水野尚『物語の織物 ペローを読む』(彩流社、1997年)
17世紀末から18世紀初めにかけてフランスのルイ14世の宮廷で活動したシャルル・ペローが書いたお話を、いまのような子供向けではなくて、当時の人々がどう読んだかということを主眼にして、とくに文化や風俗の視点、そこで使われているフランス語の視点から解き明かした本で、じつに興味深い内容になっている。
取り上げた物語は「赤ずきんちゃん」、「眠れる森の美女」、「親指小僧」、「サンドリヨン、あるいは小さなガラスの靴」(いわゆるシンデレラ)、「青ひげ」、「猫大将、あるいは長靴をはいた猫」、「妖精たち」、「巻き毛のリケ」である。
私がよく知っているのは「赤ずきんちゃん」「眠れる森の美女」「サンドリヨン」くらいだから、それを中心に読んでみた。
「赤ずきんちゃん」は小さな赤ずきんと大きな狼という対比を強調するように書かれており、子どもたち向けには、家の外に出たら狼のような怖いものたちばかりだから、一人で出歩いてはいけないよ、社会は敵だらけだから、気を引き締めて社会に出なけばいけないよという教訓物語なのだが、性的なコノテーションを持つ言葉を使うことによって、うら若き女性向けに、男はみんな狼みたいなものだから気をつけなさいよという教訓話になっているという。
それをフランス語の使いかたや「小さな赤ずきん」が当時の人々に想起させる「大きな赤ずきん」が若い娘たちに付きそう年配の女性を意味しており、「小さな赤ずきん」という言葉は、監視が行き届かないという意味で使用しているのだと解き明かしてくれる。
しかも昨今のお話になっている「赤ずきんちゃん」のハッピーエンドとはちがって、ペローのコントは狼に食べられておしまいという結論になっていて、これは明らかにうら若き娘が男に食べられたら、もう娘は幸せになれないという教えでもあっただろう。
つぎに「眠れる森の美女」では、いったいどれくらいの期間眠っていたという設定になっているのかと問うて、じつは100年くらいという設定にしてあり、それが当時の人々にもすぐ分かるような17世紀末から100年前、つまりアンリ4世の時代の風俗が分かるような衣装や武器などが描かれているということだ。
眠れる森の美女は「待てば海路の日和あり」という教訓で、結婚を急がなくても待っていればよい男と巡りあえるよということらしい。これに対して、通常のお話では省略されてしまう後半部分は、王子の母親というのが欲望の人として描かれ、「…したい」「…したい」と欲望する人間は恐ろしい破滅が待っていると教えているというのだ。
タイトルだけしか知らなかった「長靴をはいた猫」について読んでみるとこれも興味深い。才気によって人を騙して次々と成り上がっていく猫のことが描かれているという。それはルイ14世の重商主義政策によって没落していく帯剣貴族と商業で巨万の富を手にして貴族になる法服貴族という二つの人間相を表したものとされる。
ペロー自身が同じく商人から成り上がった財務大臣のコルベールに取り立てられた人であり、古代人のほうが優秀であったとする人々に対して近代人(つまり当時の人々)のほうが優秀だとする論陣を張った人物でもあったのだから、当然といえば当然である。
しかしこういう擬人化された物語というのは、やはり普通に読んでいただけではわからないことが多い。それだけでも楽しめる内容ならいいが、それだけでは陳腐な話という印象しかうけない場合には、やはりこのような解説が必要だろう。
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17世紀末から18世紀初めにかけてフランスのルイ14世の宮廷で活動したシャルル・ペローが書いたお話を、いまのような子供向けではなくて、当時の人々がどう読んだかということを主眼にして、とくに文化や風俗の視点、そこで使われているフランス語の視点から解き明かした本で、じつに興味深い内容になっている。
取り上げた物語は「赤ずきんちゃん」、「眠れる森の美女」、「親指小僧」、「サンドリヨン、あるいは小さなガラスの靴」(いわゆるシンデレラ)、「青ひげ」、「猫大将、あるいは長靴をはいた猫」、「妖精たち」、「巻き毛のリケ」である。
私がよく知っているのは「赤ずきんちゃん」「眠れる森の美女」「サンドリヨン」くらいだから、それを中心に読んでみた。
「赤ずきんちゃん」は小さな赤ずきんと大きな狼という対比を強調するように書かれており、子どもたち向けには、家の外に出たら狼のような怖いものたちばかりだから、一人で出歩いてはいけないよ、社会は敵だらけだから、気を引き締めて社会に出なけばいけないよという教訓物語なのだが、性的なコノテーションを持つ言葉を使うことによって、うら若き女性向けに、男はみんな狼みたいなものだから気をつけなさいよという教訓話になっているという。
それをフランス語の使いかたや「小さな赤ずきん」が当時の人々に想起させる「大きな赤ずきん」が若い娘たちに付きそう年配の女性を意味しており、「小さな赤ずきん」という言葉は、監視が行き届かないという意味で使用しているのだと解き明かしてくれる。
しかも昨今のお話になっている「赤ずきんちゃん」のハッピーエンドとはちがって、ペローのコントは狼に食べられておしまいという結論になっていて、これは明らかにうら若き娘が男に食べられたら、もう娘は幸せになれないという教えでもあっただろう。
つぎに「眠れる森の美女」では、いったいどれくらいの期間眠っていたという設定になっているのかと問うて、じつは100年くらいという設定にしてあり、それが当時の人々にもすぐ分かるような17世紀末から100年前、つまりアンリ4世の時代の風俗が分かるような衣装や武器などが描かれているということだ。
眠れる森の美女は「待てば海路の日和あり」という教訓で、結婚を急がなくても待っていればよい男と巡りあえるよということらしい。これに対して、通常のお話では省略されてしまう後半部分は、王子の母親というのが欲望の人として描かれ、「…したい」「…したい」と欲望する人間は恐ろしい破滅が待っていると教えているというのだ。
タイトルだけしか知らなかった「長靴をはいた猫」について読んでみるとこれも興味深い。才気によって人を騙して次々と成り上がっていく猫のことが描かれているという。それはルイ14世の重商主義政策によって没落していく帯剣貴族と商業で巨万の富を手にして貴族になる法服貴族という二つの人間相を表したものとされる。
ペロー自身が同じく商人から成り上がった財務大臣のコルベールに取り立てられた人であり、古代人のほうが優秀であったとする人々に対して近代人(つまり当時の人々)のほうが優秀だとする論陣を張った人物でもあったのだから、当然といえば当然である。
しかしこういう擬人化された物語というのは、やはり普通に読んでいただけではわからないことが多い。それだけでも楽しめる内容ならいいが、それだけでは陳腐な話という印象しかうけない場合には、やはりこのような解説が必要だろう。
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