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読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『JR上野駅公園口』

2021年01月11日 | 作家ラ行
柳美里『JR上野駅公園口』(2014年、河出書房新社)

柳美里の小説は芥川賞を受賞した『家族シネマ』を読んだかなという曖昧な記憶しかないような具合で、在日の作家ということくらいしか知らない。全米図書賞を受賞したということで、何度か新聞紙上で見たこともあり、JR上野駅公園口というタイトルに興味を惹かれて、図書館に予約申し込みをしようとしたら、これまた300近い予約数で、とても今年中には読めそうにないとわかり、私としては珍しく、購入して読んだ。

福島県の八沢村に1933年に平成天皇と同じ年に生まれた「私」。12歳で終戦を迎え、家が貧しくて父親とともに働き、結婚してからも家に両親と嫁を残して東京に働きにでかけた。

浩宮(現天皇)が生まれたのと同じ日に生まれた息子の浩一を、21歳のときに原因不明の突然死によって失す。そして両親が天寿をまっとうしたあと、年金ももらえるような年齢になってやっと一緒に住めるようになっていた妻も朝に目を覚ましたら、となりで冷たくなっていたというようにして亡くした。

その後、老人の一人住まいを心配した21歳の孫娘が同居してくれていたが、老人のために若い娘を縛ることはできないと思い、出奔して、上野駅公園口付近でホームレスとなり、その孫娘も2011年の三陸沖地震の津波で亡くしてしまう。

平成天皇と同じ年に生まれ、その息子の令和天皇と同じ日に息子の誕生を迎え、東京オリンピックの前年に東京に出稼ぎにでかけ、2011年の三陸沖地震で孫娘を津波で亡くすという、昭和から平成へと移り変わる日本の「典型的な」人物を造形して、底辺に置かれた日本人の哀しみを描いている。

年老いて福島の家に住むようになっていた「私」が同居してくれる孫娘のことを案じて、出奔してしまうという展開を読んだときには、作りに無理があると私は思った。

なぜならどうして21歳の孫娘を縛り付けてはいけないなどと考えるのか、その必然性が見えてこないからだ。この孫娘もいずれ好きな人でもできて結婚するということになれば、離れて暮らすことになる。普通ならそういう展開になるだろう。そういうことになればそれを受け入れればいいだけのことで、なにも出奔してホームレスになることはない。つまりホームレスになるという展開に無理があると思えたのだ。

だが、福島の相馬とか双葉町とかいう地名が何度もでてくることからうすうす感じていたが、2011年にはそんな展開も地震と津波によって、そしてここには描かれていないのだが、福島原発事故によって、結局は同じことになってしまうのだ。

とくに津波と福島原発事故によって、この主人公と同じように、人生を失った人々がどれだけいることか。この小説を読んで感じられるのは、そういう人々の哀しみだ。

そして「私」を平成天皇と同い年にすることで、天皇っていったい何なのだ?あなた方はこんな国民の犠牲の上に、よくもまあ、平穏な暮らしをしていられるんだね、と思わないで読むには、そうとう鈍感でいなければならないだろう。これは天皇へのタブーをもたない在日の作家ならではのものだろう。

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『危険な関係』

2014年05月16日 | 作家ラ行
ラクロ『危険な関係』(白水社、2014年)

今やルソー研究者として飛ぶ鳥を落とす勢いの桑瀬章二郎による新訳の『危険な関係』を読んだ。私があれこれ書くよりも、アマゾンの紹介をそのまま載せたほうが、読んでみようという気にさせると思う。でもそれではさすがに、読書ブログと称しているのに、あまりの体たらくということになろう。

私にはあまりに人間関係がややこしくて、最後まで誰が誰なのか、つまり登場人物の特徴をうまくつかめないまま終わってしまった。「あんたバカじゃないの」と思われるかもしれない。

それにしてもこれを読んで思うことは、上流社会の人間関係というのは18世紀、つまり革命前のフランスでは、パワーゲームというのにふさわしいものだったということ。たとえば、ヴァルモンはセシルをまるでレイプすることから始めている。セシルの寝室に忍び込み、騒いだり、母親に真実を語ったりしたら、お前の身の破滅だと言って、レイプすんだから、すごい。

それにメルトゥイユ侯爵夫人も、プレヴァンというリヴェルタンをまんまと誘惑しておいて、いざプレヴァンが自分の寝室に入ってきたところで、騒いで、使用人達を呼び集め、叩きださせ、社交界ではその事実を触れさせて、追放してしまうのだから、なんともはや。開いた口がふさがらないとはこのこと。

それにしても、ラクロがこんなパワーゲームの書簡体小説を書くにあたって、参考にしたのが、ルソーの『新エロイーズ』だというのだから、ルソーも真っ青だろう。この小説が出された頃にはルソーはもう冥府の人となっていたから、知る由もないだろうが。現代の読者には想像もつかないかもしれないが、ルソーの時代、あるいはその少し後には、こんなふうなパワーゲームの一種として『新エロイーズ』も読まれていたのかもしれない。

たしかに読みようによっては、『新エロイーズ』も庶民が貴族の令嬢を手篭めにして、妊娠させるというような話なんだから、そんなふうに読まれていたと考えてもおかしくはない。それに『危険な関係』は、セシルという貴族の令嬢をレイプするのは少なくとも貴族(子爵)なわけで、この点でも『新エロイーズ』に比べたら、衝撃度は少ないと言えなくもない。

以下は、アマゾンに載っていた紹介文である。

革命前夜のパリ。華麗なる上流社交界で繰り広げられる、愛と性のパワーゲーム。復讐・策略・誘惑……貴族社会の悪徳と頽廃を、息詰まる緊張感で描いた書簡体小説の金字塔。

誘惑、凌辱、そして恋……革命前夜のフランス上流社交界を舞台に繰り広げられる、誘惑者と恋する者の心理戦。「征服すること」を自らの使命とした男女二人の誘惑者のパワーゲーム。快楽か情熱か、攻略かそれとも破滅か?

巧妙な策略でありとあらゆる男性、女性を意のままに操り、社交界での名声を確固たるものとしているメルトゥイユ侯爵夫人は、自分を棄てた某伯爵への復讐のため、その元「愛人」との結婚が予定されている少女セシルをかつての「同志」ヴァルモン子爵に誘惑させようとする。一方、危険な放蕩者として恐れられているヴァルモンは、貞潔で信心深い貴婦人トゥールヴェル法院長夫人を征服しようと画策している。

「魅了し、攻略し、棄て去る」。この残忍でどこまでも冷酷な誘惑のゲームはいつしか命をかけた真の闘争へと転じ、虚栄と矜持、企みと計算によって複雑に絡み合った彼らの運命はやがて悲劇的結末へと向かっていく――貴族社会の悪徳と頽廃を、一七五通の手紙からなる卓越した心理描写によって描き上げたフランス恋愛小説の不朽の名作が、気鋭の仏文学者の瑞々しい訳文によって四〇年ぶりに甦る。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

2008年12月10日 | 作家ラ行
リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社、2005年)

私のいつもの癖で、みんながいいという本は読まないようにしてきた。そのような一冊だった。図書館の返却コーナーにあった、ということはほとぼりが冷めてきたのだろう。たしかに面白い。これならよく売れるはずだ。下手するといやなマザコンの小説ってことにもなりかねない内容なのに、オカンがいい。この人のおかげでマザコンではなく、普遍的な母性愛を描いた小説になったのだと、一人で納得。

この小説、普通なら、自分の半生を綴ったものとして、前半で終わりだろう。前半部分もそれなりに面白かったが、これはまぁよくある素人の自伝と同じで、前半の面白さは少年時代から大人へとなっていく男の面白さであって、どんな人の話を聞いても、それはそれなりに面白いものだ。

そして30歳で東京に母親を迎えて同居するところから後半が始まるのだが、まだなんか書くことあるのかなと思いつつ読んだ。私も一人で暮らしている老母を大阪に迎えて一緒に住むべきかどうか思い悩むときもあるが、たいていその決定を先延ばししている理由は、まぁ本人がまだ一人でやっていけると言っていることもあるが、大阪に出てきて友達もなく、あまり人付き合いもうまいほうではないのに、面白くないだろう、ただ死ぬのを待っているだけになってしまう、それよりはまだ友人のいるふるさとのほうがいいだろう、という判断だ。だからこの小説で63歳の母親を東京に迎えるという後半になって、なにかまだ書くことがあるのだろうかと思ったのだが、まったく私の間違いだった。

いやー、このオカンがいい。63歳とはいえ、自分で積極的に出かけて、買い物もするし、知り合いも作るし、老人会に入ってサークルにも出かけるし、なによりも息子のお世話になっている人にお礼と言って、食事をふるまい、親しくなってしまう。すごいキャラクターだなと感心した。最後には息子ではなく自分が若い人たちの中心になってしまうのだから。たしかに「オカンとボク...」のはずだ。オカンが主人公の小説と言ってもいい。

そしてガンによる壮絶な死。主人公は激痛に苦しむオカンをよく最後まで看取ってあげたなと感心する。たいていなら逃げ出したくなるだろう。それが息子のために生きてきたオカンへの息子の唯一の恩返しだったのだろう。

オダギリジョーと樹木希林で映画にもなった。読む前から知っていたので(観ていないが)、小説を読みながら、オカンは完全に樹木希林になっていた。オダギリジョーはかっこよすぎるが、こんなオカンならたしかに樹木希林がピッタリだな。どんな映画だったのだろうか。

「モーツァルトのドン・ジョヴァンニ」

2008年07月02日 | 作家ラ行
アンソニー・ルーデル『モーツァルトのドン・ジョヴァンニ』(田中樹里訳、角川書店、2003年)

1787年、プラハのオペラ・ハウスの依頼で「ドン・ジョヴァンニ」を作曲して初演することになっていたモーツァルトはプラハまでコンスタンツェを同伴して滞在し、曲を完成させるまでの数週間を小説化したもの。作者は父親にユリウス・ルーデルというオペラ指揮者をもつ人で、自身はクラシック番組のプロデュースをしたり、文化施設の監修役を勤めるなど、音楽家ではないが音楽に詳しい。

もちろん小説化とはいえ、モーツァルトの日記だとかその他の登場人物(カサノヴァやサド)などの書いたものを丹念に調べた上での台詞だから、まったく信憑性のない作り物というわけではない。

オペラの製作というものが作曲家一人の仕事であるはずはないが、こうやって詩人のダ・ポンテとのやり取りを見ていると、随所で作曲家が詩の内容をよく読みこんで音楽を作ろうとしていること、したがって場合によっては詩の書き直しを要求することが多々あったであろうことがリアルに分かる。とくにモーツァルトはそうだったらしいから興味深い。通常、メタスタージオのような何人もの作曲家が同一の詩に曲をつけているような場合にはこういうことは起きないだろうが、モーツァルトとダ・ポンテのコンビは他にもオペラを作っているので、こうした共同作業が可能だったのだろう。それに、私はダ・ポンテという詩人がどういう人物だったのかまったく知らなかったので興味深かった。

とくにエッと思ったのは、稀代のエロゴトシであるカサノヴァが「ドン・ジョヴァンニ」の作りに関わったということだ。カタログの歌を当初はドン・ジョヴァンニが歌う予定だったのに、貴族がそんなことをするはずがないというリアリティに対する配慮からカサノヴァの助言に従ってレポレロの歌になったなんてのは本当なのだろうか?たださもありなんという話に作られているから、この小説では信憑性のあるように書かれている。

ただ残念だったのは「ドン・ジョヴァンニ」の内容にたいするモーツァルトの思い入れが今ひとつ見えてこなかったことだ。もちろん詩はダ・ポンテが書いたにしても、ドン・ファンという有名な人物をオペラの主題にしようということからモーツァルトは関わっていたはずで、父親の死とかコンスタンツェとのすれ違いとかがなにかこのオペラとの関係で描かれてはいるが、それらがどのようにこのオペラの特徴に陰影を作り出したのか、あるいはこのオペラの方向性を決めたのはなにだったのかというようなところまで描きこんであると、面白かったのだが。

じつは今週の金曜日には大阪音大のカレッジオペラハウスに「ドン・ジョヴァンニ」をみにいく。それでちょうどグッドタイミングでこの小説を見つけたので、読んでみたわけだ。楽しみだ。


「星条旗の聞こえない部屋」

2008年03月22日 | 作家ラ行
リービ英雄『星条旗の聞こえない部屋』(講談社、1992年)

この小説の時代は1968年あたり。つまり現実に私が生きた時代から言えば、大学に入るために大阪に出てくる数年前の時代。主人公のベン・アイザックという、日本のメリカ領事館に勤める父親を持つアメリカ人の視点から書かれているが、ベンに向ける日本人たちのまなざしや態度はまるで黒船がやってきて日本の体制をひっくり返してしまった直後のような雰囲気である。

ベンが日本語を話しかけようとするのに日本人のほうが聞く耳をもたず、ベンの普通の日本語を訳の分からない外国語のように理解しようとしてくれないために、ベンの言葉は吃音者の話す第一音のように、滑らかに日本人の耳に入っていかないというエピソードがその時代の雰囲気をよく表している。

そんな時代に私は高校時代をすごしていたのだろうか、こんな時代のすぐ後の時代に私は大学生活を大阪で過ごしていたのだろうか?と不思議に思う。自分の体験でいえば、もちろんその頃はパソコンもなければ携帯もなかったが、今の時代とさほど変わっているようには思えない。高度経済成長を終えて、多少の混乱はあったにしても(たとえばオイルショックとか浅間山荘事件とか)、確実に戦後から新しい日本が見えてきた時代だったように思っていたが、この小説が描き出す同時代はまるで明治時代のように古びている。

それともほんの数年で日本は劇的に変わったとでも言うのだろうか?たしかにベンが「しんじゅく」で働き出した時代の数年後には大阪で万博が行われ、日本国内の人間の交通が新しい時代を迎えた。新幹線は岡山まで伸び、特急網が張り巡らされ、高速道路もあちこちで伸延し、車をもっているなんていうのは当たり前のようになっていた。大学進学率は驚異的に伸びて、その需要に大学そのものがついていけずに、マスプロ授業などと言われるほどの混乱振りだった。それが学生たちの不満を増長させ、あちこちでヘルメット学生たちがあばれたりした。学生たちもアルバイトをして小金をためて旅行したり、好きなものを買ったり、独り立ちして一人住まいをするものをあった。

それに比べると、世界に開かれた未来の日本のために一生懸命外国語すなわち英語をものにしようとしているこの小説の学生たちは、まだ戦後世代なのだろうかと思ってしまう。ほんの数年の違いなのに。ということは1970年というのがやはり時代の分岐点だったのだろうか?それとも西洋人のなかではユダヤ人として特別な目で見られ、日本にいてはガイジンとして特別な目で見られるという二重に屈折したこの作者の特殊な視点が見せる特別な日本の姿なのだろうか、といぶかしく思ってしまう。

タイトルも意味深だ。「星条旗」は普通は視覚的なものだから「見えない」ものだが、「聞こえない」という動詞を使うことで、聴覚的に換喩している。そしてこの「部屋」とはどこだろうか。領事館にあるベンの部屋のことか、それとも彼が家出をして入り込んだ安藤の「部屋」だろうか。

「海からの贈物」

2008年02月02日 | 作家ラ行
アン・リンドバーグ『海からの贈物』(吉田健一訳、新潮文庫)

佐々木千賀子さんの「立花隆秘書日記」のなかの非常に詩的で詩情豊かな最初の章で触れられていたので読んでみた。彼女の第一章はどうもこのリンドバーグの随想に影響されてその文体などを真似て書いたもののように思われる。だからといって彼女の文章の価値が減るわけではなく、そのみずみずしい文章のすばらしさは一向に変わらないのだが。

あとがきで訳者の吉田健一も触れているように、このエッセーには著者のアン・リンドバーグの華々しい活躍を思わせるようなものは一切ない。まさに戦後の近代化・機械化が急激に進むアメリカ社会に生きる、清教徒的な価値観をもった女性(主婦、母親、妻)が、真の意味での自立ということを果たすためにはなにが必要かということについて、自問自答し、海辺の別荘での短い滞在の間に書きとめたこと、という体裁で出来上がっている。

作者がだれで、どんな人で、などというような意味のない事柄に拘泥しなければ、しないほうが、このエッセーの価値をよりよく味わうことができるように思う。著者がここで繰り返し述べている女性の自立ということがきっとこの時代には問題になりつつあったのだろう。あるいはそうした時代風潮のさきがけであったのかもしれない。

女性が自分の時間を、たとえ一日に一時間でもいいから、もつということの重要性、夫婦二人きりになって互いを見詰め合う(精神的な意味で)時間をもつことの重要性、それは日々の複雑に絡み合った人間関係や煩瑣な家事・子育てから切り離された空間と時間に自分をおいて、簡素な空間と人間関係の中で、自分の時間をもつことが、女性の精神的リフレッシュという意味だけでも重要であることを繰り返し述べている。

そういう社会的には無為の時間を著者は浜辺に打ち寄せる波の、一時として同じではいない状態、寄せては返すの繰り返しの無為さでもって象徴的に表現しているように思われる。寄せては返す海を前にした人間のくつろいだ状態、だんだんと心が真空状態のようになっていく状態を、ルソーは「孤独な散歩者の夢想」のなかで書いていなかっただろうか。

空間があればこそものはその中で意味をもつ、なんて本当に意味深な文章があったり、何もなくても人間は生きることができるという逆説。

40歳や50歳から始まる中年に感じるさまざまな感情を人は老いにたいする焦りのように解釈するが、そうではなくて人生の後半生の始まりを前にした人間の新しいものの感じ方の始まりであって、それは青春の感じ方に類似したものであると述べた文章に、私はいたく感心した。そうだ、50歳というのは人生の新しい始まりだと私も励まされた。リンドバーグの生まれた年が1906年だからこのエッセーが出版された55年には彼女は49歳だったわけで、ちょうど今の私と同じくらいなのだ。やはり同じことを彼女も感じて自分を励ましていたのだなと思うと、なんだかうれしい気持ちになってくる。

そしてとりわけ私が気に入ったのは、これも彼女がこのエッセーの中で何度か触れていることだが、彼女は午前中は頭を使う仕事、午後は体を使った力仕事や手仕事、夜は議論というかおしゃべりに向いていると述べているところだ。そうなんだ、私も頭がクリアで、そういった仕事がうまく進むのは午前中だけで、昼からはぼけてしまうのだが、それでもしなければならないと思うので、無理やりやろうと思うのだが、効率が非常に悪い。そうなんだ、無理にすることはないのだ、自分の生理にあった生活の仕方をすればいいのだということに思い当たった。こんな短いエッセーから、いろんな教訓を得ることができたのは望外のことだった。