページへと時間的に進行するものとされているし、同時に書き込まれる物語は、これも明確な指示がないかぎり同時進行しているものと理解するのが普通である。その一番いい例は映画であり、無関係の二つのシークエンスAとBがA→Bの順番に映し出されれば、見る側はBをAの結果とか説明と見る。それがモンタージュの効果であり、そういうものとして映画は作られてきたし、見られてきた。また実際には登場人物を演じている役者は死んでいないが、登場人物がピストルで撃たれて息絶えたように描かれれば、彼は死んだものとして見られる。ところがあれはなんだったかな、トラボルタ主演のなんとかという映画では、そうして死んだはずの登場人物がじつは死んでいなかったとして、なんの因果関係も伏線もなしに、あとで登場してくるが、あれはまったくの映画つぶしの手法だといえる。シークエンスの積み重ねとして作り上げてきた話の流れを、本当はそうじゃなかったと後で否定するのは映画のつくりそのものの否定になるからだ。

この小説も同じように、明確な指示なしに交互に描かれてきた物語は同時進行しているように読まれてしまう。普通はこういう書き方をすると、たんに小説という架空の世界構築のあり方を無視して奇抜さをねらっただけのことになる。そうでないというなら、こうした手法をどうしても取らなければならなかった必然性が必要だろうし、こうすることでしか構築できなかった世界かなにかが読者に見えてこなければならないと思う。

はたしてこの作品の場合はどうだろうか。たしかに佐伯が捜査している幼女連続殺人事件に、その結果としての佐伯(松本)の心身喪失の姿を交互に描いていくことで、読者には佐伯=松本ということは分からないが、なにかしら緊張感が生まれたことは確かだし、捜査主任としての佐伯の緊張感やストレスが、犯人と思いながら読んでしまう松本の人物造形に反映されていくことになる。そういう意味ではこの作品は成功したのかもしれない。でもなんだかひっかかるな。

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「医学生」

2006年08月24日 | 作家ナ行
南木圭士『医学生』(文春文庫、1998年)

『阿弥陀堂だより』がよかったので、パリのブックオフ(ジュンク堂がブックオフに買い取られたようだ)で買った。450円の文庫本を5ユーロ(約750円)で売っていた。フランス人の店員も「いらっしゃいませ、こんにちわ」と挨拶してくれる。不気味だ。

解剖実習で同じ班になり、無二の親友となった和丸、京子、雄二、修三という四人の医学生のそれぞれの生い立ちと、医学生としての行き方、そして医者になった後のそれぞれの生き方を描いた小説で、南木圭士の体験がかなり反映されているらしい。

小説としてはそれほどできのいい作品ではないが、フランスに行く前に見た『ヒポクラテスたち』と重なる部分がおおくあったので、楽しめた。南木圭士の、医者としての出発点を振り返り、確認するための作品といった趣がある。

やっぱり若いときにはあれやこれや悩むべきである。そして行動に移してみるべきだ。そうしてこそ自分の根というものが出来上がるのではないだろうか。私はあれこれ悩んだが、行動に移さなかったことが悔やまれる。悩むだけではだめ、行動してこそ意味がある。悩んだことに価値が生じる。

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「阿弥陀堂だより」

2006年08月23日 | 作家ナ行
南木圭士『阿弥陀堂だより』(文春文庫、2002年)

フランス旅行中、とくに飛行機の中で読むためにいくつか文庫本をもって行った。そのひとつがこの小説。フランスについて、私の場合、時差の関係でいつも眠れない、吐き気がするという状態が数日続くのだが、そういう最悪の状態の中で読んだためか、えらく感動した。

売れない小説家と、最先端の医療に従事している医者である彼の妻の心身再生の物語である。自分の精神の根を、信州の田舎の土と水と森のなかで生きてきた人間たちの末裔として理解していく主人公と、先端医療のはらむ非人間性のストレスからうつ病になった妻が第二のふるさとと慕う夫の田舎で心身を再生させていくという話が、時差のためにうつ病のようになった私の精神状態をもとに戻してくれるのに役立った。

主人公の出自もなんだか田舎出身の私にそっくりで、主人公が夏休みや冬休みのたびに祖母のもとに帰って一時を過ごすというのも私の経験と同じだったので、なんだか自分の物語を読んでいるようで、感情移入がしやすかったせいかもしれない。

主人公の祖母や阿弥陀堂の堂守のばあさんのように、生きることだけの毎日というのを私は否定すべきものとして学問をし、ものを書き、本を読んできたはずだったのに、そうした世界で敗北し、生きるだけの毎日の世界にもどってしまったが、都会でのそうした毎日は、田舎の、山、森、水に囲まれた毎日とは、やはり違う。

都会ではそれはたんに消費活動にすぎないが、田舎では生産活動となるからだろう。田を耕し、畑で作物をつくり、木々を薪とするために集め、魚を釣り、などなど生きるためだけにしても、そこでの活動は消費活動ではなく生産活動になる。だが都会ではたんに金でものを買うだけの消費活動に単純化されてしまう。

ここにこそ田舎に暮らす、しかもかつての農村の生活をすることについての意義がある。だからこそ主人公の妻は心身の再生を果たすことができたのだろう。自然に働きかけるからこそ自然からの癒しがあるのだ。田舎にいても、都会にいるときと同じような消費活動だけしていたのでは、心身の再生は望めない。

帰りの飛行機の中でも読み返してみた。それほどこの小説が好きになっていた。今度は映画も見てみよう。

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「英語のたくらみ、フランス語のたわむれ」

2006年08月06日 | 人文科学系
斉藤・野崎『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』(東京大学出版会、2004年)

どちらもいま飛ぶ鳥を落とす勢いの翻訳―外国小説や評論など―をしている二人の東大の先生(斉藤は英語、野崎はフランス語)の対談で、アマゾンの解説によると、「外国語を身につけるにはどうすればよいか?翻訳はどのようにするか?文学は何の役に立つのか?英語とフランス語の東大教師が、「語学」「翻訳」「文学」をめぐってその営みの核心を語り尽くす。英語が好きでたまらなかった斎藤。フランス小説・詩に魅せられた野崎。そんな原点をもつ両者が、ふたつの言語の受容のされ方から、その文学の性格のちがいまで対話を繰り広げる。「外国語や異文化に出会うとはどういうことか」を知る絶好の一冊。」ということになるらしい。

野崎が、会話のための勉強というものはしないで、ひたすら文学作品だけを読んでいたが、フランス政府給費留学生試験に合格して、渡仏する飛行機の中で隣に座ったフランス人女性と飛行機の中でずっと喋ることができた、それでフランス語会話の自信がついたというエピソードを持ち出してきて、きちんとフランス語の解読ができれば会話だってできるようになるのだという主張の傍証としようとし、また斉藤もそうだそうだと応援しているのを見ると、いったいこの人たちは誰を相手にこの対談をやっているのだろうかと思ってしまう。この人たちはきっと東大の理系の先生たち、英語で論文がかけないとか会話もできないと教養の外国語教員たちに文句をいってくる教員たちにたいして、オーソドックスなリーディング中心の外国語教育の方法こそが正統的な手法なのだといいたいのだろう。たしかに英語のようにすでに中学・高校で既習の外国語はいいが、それ以外の外国語の場合はABCからやっていかなければならず、2年間でいったいどれだけのことができるというのだろうか。それよりは○○語嫌いにしてしまわない教育の方が重要であって、そういう取っ掛かり(とはいえ、たんなる取っ掛かりではない)があれば、そこからもっと勉強していきたい人をたくさん作れるように思う。かつてのような、文法があって、訳読があってという方法は、もちろんこちらの方が性にあっているという人もいるだろうが、基本的に間違っていると思う。

文学が衰退と言われて久しいけれども、文学はたんに衰退というようには言えないように思う。衰退しているのは古典(すでに故人となって、ある程度評価の定まった文学のことをいっているので、割と新しいものも含んでいる)といわれる文学であって、日本文学でも村上春樹をはじめとして、伊坂幸太郎、宮部みゆきなどなど、よく読まれている。たしかに猫も杓子もというように、古典といわれる小説がよく読まれた時代は終わったといっていいが、そうした古典にたいする関心が急速に失われていった理由は、そもそも戦後から20年もしくは30年くらいまでの異常なほどの日本人の読書欲のほうが異常であって(もちろんこれにはそれまで十分な翻訳がなかった、十分な本がなかった)、自分の身の回りとはちがう世界(問題意識や生活様式も含めて)にたいして、異常なほどの多数の人間が興味を持つほうがおかしいのである。現代日本に固有の問題意識をもって書かれた今の文学にしか興味を持たないとしてもそれは当然であろう。あるいはそこから古典の方へと関心の対象を広げていく人もいるかもしれないが、方向性としては今から古典へであって、古典から今へ、ではないだろう。大学の先生たちにすれば、そういう評価の定まっていない文学については、おいそれとは論文を書けない、下手なことを書いてみっともないことをしたくない、あるいはもっと言えば、そうした評価を下す能力がないというところで、本来、そうした今の文学をこそもっと研究として取り上げるべきなのではないだろうか。既存の評価にあぐらをかいているとしかいえないような、怠慢・傲慢な態度しかそこには見えない。

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「ヒポクラテスたち」

2006年08月05日 | 映画
『ヒポクラテスたち』(大森一樹監督、1980年)

テレビで珍しいものを観た。1980年の『ヒポクラテスたち』という映画だ。名前だけは知っていて、当時も観たいなと思いつつ、見逃してしまった。医者の卵たちの話ということだけは知っていたのだけど。

おお!すごい顔ぶれだ。主人公の古尾谷雅人は故人となったが、柄本明、小倉一郎、伊藤蘭?!斉藤洋介、内藤剛志、原田芳雄、おお手塚治虫もでているではないか!みんな若い!それに当たり前なんだけど、みんな70年代に流行った長髪なんだよな。内藤剛志があんな髪をのばしていたなんてねー。柄本明はあの当時からすでにふけ顔だったんだ。舞台は京都。洛北医科大学という架空の医大になっているけど、まぁ京都府立医科大か京大の医学部あたりなんでしょう。産婦人科の臨床研修なんかを中心にしながら、性にたいする彼らの興味なんかもおりまぜながら、古尾谷の恋人が妊娠してしまい、堕胎手術をうけさせたのと同じ頃、その医大に高校生とおぼしき娘が妊娠中絶してくれと言ってきたのに、彼らがさまざまな反応をしめすことで医大生たちの、普通の人間らしさを描いている。彼らは同じ寮に住んでいるものたちなのだが、今では考えられないような寮の規則があって、寮生たちが医学のあり方について喧喧諤諤の議論を交わすシーンがある。当時の学生によく見られた、アジっているような、抽象的な言葉を矢継ぎばやに繰り出す議論の仕方は、内藤剛志が「10.21」がどうのこうのと言っているように、政治がらみで、それは今からは考えられないほど、学生たちが政治を自分のものとして考えていたことを示している。もちろん抽象的な捉え方であったり、一種の熱病のようなものであったりしたわけだが、そうしたことを議論するのが避けては通れないような雰囲気が当時はあった。1980年というのはちょっと遅れている感じがするが、70年代のはじめはまだそうだった。あの当時の抽象的で、地に足のついていない議論がいいとは思わないが、現代の若者たちの間でもっと広い視野にもとづく政治の議論があってもいいようにもおもう。

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「月光の夏」

2006年08月04日 | 映画
『月光の夏』(神山征二郎監督、1992年)

テレビで神山征二郎監督の『月光の夏』という映画を観た。もう14年も前の映画になるのだなと思いながら観た。若村真由美がいる、田中実がいる、渡辺美佐子、仲代達也、内藤武敏、山本学、田村高廣がいる。もう故人となった人もいる。特攻隊員が出撃のまえにグランドピアノを思い切り弾いてみたいと思い、離れた町の小学校まできてペートーベンの「月光」を弾いて出撃して死んだ、というだけの話しかと思っていたら、それは前半の一部で、それから40年後に残されて使われなくなったピアノの保存をめぐって、特攻隊員の話を小学生たちの前でした吉村―特攻隊員がピアノ演奏に立ち合ったピアノの先生―のことが新聞に載り、ピアノを保存しようとか、そのときにピアノを弾いた特攻隊員を捜すというように話が展開していく。二人の特攻隊員のうちの一人―風間―生存していて、最初は当時の話をするのを拒否するが、吉村からの手紙に、彼女やピアノと再会を果たすという内容で、あたりまえと言えば当たり前かもしれないが、特攻隊員たちの無念の思いをいかに今に伝えていったらいいのかという、反戦の映画なのであった。

この映画が作られてから十数年のあいだに日本もずいぶん変わってしまった。曲がりなりにもこうして反戦の映画が作られ、それなりの影響力ももっていただろうに、いまやイラクに自衛隊を派遣し、人を一人も殺さず、殺されずに帰ってきたのはよかったが、いわばてこ調べのようなもので、これからは、中東情勢がもっと危機的になってきており、どんどん派兵されるようになってくるだろう。この映画が主張していたような、国家のため、国防のためという言葉の裏に隠されたごまかしのために、戦死者がでることのないようにという思いは、アメリカ言いなりの首相―それに輪をかけたような、後継候補有力者―によって完全に押しつぶされようとしている。

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