読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『10人のパリジェンヌ』

2014年04月30日 | 評論
山本ゆりこ・アトランさやか『10人のパリジェンヌ』(毎日新聞社、2014年)

女でもないのに、なんでパリジェンヌに興味をもったのか。たぶん毎日新聞社に載っていた書評が上手く書かれていて、私の読書嗜好に合ったのだろう。だいぶ前に図書館に予約を入れたのに、2ヶ月か3ヶ月たってやっと順番が回ってきたくらいだから、結構読んでいた人がいたということだ。もちろん、10人のパリジェンヌが自分の過去と現在を語っているだけの本だから読みやすいのは言うまでもないが、パリジェンヌという響きがなんとも人を惹きつけるだろうことはたやすく分かる。

でも、読んでみて思ったことは、いったい何のために?日本人がこれを読むことにどんな意味があるの?著者たちは「大事なことを丁寧に伝えたいと思う」とまえがきで書いているが、これらの文章のなかにどんな「大事なこと」があるのか私には分からなかった。

たしかに日本人とはまったく違う考え方生き方をしてきた30歳代から80歳代までのパリジェンヌの生活の仕方、ものの考え方を知ることは、翻って私たちにそれらを振り返ってみる、あるいは新しい生き方を見出すのに有益かもしれない。だが、なぜパリジェンヌ?なぜジャポネーズではないの?と思ってしまう。

ここに登場するパリジェンヌたちは、たしかに年齢的にはバラエティーに富んでいるが、共通することは、過去にいろいろ試行錯誤があったにせよ、現在は成功者としてパリに住んでいるということ。信じられないけど、彼女たちの多くがセカンドハウスを持っていて、彼女たち自身は必ずしもそうではないにしてもパートナーや両親がグランド・ゼコール出身というような、ある意味ブルジョワであることなど、本当に、普通の日本人が自分たちの生き方の参考にしようと思うような人たちではないと思う。

それに、もちろん彼女たちだって順風満帆だったわけではなくて、少女時代や結婚してから一度や二度は挫折を味わっているのだろうが、その部分がさらっと軽く流しているために、どんな苦労をしてそれをどんなふうにして克服してきたのか分からない。要するに、当たり障りのないことで済んでいるのがなんだか物足りない。

たしかに「アンアン」などの女性雑誌のパリジェンヌとは一味違うかもしれないが、なんだかなぁ~と思う内容だった。

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『ベートーヴェンとベートホーフェン』

2014年04月27日 | 評論
石井宏『ベートーヴェンとベートホーフェン』(七つ森書館、2013年)

音楽史における既成概念を打破することに執念を燃やしている石井宏による、ベートーヴェン神話破壊の著作で、副題も「神話の終わり」となっている。

そもそもベートーヴェンという名前自体が間違っていた、本当はベートホーフェンだったというから面白い。大学でドイツ語の教師にドイツ語ではvはヴではなくてフと発音すると習ったばかりの著者は、なぜベートーヴェンはvをヴと発音するのかと尋ねた。するとその教師は彼はオランダ系で、オランダ語ではvはヴと発音するんだと言ったという。著者はその時はその説明に納得していたが、その後オランダに行ったときに、オランダ語でもvはフと発音することを知り、結局、この教師は間違いを教えていたのだが、この教師の間違い自体が戦前のドイツ人由来だったということを突き止めるが、なぜ・いつドイツ人自身がこんな説明をするようになったのかは不明だという。

第一章はベートホーフェン(ベートーヴェン)の肖像画比べで、これも面白い。あの有名な鋭い眼光で蓬髪の、赤いスカーフを首に巻いた肖像画は、当時やり手の肖像画家の書いたもので、リアリティーよりも売れることが主眼にあったという。ほとんどの肖像画がこれを踏襲しており、結局、リアリズムという考え方のなかった当時に、まったく売り物にするということを抜きにして、単なる友情から描かれた肖像画が、唯一本当のベートホーフェンをおそらく一番リアルに描いているという。それがメーラーという人が1815年に描いたもので、この本の口絵になっている。それは本当にどっか田舎のおじさんという感じで、まるで音楽室でみるベートーヴェンのそれとは違う。

第七章の革命的な音楽家も面白かった。こんなことは別にこの著者でなくても、誰かが書いていることなのかもしれないが、ベートーヴェンの革命性は、それまで、あるいはそれ以降も旋律・和声・リズムによって作られた何らかの主題を発展・展開して作られるものだが、ベートーヴェンの中期の作品群、とくに第五交響曲は、冒頭の調性も明確でない、したがって和声もなければ、旋律とも言えないようなものを主題にして、1つずつ石を積み上げていくようにして作られているところにあるという。

あとがきによると、戦前まであったベートーヴェンの虚像は、だんだんと戦後に剥がされて、真実の姿が明るみになってきたが、だからといって、古びることもないだろうと書いている。まったくその通りだ。どっかの、ベートーヴェン気取りのおっさんとは違って、ベートーヴェンの音楽の化けの皮ハゲるなどということはないだろうからね。



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ガトーショコラ「大黒柱」

2014年04月08日 | 日々の雑感
ガトーショコラ「大黒柱」

久しぶりの仕事で甘いものが欲しくなったので、仕事帰りに梅田の阪急デパートの地下に行って、ヒロコーヒーのガトーショコラ「大黒柱」を買って帰った。

左の写真を見てもらえば分かるように、このガトーショコラは中までしっかりショコラが詰まっている感じの、すごく濃厚で堅いガトーショコラ。

私はスポンジがフワフワのものはあまり好きではないが、ここの「大黒柱」は名前のとおり、しっかり芯が通っている。甘すぎず、ココアの苦味もしっかり味わえる。

私はガトーショコラが好きなので、何度か作ったことがあるが、こんな堅いガトーショコラを素人が作るのは無理だと思う。素人にはできないガトーショコラ。それがいい。

それに私のふるさと大山の生クリームを使っているそうで、そこがまたいい。

一本まるごとで1700円くらいなので、必ず一本買って、上さんと二人で3回か4回くらいで食べる。

じつは以前、用事で千里中央駅に行ったおり、たまたま入ったカフェがヒロコーヒーで、ガトーショコラのカットされたものを食べて、一目惚れならぬ、一口惚れした。

めったに千里中央なんかに行く機会はないので、一時期これを買うためだけにわざわざ千里中央まで行っていたこともあった。ケーキ買うためにわざわざ行くのもなんだかなと思っていたら、阪急デパートにも売り場があることが分かり、それ以降は、仕事帰りに買えるようになった。

通販でもやっているようなので、興味のある人は、こちらにアクセス。

ヒロコーヒーは吹田、豊中、伊丹といった大阪兵庫の北部を中心に展開しているカフェのようで、コーヒーも美味しいようだが、私のほうは大阪南部に住んでいるので、カフェにはあまり行けないが、店の雰囲気もすごくいいところで、千里中央駅の店舗なんかは、いつも満席に近い状態で、流行っている。私が住んでいるところは、こんな洒落たカフェなんかないんだな、残念だけど。



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STAP細胞騒動をややこしくしているもの

2014年04月06日 | 日々の雑感
STAP細胞騒動をややこしくしているもの

STAP細胞発見に関する論文が『ネイチャー』に掲載され、それを理研が発表したのが1月末、その後あっという間に、論文に掲載されていた写真にたいする疑義から、論文の不正認定が理研によって発表されたのが4月1日という急展開に、それを見守っていた私たち素人でさえも、なんだかジェットコースターに乗っているみたいでついていけないところがある。

一番の問題は、私には理研の対応にあるようにしか見えない。

まず第一に、今回のSTAP細胞論文は、主著者が小保方さんであるにしても、ほとんど理研の関係者であり、理研を挙げての論文であったようだ。そもそも論文を提出するまえに、彼ら理研の共著者たちが、STAP細胞の再現実験を何度もやって、その手順を全体で確認していたようには思えない。そうでないなら、どうして、今回の最終報告で、STAP細胞の検証実験をこれから1年かけてやるなんて言っているのだろうか。

例えば、STAP細胞が万能細胞であることを明らかにする実験をしたという山梨大学の若山照彦教授は、STAP細胞の再現実験をやったが、自分一人では成功しなかったと言っていた。STAP細胞が本当に存在するのかどうかを最終的に自分の目で確認しようとしなかったというのが、なんとも不思議でならない。これは、もちろん彼一人の問題ではなくて、共著者全員の問題だ。

素人でも分かることだが、再現実験を何度もやって共著者たちで確認をして、その存在に確信をもってから、論文を発表するのが普通だろう。そのようにしていたら、今回のようなことにはならなかったに違いない。(今さら、研究ノートが3年で2冊しかなかったと言って責任をなすりつけるなよ)

この意味で、今回の最終報告では、小保方さん一人の責任にしているが、理研という組織がまったく「科学的な組織」ではなかったことを示しているように思える。

第二に、今回不正認定された写真問題と、STAP細胞の存在そのものは別物だ。まず、STAP細胞の検証実験を行って、本当にSTAP細胞そのものが実在しないものだということを検証してからだって、結論を出すのは遅くない。過去にも、1年以上も検証にかかった例もあるという。現時点では、まだ小保方さんが本当にSTAP細胞の存在そのものについて不正をしていたのかどうか、どちらとも言えない。

これから1年かけて検証実験をやるなんて最終報告で言っているということは、論文の発表前に検証をしなかったことを意味しているし、今回の最終報告のことで言えばSTAP細胞の検証もしないで、論文の不正認定をして撤回しろと結論付けるのも、時期尚早ではないか。どうして理研は、論文発表にしても、最終報告にしても、こんなに急いでいるのだろうか。理研の上の方から神の一声があったとしか思えない。

しかも、国が決める『特定国立研究開発法人』の認可がらみであることは、素人目にも分かる。そもそも上記のように理研が科学者として当然の検証をきちんとやらないで『ネイチャー』に論文を出させたのも、早く成果を挙げて、認可を確実なものにしたいという焦りがあったからのようにしか見えない。

そして同じ動機が、今回の、どう見ても拙速としかいいようがない、あるいは、トカゲのしっぽ切りにしか見えない最終報告を動かしていて、小保方さん一人に責任のなすりつけをしたようにしか見えない。これも、認可を得るために、早く問題を片付けたいという動機が背後にあったことは、素人にだって分かる。となれば、そのような方向に動かしたのは、だれか?もちろんトップの意向だろう。

今回の問題は、論文発表にしても、不正認定にしても、理研の上層部から、急がせるような力が働いていたようにしか見えない。もちろん、これは私の素人判断にすぎない。

私は、たとえノーベル賞受賞者だとしても、理研の理事長である野依良治が責任を負うべきだと思う。「問題が発覚した段階でも相当怒ってましたが、今回の彼女の態度で、怒りはピークに達しています。理研の看板に傷をつけておいて、反省しないどころか、不服申し立てですからね。野依さんは『徹底的にやる!』と豪語しており『理研に著しい損害を与えた』という理由で、懲戒解雇処分も視野に入れているそうです」(内部関係者…4月4日東スポWeb)とか言っているそうだが、自分の名声に傷をつけられたことに腹を立てるだけのようにしか見えない。

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天野山金剛寺に花見

2014年04月05日 | 日々の雑感
天野山金剛寺に花見

毎年、天野山金剛寺のしだれ桜を見に行くのだが、時期が遅すぎて葉桜になっているので、今年こそは、早めに行こうと、今日出かけてみたのだが、今年も遅かった。どうやら先週の土曜日あたりが満開だったらしい。このしだれ桜は普通の桜よりも開花が早いみたい。

うちから天野山金剛寺へは、陶器山を越えて、堺市と大阪狭山市&河内長野市の境界にある、天野街道を行く。このコースは、西高野街道から分岐しており、そこまでは以前歩いた道を進む。

左高野山、右天野山という石彫の標識があり、そこが分岐点になっている。そこを右に進むと、たぶん陶器山だと思われる山道に入る。山道といっても、天野街道というくらいだから、かなり古くからある道で、果ては熊野まで行く道だったというので、整備されているし、ところどころ住宅地が道のそばまで迫っており、近所の人達の格好の散歩道にもなっている。

まわりを木々で覆われているので、夏なんかは涼しげでいいだろう。今は、山ツツジが可憐な花を咲かせている。いわゆるツツジと違って、小さな花だ。

4kmくらい行くと、この森を抜け出て、あたり一面畑の田園風景になる。あちこちに桃や梨の栽培が行われており白やピンク色の花盛りだし、菜の花畑は黄色に染まっているし、草を焼いている煙が立ち上り、ホーホケキョとうぐいすがあちこちで鳴き交わしている。なんとものどかな田園地帯だ。ときどきケンケンという鳥の鳴き声が聞こえるので、キジがいるのかもしれない。

出発してから2時間30分くらい歩いて、天野山金剛寺に到着。あたりは桜が満開。なのにしだれ桜はもう花が終わって、葉桜になっていた。仕方がないので、あたりの桜を愛でて、バスに乗って、河内長野駅前に行く。

駅の一つ手前で降りると、ラブリーホールがあり、そこのレストラン、ケーズキッチンでランチを食べた。ラブリーホールにはよくオペラを観に来たことがあるのだが、こういうところにあるレストランって、せいぜいピラフとかサンドイッチしか置いてないという先入観があって、敬遠していたのだが、ちょっと調べたら、手作りに凝った美味し料理を出すということなので、初めて入ってみた。私はビーフシチュー、上さんは日替わりランチで、今日は豚ロースの具だくさんソースで美味しかったそうだ。

前日までとは違って寒の戻りみたいに寒かったが、楽しい半日だった。


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『評伝三船敏郎』

2014年04月03日 | 評論
松田美智子『評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)

三船敏郎って、私が子供の頃から大学生になるまで、そうあの時までは、なんかむさ苦しいおっさんという感じで、あまり好きではなかった。有名な俳優らしいけど、昔の遺産で生きているような、怠惰な感じがしていた。テレビドラマでみる、あの用心棒的な雰囲気そのままの俳優だと思っていたのだろう。

それを一変させたのが、大学2年だか3年のときに見た『七人の侍』だった。とくに映画に関心があったわけでもない。それまでに見た映画なんて、寅さんとか大学1年のときに流行ったブルース・リーくらいだったのだが、なぜかしら、黒澤明監督の作品として超有名くらいのことは知っていたみたい。

吹田の豊津にあった映画館の前を通りかかった時、たまたま『七人の侍』をやっていることを知った。なんせ4時間位ある大作である。2本分を1本分の料金で見れるというので見に行ったのだが、菊千代の三船にぶったまげた。若々しく、馬車馬のようで、活気みなぎる三船敏郎が、私の知っている、体が重たくてたまらん、みたいな中年の三船とあまりに違っていて、度肝を抜かれるとはこのことを言うのだろう。もちろん映画そのものの面白さもあって、本当に充実した一日だった。

『七人の侍』の三船が、私にはまるで何も知らない新人役者のように見えたのだが、実際には、すでに羅生門にもでて、世界的な名声を得た後のことで、黒澤明監督作品でも「酔いどれ天使」や「白痴」や「羅生門」にも出ていたわけだ。そう考えると、この役作りは、本当にすごいということが分かる。『羅生門』の盗賊にはすでにその片鱗があるとはいえ、農民のいいところも偽善的なところも、裏も表も知って、農民を憎悪しながら、武士にも反発し、それでも農民を助けるために命を賭ける菊千代の無様さをあますところなく体現している。

もちろんそれから私の三船を見る目は変わった。「羅生門」を見た時、三船に捕まえられた京マチ子を巡って、盗賊の三船と京マチ子の夫の森雅之が戦う場面での三船のあの独特の歩き方を見た時、一発でぴーんと来た。スピルバーグは『ジュラシック・パーク』でティラノサウルスに、この三船の歩き方を使っているな、と。とくに獲物を狙うときの歩き方がそうだ。ちょうど三船が森雅之を獲物みたいに狙うときの歩き方。

この本でもスピルバーグが『1941』を撮影するときに、日本軍の潜水艦館長として三船を起用したが、彼が館内に書かれた落書きをみて、日本の軍人はこんなことはしないとスピルバーグに言って作りなおさせたという話が書かれているが、きっとスピルバーグは三船を敬愛していたに違いない。

それと、アラン・ドロンが『レッド・サン』の撮影で三船と出会ってから、一発で三船を敬愛するようになって、後に『サムライ』という映画や同じく「サムライ」という香水を作ったというような話も書いてあるが、本当に、外国の有名な映画監督や映画俳優を前にして、まったく物おじしないで、堂々と渡り歩ける日本人俳優なんて、三船敏郎くらいだろうなと思う。

三船プロダクションの話や女関係の話や晩年の認知症の話なども書かれているが、存分に生きたのだから、本望だろう。ただファンとしては、黒澤明監督の息子が言っているように、東映の保管庫に眠っている三船出演作品をリマスターして、綺麗な状態で見れるようにすることが急務であり、また文化遺産としてもやるべきことではないかという話は、まったくそのとおりだと思う。


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お花見と松花堂弁当

2014年04月02日 | 日々の雑感
お花見と松花堂弁当

大阪狭山市にある狭山池の桜が満開だという話を聞いたので、上さんとお花見に行った。

狭山池は、7世紀前半に作られた、日本最古のダム式のため池だそうで、ここにある博物館にも行ったことがあるが、大規模な工事が、なんども行われてききたらしい。ここの地図を見ると、狭山池で貯められた水が、西除川と東除川を通って、大和川までの平野部の灌漑に機能していたことがよく分かる。

現在の狭山池は、完全にコンクリートで固められているが、以前は、ホタルも見れるところだった。この平成の大改修のときに植えられた桜が、やっとおおぶりになってきて、写真のように、場所によっては、桜の通り抜けのようになっている。

全体的には、まだまだ最近植えられたばかりの桜が多くて、豪華というほどではないが、まぁ近場で楽しむにはいいところだ。

そういうわけで、平日ではあったが、たいへんな人出だった。以前はサンドイッチなどを作って持って行ったりもしたのだが、今年は、ちょっと洒落て、狭山池から少し歩いたところにある「小さなくぐり戸」という日本料理屋で、松花堂弁当を頂いた。

ここの主人は、大阪のリーガロイヤル・ホテルの料理長をしていた人で、定年退職後この店を開いたという。メニューも簡素で、昼は松花堂弁当と昼御膳だけ、夜も4000円と6000円の和食のコース料理だけ。キャパもそれほど大きくはないが、二階には10人程度入れるので、ちょっとした集まりにはもってこいかもしれない。

昨日も私たち夫婦の他は、一階に70歳代とおぼしき老人たちのグループが同窓会みたいな集まりで使っていた。

店の雰囲気はそんなに豪華ではないので、改まることはないが、料理は美味しいから、ちょっと穴場的な日本料理屋というところか。


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