柳美里『JR上野駅公園口』(2014年、河出書房新社)

柳美里の小説は芥川賞を受賞した『家族シネマ』を読んだかなという曖昧な記憶しかないような具合で、在日の作家ということくらいしか知らない。全米図書賞を受賞したということで、何度か新聞紙上で見たこともあり、JR上野駅公園口というタイトルに興味を惹かれて、図書館に予約申し込みをしようとしたら、これまた300近い予約数で、とても今年中には読めそうにないとわかり、私としては珍しく、購入して読んだ。
福島県の八沢村に1933年に平成天皇と同じ年に生まれた「私」。12歳で終戦を迎え、家が貧しくて父親とともに働き、結婚してからも家に両親と嫁を残して東京に働きにでかけた。
浩宮(現天皇)が生まれたのと同じ日に生まれた息子の浩一を、21歳のときに原因不明の突然死によって失す。そして両親が天寿をまっとうしたあと、年金ももらえるような年齢になってやっと一緒に住めるようになっていた妻も朝に目を覚ましたら、となりで冷たくなっていたというようにして亡くした。
その後、老人の一人住まいを心配した21歳の孫娘が同居してくれていたが、老人のために若い娘を縛ることはできないと思い、出奔して、上野駅公園口付近でホームレスとなり、その孫娘も2011年の三陸沖地震の津波で亡くしてしまう。
平成天皇と同じ年に生まれ、その息子の令和天皇と同じ日に息子の誕生を迎え、東京オリンピックの前年に東京に出稼ぎにでかけ、2011年の三陸沖地震で孫娘を津波で亡くすという、昭和から平成へと移り変わる日本の「典型的な」人物を造形して、底辺に置かれた日本人の哀しみを描いている。
年老いて福島の家に住むようになっていた「私」が同居してくれる孫娘のことを案じて、出奔してしまうという展開を読んだときには、作りに無理があると私は思った。
なぜならどうして21歳の孫娘を縛り付けてはいけないなどと考えるのか、その必然性が見えてこないからだ。この孫娘もいずれ好きな人でもできて結婚するということになれば、離れて暮らすことになる。普通ならそういう展開になるだろう。そういうことになればそれを受け入れればいいだけのことで、なにも出奔してホームレスになることはない。つまりホームレスになるという展開に無理があると思えたのだ。
だが、福島の相馬とか双葉町とかいう地名が何度もでてくることからうすうす感じていたが、2011年にはそんな展開も地震と津波によって、そしてここには描かれていないのだが、福島原発事故によって、結局は同じことになってしまうのだ。
とくに津波と福島原発事故によって、この主人公と同じように、人生を失った人々がどれだけいることか。この小説を読んで感じられるのは、そういう人々の哀しみだ。
そして「私」を平成天皇と同い年にすることで、天皇っていったい何なのだ?あなた方はこんな国民の犠牲の上に、よくもまあ、平穏な暮らしをしていられるんだね、と思わないで読むには、そうとう鈍感でいなければならないだろう。これは天皇へのタブーをもたない在日の作家ならではのものだろう。
『JR上野駅公園口』 (河出文庫)へはこちらをクリック
福島県の八沢村に1933年に平成天皇と同じ年に生まれた「私」。12歳で終戦を迎え、家が貧しくて父親とともに働き、結婚してからも家に両親と嫁を残して東京に働きにでかけた。
浩宮(現天皇)が生まれたのと同じ日に生まれた息子の浩一を、21歳のときに原因不明の突然死によって失す。そして両親が天寿をまっとうしたあと、年金ももらえるような年齢になってやっと一緒に住めるようになっていた妻も朝に目を覚ましたら、となりで冷たくなっていたというようにして亡くした。
その後、老人の一人住まいを心配した21歳の孫娘が同居してくれていたが、老人のために若い娘を縛ることはできないと思い、出奔して、上野駅公園口付近でホームレスとなり、その孫娘も2011年の三陸沖地震の津波で亡くしてしまう。
平成天皇と同じ年に生まれ、その息子の令和天皇と同じ日に息子の誕生を迎え、東京オリンピックの前年に東京に出稼ぎにでかけ、2011年の三陸沖地震で孫娘を津波で亡くすという、昭和から平成へと移り変わる日本の「典型的な」人物を造形して、底辺に置かれた日本人の哀しみを描いている。
年老いて福島の家に住むようになっていた「私」が同居してくれる孫娘のことを案じて、出奔してしまうという展開を読んだときには、作りに無理があると私は思った。
なぜならどうして21歳の孫娘を縛り付けてはいけないなどと考えるのか、その必然性が見えてこないからだ。この孫娘もいずれ好きな人でもできて結婚するということになれば、離れて暮らすことになる。普通ならそういう展開になるだろう。そういうことになればそれを受け入れればいいだけのことで、なにも出奔してホームレスになることはない。つまりホームレスになるという展開に無理があると思えたのだ。
だが、福島の相馬とか双葉町とかいう地名が何度もでてくることからうすうす感じていたが、2011年にはそんな展開も地震と津波によって、そしてここには描かれていないのだが、福島原発事故によって、結局は同じことになってしまうのだ。
とくに津波と福島原発事故によって、この主人公と同じように、人生を失った人々がどれだけいることか。この小説を読んで感じられるのは、そういう人々の哀しみだ。
そして「私」を平成天皇と同い年にすることで、天皇っていったい何なのだ?あなた方はこんな国民の犠牲の上に、よくもまあ、平穏な暮らしをしていられるんだね、と思わないで読むには、そうとう鈍感でいなければならないだろう。これは天皇へのタブーをもたない在日の作家ならではのものだろう。
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