読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

あじさいを求めて

2022年06月14日 | 日々の雑感
あじさいを求めて



あじさいの季節になった。ここのところ晴天が続いて、あじさいには辛いだろうが、そろそろ梅雨入りしそうで、あじさいたちも一息つけるだろう。

あじさいはどこにでもある花だし、ちょっとした株なら十数もの花を付ける。それに最近はいろんな種類のあじさいが咲いている。



だけど群になっているのを見たいと思い、かみさんと長居公園の植物園に行ってみた。長居公園そのものは無料だが、植物園は200円の入場料がいる。

長居公園はむかしジョギングをしていた頃にはフル・マラソンの大会によくきていた。ここで3回くらいはフル・マラソンを走った。一周3kmで13周する。何回目なのかわからなくなるので、うでに輪ゴムを13個つけて、一周するごとにそれを一つづつ取っていく。

でも30kmを過ぎた頃には、もうへろへろになって、歩いているのと変わらない状態になる。何回目なのかなんてどうでもよくなってくる。

そんな思い出の場所だ。今ではなんとかスタジアムとかいって、立派な建物があるし、ちょうど今は陸上の日本選手権をやっていたので、結構な人出だった。



さて、植物園は中央に広い池があって、そこには蓮の花がきれいに咲いていた。その岸辺には菖蒲やカキツバタなどがたくさん咲いている。

目当てのあじさいは、雨がなかったためなのか、なんともしょぼい。もっと群生して豪華に花が咲いているのを期待していたのだが、残念でした。それにこれを目当てに来た人出も多い。

人気の少ないところに行って昼食をとってから、ちょっとうろうろして帰った。

写真は蓮の花以外はすべて家の近所のもの。



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『「オードリー・タン」の誕生』

2022年06月12日 | 評論
石崎洋司『「オードリー・タン」の誕生』(講談社、2022年)



台湾のIT担当大臣になって、コロナ禍の初期にマスクの配布で混乱していた台湾の状況を、仲間たちに声をかけて数日でアプリを作って、落ち着かせたことで、日本でも一気に有名になった。私も彼の名前を知ったのは、これがきっかけだった。

たんに天から才能を与えられたギフテッドというだけだったら、彼はこれほどの人物にはならなかったということが、この本をよむとよくわかる。

小学校での虐め、教師からの体罰、家庭での両親の無理解、普通なら人間性を歪めてしまうはずの経験をしてきた、もちろんいろんな偶然や幸運(ドイツでの経験)があってのことではあるけれども、そういう経験をしてきたからこそ、そして時代がちょうどネット社会の幕開けの時代だったからこそ、人間的にも成長することができたのだろう。

それに性的同一性障害を持っていたことも、公平でオープンな世界を模索することを可能にした。さらに彼の成長と並行して、台湾の社会そのものが「たんぽぽ運動」のように改革の方向に動き出していたことも幸運だっただろう。

台湾でも韓国でも国民が下からの運動で社会を変えて活気のある国にしているなかで、戦前回帰の動きが力をつけて、古い考え方にしがみついている日本だけ例外的に社会が停滞している。

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『韓国カルチャー』

2022年06月05日 | 評論
伊藤順子『韓国カルチャー』(集英社新書、2022年)



映画の話をしながら、ネタバレしないように、映画のバックにある韓国社会のことや文化のことを解説した本で、見ていない映画も、いったんそれを離れて、読める。

私が見たことがある映画でいえば『82年生まれ、キム・ジヨン』『JSA』『タクシー運転手 約束は海を超えて』『SKYキャッスル』だけなので、普通なら、読んでもわけがわからなくて面白くないはずだが、そうでもなかった。

ただほぼ毎日韓国ドラマを見ているので、この本で取り上げられている韓国社会の諸問題については興味深く読めた。

いわゆる上流社会が頻繁に描かれるが、韓国では、李朝朝鮮の階級はいったん完全に解消されたから、現在の財閥はすべてそれ以降、とくに戦後のものであるという。現代やサムスンなどがそれにあたる。日本のように財閥解体といっても、実質上江戸時代からの三井だとか三菱なんかが残っているのとは違う。

それに政治的にも李朝とは完全に手を切ったので、そうした遺物はない。日本のように天皇制もないから、タブーのようなものがない。

ただたくさん韓国ドラマを見ていると分かってくることがあって、李朝朝鮮時代の宮廷での権力闘争―たいていは時期国王の継承をめぐる、王族内での親子や兄弟間、その周りにいる貴族や王族たちの血みどろの権力争いと同じ構図が、財閥の後継者争いにも描かれているということだ。

たとえば今見ている『復讐せよ』というドラマでもSB生命という財閥の会長であるキム会長とその娘のテオンが殺し合いをするというもの。本当にそんなことがあるのかどうかと思うのだが。

話は変わって「オッパ」という呼び方のいろんな意味、なんとなく感じていたことをわかりやすく説明してくれているので、勉強になった。韓国の男性にとって「オッパ」は日本語にはない男心をそそる言葉みたい。

似ているようで似ていない、似ていないようで似ている韓国社会、面白い。

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『泣きかたをわすれていた』

2022年06月01日 | 作家ア行
落合恵子『泣きかたをわすれていた』(河出書房新社、2018年)



ウィキペディアなどを見てもよくわからないのだが、たぶん落合恵子が母親を7年くらいにわたって介護し、最後を看取ったという実際の経験を小説風に書いたものだと思われる。

実際の経験だとしてたぶん著者が55歳からの7年くらいの長期にわたる介護、しかも母親は認知症で自分の世話が何一つできない状態。

作中にも出てくるが、なぜ施設に預けないの?あなたの日頃の主張と違うじゃないの?というフェミニストからの詰問に、あなたはあなた、私は私と言って答えているが、実際には、母親が暴れてベッドから落ちたために拘束され睡眠剤を注射されたことがきっかけになっているように書かれていて、それはそれで納得する。そんなときにフェミニズムも何もないでしょうと私も思う。

ただ、この母親が自分の母親を看取った後に言った「ひと仕事した」というのと同じ思いが著者にあったのかなかったのか、たいてはあっただろうと私は思う。それでなければこんな小説を書いたりはしない。

自分の親の介護を政治は押し付けてくるくせに、社会的にまったく認知されない仕事をやり終えた人は、やはりよくやったと言ってもらいたいのだ。私には当然の承認要求だと思う。

ここにもよく書いているが私にも90歳を超える母親が地方で一人暮らしをしている。年に数回様子を見に行ったときに、一緒に散歩をしていると、向こうから一人でやってきた見ず知らずの男性が突然話しかけてきて「自分も仕事を辞めて、母親を看取った。あなたがそうやって母親の世話をしてあげるのはいいことだ」というような内容のことをひとしきり喋って立ち去っていったことがあったが、その人も同じだろう。ましてや仕事を辞めたというのだから、その人が今後どうやって暮らしているのか、こちらが心配になる。そんな時、「よく自宅で介護してくれました、その御礼に、あなたの面倒は政治が看ましょう」なんてことは政府はしてくれない。

私自身、もし母親が一人暮らしができなくなった時のことを考えて、サービス付き高齢者住宅などを市内で探している。地方でも最低で月に14・5万円は必要になる。上を見ればキリがない。

夏の参議院選挙に介護問題を争点にすべきと声を上げた人がいるが、当然のことだろう。こちら

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