小林千草『「明暗」夫婦の言語力学』(東海教育出版会、2012年)
夏目漱石の最後の小説『明暗』は、それまでの漱石の小説と違って、女性も含めて一人一人の登場人物が自立しており、一種の対話劇のようになっている。その対話を語り手が解説を加えて、発話の意図だとか、対話の結果として対話者に生じた外面的な変化の意味だとか、心に生じた内的な変化の意味などをあれこれ説明してくれたり、あるいは読者に読解を投げかけてみたりしながら、進行する。したがってたんに演劇的な対話劇というだけではなくて、非常に高度な心理小説にもなっている。
この本は、このように、すでに語り手が登場人物たちの対話劇にあれこれ解説を加えて、読者の理解を一定の方向に誘導しているにもかかわらず、さらにその誘導の仕方さえも解釈の対象として、登場人物の対話をどんなふうに理解して行ったらいいのかを解説したものとなっている。もちろん、100年以上も前の小説であるだけに、現代とは違う言葉の使い方が頻繁に出てくるということもあるし、女性が使う「…わ」や「…よ」などが、たんに女性言葉の指標というだけではなくて、当時ははっきりした意志を表現するものであったことなど、この本を読んで初めて知ることもある。
タイトルを見ただけだと論文集のようなものなのかなと思っていたのだが、『明暗』を最初から最後まで対話のまとまりごとに区切って順番に解説を加えていくという手法をとっており、読み始めた当初はただ小説の後追いしているだけのように思えて、「なにこれ?小説の字面を追っているだけじゃん」とがっかりしたのだが、ずっと読んでいるうちに、かなり高度な解説本だなと考えを改めるようになってきた。これを読んだら、漱石の『明暗』を読んだ気になる。それだけではない。『明暗』って漱石の最高傑作ではないかと思うようにさえなってきた。今度は水村美苗の『続明暗』を読んでみようと思っている。
『明暗』についての私の感想はこちら
夏目漱石の最後の小説『明暗』は、それまでの漱石の小説と違って、女性も含めて一人一人の登場人物が自立しており、一種の対話劇のようになっている。その対話を語り手が解説を加えて、発話の意図だとか、対話の結果として対話者に生じた外面的な変化の意味だとか、心に生じた内的な変化の意味などをあれこれ説明してくれたり、あるいは読者に読解を投げかけてみたりしながら、進行する。したがってたんに演劇的な対話劇というだけではなくて、非常に高度な心理小説にもなっている。
この本は、このように、すでに語り手が登場人物たちの対話劇にあれこれ解説を加えて、読者の理解を一定の方向に誘導しているにもかかわらず、さらにその誘導の仕方さえも解釈の対象として、登場人物の対話をどんなふうに理解して行ったらいいのかを解説したものとなっている。もちろん、100年以上も前の小説であるだけに、現代とは違う言葉の使い方が頻繁に出てくるということもあるし、女性が使う「…わ」や「…よ」などが、たんに女性言葉の指標というだけではなくて、当時ははっきりした意志を表現するものであったことなど、この本を読んで初めて知ることもある。
タイトルを見ただけだと論文集のようなものなのかなと思っていたのだが、『明暗』を最初から最後まで対話のまとまりごとに区切って順番に解説を加えていくという手法をとっており、読み始めた当初はただ小説の後追いしているだけのように思えて、「なにこれ?小説の字面を追っているだけじゃん」とがっかりしたのだが、ずっと読んでいるうちに、かなり高度な解説本だなと考えを改めるようになってきた。これを読んだら、漱石の『明暗』を読んだ気になる。それだけではない。『明暗』って漱石の最高傑作ではないかと思うようにさえなってきた。今度は水村美苗の『続明暗』を読んでみようと思っている。
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