ミシュレ『フランス史V(18世紀ヴェルサイユの時代)』(藤原書店、2011年)
歴史の記述というのは、フランス語では単純過去形といって、事実が自らをそのまま語っているかのような「客観的」な叙述の形式がある。ミシュレの『フランス史』はまさにその対極にあるような、語り手の個性むき出しの叙述だ。
こういう叙述が好きな人には大いに受けるのだろうが、客観的な記述を好む私としては、なんとも読みにくいことこの上ない。とは言ってもこの時期を扱った日本語の本があまりないので、大雑把な感じにせよ、概略をつかみたいと思って、読んでみたのだが、意外と面白かった。
ただ登場人物が多すぎて(もちろん翻訳なので、適宜注の形で簡単な説明が付いているとはいえ)、訳がわからない。ダルジャンソンなんて、親のダルジャンソンから、けっこう悪い長男のダルジャンソンから、わりと良い奴の次男のダルジャンソンまで三人も登場してくる。
ローのシステム崩壊の過程について、そこはやはりたぶん素人だし、19世紀の本だから、現在の研究の到達ということから見たら、不十分な記述が多い。
私が知りたいのは時代の雰囲気のようなものだが、それはなんだかつかめたような気がする。
それにしても、いったい誰がこんな本を読むんだろう。
歴史の記述というのは、フランス語では単純過去形といって、事実が自らをそのまま語っているかのような「客観的」な叙述の形式がある。ミシュレの『フランス史』はまさにその対極にあるような、語り手の個性むき出しの叙述だ。
こういう叙述が好きな人には大いに受けるのだろうが、客観的な記述を好む私としては、なんとも読みにくいことこの上ない。とは言ってもこの時期を扱った日本語の本があまりないので、大雑把な感じにせよ、概略をつかみたいと思って、読んでみたのだが、意外と面白かった。
ただ登場人物が多すぎて(もちろん翻訳なので、適宜注の形で簡単な説明が付いているとはいえ)、訳がわからない。ダルジャンソンなんて、親のダルジャンソンから、けっこう悪い長男のダルジャンソンから、わりと良い奴の次男のダルジャンソンまで三人も登場してくる。
ローのシステム崩壊の過程について、そこはやはりたぶん素人だし、19世紀の本だから、現在の研究の到達ということから見たら、不十分な記述が多い。
私が知りたいのは時代の雰囲気のようなものだが、それはなんだかつかめたような気がする。
それにしても、いったい誰がこんな本を読むんだろう。