杉捷夫『フランス文芸批評史(上)』(筑摩書房、1977年)
2月にこれについて書いたが(こちら)、その時は、買いましたよという報告であって、読みましたよという報告ではなかった。読み終えましたよという報告が、やっとできる。もちろん2月からずっと読んでいたわけではなくて、四月くらいになってから、通勤電車の中で少しずつ読んでいた。
それにしても、すごい読書量、すごいフランス語力、すごい要約力、すべてが備わっていないと、これだけの本は書けないだろう、と私のようなものでも分かるくらいに、簡潔にして、また肝心な所はしっかりと書かれている。
私としては新旧論争の全体像を理解したと思っていたのだが、それについてもしっかり書かれており、およそのイメージを捉えることができたと思う。あくまでも文芸批評史なので、流れを大事にしており、前後の関連がよく分かる。もちろん細かい所は、それぞれの読者がそれぞれの関心に応じて、細部を詰めていけばいい。
さらに、18世紀初頭の感覚派の流れもよく分かった。その中で、テラソンがデカルト合理主義のゴリゴリ理論派だったことも分かったことは一つの成果だ。同じ読むにしても、まったく予備知識なしに読むのもいいが、ある程度大きな流れの中でどんな位置を占めている著者なのか、思想なのかを知っておくことも大事だろう。
本当に感心しながら、読み終えた。
2月にこれについて書いたが(こちら)、その時は、買いましたよという報告であって、読みましたよという報告ではなかった。読み終えましたよという報告が、やっとできる。もちろん2月からずっと読んでいたわけではなくて、四月くらいになってから、通勤電車の中で少しずつ読んでいた。
それにしても、すごい読書量、すごいフランス語力、すごい要約力、すべてが備わっていないと、これだけの本は書けないだろう、と私のようなものでも分かるくらいに、簡潔にして、また肝心な所はしっかりと書かれている。
私としては新旧論争の全体像を理解したと思っていたのだが、それについてもしっかり書かれており、およそのイメージを捉えることができたと思う。あくまでも文芸批評史なので、流れを大事にしており、前後の関連がよく分かる。もちろん細かい所は、それぞれの読者がそれぞれの関心に応じて、細部を詰めていけばいい。
さらに、18世紀初頭の感覚派の流れもよく分かった。その中で、テラソンがデカルト合理主義のゴリゴリ理論派だったことも分かったことは一つの成果だ。同じ読むにしても、まったく予備知識なしに読むのもいいが、ある程度大きな流れの中でどんな位置を占めている著者なのか、思想なのかを知っておくことも大事だろう。
本当に感心しながら、読み終えた。