川端祐人『色のふしぎと不思議な社会』(筑摩書房、2020年)
この本に関心を持ったのは、私自身も赤緑色弱であるからだ。私自身はそのためにひどく辛い目にあったとか大学入学や就職で不利を被ったという経験はない。それよりも、石原式検査で数字が見えなかったことで、え、俺って異常なの?と愕然とした経験があるくらいだ。そして何よりも不快だったのは、毎年毎年この検査が行なわれることだ。色覚異常は先天性だから治ることはない。また悪化することも改善することもない。それなら一度でいいはずだ。どうして毎年行なって、その事実を子どもに突きつけるのか?しかも衆人環視の中で。それが不快でならなかった。
團伊玖磨の昭和一桁時代の小学校の図画の授業の逸話は恐ろしい。それ以上に恐ろしいのは、現在でも、色覚異常かどうかに関係なく、図画の授業で、「子どもが感じたままの色で描いていると、理解のない先生から訳も分からず叱られ」るという話が恐ろしい。
このような授業がいまだに行なわれているということだ。色覚異常の話以前のこととして、教師が規範から外れた子どもを叱るという教育だ。いまだにこんなことをしているのかと思うと、日本の教育が情けなくなってくる。
この本によれば、保健体育の教科書や教科指導書に色覚特性を遺伝的であり、婚姻には注意すべきと書いてあることから、ある保健体育の教員が「色盲とは結婚するな」と授業中に言ったなどということがあったらしい。まったく恐ろしい話である。そしてこのようなことが起きた背景には戦後日本を支配した優生思想にあるという。恐ろしきや優生思想!
そもそもいったい何のために色覚検査をするのか?就職にあたって、職業によっては色覚異常のために就職できない、あるいは就職できても職務に支障をきたすことがあるなどの理由があるからだ。だが本当にそんな危険性があるものなのだろうか。
著者が警鐘を鳴らしているのは、最近(2000年以降)に出版された眼科医などの本のなかで「軽症者ほど危険」「無自覚なのは危険」などと、いかにも軽微な色覚異常が社会的犯罪の温床にでもなるような物騒な書き方をされていることの危険性のほうであるとする。
著者は、石原式が色覚異常の傾向をあぶり出すのに有効であったが、異常の根拠が不明であったことを重視し、アメリカ空軍が開発したCCTとかイギリスで開発されて民間航空パイロットなどに使用されているCADという検査が示すのは、異常の根拠が明確であることと、結局は正常と異常の境界線は、基準の置き方しだいでいくらでも変わるということだと断言している。(p.238)
石原式検査の復活を主張する人たちが言う早期に発見して…というスクリーニング検査の基本と言えるものはじつは色覚異常には該当しないということも著者は断言している。著者がその根拠としているのが、神戸大学の国際保健学を研究している人が教えてくれたという疫学や公衆衛生学にもとづくスクリーニング検査の条件である。
1.目的とする疾患が重要な健康問題である。
2.早期に発見を行なった場合に、適切な治療法がある(治療法がないと「負のラベリング効果」になるため、スクリーニングはしない)。
3.陽性者の確定診断の手段、施設がある。
4.目的とする疾病に潜伏期あるいは無症状期がある。
5.目的とする疾病に対する適切なスクリーニング検査法がある。
6.検査方法が集団に対して適用可能で受け入れやすい。
7.目的とする疾病の自然史がわかっている。
8.患者として扱われるべき人についての政策的合意が存在する。
9.スクリーニング事業全体としての費用ー便益が成立する。
10.患者検出は継続して行なわれる定期検査にすべきで、「全員を一度だけ」対象とする計画ではいけない。(p.242-243)
なぜこの条件を全部ここに掲載したのかは、見てもらったら一目瞭然だろう。スクリーニング検査とは、色覚異常のようなもののためにあるのではなくて、今世界を脅かしている新型コロナにこそ適用されるべきだ。コロナのPCR検査が上の条件にぴったり当てはまることが、誰の目にも明らかだろう。
ところがニセ専門家連中の、根拠もない、日本でしか通用しないような検査抑制論(偽陽性率が高いだの、偽陰性率が高いだのといった)によって、広範囲の社会的PCR検査がいまだに行なわれていない。
逆に、検査数を抑制することによって、新規感染者数を減らして、あたかもコロナが抑制されたかのような印象を作り出し、そしてそれを根拠にオリンピックは可能ですよという世論を作るための政治利用に使われているのが、日本の現状なのだ。まさに嘘の戦果を新聞に掲載させて、戦意を高揚させたり、戦争継続を合理化しようとした戦時中の大本営発表と同じだ。
かなり専門的なことも書いてある本なので、最初から最後までしっかり理解しながら読むことは難しいから、適当に飛ばして読むほうがいい。ただ、将来就職する時に不利益になる(って、企業や職業分野が一方的に昔のままに門戸を閉ざしていること自体も今後は問題とされるべきだ)からという理由で、しかもごく一部の人だけが遭遇するような問題のためにすべての子どもを前世紀のままのやり方でスクリーニング検査することの危険性、悪弊への警鐘を鳴らした本として、とても意義深いと思う。
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