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読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『私労働小説』

2023年11月10日 | 作家ハ行
ブレイディみかこ『私労働小説』(KADOKAWA、2023年)

最近エッセンシャルワーカーと言われ始めた分野の仕事―他者をケアするような仕事で他者にとって必要不可欠な仕事―が、じつはエッセンシャルにもかかわらず、いわゆる3Kみたいに、報われない仕事であることをへの怒りをにじませている。

自分の経験と創作を織り交ぜて書いたとあとがきに記しているが、実際の経験が土台にあることにかわりはないと思う。

資本社会は矛盾に満ちている。実際に労働している人に労働に見合った報酬が与えられるのではなくて、労働に必要な資材―土地、建物、機材などの生産手段―を所有している人が多大な報酬を手にする。

資本家は労働者なくしては価値を創造できないくせに、すべてを手にする。労働だけが唯一価値を生み出す生産手段の一つなのに、そこに働いているのは市場原理だ。代わりがいれば、どんどん労働者の価値は下がる。機械や土地や原料などの他の生産手段と同じで、どんどん叩かれて労働価値は安くなる。

しかし価値を生み出すのは労働者だけだ。しかしなぜエッセンシャルワーカーは虐げられているのか。誰にでもできると思われているから?代わりがいくらでもいると思われているから?

そんなことはないだろう。看護師になるには国家資格が必要だし、保育士だってそうだ。多くのエッセンシャルワーカーは資格なのに。

もしかしてサーヴィス業だから?そんな社会への疑問というか、怒りをぶちまけるように吐露したのが、この小説で、とても日本に住んでいたのでは発想できない小説だと思う。作者がイギリスに住んでいて、労働者運動の伝統が根付いている社会にいるからこそ発想できたのではないかと、私は思う。

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『東京坊っちゃん』

2023年05月15日 | 作家ハ行
林望『東京坊っちゃん』(小学館、2004年)

1949年、東京生まれの著者の少年時代の回想記である。

父方は、父親はのちに東京工業大学の先生、伯父は東京大学総長にもなったような人の家系であり母方は軍人の世界にいたような家系であってみれば、いわゆる底辺層の庶民ではないが、終戦直後のみんな貧しかった時代は、みんなこんな少年時代を過ごしたんだろうというような世界である。

小学校低学年までの子どもにとって「世界」は狭い。とくに鉄道線路を見ると、なぜかしらこの線路の向こうには何か知らない世界があるという気持ちになるくらい。リンボウ先生も道の角の柳の木までが「世界」だった時期があると書いているが、よくわかる。

田舎育ちの私には小学校と家とのあいだだけが「世界」で、とくに小学校とは反対側に向かう道路の先は異界のようなものだ。だからなんかの機会に、上級生たちに連れられてほんの数百メートル先の村まで行ったときには、なにやら怖くて、逃げ帰った思い出があるくらい。

そしてだんだんと「世界」が広がってくると、級友と学校の帰り道で今まで通ったことがない道をあるてみたり、田舎暮らしなので、山の麓のほうへ入ってみたりしながら、だんだんと冒険を企てるようになる。田舎暮らしの私なんかにとっては、せいぜいアケビの実を手にれたりすることくらいしかないが、リンボウ先生の場合には都会ぐらしなので、東京の(とくに父親が通っていたという東京工業大学のキャンパスで)冒険をしたりしたようだ。

別にリンボウ先生の思い出話にケチをつけるわけではないが、こういう幼少期の思い出話って、本人にしか意味がないと思う。こんなものを書いて金にしようとしたりする著者や編集者の気が知れない。



『スクラップ・アンド・ビルド』

2023年03月26日 | 作家ハ行
羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋、2015年9

羽田圭介の第153回芥川賞受賞作だということは、読後に知った。図書館の一角にある介護かなんかの特集コーナーで見つけた。中島久美子の『介護小説 最後の贈り物』という小説と一緒に借りて来たのだが、こちらが読みやすそうだったので、先に読んでみたら、面白かった。

最初はそのタイトルからして、人生なんてスクラップ・アンド・ビルド、つまり老人は若者たちに道を開けろ、的な(つまり最近喧しいイェール大学准教授の老人の集団自殺みたいな」ものかと思っていたら、まったく違っていた。

祖父、母、自分(健斗)の三人で東京の近郊都市のマンションに住んでいる主人公の祖父がうつ状態で早く死んでしまいたいと言うのが口癖になっている。健斗は三流大学を出たが、いまだに就職できず、行政書士試験のための勉強をしたりしながら、ときどき付き合っている4歳年下の亜美とセックスしたりしている。父がすでに亡くなっているので、母が働いて生計を立てているが、この母は祖父にきつい言葉で当たり散らす。

普通に考えると健斗はあれこれ世話をしなければならない祖父に対して辛く当たると思うのだが、意外と「祖父の希望通り早く苦しまずに死なせてやる」ということを考えて、祖父の世話をしている。つまり祖父が移動するのに手を貸してやるのは、祖父の身体能力を早く落とすため、衣服の整理を代わりにするのは、祖父の認知能力を衰えさせるため、という具合である。

つまり、彼の意識とは無関係に、外見的は祖父孝行の孫に見えるのだ。そういうちょっとねじれた健斗の意識が中心に描かれているので、まだ二十代の健斗がいいやつに見えてきたりするのが、面白い。

3分の2あたりから著者の筆も冴えてきて、喜劇を狙っているのかと思わせるほど、笑わせてくれる箇所が頻出するのだが、最高なのは以下の行である。祖父が突然に苦しいと言い出したので健斗が救急病院に連れ込んでしばらく入院ということになる。同じ病室には老人ばかりがおり、その中のひとり老婆が「殺されるぅ」と誰彼となく叫んでいる。何回目かに訪れたときその老婆が同じように「殺されるぅ」と言うと、若い猫なで声の女性看護師がやってきた。

老婆「殺してくれっ!」
看護師「もう少し待っててねぇ」
老婆「はぁい」
すると老婆はおとなしくなり・・・(95頁)

この箇所で思わず笑ってしまった。

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『風神雷神』

2022年12月11日 | 作家ハ行
原田マハ『風神雷神』(PHP、2019年)



俵屋宗達の『風神雷神図屏風』をモチーフにした小説。

著名な画家の生涯とか絵をモチーフにした小説は、ほぼ研究尽くされていることが多いので、たいてい実際にはあり得ない出来事があったとか、実際には存在しない絵が発見されたというようなフィクションをいかに真実らしくみせるかというところに、作品の出来がかかっていることが多い。

この小説は、信長がその権力の絶頂期にローマ教皇のもとに送った使節「天正遣欧少年使節団」に俵屋宗達も一緒に派遣されたという設定で書かれている。

本の最後にも書かれているように、「天正遣欧少年使節団」を研究した若桑みどりの『クワットロ・ラガッツィ』を種本にしているので、その経緯や彼らが辿った足跡や謁見の様子などは、それに作者の想像力も加えて、微に入り細を穿つというくらいに詳細に描かれており、本当に俵屋宗達が一緒にヨーロッパを見聞してきたかのように思えてくるから、作者の筆の力はそうとうのものだろう。

しかし俵屋宗達の「風神雷神屏風図」には、素人の私が見ても、西洋絵画の影響はまったくないのは分かる。いくら俵屋宗達の生涯に不明なところが多いからといって、西洋に行かせるのは、想像力の使いすぎではないかと思う。

まぁいい夢物語を読ませてもらったというところだろうか。

画家を題材にした架空の小説には次のものがある。
二つともゴッホというのは、やはり人気度を示しているのだろうか。
原田マハ『たゆたえども沈まず』

高橋克彦『ゴッホ殺人事件』

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

2022年04月23日 | 作家ハ行
ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)

これも読みたいと思っていた本で、図書館の返却コーナーで偶然に見つけた。ラッキー!

イギリスのパブリックスクールの話は、じつは知り合いが東京のある相撲部屋の師匠の息子の家庭教師をしているのだが、その知り合いが言うには、家庭教師をしている子供はイギリスのパブリックスクールに行っていて(したがってイギリス在住)、夏休みとか春休みに日本に帰ってきたときだけ、ラテン語を教えているという。

私はずっとパブリックスクールというのは公立の学校のことだと思っていて、どうしてそんなところにわざわざ日本から通わせるのだろうかと不思議だったのだが、この本を読んでいる途中にも同じ疑問が復活したので、ネットで調べたら、伝統のある私立の学校をイギリスではパブリックスクールと言うらしいことが分かった。

この本の著者の子供はパブリックスクールではなくて、元底辺中学校に入るところから、このエッセーは始まっている。

この本はいろんな側面がある。第一の側面は、子育て奮闘記みたいなもの。中学生という、ある意味で、一番厄介な子育て時期を親子でどんなふうに過ごしたのかの記録。これは世界に共通するような側面でもあり、日本の読者にも大いに参考になる部分がある。

この点では、この著者と息子の関係で感心するのは、もちろん幼少期からだと思うのだが、言葉で自分の思いや感情を相手に伝えるということを大事にしていることのようだ。だから、息子も「うっせー」とか「知らねーよ」とかではなくて、しっかり言葉で悩みを口にするし、疑問も投げかけるし、それに著者も分かりやすく説明をしてあげている。

第二の側面はイギリスの学校制度の解説みたいなもの。イギリスの地方都市の中学校の話なので、当たり前だが、日本とはまったく制度が違う。そのあたりはこの本のもとが連載のエッセーなので、繰り返し説明がなされて、わかりやすい。

イギリスの学校制度を知っても別にどうにもならないが、それでも感心するのは、底辺校だった学校が中くらいのレベルになるには、校長を始めとした学校の先生たちの努力や親たちのフォローがあってのことだということが分かる。

第三にイギリスの政治も分かる。そうはいっても、「ゆりかごから墓場まで」という社会福祉の充実したイギリスから、サッチャーの新自由主義への転換による社会福祉の切り捨てというような大雑把なことしか分からないのだが。ケン・ローチ監督の作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)とかを見れば、ここで書かれていることがもっと理解しやくなるだろう。

この著者はこの本でぽっと出の作家になった人かとおもっていたが、2013年くらいから毎年のように日本で本を出版している人で、それなりに年季の入った著述家なのだ。ただイギリスで暮らして、子育てを経験したから、書けた、というようなものではないということがよく分かる。

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『空白を満たしなさい』

2021年10月08日 | 作家ハ行
平野啓一郎『空白を満たしなさい』(講談社、2012年)

妻子があり、仕事でも新しいピール缶を開発して仕事にも充実していた土屋徹生は33才のときに「自殺」して死亡したが、3年後に生き返る。その場面からこの小説は始まる。

「自殺」の原因が自分にあるのではないかと思って3年間を苦しんできた妻の千佳は徹生の復生に驚き、最初は拒否反応のような態度を見せるが、だんだんと受け入れることになる。

会社に行ってみると、ビール缶の開発の功績は上司に横取りされており、すでに自分の居場所はなく、邪魔者扱いされるのを感じて、結局、退職する。

世界のあちこちに同じように死後に復生した人たちが多数いることがマスメディアで報道されるようになる。そして復生者たちの社会問題を支援する団体もできる。

徹生も友人たちの支援を受けながら、仕事をしたり、家族を取り戻したり、そして、徹生が自分を突き落とした犯人だと思いこんでいた佐伯という人物と再会したりして、だんだんと自分の中に、自分に対する人によって、違う自分が存在することに気づく。それをこの小説では「分人」と呼んでいる。

分人は、決して、いわゆる多重人格のようなものではなくて、相手となる人間に応じてしか出てこない自分のことを意味する。

そして世界のあちこちにいた復生者たちが再び死んでいくという現象が起きていることが報道され、また徹生の知り合いの復生者が死んでしまうのに遭遇して、徹生は自分にも同じことが起きると予感し、4才になる息子に向けて、息子が20才くらいになって、父親の本当の姿をしっかり捉えられる時期になったときに見てもらうために、ビデオ取りをする。そして息子に向かって言う言葉がこれで「空白を満たしなさい」なのだ。

フィクションなので、あり得ない復生などという現象を考え出した著者の想像力には感服する。作者としては、人生とは何かを考えるきっかけにしてほしいというのが、創作の動機なのだと思う。

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前回の投稿からひと月ちかくがたった。じつは、前回投稿の直後にジョギング中に肉離れ(軽いほう)を起こし、1週間ほどどこへも出かけずにおとなしくしていたところ、ちょうど1週間後に、今度はギックリ腰を起こし、さらに1週間寝たり起きたりの状態で、まともに机に向かうことができなかった。今週くらいからやっと普通に身動きができるようになった。もともと椎間板ヘルニアの持病があるとはいえ、この2年ほど何事もなかったので、青天の霹靂のようなもので、気分的にも落ち込んだ。仕事のほうは遠隔授業なので、出かける必要がなくて幸いであった。重いものを持ったわけでもなく、何か無理をしたわけでもなく、何に気をつけたらいいのか分からないので困る。トホホだね。

『ある男』

2021年04月01日 | 作家ハ行
平野啓一郎『ある男』(文藝春秋、2018年)

平野啓一郎さんの小説第二弾として『ある男』を読んだ。推理小説風の作りで、あっという間に読めた。

通常の推理小説と違うのは、推理小説なら探偵役である主人公である弁護士の城戸自身が自分の出自や家族や生き方のことで、時には茫然自失となるほどに悩んでいて、それが彼の探している人物のそれと重なるという、精神科医にありがちな状態が描かれていることにある。

つまり城戸は自分が担当した依頼人からの仕事を淡々とこなして人探しをしているだけではなく、やり取りをとおして、自分の人生を見つめ直しているということだ。そこから、在日へのヘイト問題だとか、犯罪者の家族の問題といった社会問題への照り返しが、この小説の副主題ともなっている。

宮崎県西都市に住む里枝は小学生の息子がいるバツイチだが、両親が営む文具店に絵の具などを買いに来る男と触れ合ううちに好感を抱いて、再婚をする。谷口大祐との間に娘をもうける。労災が多いと言われる林業で働いていた彼は、伐採した木の下敷きになって死亡する。ところが谷口大祐は本当の谷口大祐ではなかったということがわかる。

かつて離婚問題で担当したことがあった弁護士の城戸が相談を受け、本当の谷口大祐の兄やかつての恋人などへの調査を行ううち、だれかが谷口大祐を名乗っていたことがわかる。ではだれと?そして本当の谷口大祐の生死は?

上にも書いたが推理小説じたてなので読みやすかったのか、平野啓一郎の腕のせいで読みやすかったかはわからないが、入れ替わりの仲介をしたとされる男(刑務所に入っている)とのやり取りあたりが、ちょっと混乱したくらいで、面白い作品だった。

最後あたりで、長い間冷えていた妻との関係が修復したが、実は妻が不倫しているのではと思わせる箇所ができてきたり、谷口大祐のかつての恋人であった美涼といい関係になりそうな展開になると思わせたりしたのだが、それらに触れることなく尻切れトンボみたいに終わったのも、小説らしい余韻を残してくれた。

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『マチネの終わりに』

2021年03月30日 | 作家ハ行
平野啓一郎『マチネの終わりに』(毎日新聞出版、2016年)

最近、著者の平野啓一郎さんのツイッターを見て共感することが多く、彼の小説はデビュー作の『日蝕』しか読んだことがなかったので、一度最近の作品も読んでみたいと思った。

『日蝕』についての感想はこちら

この『マチネの終わりに』は福山雅治と石田ゆり子の主演で映画化されたのを知っていた。見てはいない。予告編を見ても、なんだか、つまらないラブストーリーのように思えたからだ。

この小説の主題は、終盤で洋子が父親のソリッチと再会して近況や昔の話をする箇所の最後で提示されている。

一つは、ソリッチが言う言葉。「愛していたからこそ、関係を絶ったんだ」(p.374)。人生には、いや男女の関係にはそういうものがあるのもしれない。とくに恋愛と結婚は必ずしもイコールとならないこともある。

もう一つは、それを聞いた洋子が言う言葉。「わたしの過去を変えてくれた今。」(p.375)。つまりここではなぜソリッチが自分と母を捨てたのかという事実を知った今、その過去は「捨てられた」のではなくて「愛されていた」「守られていた」に変わるということだろう。

平野啓一郎さんは積極的に政治的発言をしている作家だが、この作品を見ても、中東での厳しい情勢や強欲な証券資本のことや東日本大震災のことなどが、作品を動かす重要なベクトルとして使用されており、こうした政治的問題を丁寧に調査したうえで書いていることが関係しているということが、この作品を読んでよくわかった。

しばらく平野啓一郎を読んでみたいと思っている。

『マチネの終わりに』へはこちらをクリック

『たゆたえども沈まず』

2019年07月19日 | 作家ハ行
原田マハ『たゆたえども沈まず』(幻冬舎、2017年)

フィンセント・ファン・ゴッホと弟のテオ、そして彼の作品を評価していた浮世絵画商の林忠正と彼の助手を務める加納重吉、1880年代後半のパリを舞台とした話だ。

上記の四人のうち加納重吉だけは架空の人物らしい。

印象派がまだまだ画壇からは評価されなくても、多くの人が認め始めた時代、ジャポニズムがヨーロッパを席巻しはじめ浮世絵が飛ぶように売れた時代、そして浮世絵が印象派の画家たちに大きな影響を与えた時代を、いち早く日本からパリに渡って画商を始めた林忠正を中心として(ただし小説上は架空の人物である加納重吉の視点で書かれている)、新しい文化に熱狂するパリの様子を活写している。

印象派は、初めてヨーロッパ絵画においてキリスト教的バックグラウンドを排して、自然をそのものとして、観察者の中に映る世界として描いた流派である。キリスト教のバックグラウンドを持たない日本人が印象派を好む所以だ。

だが浮世絵は?富嶽三六景のように同一の対象を様々な姿で描く浮世絵が印象派の印象派たる特徴に合致していたのだ思う。それが印象派の画家たちに強烈なインパクトを与えたのではないだろうか。

ただこの小説は、思ったほどの面白さはなかった。加納重吉という視点を与えられた人物が今ひとつ魅力がない。もうひとりの主人公でもあるテオがあまりに不安定な精神状態で描かれているために、全体の印象が暗い。

原田マハにしては今ひとつの出来のように思う。

どっちみち架空の物語なのだから、高橋克彦『ゴッホ殺人事件』(講談社、2002年)のように、もっと大胆な設定にしたほうが面白かったのではないか。

高橋克彦『ゴッホ殺人事件』(講談社、2002年)についてのブログはこちら

『暗幕のゲルニカ』

2018年11月03日 | 作家ハ行
原田マハ『暗幕のゲルニカ』(新潮社、2016年)

一方には、ピカソのゲルニカ製作現場とそれがパリ万博展示以降にアメリカに渡ってMoMa美術館に保管されるに至った時系列。こちらは史実にかなり忠実なようだ。

他方には、フィクションとして、2003年にMoMa美術館で「9.11」後のテロとの戦いというきな臭い戦争が勃発した状況での「ピカソと戦争」という大回顧展を企画した日本人キュレーターの八神瑤子が「ゲルニカ」をソフィア王妃芸術センターからMoMa美術館に借り出すために奮闘する姿を同時並行して描いている。

この作者は生きてもいなかったような時代の、場所の、人物の日常生活を、目の前で見てきたように書くのが本当に上手だ。1937年ピカソとドラ・マールが付き合い始めた頃のパリでの生活、パリ万博の展示用に依頼された「ゲルニカ」の製作現場、それがパルド・イグナチオの協力によってアメリカに移送されることになった現場がじつにリアルに描かれている。

もちろんフィクションなので、ドラ・マールが1945年にピカソと分かれるときに身ごもっていた子が、小説の最後に瑤子を拉致したバスク独立戦線の一味のマイテで、二人をつなぐ線がピカソの描いた鳩の絵であった、そしてマイテが最後には瑤子を助けることになる、という作りになっている。

これだけのものを書くのにどれだけの下調べが必要だったことか。眼の前で登場人物たちが動き出すようになるまでの準備の膨大さに気が遠くなるような気がする。

原田マハ渾身の一作だと思う。