読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「源氏物語巻一」

2008年04月30日 | 作家マ行
紫式部『源氏物語(巻一)』(瀬戸内寂聴訳、講談社、1996年)

今年は「源氏物語」出版から1000年の記念の年らしい。世界に誇る日本文学の一つであるわけだし、一度は読んでおいてもいいと思っていた矢先、図書館の返却棚にあったので、これが潮時だろうと思って、借りてきた。巻十まであるので、まぁ全部読み通すことができなくてもいいかなという程度の気持ちで読まないと続かない。

巻一には光源氏出生のいきさつを記した桐壺、帚木、空蝉、夕顔、若紫が収録されている。光源氏17歳から18歳にかけての女性遍歴ということになるのだが、まず平安時代の結婚制度というのがよく分からないので、なぜこうも女を求めて日々暮らしているのか、光源氏が浮気性なのか、それとも位の高い男性は平安時代にはこういうものだったのか、またそれをやすやすと受け入れる女の側もこういうものだったのかどうかがよく分からないので、尻の軽い女たちだと一刀両断にするわけにもいかず、いったい何なんだろうと思い悩む。

まず光源氏はこのときすでに左大臣の娘、葵の上と結婚している。若紫には光源氏がその妻と夜を過ごそうと左大臣邸に行くが、その妻がどうも光源氏と折り合いが悪く、なかなか光源氏の前に姿を見せないとか、夜を過ごすにも打ち解けず、早々に光源氏が帰ってしまうというような場面が描かれている。たしか平安時代には結婚しても夫婦が同居生活をするのではなく、通い婚とか言って、夫婦別居が普通で、夜を過ごしに夫が妻の家に通うというような話を読んだことが記憶の片隅にある。はたしてこれがそうなのだろうか。(註1)

それならそれはそれでいいとしても、光源氏の女に対する対し方は、とても品があるとは思えない。空蝉で描かれる、伊予の介の妻との関係はほとんどレイプである。訳者の寂聴の解説でも「一度は心ならずも源氏に犯されたが」とはっきりとレイプであることを認めている。そして若紫なんかは幼女誘拐である。そしてこれはさらっとしか描かれていないが、帝つまり天皇の妻(しかも源氏の義理の母)である藤壺を妊娠させてしまうのだから、おいおい、こんなことがしょっぱなから描かれている文学を日本の誇る作品なんて世界に自慢できるのかよと思ってしまう。

もちろん世の倫理に反する恋愛はご法度などとばかなことを言うつもりはない。文学ではなんでもありが当たり前だ。ただ恋愛ものにせよ、その必然性がきちんと描きこまれていないければ、読者を納得させることができない。不倫には不倫なりの必然性が描きこまれてしかるべきなのだが、どうも平安時代の倫理は現代のそれとはそうとう違うのか、ただひたすら一目ぼれをした相手をどうにかして手に入れたいという、それだけの性衝動に突き動かされているようにしか見えない。

この点は、訳者の寂聴は、帚木で語り手がこれから書くものは源氏の情事の話につきること、また夕顔では、源氏の恋愛嗜好が「成立しがたい恋、無理な恋、邪魔のある恋、許されぬ恋」にのみ情熱をかきたてられ、「据え膳には全く興味を示さない」と説明している。

かつてギリシャ悲劇ではオイディプスをはじめとして実の母親と婚姻関係になるというような話が題材となることはある。しかしそれには抗いがたい運命の悲劇という主題があったのだが、はたして源氏物語にそのような悲劇の主題の一つとして藤壺との関係は描かれているのだろうか。また上のような恋愛遍歴ということで言えば、ドンファン伝説が有名だろう。

まぁまだ巻一を読んだだけのことで、なんか判断を下すのは早計なような気もするのでやめておくが、こんな調子で女性遍歴を読んでいくのかと思うと、ちょっと読む気力が落ちる。

(註1)通い婚については、インターネットでちょっと調べただけで、「源氏物語」に描かれているように、という説明が頻出していることが分かる。つまり、平安時代の通い婚の実態を「源氏物語」ほど明確に描き出しているものはないということなのだろう。また逆に言うと「源氏物語」をできるだけ当時の実態に即して読むためには、通い婚などの風習のことを予備知識としてもっていることが必要になる。このあたりのことについては、「恋愛科学研究所」とかいう変なサイトで詳しく紹介している。

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「<民主>と<愛国>」

2008年04月26日 | 人文科学系
小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社、2002年)

やっと読み終えた。本を借り出したのが3月25日だったから、まるまる1ヶ月かかった。もちろん毎日読んでいたわけではない。あいだに10日くらい急を要する仕事が入ってぜんぜん手をつけていなかった時期もある。読むときにはだいたい1章を読むのがやっとだったから、実質的に読んでいたのは2週間くらいだろうか。

まぁそんなことはどうでもいいことだ。いわゆる第1次戦後が終わった頃に生まれたとはいえ、そもそも日本人の思想などに関心のなかった私にとっては戦後思想はまったくの闇の中であった。この著作で取り上げられている思想家たちは、その名前はよく知っていても、その考え方については、よくてその断片を知っているだけで、悪くするとまったく知らない人たちだったが、この本で彼らの思想のアウトラインがつかめたような気がする。もちろんここで取り上げられているのは戦後思想という観点からのものだから、吉本隆明にせよ小田実にせよ丸山真男にせよその全体像を理解したなどと言うつもりはない。

この大部の著作からなにを学ぶか。私は第2の人生が始まると言われるような年齢である。そうした年齢にあって、少なくとも自分が自分の生き方に責任を持たなければならないような20歳以降の30数年間の生き方が崩れるような事態に直面している。自分がこれまで正しいと思っていたことがじつはそうではなかったという事態である。もちろんそのことで昭和天皇のように人々を死に至らしめたというようなことがあったわけではなく、純粋に自分の生き方の問題であるので、知らぬ顔をしようと思えばできぬことではない。別に誰に迷惑をかけるわけでもないからだ。だが、それができない。知らなかったでは済まされない。つまりこれまでの自分のしてきたことをきちんとまとめ、なぜこんなことになったのか、なぜ自分がこんなことをしてきたのかを総括し、けっして全否定するのでも全肯定するのでもない、総括の仕方をしなければならないと思っている。そうしなかったら、これからの「第2の人生」というものに一歩を踏み出すことができないからだ。

この本を読みながら、私には、戦争というものをどのように総括するかということとの格闘であったといってもいい戦後の知識人たちの姿が自分にだぶってくるのを感じていた。たしかに軍国少年として徹底的に軍国主義を洗脳されたからといって、自分のなかの戦争責任をまったくなかったと言いきれるのかと、言葉というものに振り回された自分をはげしく責め、言葉ではなく、実態はなにか、現実はどうなっているかをしっかりと自分の目で見なければならないと自戒する渡辺清のように。知らなかったということで済まされることではない。多くの情報が与えられているのに、それを自分で消化して自分で判断しようとしなかった怠惰な自分だったからこそ、30年もの間泥沼につかっていたのではないか。たぶん一朝一夕に成し遂げられることではない。結局私の「第2の人生」の全てをかけることになるかもしれない。そう思っている。

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ルーチンを壊すこと

2008年04月18日 | 日々の雑感
ルーチンを壊すこと

ルーチンを形成して、それに乗って何かの行動をすることはじつに爽快で快適なことだ。ルーチンを作り上げるまでが多少難儀といえば難儀だが、それにしても二種類あって、なんとはなしに出来上がってしまうルーチンもあれば、なんらかの目的意識があって作り上げようとして出来上がるルーチンもある。とはいえ、いずれにしてもルーチンが出来上がってしまうと、それに乗っかっていることほど心地よいものはない。

ところがそんなルーチンを繰り返すことよりも重要で優先度の高い作業が立ち上がってきた場合に、もちろんそちらを優先しなければならないのだから、ルーチンをひとまずほったらかしておいて、優先度の高いほうの作業をおこなおうとすると、これがまた身が引き裂かれるほどつらい。心身がルーチンにぴったりと寄り添ってしまっているので、それから心身を引き剥がすことは、すごいエネルギーが必要になってくるからだ。

結局、ルーチン化とそれの破壊を繰り返している人ほど、ある程度仕事ができ、なおかつものごとに柔軟に対応できる人なのではないかと最近思うようになってきた。なんらかのまとまった仕事をしよう、あるいはまとまった知識やスキルを身につけようという場合には、よく電車での30分が貴重だとか、朝30分早く起きる習慣をつけようなんてことがその筋の本に書いてあったりするように、一定のルーチンが必要であることは言うまでもないことだと思う。

しかしそうしたルーチンから動こうとしない人はけっして顧客や上司やあるいは社会の変化に機敏に対応して、相手や自分自身からの要望に対して十分こたえるような成果を出すことができない。ルーチンを壊してでも相手の要望に素早く応えることができる人でなければ仕事のできる人という評価はもらえないだろう。

最近の私がつくづく思うのは、私はどちらかというとルーチンのなかに埋没して、それを壊してでも新しいことをしようとしない人間だなということだ。ある程度の仕事をするにはルーチンが必要で、それが完成しないうちはルーチンに埋没していてもよかったのだが、それが完成したら、新しいルーチンを作り上げることになるのだが、どうも周囲からのさまざまな要望に対して機敏に対応できないのは、ルーチンを壊すのがしんどいからだということが分かってきた。年齢がいけばいくほど、ルーチンを壊すのが怖くなるということもあるのだろう。

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「インドの衝撃」

2008年04月09日 | 評論
NHKスペシャル取材班『インドの衝撃』(文芸春秋、2007年)

この本の中でも触れられているが、インドの人たちは日本にはあまり関心がないらしい。同じことがインドに対する日本人の関心度にも言える。あまり日本人はインドに関心を持っていない。たぶん東南アジアあたりを放浪してみようというバックパッカーあたりがインドに何かしら神秘的なもの原初的なものを求めて旅してみようと思うくらいだろう。インドといえばカレーくらいしか思い当たらないほど無関心だ。

だがそのインドが中国と同じように20世紀の後半から21世紀にかけてとてつもないほどの経済的急成長をとげ、それはいい意味でも悪い意味でもアジアの、そして世界の経済状況や環境問題、政治問題に大きな影響力を持ち始めていることとはまったく別の次元の話である。

まず人口がとてつもない。中国が13億人、インドが11億人。この二国だけで世界人口の半分近くになる。これまでは経済発展が貧弱で農業が中心の国だったので、それほど環境汚染は問題にならなかったが、急速な工業発展が大気汚染、海水汚染、河川汚染、土壌汚染、農産物汚染などさまざまな問題を引き起こしており、またこれが中国やインドだけの問題ならいざ知らず、地理的位置関係からとくに大気汚染と海水汚染、温暖化の影響が日本に大きな問題を引き起こしているし、今後はもっと重篤な問題となることが予想される。

インドや中国に人たちに言わせれば、あなたたち先進諸国も通ってきた道ではないか、ということになって、環境問題の対策を講じろとか市場の透明性を高めろとか、さらに核を持つなというような要求は、先進諸国のエゴととられかねない。だが、そういって先進諸国が言いたいことも言えずにいるということでいいのだろうか?24億という人口は、普通の規模ではない。これらの人たちが先進諸国並みの生活をするようになるために必要なエネルギー供給や食料品の供給や生活家電の供給のためにどれだけの資源開発が必要になるだろうか?それを考えると空恐ろしいものがある。それと引き換えにどれほどの環境が破壊されるか?汚染されるか?おそらく地球は完全に破壊されるだろう。

金儲けのことだけを考えた世界経済からすれば、こんな格好の経済成長の機会はない。先進諸国の経済発展はすでに頭打ちだから、今後この二国24億人の経済圏で消費がどんどん広がるということはここでのマーケッティングに先進諸国の経済発展の新たな市場が開かれたようなものだから。しかも24億なんて人口は既存の先進諸国の人口以上のものだ。

ここに食い込めるかどうか、まさに先進諸国の死活はかかっているといっていい。ところがこの本を読む限りでは日本はインドに関してはまったく取り残されているらしい。家電関係では韓国企業がシェアの半分以上をとっているということだから、たんに言葉の問題ではないようだ。先見の明がなかったということだろう。

この本は教育の問題にも触れている。というかなぜインドでは優秀な人材が豊富なのかという疑問から出発している。それはIITというインド工科大学での授業風景から読み取ることができるのだが、けっして小手先の学力ではなくて、汎用性のある能力、問題を解決する能力の養成ということが目標になっていると紹介されている。だから、彼らはどこに行っても、どんなトラブルにあっても、どんな依頼を受けても、それを解決する道筋を見つけ出し、そのために必要な手法を提案することができるのだ。

そしてそれがインドの経済成長と結びつくようになったのは「世界がフラット化」してきたことと結びついている。とくに植民地時代から英語が使える人が多かった、先進諸国と時差が大きいこと、インターネットが普及したことなど時代の発展方向がインドを後押ししている。

もちろんインドや中国に人たちに昔どおりの貧しい生活をしていろなんていえるものではない。経済成長はいい。だが調和の取れた経済成長をするようなルールを確立していくようにしなければ、地球は破滅するだろう。そこのところが分かっているのだろうか、彼らは?

本当に世界はどうなるのだろうか?

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桜満開

2008年04月06日 | 日々の雑感
桜満開

たぶん日本全国あちこちこの週末は桜を楽しもうと出かけた人たちで桜の名所は有名なところもうちの近所的なところもどこもたいへんな人出だったのではないだろうか。私も上さんと近くの池の周囲にある桜並木を愛でに出かけたが、けっこうな人出だった。最近上さんの膝の状態がおもわしくなく、ついついいつもの調子であるいていると(私は歩くスピードが早いので)上さんが取り残されてしまう。遅れている上さんを見て、そうだったと思い出すという調子で、ちょっといけない。

桜だけでなく雪柳と連翹もきれいに咲いており、白と黄のコントラストが美しい。上さんに言わせると梅の花は近くで見るもの、桜は遠くから眺めるものという区別があるらしい。梅の花は桜の花ほど密集していないので、遠くからでは目立たないし、そもそも梅の花が咲く頃はまだ周辺の木々や草花の緑の葉っぱがでていないので茶色く、色彩のコントラストが引き立たないから近くで見るものだが、桜は花が密集しているし、周辺の緑が新緑で鮮やかなのでその対比が美しいから遠くから眺めると美しいというのだ。なるほど。
連翹と雪柳も同じで、ぱっと見ると雪柳が何メートルにもわたってえんえんと続いているところは壮観だが、連翹と交互に植えてあるところは、白と黄のコントラストがじつに美しい。どちらも花が小さくて密集しているので、ちょっと離れてみるとじつに美しいのだ。そこへ葉っぱが出てくると緑と黄と白の三色の対比になって、これも温かい色の対比で春の雰囲気に合っている。

帰りに駅前の図書館によって本を返して、新たに来ていた予約本を借りて帰ってきた。一時期朝日新聞の日曜版に載っている読書欄で紹介されている本に読んでみようと思うような本がないと愚痴っていたのだが、最近は読んでみようと思う本が出てきた。今読んでいる小熊英二がそうだし、小説でも「みなさんさようなら」「チーム・バチスタの栄光」など。ただ面白そうだと思ってすぐインターネットで予約を入れても、そのときにはすでに何人もの予約者がいて、順番が回ってくるのはだいぶ先になりそうだ。そういうことで今日やっと順番が回ってきたのが「インドの衝撃」で、NHKスペシャルで見ていたのですぐに予約を入れたのだが、だいぶ待たされた。今日の朝日新聞を読んで予約を入れたのは、井上ひさしの「ボローニャ紀行」と牧薩次の「完全恋愛」だ。アニメ作家の高畑がフランス現代詩のプレヴェールの研究をしていたのには驚いたが、あの遅筆で有名な井上ひさしが演劇以外に関心をもって長年かけて研究してきたものがあるということも驚いた。そしてその内容が面白そうだ。それと牧薩次はまったく知らない作家だが、あの瀬名秀明が書評を面白そうに書いていたので興味を持った。どんな小説なのか楽しみだ。

たぶんこれまではあまり人の書評に関心を持たなかったのは、私の側になんでも吸収してやろうという気持ちがなかったからだろう。自分の専門に関係する本しか読むな、関係ない本を読んでいる暇なんかないやろ、という声がつよかったが、いまはそれもなくなって、面白そうな本は読んでみようという気持ちになっているから、逆に読んでみようと思う本が見つかるのかもしれない。いがいと人間関係もそういうことかもしれない。

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「チーム・バチスタの栄光」

2008年04月04日 | 作家カ行
海堂尊『チーム・バチスタの栄光』(宝島社、2006年)

映画化もされた超有名なあの小説の順番がやっと回ってきた。リアルタイムではないのは残念だが、こうして読みたい本が読めるというのはうれしい限りだ。出版年としては後に出た「ナイチンゲールの沈黙」のほうを先に読んでしまったけど、主人公が田口公平であるということと舞台が東城大学医学部付属病院ということだけが共通であるだけで、あとは別の話のようになっているから、まぁいいか。

最近は大部の「<民主>と<愛国>」を読んでいるので、それとの兼ね合いがむずかしくて、どっちを優先するかで迷っていたが、昨夜からちょっとだけ読んでおこうかなと思って読み出したら止まらなくなって、今日は「<民主>と<愛国>」はお休みしてまで最後まで読み通してしまった。ほんと読み出したら止められないという人が多かったのではないだろうか?

東城大学医学部付属病院は、米国の心臓専門病院から心臓移植の権威、桐生恭一を臓器制御外科助教授として招聘した。彼が構築した外科チームは、心臓移植の代替手術であるバチスタ手術の専門の、通称“チーム・バチスタ”として、成功率100%を誇り、その勇名を轟かせている。ところが、3例立て続けに術中死が発生。原因不明の術中死に不安を抱いた桐生が高階病院長に相談し、高階病院長は、リスクマネージメント委員会に諮る前に、「不定愁訴外来担当」の田口公平に内々に調査にあたらせることにしたのだった。田口公平が過去のカルテを調べたり、チーム・バチスタのスタッフに聞き取り調査をしたが、なにかおかしいけれどもなにも異常は見つけられなかったために、リスクマネージメント委員会の開催を要求したところ、高階病院長の依頼によって厚労省から白鳥が調査にやってくる。彼はすぐに手術のビデオを見直し、田口とコンビを組んで再びスタッフに聞き取り調査を行う。その結果、彼は犯人にめぼしをつけるのだが、ちょうど彼が国立国会図書館に調査に出かけて留守の日に緊急手術が入り、またもや術中死が起こるが、今度は白鳥が死後検索として画像診断が行われ、その結果麻酔医の氷室が患者のエピドラチューブに劇薬を入れて殺したことが分かったのだった。

これはいわゆる犯人探しとしてはそれまでこれに関する情報はまったく読者には与えられたいなかったので、読者はきっと桐生の緑内障による視覚異常を補う鳴海の仕業なのではないかと思っていたのではないだろうか。そもそもバチスタ手術というのが学術的な正式名称を「左心室縮小形成術」といって、拡張型心筋症のために肥大した心臓を切り取り小さく作り直すという単純な発想による手術だが、一番重要な点は心臓のどこからどこまでを変異した部位として認定して切り取ってしまうかにかかっているように書いてあるから、それを認定し間違えたことが、縫合終了の後にも心臓が再び鼓動しない原因のように読めるからだ。そうすれば外科医としての将来を桐生のメスによって指の健を切られたためにつぶされた鳴海による桐生の復讐と考えるのが一番分かりやすい話しだし、小説も読者をそちらのほうに導くように書かれていた。だから氷室が犯人だったというのは、どんでん返しだが、読者にはまったくそれを思わせる情報が与えられなかったので、ちょっとまってよと言いたくなるのも無理からぬことだ。

私はこの小説の面白さは、もちろん先端医療の現場という普通では知ることができないところで働いている医療関係者たちが登場人物になっているということもあるが、田口公平と白鳥が行う心理分析というか会話分析というものの面白さにあると思う。アクティヴ・フェーズとかパッシヴ・フェーズという言葉も初めて聞くが、いわゆる「かまをかけて」相手の反応を言葉と態度の両方で読み解いていくというもののようだ。これがたんなる警察による犯人解明劇とは違う面白さをこの小説に与えている。普通ならそうした人間心理に熟知した主人公が探偵役として作られるのだろうが、ここではそれがこの二人のコンビに割り振られている。私なんかは言葉は文字通りのことしか意味しない、つまり額面どおりにしか言葉を解釈しないというのが私の特徴なので、こういう単純な人間には、言葉の裏を読むとか、言葉そのものよりもそれが発せられたときの身体状況や反応から言葉以上のものを読み取るということが苦手なので、本当に面白い。

例のごとく、登場人物に俳優さんがイメージされるのだが、今回は映画の配役を調べてしまった関係で、どうしても白鳥役の阿部寛とか桐生の吉川晃司とかには違和感があった。どちらかというと桐生が阿部寛ではないかと思うのだが、でもこの人いろんな映画に出ているので、私が思っている以上に変な人・白鳥に合っているのかもしれない。


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「砕かれた神」

2008年04月03日 | 作家ワ行
渡辺清『砕かれた神』(岩波現代文庫、2004年)

戦艦武蔵に少年兵として乗っているときに撃沈されたが、奇跡的に一命をとりとめ、敗戦と同時に復員した経験をもつ著者が、復員後の昭和20年9月から就職のために家を出ることになる翌年の4月まで書き綴った日記である。時期的に無条件降伏条約調印、天皇の人間宣言、マッカーサー訪問、全国巡業などの時期と重なっており、天皇の戦争責任問題に関する鋭い批判書となっている。初版は1983年に朝日新聞社から出版されている。
今読んでいる小熊英二の「<民主>と<愛国>」のなかで引用されていたので興味を持って読んでみたが、こんな本があるとは思わなかった。

この手記は二つの問題を読者に提起している。一つは文字通り、太平洋戦争(日中戦争を含めて)にたいする天皇の戦争責任問題である。そしてもう一つは、私たちのような戦後派世代にとっては、自分のしたことが間違っていたと分かったときに人はどんな対応ができるのかという問題である。

一つ目のことで言うと、天皇の戦争責任をいうことをこんなに真摯に問いかけた人はいないのではないだろうかと思う。自らが戦前の教育によって天皇のために死ぬということを信じ込んで、そのために見も心も捧げようとしただけに、戦後の天皇の言動には納得がいかないものを強烈に感じたのは当然のことだが、それをここまではっきりと表現するには相当の勇気が必要だったと思うのだ。

天皇機関説というのがある。天皇は政治制度の中でたんなるシステムの一部に過ぎず絶対権力者ではないというようなものだが、美濃部達吉が主張した理論である。これは議会政治を重視するという時代の趨勢に叶ったものであった。昭和天皇はたしかに絶対権力者としての天皇というものが政治システムとしても教育制度としてもすでに出来上がって磐石の体制となってから天皇になったので、現実の昭和天皇の人柄がどうであったかどうかに関係なくあらゆることが絶対権力者としての天皇の名において行われたわけで、現実の天皇が戦争についてどう考えていたかどうかは別として御前会議で戦争を承認したした上は天皇の戦争であったことには変わりないだろう。暴走した軍部に利用された、これが天皇の戦争責任を否定する人たちの言うことだが、だれも裁判に訴えてでも天皇の責任を明確にしようとしたことはないから、法的にはどうなっているのか分からない。

私は戦後派世代だが、山間部の田舎では私が少年時代を過ごした1960年代でもけっして戦争は忘れられたものではなかった。私のうちは、私の父の兄、つまり叔父が戦艦大和で戦死しているのでよけいにそうだったのかもしれない。祖母が近所のお年寄りとたまに戦争の話をして死んだ叔父(祖父母の長男)のことを涙ながらに話しているのを見たことがある。戦争は遠い昔のことと思っていたが、そうではないということを感じるのがそういうときだった。しかし祖母も皇后と同い年だということ話の種にしていたくらいで、戦争で大事な長男を失ったこととそれが天皇の責任ということとどのように関係付けて考えていたのか、よくは分からない。

同時に私は自分のしたことが間違っていたと分かったときに人はどんな対応をすべきかという問題としてこの本を読んだ。もちろん天皇の身になって考えてみるという話ではない。この著者のように自分が志願して戦った戦争が間違った侵略戦争だったということが分かったとき、戦争を正義の戦いのように教え、半強制的に戦わせた天皇に対する戦争責任を追及するのと同時に、そうした教えを本当にどうか自分でよく考えてもしないで加担してしまったことで、すべてを簡単に信じ込んでしまった自分に対する批判である。著者は反省として二度といかなる戦争にも加担しないことを、言葉にだまされないようにすでに既定の事実になったことでも自分の頭で考えて納得できることしか行動しないという決意をしている。そして天皇とけりをつけるために兵士として天皇からもらった給与・衣服・食料代などを返金するということをして、この手記は終わっている。

自分のしてきたことが間違っていたということが分かったとき人はどうすべきか。別にそれで人を死なせたとかそういう話ではなく、自分の人生の意味の問題である。この著者はその後1960年頃にわだつみの会に入会して、戦没学生の墓参、遺稿刊行の手伝いなど戦没者慰霊の活動をしていたらしい。この手記でもたびたび出てくるように、自分の人生は天から見ている慰霊に「生き残っていいことをしたな」と言われないようにしたいという思いから、こうした活動に人生をかけることになったのだろうと思う。そうした活動の一環としてこの手記も刊行の準備がされていたのではないだろうか。

お前はこれからどういう生き方をするのかという問いを突きつけられているという思いを強く感じながら読んだ。


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高すぎる学費

2008年04月02日 | 日々の雑感
高すぎる学費

また大学生の息子の授業料を納入する季節になった。工学部に通っている息子の場合は年間で130万円以上の授業料その他の学費を納入しなければならない。私が学生の頃は私の私立大学だったが文系ということもあって10万円程度だったのに、いまや10倍以上の授業料だ。それだけで学生生活がすべてまかなえるのならまだしも、これに教科書代だとか通学定期だとか日々の生活費だとかがいるから、年間で200万円くらいはいるのではないだろうか。自宅通学の場合でこれだから、地方から出てきて下宿でもしていたら、本当に300万円以上かかるだろう。一年で300万円、4年間で1000万円以上。(右のグラフはhttp://www.financial-j.net/blog/2007/01/000107.htmlから借用)

18歳人口の減少で大学が全入時代とか言われているけれども、それをみんなどんな風にしてやりくりしてているのだろうか、よくやっているねと思う。もちろん国公立大学ならまぁこれの半額くらいで済むのだろうが、それにしたって楽な金額ではない。

しかも大学卒がけっしてエリートでもなく、最低限の肩書きのようになっている現代では、これだけのお金をかけて大学にやったからといって将来が保障されるわけではない。本当に日本の高等教育の姿は異常としかいいようがない。ヨーロッパではかつては学費は無料というのが基本で現在でも北欧諸国やフランスなんかは無料だ。最近ではイギリスなどのように有料になってきた国もあるが、それでも数万円から10数万円程度で、日本はアメリカのやり方をまねて高学費になっている。ただアメリカの場合でも州立大学は40万円程度で、一部の私立大学だけが異常に高いが、しかしそこを出ることはエリートとしてのステータスを得ることになるという違いがある。日本のように、金だけふんだくっておいて、あとは知らないというところは、世界でも稀だろう。

文部科学省の考え方が教育は初等教育から高等教育まで国が責任を持って行うというフランスのようなしっかりした考え方にたっていないことにその原因があることは誰もがわかっていることだと思う。ヨーロッパ並みの教育予算をとりさえすれば、今の教育問題の多くは解決するものが多い。小中高での教員不足も、大学での非常勤講師問題も、解決していくものだ。

その上でさらに根本的な問題は、文部科学省に、どんな国民を養成しようとしているのかという一貫した教育方針がないという問題が、はじめてそこで問題になってくるだろう。小中学校で勉強してきたことは、高校では意味がなく、高校までで勉強してきたことは、大学に入ったら何の役にも立たないと言って馬鹿にされる。フィンランド・メソッドとかいってありがたがっている輩が多いが、フィンランドには教育のメソッドなんかない。メソッドではなく、どんな国民を育てるのかというしっかりした方針があって、それにもとづいて一貫した教育が小学校から大学まで行われているにすぎないのだ。それをメソッドなどといって、根本のところを抜かして、小手先の方法論しか見ない人たちがいかに多いか。しかも教育行政の関係者がそうしたことを口にするのだから、ちゃんちゃらおかしいや。

現在はハード的な問題とソフト的な問題が混在していて、見る人たちによってあっちをつついたりこっちをつついたりするために、何が根本的な問題なのか訳が分からなくなっている。

こんな教育行政を現在の文部科学省にまかせているかぎり日本に未来はない。

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「坊ちゃん」

2008年04月01日 | 作家ナ行
夏目漱石『坊ちゃん』(岩波文庫、1929年第一刷)

松山・道後温泉といえば夏目漱石・正岡子規だ。とくに漱石は日本人なら知名度ナンバーワンだから、観光に彼を使わぬ手はないという感じで、坊ちゃん団子やら漱石と子規が共同生活していた愚駝仏庵だとか坊ちゃん電車だとか、まぁいろいろある。もちろん郷土出身者で有名人ということになれば正岡子規が一番だから、子規記念博物館もある。ここにいけば松山の歴史から子規の偉業についてもよく分かる。ここに行ったら、ちょうど「坊ちゃん」を売っていたので、子規が書いた絵葉書とともに買い求めた。帰りのバスの中で読もうという趣向である。

これほど有名な小説であるにもかかわらず、また漱石の小説はほとんど読んでいるにもかかわらず、じつはきちんと最後まで読み通したことがない。高校生の頃にちょっと英語が分かってきたので実際の小説でも読んでみようかと英語に訳された「坊ちゃん」を読み始めたことがあったが、とても手に負えなくて止めてしまった。それがトラウマになっていたのか、それ以来原作のほうも読んでいなかったのだ。

なんかで読んだことがあるが、猫とか坊ちゃんあたりの初期の作品は漱石が本当に心から楽しみながら書いていたらしく、ほとんど書き損じがなかったらしい。この小説も28年から29年にかけての一年間教鞭を取っただけの松山での体験を10年後の39歳のときに小説にしたものだが、じつに生き生きとしている。

「坊ちゃん」はいわゆる青春文学というものの一番の走りだったと思う。青春文学というのはいわゆる「世間知らず」の若者がその純粋さ・一本気ゆえに海千山千の輩の住む世間に出て行って、こっちでぶつかり、あっちで躓きながら、成長していく姿を描くものだと思うのだが、坊ちゃんという人物の形象がまさにそのようなものとして作られている。明治初期の日本人が激動の世の中をなんとかうまく生き延びてやろうとして、人を計略にかけることなんかなんとも思っていないような時代である。いったい時代がどこに行こうとしているのか、いったいどんな生き方をすれば自分が生き残れるのか、訳の分からない時代なのだが、そのなかで善悪の判断をしっかりともって、人をだましたりすることなく、自分が為した悪の責任は自分で取るのが人の道だというような倫理観(江戸時代の武士の倫理観でもあったのではないだろうか)によって生きていこうとする坊ちゃんや山嵐。また守らなければならない家族もいないという身軽さが彼の生き方を支えているのかもしれない。この意味で本当に銭金、世間体、立身出世などを考慮のうちに入れない「無鉄砲な」生き方ができる青春の特権を描いた文学ということで青春文学といっていいと思うのだ。

実際の漱石は実家の両親、養子先の両親と四人もの老人たちを自分ひとりで養わなければならないという人間的しがらみから逃れるようにして東京を離れて松山にやってきたわけで、現実の漱石にはたぶんとうてい生きることが叶わなかった生き方であって、それゆえにそうした現実離れした「気風のいい」坊ちゃんを作ることができたのではないだろうか。

この小説の舞台となるところは現在の松山にはほとんど残っていないが、ゆいいつ道後温泉本館だけは漱石が使っていたのと同じ姿で残っているし、またその使い方も同じで残っている。また道後温泉の周辺には小説で出てくる郭通りとか川とか、そうそう路面電車とかが残っているので、小説を読んでからそこを訪ねてみたり、あるいは逆に観光をした後に小説を読みながら、昔のしのんでみるのも面白い。赤シャツのような人間が今でも私の周りにいる。その点ばかりは今も昔も変わらない。


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