読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「ユア・マイ・サンシャイン」

2006年11月30日 | 映画
『ユア・マイ・サンシャイン』(韓国、2005年)

チャン・ドヨンのファンだし、ちょうど空き時間がうまくあったので、観にいった。

ほんとの純愛もの。主人公の性格を表すような言葉、「純情」という喫茶店で働くウナ(チャン・ドヨン)は、出前と称して、ホテルなどで待つ客相手に売春をしている。彼女にほれ込んだ主人公は、牧場を経営しているが、泥と糞にまみれた毎日で、嫁の来てがない。

彼はウナに一目ぼれしてしまい、ストーカーのように彼女にまとわりつく。その言動から彼の一途な愛情にうたれ、ウナも彼を愛するようになり、結婚して、幸せな日々。

だが昔の男が現れ、主人公に手切れ金を要求する。私には500万ウォンってどれくらいかわからないが、大事にしていた牛を売って、その金をつくる。ウナは彼に迷惑はかけられないとおもい、出奔する。昔の男がウナがエイズに感染しているのに売春をしていると警察に密告する。彼女は捕らえられ、裁判にかけられて、2年6ヶ月の有罪判決をうける。

ウナは夫の兄から手を切ってくれといわれ、夫との面会を拒否しつづける。一年後、韓国全体がサッカーワールドカップで沸き立つなか、夫はウナと面会し、愛を確かめ合う。ウナの出所の場面でハッピーエンドとなる。

と、まぁ、あらすじはこんなもので、チャン・ドヨンもいいし、何回か涙ぐむところもあって、悪い映画じゃないんだけど、とくべつなんかコメントしづらい映画ですなー。可もなく不可もなくというところ。まぁ、チャン・ドヨンを観にいったようなもんだし、いいか。

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「夜明け」

2006年11月29日 | 現代フランス小説
Linda Le, Les aubes, P 994, 2000
リンダ・レー『夜明け』(クリスチャン・ブルジョワ、2000年)

ピストル自殺に失敗して失明した「私」が、本の朗読役として雇われ愛し合うようになったヴェガに、自分の過去を語る。

「私」はコンソーシアム(企業複合体)の代表を務める母親とパリ生まれのベトナム人の父のあいだに生まれる。父は清貧の中で完璧主義的で芸術主義的な画家として出発しながら、裕福な母親に見込まれて、清貧のなかでの芸術活動よりも裕福・安楽を取ったために、芸術的インスピレーションを失ってしまい絵が書けなくなる。「私」が生まれた頃は、両親は喧嘩ばかりして、憎みあっていた。毎日が嵐のような日々だった。

「私」は父親からも母親からも疎まれ、感情の砂漠のような子供時代を過ごしていたが、10歳のときに、父親の知り合いのフォーエヴァーという女性のもとでひと月だけすごした経験から、本の世界を知る。フォーエヴァーは父親のかつての愛人で、海辺の家に一人で住んでいた。彼女は「私」の父に対する愛情を抱きつづけており、「私」は彼女のなかに純粋な感情の幻想的なイメージをみるようになる。しかし彼女は「私」が14歳のときに自殺してしまう。それは「私」に大きな衝撃を与える。

それ以降、「私」の関心事はいかにしてフォーエヴァーのもとへ行くかということだけとなる。24歳のときに、父親がもっていたピストルで自殺を図るが、失敗して、失明する。最初は父親が「私」に本や新聞を読んでくれたりしていたが、父親のやる気が失せると、彼が女性の朗読者を見つけてきてくれる。それがヴェガで、、「私」は彼女のなかにフォーエヴァーの再生を見るようになり、二人は愛し合うようになる。

フォーエヴァーが「私」に永遠性の象徴としてウロボロスの話をする場面があるが、この小説はまさにウロボロスの姿と同じ形式を取っているといえる。

冒頭はまさに失明した「私」と愛人のヴェガとの夢とも現実ともわからないような官能の世界の描写から始まるが、それをウロボロスの頭とすると、それに飲み込まれた尻尾の部分にあたる、「私」の祖父母の話にうつる。祖父母はベトナムのプランテーションをやめてパリにやってきたが、異国に順応できず祖父は阿片吸引者となり、廃人となって死んだ。そのときお腹のなかにいたのが、「私」の父で、貧しいなかを祖母は父を育て、父も早くから絵の才能を見出して、絵を書くようになるが、その芸術主義的な絵にひかれた、資産家の娘であった母が、彼にそれを捨てる代わりに安楽を約束したのだった....というように時間系列にそって、物語は進み、最後にヴェガとの出会いによって終わっている。つまりウロボロスの頭に再び戻ってくることになるのだ。

たしかに憎しみあっている両親のことを描いた場面はとげとげしいし、それはそれで人間の運命というものの怖さを描き出しているが、以前に紹介した『声』の妄想幻想の恐ろしげな世界とは一転して、「私」が10歳のときにフォーエヴァーと過ごしたひと月の夏の穏やかな日々の描写には、詩的な静謐さのようなものがある。両親の喧嘩や、そして自分にたいする両親の憎しみを伴った態度の描写がすざまじく暴力的で絶望感がただよっているだけに、フォーエヴァーとの日々の穏やかさは心に染みるものがある。

「大西洋の海辺をフォーエヴァーとともに長時間かけて散歩しているあいだ、私は彼女がこの世のものではないという印象をしばしばうけた。彼女のなかにはある磁力のようなものがあるようだった。彼女のそばに行くと必ず涙の向こうの世界への呼びかけのようなものを感じた。私は彼女から星を見ること、風を測ること、日没のときに水と火の結合を賛嘆することをまなんだ。水泳と散歩のあと、夕方に、居間のロッキングチェアや庭の小さなベンチに座っているとき、フォーエヴァーは航海士と勇敢な子どもたちの冒険物語とか、ヴァンパイアが寝ている若い処女の血を吸うお話だとかを読んで聞かせてくれた。でも私のお気に入りの本でいちばん熱心に議論したのは、私が孤独のときに読んだことのある古代人の書物であった。何時間ものあいだ私があれこれ質問をして、彼女がこれらの書物から得られる話を説明してくれるのだった。夕暮れの光の中で、フォーエヴァーの顔は内面の炎に活気づけられているようだった。彼女の言葉の一つ一つがよく選ばれていて、長いあいだ私の心を打ちつづけた。」(Les aubes, p.39)

安楽のために芸術的インスピレーションを失って絵がかけなくなってしまったという、「私」の父の人生は、なんとも人生の選択というものの恐ろしさを感じさせる。これは「私」が鋭く見通していることだが、それもじつは「私」の父が選んだことなのだ。そこから抜け出ようと思えばできたのに、そしてフォーエヴァーのもとへ戻れば、再びそうしたインスピレーションは取り戻せただろうが、父は安楽と清貧の中での芸術をはかりにかけ、安楽を選びつづけたのだ。けっしてだれのせいでもない。そうした冷酷な見方を作者は現実の自分自身にも向けているのかもしれない。

リンダ・レーについてはインターネット上でもほとんど情報がないし、彼女の作品についての批評などもみられないので、作家の個人的なことについては次のような程度のことしかわからない。

1963年にベトナムのダラトで、フランス人の母親とベトナム人の父親のあいだに生まれ、サイゴンのフランス人学校で高校生まで勉強した。サイゴンの陥落後に母親と妹とともにフランスに移住した。

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「100万回のコンチックショー」

2006年11月28日 | 評論
野口健『100万回のコンチックショー』(集英社、2002年)

ネスカフェのコマーシャルはもちろんのこと、バラエティー番組でときどき目にする登山家の野口健が、反骨の精神で生きてきた子供時代や最年少記録への挑戦を書いた本。

外交官の父と四カ国人の血をうけつぐエジプト人の母親のあいだに生まれてからずっと外国を渡り歩いてきたが、両親が離婚してから中学高校とイギリスの立教英国学院でスパルタ教育をうけ、そのなかで反骨の精神をそだて、オチこぼれても、なんとかして自分の世界を作りたいと考えて、停学中に探検家植村の自伝を読んで、山登りをはじめる。モンブラン、キリマンジャロと最年少記録を更新し、さらにアコンカグア、マッキンリー、そしてチョモランマへ。このあたりから、亜細亜大学の学生として日本に滞在して、日本の企業などから資金援助をしてもらいながら、三回目の挑戦で成功し、その直後からゴミ問題に関心をもつようになり、清掃登山を呼びかけ、数度の清掃登山の後、日本の山における環境問題にも目を向けるようになる。

タイトルどおりすごい反骨精神の持ち主。立教英国学院の先生たちもけっこう気骨のある人たちだったようで、彼にはいいところがあるということを認めて、どうやってまっすぐな道を行かせるかを模索していたらしい。その結果、あいつはけしかければそれに反抗して、こちらの考えどおりの行動をさせることができるというように、高校くらいになると性格をよくとらえられていたとのこと。それゆえに、彼はぎちぎちの規則で縛られ、分刻みのスケジュールで動く学校にたいして、まったくいやな思い出がないという。

家族のことで感心したのは、親子みんながおしゃべりで、喧喧諤諤の議論をいつもやっていたこと、その結果、彼の家族のあいだではなんらかの一家言をもっていないとまともに相手にされないということ。家族が意見を戦わせあうのはいいことだと思う。わが家はそれがないから残念だ。親子のあいだに会話がない。さすがに今年の夏に息子と二人で旅行したときにはあれこれ喋ったが、家ではほとんど会話がない。それというのも家族で議論を戦わせるのが嫌いだったからだ。だからそうなるのはしかたないわな。なのに口角あわをたてて議論し合う家族がいいと言うのだから、いうことが矛盾していると言われてもしかたないな。

右翼に入って街宣車でアジってみたり、自衛隊に入ろうとしてみたり、祖父が軍人だったこともあって、どちらかというと右よりの道を進もうとしていたらしいが、ながく世界を見てきたこともあって、また外交官だった父親の影響もあってのことだと思うが、自分なりの考えがあってのことだから、自分の考えと違うと分かったら、すぐに軌道修正できるところも面白い。

それにしてもヒマラヤの最高峰に登るということがどれだけ大変なことなのか、そしてその影に隠れて環境破壊がいかに進んでいるか知らされた。やはり隠されていることは誰かが暴かないことには、日の眼を見ないものだろう。雪山に大量のゴミや糞尿があるなんてだれも思わないものな。

最後のあたりで少しだけ触れているが、日本国内でも、世界遺産の環境保全と観光とをどのようにバランスを取るのか、じっくりと議論して、いい方向にもって行く必要がある。そういうものを引っ張っていく力として、野口健なんかには期待したいね。

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「ヨーロッパ橋ものがたり」

2006年11月26日 | 自然科学系
成瀬輝男『ヨーロッパ橋ものがたり』(東京堂出版、1999年)

橋といえば、サイモンとガーファンクルの歌じゃないが、「明日に架ける橋」というようなイメージがあるが、私にとっては、田舎の村にかかっていた木の橋だ。

私は鳥取県西部の山奥に生まれ育った。その村の前には一本の国道(といっても私が子どもの頃は国道といっても名ばかりでぺんぺん草がはえたようなでこぼこ道だった)がはしり、それにそって川が流れ、ちょうど村のそばでその川が二本に分岐する。それにあわせて国道も分岐する。その分岐点に一本の橋がかかっていた。それは橋脚も橋の本体も木で出来ていて、さらに人や車が通るところは土でできており、しかもそのところどころの土が落ちて、下に川水がみえるような代物だったから、どんなに時代がかっていたかは想像いただけよう。

その橋は、私が小学校2年生の頃の大雨で完全に流されてしまった。その後は、コンクリートの橋脚に鉄の橋がかかった。それから中学校の頃にかけて国道も道幅が広げられ舗装された。村はずれには建設省の関係者の事務所や住居ができ、私たちはそこを「けんせつしょー」と呼んで、その広場でよく野球をしたり鬼ごっこをして遊んだものだ。なぜかしら橋というといつもその橋のことを思い出す。

もう一つの橋は、じつは橋ではない。これは子ども向けの科学本で読んだのだが、望遠鏡が出来たばかりの頃のヨーロッパで、望遠鏡で月を熱心に観察している人がいたが、あるとき他のクレーターに出来る影とはちがう影をみつけた。それがいったいどんな形をしているためにできるのか分からないで何日もたったが、ある日自分が住んでいる町の夕暮れを歩いているとき石で出来た橋の影が月にあるあの影と同じだったことに気づき、岩がアーチ状にえぐられていることが分かったというようなお話である。なぜか知らないが私はその話にえらく感動したのを覚えている。そしてアーチ状の岩山、そして夕日に輝くヨーロッパの小さな町の橋と川面が、なんだか心のなかに刻み込まれてしまった。

橋といえば、この本でもなんども記述されているが、ヨーロッパの大きな町の昔の橋の上には家が並んでいた。この本によると、ロンドン橋の上の家は自然発生的に出来て、無秩序に並んでいたらしいが、パリの橋の上の家は計画的に作られたのだそうだ。なにで呼んだのか覚えていないが、パリの橋の上に家があったことは私も知っていた。パリの凱旋門の上に土産物屋で買ってきた1575年のパリの地図(もちろん複製だが)にもミシェル橋とかノートルダム橋のうえに家が描いてある。

それにしても橋をかけるという発想はほんとうにすごいことだと思う。つねに流れている水の中に土台を作ることだって簡単なことではなかったはずだ。そして石をアーチ型に積み上げていったり、木組みを作ったりすることは、昔なら最新のテクノロジーをもってして初めて可能になったことだったのだろう。そして年月を経て朽ちていく。それが人をひきつけるのだろうか?

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「富士山」

2006年11月25日 | 作家タ行
田口ランディ『富士山』(文芸春秋、2004年)

やはり田口ランディ、ただものではない。この富士山を中心にした連作集を読んで、その感を強くした。

一作一作はたしかにフリーターでしか生きていけないような若者やら、有名進学校で勉強勉強で追いまくられて精神にゆがみをもっているような中学生やら、人間のような妖怪のようなジャミラと名づけられたゴミ屋敷のばあさんと環境課でその担当となった変な若者やらばかりで、これはいったいなんじゃーと思うかもしれないが、それらの連作には人間はなんのために生きているのだ、人間でいることは辛いことではないかという、じつに哲学的な問題にたいする、これまたじつに現代的なアプローチが通底しているのだ。やっぱり、田口ランディ、ただものではない。

第一作の「青い峰」は、あのおうむ真理教の残党をおもわせる岡野という29才の若者と彼につきまとう19歳の森下こずえが主人公。

K大の医学部に入り解剖実習がすんだ頃に、岡野は生きることの意味とはいったいなんだろうと考え始め、新興宗教の世田谷支部に出入りするようになり哲学を勉強している飯田智彦と知り合う。彼とはなんとなくうまがあい、ともに富士山の研鑚所に入ることになるが、そこで次第にこの宗教のあり方に疑問をもつようになり、岡野はそこを脱走する。飯田はいつのまにか修行中に死んでしまうが、リンチされたという噂も聞く。

そしていま岡野はコンビニでバイトをしている。おなじところでバイトしている森下は手首を切って何度も自殺しようとして果たせなかったらしい短大生。

岡野のものの感じ方がおもしろい。コンビニの無機質なイメージが岡野には気に入っている。人間のようなどろどろしたわけのわからないものが彼は苦手なのだ。だから伝えるための言葉なら理解できるが、それ以外の目的の言葉(愛や欲望など感情を吐露する言葉のことだろう)は理解できない、理解を拒否するのだ。YESかNOか、○か×か、そういう答えのはっきり出る問題でないと対応できないのだろう。そういう教育を受けてきたからだ。

第二作の「樹海」は有名進学校の中学を卒業して、まだ高校生になっていない三人のグループの話。彼らはともに幼稚園からお受験をして有名進学校の小学校に入り、小学校と中学校をすごしてきた。これからの進路はそれぞれ違うから、ばらばらになる前に、最後の思い出として樹海に冒険に出かけることになる。語り手のジュンは両親とも共働きで、姉がいるが赤ちゃんの頃から潔癖に育てられいまでは拒食症になっているが学校ではいい子を演じつづけている。サトシはタキザワ脳外科医院の院長の息子で、ゲーム以外はなんでも買い与えられている子。ユウジの母親は子どもは調教の対象としか思っていないような人で、その母親のしたで生きる意味を失っている。同級生の女の子が自殺するのを頼まれて立ち会った経験から、自分が彼女を殺したと思い込んでいる。

樹海に入ってキャンプ中に、薬を大量に飲み首吊りしようとして失敗した男性をみつけ、もともと死にたかったのだからほっとくべきか樹海の外まで運んで救急車を呼ぶべきかで意見がわかれるが、結局運ぶことになる。だがその男性が目を覚まし精神錯乱して逆に彼らに暴れまわり、最後には死んでしまう、というような話自体もけっこう面白い。

だが問題は彼らが抱える悩みだ。人間は何のために生きているのか。どうせ死ぬのなら生きている意味がないじゃないか。あちこちで取りざたされる問題だ。「人間は何のために生きているのか。」私は思うのだが、人生はなんのためにあるのかなんて問いに答なんかあるはずがない。人生に意味はない。でも人間は生まれて人生を生きることでなにかの役に立っている。それがなにか分かればそれにこしたことはないが、わからないから生きる価値がないということはない。

私が思うのは、人間の脳は五歳か六歳で細胞分裂が止まるからその時点でその人の将来は決まってしまうかのように考えて早期教育をした結果、天才どころか社会生活もまともにできない人間を作ってしまうのと同じように、勉強というものをただの記憶力の鍛錬とパターン反応のように思っていることからくる歪んだ受験勉強式勉強のあり方が生きることに楽しさを見出せないで、人生とはなにかとか考え込み、人間をただの物を食って排泄しているにすぎない物質のように見てしまう頭でっかちの子どもにしてしまうということだ。キリスト教が人間はなんのために生きるのかに納得できるように答えているだろうか。イスラム教は、仏教はどうだ?

だれにも同じように与えられた意味なんか人生にはない。それはある意味では作っていくようなものだ。受験勉強だけに明け暮れてきた子どもはそれを作れないから人生はなんのためにあるのかと思ってしまう。

いまの社会はそのような子どもをどんどん大量生産している。しかし多少はそういう生きたとはまったく別の人生を楽しんでいく子どもたちも生まれるだろう。少数派だろうが。問題はそのどちらにもいけない場合の子どもたちだ。


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「クリスマスローズの殺人」

2006年11月24日 | 作家サ行
柴田よしき『クリスマスローズの殺人』(原書房、2003年)

あちこちの読書ブログでたいてい取り上げられている作家なもんで、私も一度読んでみようと思って、その少女趣味っぽい表紙絵にひかれて、この作品を借りて読んでみた。

若い独身女性がつぎつぎと殺され、遺体の周りにはどれもクリスマスローズの花びらがまかれているという連続殺人事件が起こる。

探偵のメグは突然の出費で年越しが覚束なくなり、世話になっている探偵事務所の咲和子に仕事を回してくれるように頼む。彼女から依頼された仕事は依頼者の妻の三日間の素行調査。

さっそく次の日から仕事を始める。夜になっても居間の電気はつかないし、寝室のカーテンも閉じられないのに不審を感じたメグと、彼女の助手をしてくれる売れない推理作家の太郎が姫川宅に侵入してみると、韓国に出張に出かけたはずの夫(依頼者)が浴室で大量の血を流して死んでいるのを発見する。妻の朝子はいない。ところが翌朝になると、警察が居間で死んでいる朝子を発見する。夫の姫川均の遺体はなくなっていた。

姫川均は妻がヴァンパイアであることを知って、彼女への愛情を深めるためにもヴァンパイアのことをもっと知りたがり、たまたま愛人の知恵とディズニーランドに遊びに行ったときに知り合った津川鈴がヴァンパイアであることに気づき、彼女ヴァンパイアのことについて聞こうとした。鈴は人間の均に強迫されていると勘違いし、母親の敬子が知恵のところに証拠の写真を取りに行って、知恵を殺してしまう。

しかし登場人物はみんなヴァンパイアということになっており、殺されるのだが、最後には生き返ってくる。なんか「はじめに」で断ってあるように、登場人物のほとんどがヴァンパイアであるということを前提にしないと物語自体が成立しないのだ。

もちろんこういう前提をもちだすこと自体は、むきになってとがめだてすべきことではない。要は、それでもなおかつ登場人物たちに魅力があるかどうか、物語が興味深いかどうかということにあると思うのだが、まぁどうなんでしょうね。メグが薔薇の花びらを食べて、犯人が分かったというところで、私にもめぼしがついたので、もう一つでしたね。

この作品一つでこの作家を判断してはいけないのでしょうね?!でも、もう読まないでしょう。たぶん。


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「ポンピドゥー・センター物語」

2006年11月23日 | 人文科学系
岡部あおみ『ポンピドゥー・センター物語』(紀伊国屋書店、1997年)

パリのど真ん中に異形の姿をさらすあのポンピドゥー・センターにある国立近代美術館で長年キュレーターをしてきた日本人女性によるその活動の軌跡と舞台裏を紹介した報告の書のようなものである。個人の体験談として書かれているので、フランスの文化活動の最先端がじつにリアルに生き生きと伝わってくる。

本来隠すべき排気口だとかエレベーターだとか骨組みだとかを剥き出しにして作られ、文化活動をあらゆる階層の人々に開放することを目指したポンピドゥー・センターは、写真なんかで見たことがあるという人は多いだろう。1977年に開館したということだから、私が初めてパリに行った83年にはすでにあったし、私もその前を通ったというか、センターの前にある広場で大道芸を見たりして楽しんだ覚えがあるが、中に入ったのは、今年の夏が初めてだった。

ちょうど雨だったこともあり、雨宿りのつもりとちょっと休憩のつもりで入ったのだが、「開放」ということを謳っているだけのことはあって、じつに中に入っても開放感があった。トイレも大便の方は完全密閉式で落ち着いてできた。そういうわけで気に入ってしまった。一階の広い空間に入るだけなら荷物チェックだけで無料になっていて、上の美術館に入るには有料となる。エレベーターを使って上まで上がりパリの遠景を楽しむだけでもけっこういい。

2階から4階までが公共情報図書館になっている。これがまた「開放」を謳った創設の精神に則った図書館になっている。普通は図書館には自習室がメインで、もちろん開架式になっている棚に自由に閲覧できる本も多数あるが、ほとんどは書庫のなかにあって係員に貸出票を書いて持ってきてもらわなければならない。これが国立図書館(BNP)になるとたいへん。何時間も待たされる。もちろん事情の分かっている人は前日にインターネットを使って予め申し込みをしておき、当日朝ついたらすぐ閲覧できるなんてことをするのだが、それでも突然これが読みたいという場合にはやはりたいへん(フランスでは館外貸出しはいっさいしない)。

ところがここの図書館は全ての文献が開架式になっているので、全てを好きなときに閲覧できるし、コピーももちろん自由に出来る(それで列が出来る場合もあるが)。視聴覚の資料も閲覧できるので、学生、サラリーマン、失業者とあらゆる人々に利用されている。ということをじつはこの本を読むまで知らなかった。

とまぁ、前置きはこれくらいにして、美術館の学芸員になるということがこれほどたいへんなこととは知らなかったというくらい、フランスで学芸員になるのは超すごいことのようだ。フランスは一般の大学までは競争というものはない。バカロレアは資格試験だから基準点を取った人はみんな合格になる。そして国立大学に登録料を払うだけでほとんど無料だ。

しかしグラン・ゼコールといわれるエリート養成の大学院大学のようなところは定員があり熾烈な競争に勝ち抜かないと入学できない。ここに入っただけで国家公務員となり、給料が支払われる。そして卒業後もエリートの道を進むことになる。フランスでは学芸員を養成するルーヴル学院は管轄が文化省になるので、通常の大学やエコールとは違う(教育省の管轄)が、4年間のあいだに次々と篩に掛けられて数千人の入学者が数十人の卒業生になる。しかもそれだけでは学芸員になれず、毎年生じる欠員を補充する採用試験に合格しなければ学芸員になれないのだ。

この著者はすごい努力をして卒業はしたが、フランス国籍がないのでこの採用試験は受験できなかった。しかし、篩に掛けられガンガン鍛えられてきたので、ルーヴル学院を卒業しただけで、日本の学芸員のレベルどころではないレベルの能力が形成されるのだ。

この本のメインは、国立近代美術館でさまざまなエクジビジョンに関わってきたその舞台裏の話ということなのだが、まったくの素人なので、面白かったという感想だけ書いておこう。

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「オディールから遠く離れて」

2006年11月22日 | 現代フランス小説
クリスチャン・オステル『オディールから遠く離れて』(ミニュイ社、1998年)
Christian Oster, Loin d'Odile, Double 15, Editions de Minuit, 1998.

クリスチャン・オステルは1949年生まれのフランス人作家で、1999年に『私の広いマンション』でメディシス賞を受賞している。日常生活の細部を微にいり細を穿つ式の描写とか、日常生活のなかの物を擬人化する手法で知られているらしい。

この『オディールから遠く離れて』もまさにそのような作品で、日常生活のこまごまとしたことを、かなり読みにくい文体で書いている。また蝿をオディールと名づけるなどの擬人化風のこともなされている。

この小説の語り手であるリュシアンは45歳の失業者で、パリの小さなアパルトマンに住んでいる。三年前から恋人のオディールとの仲が悪くなり、12月に破綻したばかりだ。それと前後して彼は日記を書き始めたのだが、その直後に一匹の蝿が彼のまわりにうるさく飛んでいることに気づく。最初は、無視を決めていたのだが、彼が日記を書いているペン先だとかインクのあたりにうろちょろするので、オディールにたいする腹いせもあり、オディールと名づけて、追っ払うことに快感を感じ始める。最後にはあまりのうるささに握りつぶしてしまおうとするのだが、かつて若い頃にはできたことが出来ない。歳のせいだと考える。

クリスマス休暇に友人のアンドレと彼の恋人のジャンヌが一緒にスキーに行こうと誘ってくれる。リュシアンはジャンヌにちょっと気があることもあって、OKする。中央山岳地帯にスキーにでかけるも、到着した二日後にはアンドレとジャンヌが喧嘩してしまう。アンドレが腹を立てて一人でスキーに出かけたあいだに、リュシアンはジャンヌとセックスをしてしまう。ジャンヌも最初からその気があったのだとリュシアンは思っている。ところがセックスが終わると、なぜかリュシアンは「これで終わりだ」とジャンヌとの関係を拒否する。いたたまれずジャンヌもパリに帰ってしまう。

一人残されたリュシアンはスキーに出かけ、ゲレンデで若いメージュ(ネージュ(雪)ではなくてメージュということをリュシアンはえらく気にしている)という女性と接触して転んだことがきっかけで知り合うというようなお話である。

あらすじ自体はどうということのない、つまらない物語で、本当は蝿のオディールと私のコミックなやりとりだとかで笑わせたいようなのだが、面白くもなんともないから、どうしようもない。

2005年の『Lire』誌(三月・四月号)でのインタヴュー記事のなかでオステルは「私は語り手の存在理由が不安定になった瞬間を取り扱うのが好きなのです。こうした不安定さは語り手が物事を見るときの感じ方を変えてしまうからです」と言っている。たしかに蝿を相手に追いかけっこをしたり、昔の杵柄を思い出して、蝿を素手で取ろうとしたり、蝿にオディールという名前をつけたりと、ちょっと変わっている。

また彼の語り手の職業・家庭関係などがあいまいなまま話が進められることがおおいらしいのだが、ここでも一応リュシアンという名前は会話のなかで出てきて分かるのだが、いったいどうやって生計をたてているのだか、どういう社会生活を送ってきたのだか、よくわからない。物語自体も取り立てて面白い興味深いことがあるわけじゃないし、最後も尻切れトンボのような終わり方である。

ほんとに、訳のわからない小説でした。

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「バスジャック」

2006年11月19日 | 作家マ行
三崎亜記『バスジャック』(集英社、2005年)

短編は面白くないとさんざん書いてきたが、そうでもない短編集を見つけた。しかも私の嫌いなオチがついているのだが、そのオチも悪くない出来だ。三崎亜記の『バスジャック』という短編集は、長さも色合いもまったくことなる短編が六作収録されている。

「二階扉をつけてください」と「バスジャック」は、この作家の処女作である『となり町戦争』と同じような毛色の作品だ。こういう作品を読むとこの作者はほんとうにテレビゲームで育った世代だなと思う。戦争もバスジャックも、私のような世代の人間が善悪で判断するような問題を、ゲームの良し悪し、ルールの出来の完成度で測るような、そういう世代のように思う。戦争もバスジャックもRPG化してしまっている。もちろんだからといって、戦争やバスジャックに対する彼の理解が浅薄だなどと気色ばむつもりはないが、そういう問題を善悪の問題としてしか捉えられない私のような人間には、面白いアプローチだということは認めるが、とてもじゃないがついていけない。ついつい「ほんとうにこいつら戦争ってものがどんなに悲惨なものなのか分かってのか」というような反応を示したくなる、私だって戦争を知らない世代なのにね。

「雨降る夜に」は「僕」の部屋を図書館と勘違いして雨が降る夜にきまって雨にぬれながら「僕」の部屋を訪れてくる女性のことを書いたごくごく短い作品だが、本を愛するものの気持ちが伝わるよい作品だと思う。

「動物園」も不思議な作品だ。動物を「演じる」というか、動物がいる空間をプロデュースする日野原柚月の話なのだが、動物のイメージを作り出すのだが、それは演じるわけではなく、そのあいだ彼女は読書をしているだけなのだ。しかし檻の外の観客には動物が見えているという不思議な行為で、動物園に出張して希望の動物をプロデュースするというのが彼女が所属する会社の仕事である。なんとまぁよくこんな不思議なことを思いついたものだなと感心する。

そしてきわめつけは「送りの夏」という、この短編主の中で一番長い作品。理由も行き先もなにも知らせずに突然に家を出て行った母の探して家出をした小学六年生の麻美は、こっそり父親の手帳からさがした母親の行き先と思われる日本海に面する小村に降り立つ。母親がいる若草荘で麻美がみたものは、マネキンのように動かない子どもの海里君を世話する両親の辻原さん夫妻、同じように人形のような絵里香という女性を世話する若い幸一さん、やはり身動き一つしないおばあさんの体が冷たいので夏でも厚着をさせている老夫、そして動かない直樹さんを世話する麻美の母。

辻原さん夫婦が海里君を連れて車で買い物に行くのについて行ったときに麻美はたぶんことの真実を知ってしまったのだろう。三人が海里君を車椅子にのこして買い物をしているあいだに近所の中学生たちがいたずらに車椅子を動かし坂道からころがしてしまった。もんどりうって地面に叩きつけられた海里君をみて両親は泣き叫ぶが、救急車を呼ぶでもなく、呼ばれてやって来た黒田さんは海里君になにかの処置をしたようだ。だがそのときから麻美は彼らが「本物の人間なのか、それとも精巧に作られた人形なのかはわからなかった」と考えながらも、うすうす人形だということを読者に知らせ始める。不注意な読者ならその時点でもわからないかもしれない。ほとんどそうだとはっきり提示されることがないからだ。

しかし最後に、送りの日といって、小舟に乗せて彼らの誰かを海に流し、永遠に別離の決心をつける日というものが来る。今回は海里君の両親がその決心をして、海里君を送り出すことになる。流し灯篭のようなもの。

残された者たちが死別した子どもや恋人や妻などとの別離の決心がつかない。そういう人たちが人形とともに暮らし、心から別離の決心の出来る日をまつのが若草荘というところなのだ。麻美の母親もどういう関係の男性か知らないが、直樹さんという人との別離の決心ができるのを待ってここで暮らしている。残された者たちの、愛する人への絶ち難い思いというものがあるのだということを麻美は学んでいく。

最近、自殺した子どもを亡くしたある両親が「幽霊でもいいから出てきてほしい」と言っているのを新聞で読んだが、私もその人たちの気持ちは痛いほど分かる。そう、幽霊でもなんでもいいから会いたいのだ。

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「トンマッコルへようこそ」

2006年11月18日 | 映画
『トンマッコルへようこそ』(2005年、韓国)

かつて正義の核兵器という考え方があったらしいが、同じく正義の戦争という考え方もあったのだろう。だがどちらの戦争も人殺しをすることには変わりなく、人を殺すということも殺されるということも、無残な死に方であることには変わりない。

この映画でトンマッコルにやってくる人たち、人民軍の兵士たちも、連合軍の兵士たちも、ともに人を殺すことができない人たちである。人民軍の将校同志は負傷した兵士たちを足手まといだということで銃殺しろと言われてもそれができず、連合軍の中尉は民衆が逃げるために渡っている橋を爆破せよという命令に従うことができず脱走した兵士だった。そういう人たちだからこそトンマッコルにやってきたのだという意味合いも込められているように思う。

トンマッコルという桃源郷のような村で生活していくことで、彼らは自分たちがどんな相手であれ、どんな大義名分であれ、人殺しをするのも殺されるのもいやだという気持ちに目覚める。あのまま、貧しいながらも腹いっぱい食べて、人を殺すことも殺されることもなく暮らしていけたらどんなにいいだろうと思うようになった頃、村の外では、相変わらず朝鮮戦争が続いているという現実がある。

そのあたりのバランスがじつにうまく作られているので、観ている側も感情移入がすーとできる。だから外から新たに連合軍の落下傘部隊がやってくると、こちらもどきどきしてしまう。村人たちと一緒にはやく逃げないと危ないよ、と心の中で叫んでいる。

彼らはみんなトンマッコルの村での生活に幸せを感じていた。だからこそ、爆撃機が襲来することを知って、自分たちの死を予感しながらも村人たちのために、偽装の村を作って連合軍を誘導する作戦に出るのが、なんら無理なく思われる。死を怖がっていても村人たちのためなら命を賭してでも村を助けようとする彼らの気持ちがけっして無理なく伝わってくる。

それは翻って観ている私たちに、戦争というものへの嫌悪感を心にわき上がらせる。藤山寛美の芝居じゃないけれど、笑って泣かせるというのが、けっして手練手管でなく作られた映画だと思うのだ。

久石譲の音楽もいい。「もののけ姫」の木の精たちのイメージ音楽を基調にした音楽だが、それがトンマッコルという村の無垢なイメージにぴったりあっていた。

私が観たなかで今年一番の映画かもしれない。

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