高楼方子『ゆゆのつづき』(理論社、2019年)
うちのトイレにカミさんが読みかけの雑誌を置いていて、トイレのときにたまたま手にとって見たところにこの本の書評があった。
新型コロナの影響で、図書館で本を借りれない状況がなかったら、決して読むことがなかった本だ。だって、わざわざ古書のサイトでこれを見つけて買うなんて、普通ならありえないことだから。
57歳の由由(ゆゆ)は翻訳家をしている。たぶん住んでいるのは函館だろう。坂の上の家から海が見える。市電がある。龍彦さんは暑い東京を避けてやってきてひと夏を過ごすことになる、というのだから。町の風景の描写がなかなか素敵だ。
私も函館には二回ほど行ったことがあるがいいところだと思う。この函館を舞台に、由由が11歳の時の夏休みに経験したことを思い出し、その時に一度だけ会った「たつひこ」さんとの思い出を、46年後の夏に「龍彦」さんに「再会」して、当時の自分の恋心を生き直すという話である。
やはり少年と少女の違いなんだろうか。あるいは単に私の感性がにぶいだけのことなのだろうか。私にも少年時代のいろんな思い出がある。今から思い出しても不思議な気持ちになる思い出とか、あの頃に帰りたくなるような思い出とか。11歳といえば、小学校の4年生か5年生だろうか。でもこんな風にその続きを生き直してみたいというような思い出ではない。
それにしてもデュラス(フランス人女性作家)といい、ランパル(フランス人フルーティスト)といい、似たような時代を生きてきた同世代の人だということはわかる。
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うちのトイレにカミさんが読みかけの雑誌を置いていて、トイレのときにたまたま手にとって見たところにこの本の書評があった。
新型コロナの影響で、図書館で本を借りれない状況がなかったら、決して読むことがなかった本だ。だって、わざわざ古書のサイトでこれを見つけて買うなんて、普通ならありえないことだから。
57歳の由由(ゆゆ)は翻訳家をしている。たぶん住んでいるのは函館だろう。坂の上の家から海が見える。市電がある。龍彦さんは暑い東京を避けてやってきてひと夏を過ごすことになる、というのだから。町の風景の描写がなかなか素敵だ。
私も函館には二回ほど行ったことがあるがいいところだと思う。この函館を舞台に、由由が11歳の時の夏休みに経験したことを思い出し、その時に一度だけ会った「たつひこ」さんとの思い出を、46年後の夏に「龍彦」さんに「再会」して、当時の自分の恋心を生き直すという話である。
やはり少年と少女の違いなんだろうか。あるいは単に私の感性がにぶいだけのことなのだろうか。私にも少年時代のいろんな思い出がある。今から思い出しても不思議な気持ちになる思い出とか、あの頃に帰りたくなるような思い出とか。11歳といえば、小学校の4年生か5年生だろうか。でもこんな風にその続きを生き直してみたいというような思い出ではない。
それにしてもデュラス(フランス人女性作家)といい、ランパル(フランス人フルーティスト)といい、似たような時代を生きてきた同世代の人だということはわかる。
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