読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『ミッテランの帽子』

2019年05月26日 | 現代フランス小説
アントワーヌ・ロラン『ミッテランの帽子』(新潮社、2018年)

ミッテラン大統領時代のフランスにはフランスの政治の不思議がある。1981年に大統領選挙で現役のジスカール・デスタンに僅差で勝ったミッテランは、社会党の党首として従来から主張してきた経済政策、労働政策を実行に移した。基幹産業を国有化し、公共事業を拡張し、労働者の最低賃金を底上げするという、国家資本主義とも呼ばれるような、国家主導の経済政策である。

時代は折しも、経済発展の転換期を迎えていた。数年前に起きたオイルショックによって生じた経済危機を乗り切るためには、研究開発に資金を注いで、それまでの重厚長大の商品から軽薄短小の商品を作り出して競争力を高め、労働環境も合理化を進めることが必要だった。

1983年に小型化したウォークマンの登場や日本の国鉄民営化などがその象徴だと言えるが、ミッテランの経済政策はそうした動きとはまったく正反対のもので、商品革新は遅れて旧態依然たる商品を作り続けた結果、フランの国際競争力は低下し、インフレと失業が増えた。そして5年後の1986年の総選挙で社会党が大敗し、右派のジャック・シラクが首相に選出されて、第一次保革共存が始まる。

それがこの小説の時代である。日本ならミッテランはレームダックと化して、世論から無視されるような存在になっていただろうが、フランスではそんな風ではない。その帽子を手にした人たちに幸運を与えるような存在として描かれている。

ミニテルだとかバスキアだとか時代の風俗も描かれているだけではなく、私にはあまりよく分からなかったが、16区に住む貴族の末裔のベルナール・ラヴァリエール、書店員のファニー・マルカンといった社会的地位の違いも描き分けられているという。

残念ながら私にはそれほど知的興奮を与えてくれる小説ではなかったので、何度も読み返すたびに新たな発見があるのかもしれないが、何度も読み返す気にはならなかった。


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『てんのじ村』

2019年05月24日 | 作家ナ行
難波利三『てんのじ村』(1984年直木賞)

私はなにわの人情物といったような話や小説が嫌いなので、この手の小説は敬遠してきた。タイトルからしていかにもなものだと分かる。それにこの作家、『てんのじ村』で1984年に直木賞を取ってから、本来ならこの賞は登竜門のはずだが、ほとんど作品を書いていない。ただなんとか文学賞の選考委員とか、なんとか館の館長とかに収まってあぐらをかいている。余計に読む気がしない。

その私の気を変えさせたのは、数日前に読んだヤフーのニュースに載っていた産経新聞の記事であった。「苦学、結核、官能小説 直木賞作家、難波利三が語る半生」というタイトルのその記事は、難波利三が文字通り苦労をして作家生活をしてきて、やっとのことで『てんのじ村』を書くにいたった半生を語っているもの。

私の興味を引いたのは、難波利三がてんのじ村のことを知って取材をしているうちに長老の芸人のことを語った次の行を読んだ時だった。以下は記事からの引用である。

「長老の男性芸人、吉田茂さんに粘り強く取材交渉をし、やっと話を聞くことができた。期待した彼の芸「珍芸かぼちゃ」は、赤いパンツを見せて笑いを取るというお粗末なもの。「これでは小説にならへん」とあきらめかけたが、吉田さんに付いて各地を回るうちに、ふとひらめいた。「えらい勘違いをするところやった。しょうもない芸に50年も人生をかけている人間のすごさ。これをテーマにしたら絶対面白くなる」と。下積み芸人のしたたかさと優しさ、人情を描いた『てんのじ村』は、59年に直木賞に輝いた。」

私は難波利三が語ったという「えらい勘違いをするところやった。しょうもない芸に50年も人生をかけている人間のすごさ。これをテーマにしたら絶対面白くなる」という言葉がどうしても気になって仕方がない。しょうもないこと、どうでもよさげなことに、小説の主題を察知する作家の嗅覚とでもいうようなものだろうか。

いったいどんな小説を書いたんだろうか、とえらく興味が湧いた。それで借り出して読んでみた。そこに描かれているのは、私がイメージしていたような売れない芸人のどうしようもない堕落した生き様なのかと思ったら、まったく違った。それこそ自分の芸に誇りもある、研究心もある、筋を通す、これと決めたら一線を超えないというような、まっとうな人間の生き方が描かれていたので、なるほどなと納得した。

登場人物たちの語りは、まさに吉本新喜劇のあれ。こてこての大阪弁。戦争中から戦後の闇市の世界から、高度経済成長時代の大阪の変化がよく分かる。

最近は小さな文字を読み続けるのが辛いので、今回は大活字本シリーズのものを借りたら、文字が大きくて読みやすかった。



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『不死身の特攻隊』

2019年05月18日 | 評論
鴻上尚史『不死身の特攻隊』(講談社現代新書、2017年)

佐々木友次さんという北海道出身の特攻兵が9回特攻命令を受けながらも、死んでこいという上官の命令に反抗して、生きて帰ってきたという話を書いたもの。

第一部で別の本にもとづいて、佐々木さんの飛行機乗りとしての経歴と最初の特攻命令を受けてから、終戦になって帰国するまでをルポ風に記述している。

第二部では鴻上尚史が三回にわたって90才を超えた老齢の佐々木さんにたいするインタビューを記したもの。

第三部では、特攻全般についてまとめている。

以前も書いたことがあるが、私も戦争なんかで死にたくないので、長男を戦艦大和で死なせた祖母の話を聞くたびに、戦争になったら山の中に逃げ込もうとかいろいろ考えていたので、特攻命令を受けても死ぬことはない、戦艦や船を沈めることが本来の目的なのだから、それを目指そうとして、2回成功させ、それが不可能な状況の場合には帰還したり、不時着したという佐々木さんの話には心打たれる。

しかしインタビューの中でも自らそう言っているように、これは下士官だからできたことで、将校にはできないことだっただろうと、私も第一部を読みながら思っていた。

それにしても命令する側がのうのうと生きていられるのが腹立たしい。これは明治維新の頃からの伝統のようだ。会津藩の白虎隊だって、総攻撃を命じた人間は生きて(つまり自決することなく)天寿を全うしている。集団自決したのは世間のことを何も知らない若者たちだけだ。佐々木さんに死んでこいと何度も命令した猿渡参謀長もこの作戦の最高責任者であった富永司令も米軍のフィリピン上陸に部下たちを捨てて先に台湾に逃げている。

特攻のようなことが成り立つ日本人の精神構造の特徴として「集団我」ということを著者は書いているが、たしかにそうなんだろうと思う。スポーツでも個人戦よりも団体戦のほうがいい結果がでるというところに、この日本人の特徴が現れている。

それにしても特攻というは過去のことではない。この本の最後で、2016年の自衛隊の南スーダンへの「駆けつけ警護」作戦への参加に、同じことがあったと答えている自衛隊員がいるそうだ。「1944年と2016年が一気につながった瞬間でした」と書かれている。

二度とこういうことがないようにするためにも日本は戦争をしてはならないと思う。


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『12ヶ月の未来図』

2019年05月15日 | 映画
『12ヶ月の未来図』(フランス映画、テアトル梅田)

パリのアンリ4世高校といえば、サルトルやシモーヌ・ヴェイユも勉強した歴史あるリセで、現在の大統領であるマクロンも進学のためにここに転校してきたという学校である。フランスは高校卒業時にバカロレアという国家試験を受けて、これに合格すれば国立大学に入れる。優秀な学生はさらに準備級というところに通ってグランゼコールを目指す。この準備級というのはどこのリセにもあるわけではなくて、それなりのリセでなければ設置していない。

このアンリ4世高で国語の教師をしているフランソワ・フーコーがレポートを返却する場面から始まる。その学生をバカにしたような態度、のっけから私にはフランスの教師が生徒に対する態度に違和感を覚える。

このフランソワが、父親の出版記念パーティーにおける雑談の中で、ベテラン教師がパリ郊外の底辺校で教えるべきだと持論を述べたことから国民教育省の官房長とのランチミーティングに呼ばれ、そこでその持論を褒められ、改革のためにぜひあなたが教えに行ってほしいと頼まれ、郊外の底辺校に一年間出向することになる。

初日、フランソワの運転する車から見える街の様子が、パリ市内の賑やかな洒落た雰囲気から、荒んだ、怪しげな街に変貌する様子が分かる。彼が駐車した車の前にあるのは暴動で燃やされた車。そして大騒ぎしている生徒たち。

映画の核心は、教師と生徒の関係が一つ。フランスでは教師は絶対的な権威を示し、生徒は教師に敬意をもって接しなければならないという不文律があるようで、教師が生徒に対する対応の仕方は、私のようなものから見ると、恐ろしい。しかしまぁそこはお国柄だとしておこう。

第二の核として底辺校の貧困の問題があるはずなのだが、この映画では取り上げられない。

フランソワはなんとかして生徒たちに本を読む面白さを身に着けさせたいと思う。できなかった経験が最初から自分はできないと思わせるということを、アナグラムの授業で理解させ、さらに生徒受けする表現で出来事を話して、そういう話しなら読んでみたいと言わせた後に、それが『レ・ミゼラブル』という小説なんだと教える。

そしてこの小説からディクテーションの試験を出すのだが、セドゥという生徒側の主人公とも言える生徒が良い点を取る。それに気を良くしたセドゥは、フランソワに心を開くようになる。

遠足でヴェルサイユ宮殿に行った日に、セドゥは好きなマヤと、ルイ16世のベッドの下に隠れて、誰もいなくなった後に、ベッドに上がって二人でツーショットをとる。それが監視カメラで分かり、大問題になる。二人は会議にかけられ、セドゥは退学処分になる。

しかしそれに納得がいかないフランソワは、この会議の不備を指摘して、撤回させる。そしてセドゥが戻ってきて、学年末に。フランソワがまたアンリ4世高に帰るという日にセドゥが「先生がいなくなったら寂しい」という。

こういう内容で、レビューは高得点が多い。だが、私には理解できないことばかりで、どこがそんなにいいのだろうかと疑問に思う。

第一に、ディクテーションでセドゥが良い点を取るのだが、実は彼はカンニングをしており、それをフランソワも知っているのだ。なぜそのことを問題にしないのだろうか。良い点を取らせて、セドゥがやる気になるように仕向けるというのだろうか。それは邪道だろう。セドゥが好きなマヤにどうやって良い点を取ったのか教えてと言われ、どうやら何かを教えたらしく、次にはマヤは満点をとる。この箇所は映画では描かれていない。この部分こそ、描くべきところではないだろうか。

第二に、セドゥがフランソワに心を開くようになって、マヤの気を引くにはどうしたらいいかと問われ、フランソワは目立つことをすることだと教え、その一例として詩を書くことと話す。それを聞いたセドゥはマヤに詩を書いて渡すが、マヤからはバカにしたような態度で突き返される。つまりフランソワのアドバイスは失敗だったわけだ。なのにセドゥはそれでフランソワへの態度を変えるわけでもない。どうして?

第三に、会議でセドゥはいったん退学処分を告げられる。次の日セドゥは学校に来ない。フランソワが家に行ってみると、同じように退学処分にあった年上のごろつきたちと連れ立って(というか仲間に引き釣りこまれて)逃げ去る。

ところが数日後にセドゥは学校に戻ってくる。なぜ?どういう心境の変化?そこのところこそ映画で描いてほしいところなのに、映画ではまったく描かれない。

第四に、底辺校の生徒たちが勉強しない理由の一つに、勉強することに意義が見いだせないということがある。その点をフランソワはどう説得するのだろうかというのが私の関心の一つであった。フランソワは、勉強すれば未来が開けると言う。嘘だろう。パリ郊外の若者たちが荒れ狂うのは、未来がないからだ。ただでさえ若者の失業率25%、移民の子供の失業率35%という状況で、勉強したからといって、どんな未来が彼らに見いだせるのだろうか?

この映画をフランス版『学校』(山田洋次監督、1993年)だと書いていたレビュがあったが、全然違うと思う。そもそも日本とフランスでは全然社会状況が違う。少なくとも、山田洋次監督の『学校』が作られた頃の日本とは。

高得点を与えられるような映画なんだろうか。


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マンションの寿命

2019年05月10日 | 日々の雑感

マンションの寿命

(左の写真は内容と無関係)今日の朝日新聞に築40年以上の「老朽化」マンションのことが載っていた。今でもすでに築40年を超えたマンションは多数あるだろうが、今後も増え続ける。問題は、老朽化したマンションをどうするか、新築するか、解体して更地にするか、住民の同意がないとできないし、莫大な資金が必要となるということで、法整備が必要だと指摘している記事である。

私が住んでいるマンションは築30年で、管理組合の総会とか理事会でもときどきそうした話題が出てくるが、まだまだ先の話ということになっている。

(左の写真は内容と無関係)そもそも老朽化したということをどうやって判断するのかが曖昧である。私の母親が住んでいた米子の市営住宅は1974年にできたので、昨年で築44年だったが、外枠を残した大規模修繕をしている。

それまでは外壁が剥がれ落ちてきたりしていたこともあり、適当にその場しのぎをしていたが、内部も作り変える必要があると判断したためか、そういうことになった。だが完全な解体と新築ではない。もちろん外壁は新たなコーティングを施して雨に強くするだろうが、外壁そのものは解体していない。

そして私が住んでいるマンションは10数年に一回は大規模修繕をやっており、外壁は雨に強いコーティングが施されたのを始め、共有部分は2回にわたって修繕されているので、見た目には新品と変わらない。そして今年になってエレベータも更新した。

したがってこうした大規模修繕を定期的に施してきたマンションは決して築40年を超えても老朽化したとは言えないと思う。余裕で60年以上持つだろう。

だから、安易に築40以上のマンションを老朽化マンションとして一括りにしないでほしいし、すべきではない。修繕を何もしてこなかったマンションは確かに40年を超えるとひどい状態になっているが、大規模修繕を定期的に施してきたマンションは100年位はもつと思う。

現にフランスのパリあたりでは1860年代から90年代にかけて行われたパリ大改造の頃に作られた建物にみんな住んでいる。内部は現代風に作り変えているが、外枠はすでに150年位経っているのに、なんともない。


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『頭痛肩こり樋口一葉』

2019年05月04日 | 舞台芸術

井上ひさし作『頭痛肩こり樋口一葉』(劇団大阪シニア演劇大学「豊麗線」第6回公演)

小説家を描くと言っても、絵描きさんが絵を描いている姿とは違って、小説家が文箱に向かってものを書いている姿は、はっきり言って絵にならない。だからこの芝居では、小説家を取り巻く家族や友人知人や恋人を登場させて、小説家の頭の中がどんなふうに動いているかを切り取って見せる。

会場でいただいたパンフレットを見ると、幸福な少女時代を過ごした後、14才で中島歌子の歌塾に入門し、18才で菊坂町の借家に転居とあるから、この芝居はこの時期から始まる。

この頃には中島歌子の歌塾を辞めて、好きになった小説家の影響もあって小説を書き始める。

御家人をしていたという母親の外面のよさのせいもあり借金に借金を重ねる家計を支えるためにも次々と小説を書き続ける姿が、舞台に示される。

そこにかつて旗本のお姫様だったが夫の殿様商売のために没落したおばさんや判事と結婚した八重や幽霊の花蛍などが出てきて、樋口一家とからんでいく。

たまたま今日の朝日新聞の「古典百名山」のコーナーで平田オリザが森鴎外の『椿姫』のことを書いている。先月は樋口一葉の『たけくらべ』だったようで、読者からの質問に答える形で、一葉のことを次のように書いている。

鴎外の『椿姫』は、明治初期のエリートたちが「自由」を得たはずなのに、西洋の合理主義と古い体制に挟まれて、家や国家にがんじがらめにされているという自己を発見して苦悩する姿を描いているが、一葉はこのエリートたちの近代的自我の苦悩がじつは庶民にもあったのだということを発見した、というのである。

井上ひさしがはたしてこの芝居でそうした苦悩を描き出そうとしていたのかどうか、私には心許ない。だが、和歌では自分の世界観が表現できないからと言って、和歌という表現形式に見切りをつけたことを明言させている。「内助の功、内助の功」って言うけど、女には内助の功しか生きる道がないの?と詰め寄るところは、明治初期の女性の生きにくさを示しているのだろう。

また幽霊の花蛍が自分を不幸のどん底に落とした張本人を探して500人もの相手を芋づる式にたどって行った結果、世の中というものにたどり着くという話は、庶民も世間というものにがんじがらめにされているという庶民の近代的自我の苦悩の本質を、このエピソードの形で提示しようとしていたのではないかと思わせる。

こうやって見るとただただ面白おかしい芝居というだけではない、奥深さをこの芝居は持っているということが感じられた。

シニアの演者たちということで、ずいぶん芝居の登場人物の設定年齢と離れていて、ときどきセリフも詰まったり、変に空白ができたりして、見ている方もハラハラ・ドキドキだったが、「抱腹絶倒痛快コメディ」ということで、楽しめた。

夏子(樋口一葉)役の人が主人公だけに一番シャキッとしていたが、邦子役の人も若々しい雰囲気が出ていたし、八重役の名取由美子は、女郎になって、稲葉の奥さんから夫を奪ったと譴責されると、開き直って啖呵を切ったところなど、なかなか粋だった。花蛍の役の人も天然ボケっぽい演技が面白かった。豊麗線の皆さんに拍手喝采!


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恒例の米子行き

2019年05月01日 | 日々の雑感

恒例の米子行き

4月28日から30日まで、春の恒例の米子行きをした。今年は天皇の代替りの10連休ということで、鉄道も高速も混雑がどうなるか分からないということだったので、どうしようか悩んだが、この時期にしか行けないので、強行した。

行きも帰りも新幹線は自由席に座れたし、特急やくもも意外と余裕だった。高速道路の渋滞を心配してバスは敬遠したのだが、案外バスでも良かったかもしれない。

今回は、春に足の肉離れを起こして行けなかったので、余計に行かねばならないという思いだったのだが、おふくろも元気にしていたので安心した。

天候が悪かったので、当初検討していた月山富田城はやめにして、米子市美術館で開催したばかりの「北原照久コレクション おもちゃの世界展』を見に行った。写真のようなペコちゃん人形などがたくさん展示されていた。ブリキのおもちゃも自動車など私も子供の頃持っていたような気がするものもあった。


併設で「安部朱美創作人形展」もやっていて、こちらは実に精巧な人形で、おもに「二十四の瞳」を題材にしたものだった。授業風景や列車ごっごがかわいい。その他昭和初期の家族の様子を題材にしたものもあった。



最終日はそのまま京都まで行って仕事。去年同様、早く着いたので、いまは藤の花の季節だと思い、調べたら、妙心寺退蔵院にも藤の花があるというので、これなら仕事場と同じ方向だから都合がいい。ところがあまりにもしょぼくてがっかり。仕事帰りに通った児童公園に咲いていた藤の花のほうがよほど豪華だった。



ただ今回の旅行中に新しい著作の方向性についてのイメージが浮かんできて、いろいろ練り上げることができたのは、うれしい成果だった。


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