読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「立花隆秘書日記」

2008年01月31日 | 評論
佐々木千賀子『立花隆秘書日記』(ポプラ社、2003年)

1993年5月から1998年末までのあいだ立花隆の秘書を経験した著者がその体験を時系列におもな出来事を中心にして回想風に書き綴ったもので、たいへん面白かった。もちろんこれほど高名な著述家の秘書ということもそうだし、その働きぶりのすごさということでもそうだった。なによりもこの人の文章の上手さには感心した。とくに「1冬の海辺で」だけは特別に詩情豊かな文体で書かれており、この部分をもっと引き伸ばすなり、小説の一部にするなりして、なにかフィクションものとかを書けば、きっとすばらしいものが書けるのではないかと思うほど素晴らしい。ここだけがそれ以外のどちらかと言うとルポルタージュ風の書き方から浮いている。まるで散文詩とでも言ってもいいくらいの詩情を湛えている。

秘書の仕事と言うことでいえばまさに知的世界である。もちろんそれ以外の力仕事もたくさんあるのだろうが、だからといってだれにでもできるものではないが、それを最終的には雇い主である立花隆は理解していなかった、まるで自分ひとりの力で仕事をしてきたかのような扱い方で、つまり役にも立たぬものに給料を払っているというようなことを公の場で口にしたことが、著者の立花にたいする軽蔑に似た感情を抱かせることになったようだ。

数多くのノンフィクションを書いてきた巨人であることを前提にしたうえで、なおかつ思うのだが、たとえば東大での教員生活を終えたころに彼が感じた疲れのことが書かれているが、それは私にはたしかに自分の好奇心に忠実に現実を調査して、立花自身の言葉によれば百のインプットから一のアウトプットをすることでノンフィクションを書いてきたわけだが、彼が東大で目にしてきた専門家たちとちがって何一つ「極める」ことがなかったことに、本当に自分の人生はこれでよかったのだろうかと言うような思いを抱いたのではないかと想像するのだ。東大で彼が目にしてきた研究者や研究者の卵たちはまさにその分野を極めたり極めることを目指して日夜研究に励んでいる。たしかに立花と同じように百のインプットから一のアウトプットしかできないかもしれないが、彼らはまさにオリジナルな一をアウトプットしているし、することを目指しているのであって、立花のような現実の忠実なアウトプットではない。そこにはオリジナルなものは何一つないことを、この元秘書はリアルに見抜いていたのだろう。それがこの著作の最後における辛辣な発言となって、自分に対する無理解者であった雇い主へ向けられることになったのだろう。

こうした広く深くという知のあり方は一見すると百科全書的な知の巨人を思わせるが、そのじつ松岡正剛の著作について指摘したことがあるように、その専門の筋の人が読むと明らかな間違いを含んでいることがある、あるいはそうした間違った知識を土台にして議論が進められているというようなことが必ずあるものだ。そういう危うさをはたして立花が自覚していたのかどうか。そういうことへの自覚あるいは謙虚な態度が、この元秘書が立花のもとを去る頃には欠落していることが見えていたような指摘がされている。

これを読んで私が違和感を感じたのは大江健三郎にたいする立花の無批判的尊敬の念である。まぁだれがだれを尊敬しようと軽蔑しようと勝手なので、目くじらを立てることではないが、大江健三郎がサヨクの運動において(とりわけ反核平和の運動)サヨクに位置する立場からサヨクをないがしろにするような行動をとってきたことについて本多勝一が書いていたが、私はこちらに与する。けっして大江は尊敬できるような人間ではないと思うのだ。

そうした落とし穴に立花を落とし込む方向に作用したのは、この元秘書がいみじくも鋭く見抜いたように、立花は好奇心だけが生命であってほんとうにその対象を味わうことはどうでもいいのだ。ワインしかり音楽しかり。それと同じことが武満にたいしても作用していたらしい。立花は武満の音楽なんかには興味がない。武満がどうやって音楽を作り出すのかということにしか興味がないというのだ。同じことが大江健三郎を対象にしても起こっていたのだろう。大江が日本の文学界の中でどのような文学を作りどのような役割を果たしていたのかなんかは興味がない。東大の先輩でありノーベル賞作家であり障害者の父親であるということにしか興味がない。そしてそれは立花にとっては先験的に敬意の対象になるのだろう。

この本を読んで私がしみじみ感じたことは、クリエイティブこそがオリジナリティーこそが大事なのだ、滅びることなく、古びることのないものなんだということだった。

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「ヨーロッパ経済論」

2008年01月30日 | 人文科学系
田中・久保編著『ヨーロッパ経済論』(ミネルヴァ書房、2004年)

現在の欧州連合(EU)の姿を、グローバリゼーション、通貨統合、金融市場、社会保障制度の改革、労働市場、環境政策などから概観したもので、それぞれをその専門家の人たちが執筆している。

たぶん私の基礎知識が足りないせいだと思うが、もう一つEUについてのきちんとした像が結べなかった。とくに私が知りたかった通貨統合については、ちょうどフランからユーロに切り替わる2000年にフランスにいたこともあって、テレビとか直接フランス人あたりから、生の声を聞いたりしたので(たとえば、日本のタンス貯金みたいなことをしているフランス人のお年寄りがたくさんいて、はやくユーロに切り替えなければただの紙くずになるよというような話)、欧州連合からの視点ではどうなっていたのだろうということに興味を持って読んだのだが、なんだかよく分からないうちに、この章が終わった。

なぜ通貨統合に興味があったのかと言えば、ユーロが対円で非常に強く、2001年に始動した当初は1ユーロ=110円くらいだったのが今では160円くらいになっているからだ。EU域内の失業が大幅に減ったわけでも、投資が増えたわけでもないし、EUが磐石になったわけでもないのにいったいどうしたわけなんだろうと常々疑問に思っていたから、それが解けるのでないかと期待していたのだったが、それは期待はずれだった。

通貨統合は旅行者には非常に便利だ。これまでは国境を出るたびに新しい通貨に両替しなければならなかったものが、そのままでいけるのだから。たぶんそれはそこに毎日暮らしている人たちにだって同じことではないだろうか。スイスのようにユーロでもスイスフランでもどちらでもいいよというのなら別だが、国境が取っ払われ、パスポートなしで行き来できるようになっても通貨が別々では話にならない。

EUはある意味国境をなくしてしまうのだが、一方ではがんとしてそれぞれの国の制度も残っているから、そうした温度差が、ちょうど塩分濃度の違いみたいに作用して、人やものの移動を思わぬ方向に生み出すことがあるにちがいない。

たとえば社会保障がそうだ。国によって保険料が違うし、医療の質も違うので、保険料が安いが医療の質も劣るような国に住んでいる人は、医療の質の高い国に行って医療を受けたがることになる。EUは同質の社会保険をすべての域内市民に保障するということを謳っているらしいから、そうした市民の思わぬ動きをどのようにして規制するのか、どうもよく分からなかった。

またこれは高齢化社会の進行による社会保障費の急増にたいしては、労働者人口を増やすこと、また高齢者をできるだけ労働人口にとどまらせることで急激な支出をさけるようにしているらしい。これはまた失業率を下げることに意を使うよりも、労働人口を減らさない(つまり定年退職者を減らす、女性が出産後に復帰するのを促進する)ことに力を入れる方向に労働市場問題にたいする対応の仕方が変わってきたという話は、興味深かった。

EUではまた完全雇用形態を志向するのではなく、同一労働同一賃金を基本にしつつ、短時間労働などの有期雇用形態での労働力人口の増加も目指して、雇用側のニーズに対応すべきだというようになっているらしい。またこれと関連して、あまりに充実した失業対策(個人給付など)は逆に労働へのインセンティブをそぐことになるので、生活保護以下になるように変わってきているということも面白い。その結果、EU域内では長期失業が大幅に減っている。それでもフランスでは10%前後を維持しているということは短期の失業が多いのだろうな。

この本でEUの本部が出してくる対応策のごくごく大雑把なアウトラインを読んでいると、一方ではまったく観念的なスローガンのようにも思える。だが他方ではそうした観念的に見えても、一つの方向性をきちんと指し示すところがなければ、EUなんかはまったく瓦解してしまうにちがいないとも思う。

まぁEUという試みはこれまでになかったことで、世界の注目を浴びているだろうから、成功してもらいたいものだ。そしてもっとヨーロッパ旅行がしやくなってくれるといいんだが。


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本当に橋下は知事をやるの?

2008年01月29日 | 日々の雑感
本当に橋下は知事をやるの?

日曜日に大阪府知事選挙があって、橋下が圧勝で当選した。本当に橋下は大阪府知事をやるのだろうか?私がいまだに信じられないのは、大阪府民が橋下を選んだということではなく、また選挙結果が信じられないというのでもない。問題は橋下自身の選択なのだ。

彼はまだ38歳で年収が3億くらいだという。弁護士をしながら、「行列のできる法律相談所」をはじめとして、大阪にある放送局のくいもん関係の番組や「たかじんのそこまで言って委員会」などのレギュラーを何本かもっている。

府知事になれば、とうぜん弁護士事務所は他の弁護士を雇って橋下弁護士事務所の名前で彼らに仕事をまかせっきりになるだろうし、今もっているテレビのレギュラーは下りなければならないだろうから、かなりの減収になるにちがいない。府知事の年収なんて2000万円くらいだろうから、相当の減収と言っていいかもしれない。丸山弁護士のように国会議員というのなら、とくに参議院議員というのならまだ分かる。けっこう暇みたいだから、弁護士の仕事はもちろんのこと、テレビのレギュラーだって続けられたに違いない。しかも国政だから、それなりにやりがいもあるだろう。

あるいは東京都の石原慎太郎のように、大きな道筋だけ自分が指示しておいて、細かな実施は官僚たちに任せるという手法をとるつもりなのだろうか?しかしあれは長年国会議員を務めてきたし、都民の圧倒的指示を得ている石原慎太郎だからできることであって、政治的経験のない橋下には無理なように思う。

だが府知事なんて、現在の橋下の地位から見れば、減収をしてまでやるだけの価値のあるものには思えない。ノックのように学歴もなにもない一タレントならまた違う。ただのアホ芸人と思われていた者が大阪府政のトップに立つのだから。同じことがそのまんま東にも言える。彼はとうぜん宮崎県知事のあとは国会に出るつもりなのだろう。

だが橋下には多くの犠牲を払ってまでやるだけの価値が大阪府知事にあるのだろうか?仕事はハードだし、やることはすごく山積みにあるし、それでたとえば元鳥取県知事の片山氏のようにそれなりの実績をあげても、たかが県知事にすぎない。大学教授にはなれても人々の尊敬を受けることもなければ、後世に名を残すほどの地位ではない。

だから私はいまだに橋下が本当に府知事をするつもりがあるのか信じられないのだ。どんな府政をとか、どんな改革をとか、どんな手法をとかの問題ではなく、そもそもやるつもりなのかどうかが信じられない。

結局、何の根拠もないけれど、どこかと裏取引があるとしか思えない。当初は2万パーセント出馬はありえないとテレビカメラの前で言っていたのが180度の方向転換での出馬であった。このタイムラグのあいだに、どこかと裏取引でもしたのだろうか?まったく根拠のない話なのだが、そうとしか私には思えない。

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娘の結婚式

2008年01月28日 | 日々の雑感
娘の結婚式

娘の結婚式があった。子どもの結婚式は初めてのことで、すべてが初めての経験ばかりだったと言っていい。教会でのキリスト教式による結婚式、モーニングを着たこと、新婦の父親ということ、初めてのことばかりだ。

結婚式の準備は彼らが全部自分たちでやってくれたので、私たちは(たぶん新郎の両親も)ほとんど何もすることはなかった。私たち夫婦の結婚のときもそうだったので、そういうものだと思っていたけれども、親としてはずいぶんと楽だった。娘は仕事をしながらの準備で大変だっただろう。

モーニングを着るなんて、まぁそれなりの地位にある人なら、あれこれのレセプションとか式に呼ばれて着る機会があるのかもしれないが、あまり格式ばった式なんか出たことがないのに、モーニングを着る機会なんてこれまでなかった。もちろん借り物の化繊のモーニングだが、結婚式では新郎新婦の父親だけが着ることになっているようで、係りの人たちは私のことを知らないのに、モーニングでそれと判断していたようだ。そうやって見るとたしかにモーニングを着ているのは私と新郎のお父さんだけだった。なるほど!

教会での結婚式。もちろん新郎新婦ともクリスチャンではないが、まぁ神前とか仏前はもっと似合わないということで教会での結婚式にしたのだろう。神父による日本語と英語による説教もあったり、賛美歌を歌ったりという、一定の手順がある。合唱は二人の女性が神父のアシスタント役も兼ねており、装飾音をつけて歌うとか二重唱になるように役割分担していた。またオルガンとバイオリンの生演奏も伴奏用についていた。「アーメン」というのはさすがに、クリスチャンではないので、気が引けたが、よい経験をした。

親戚も遠方からたくさん来てくれてうれしかった。なかでもしばらく会っていなかった上さんの両親やら上さんの姪っ子が2ヶ月の赤ちゃんをつれてこの寒い中を東京から来てくれたのもうれしかった。何気ないことではあるが、やはりこういうことが(たぶん来てくれた本人たちは親戚づきあいの一つくらいにしか思っていなくても)こちらとしては、本当にうれしいものなんだなということが実感された。

新婦の父親って特別な感情があるらしいのだが、私はとくにそのようなものはない。さすがに最後に娘からのあいさつには胸がぐっときたが、泣くことはなかった。知らず知らずにうちに気持ちがハイになっていたのだろう。翌日はなにもする気がしなかった。

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親戚の集まり

2008年01月25日 | 日々の雑感
親戚の集まり

久しぶりに親戚が集まった。上さんの両親とうちの母親と弟、そしてうちの子どもたち、総勢8人だけど、うちでお寿司とかピザを食べながら、昔の話やら成長した子どもたちの話に盛り上がった。

上さんの両親はともに83歳。義父のほうは見るからにお年寄りという感じだが、義母のほうは、話によれば、以前は太りたい太りたいと思ってもぜんぜん太れず、太ることを断念していたのに、ここ数年のあいだにあっという間に太ってきて、見るからに血色のよいおばあさんという雰囲気になっているが、じつは背骨が圧迫骨折をしたことがあり、やっと最近になって普通の生活ができるようになったばかり。骨折をした頃はもう歩けないかもしれないと思っていたのに、その回復力はたいしたもの。本当に話が好きで、しゃきしゃきしているところを見せないとだめ、元気がないところは人には見せれないというような人だから、人知れず無理をするところもあって、圧迫骨折ということになったらしい。

他方、うちの母親は喘息もちで、薬の副作用かなんかしらないが肌も浅黒くなり、いかにもばあさんばあさんした感じで、本人もあまり人前で堂々と喋る人ではないが、それなりになんか知らないが、楽しみはあるような人だ。

うちの弟が山陰地方でやっている新しいインテリアショップの話題でもちきりになった。24歳くらいの若い女の子に仕入れや店のレイアウトなんかを任せているらしいのだが、それがあたって結構若いお客さんが来るらしい。なんかの情報誌のトップを飾ったことがあって、それを読んだ若い人が松江あたりからもやってくるとのこと。インテリアにも興味があるうちの息子と話が盛り上がっていた。

私も上さんの両親と会うのは、両親の喜寿のお祝いを彼らがかつて新婚旅行をした思い出の地である宮島でやっていらいなので5年ぶりになるのだが、だんだんと小さくなっていくものなんだなとびっくりする。

上さんは毎年夏と暮れに実家に帰って家のかたづけの手伝いをしているが、私は邪魔になるだけなので行かない。やっぱりたまには顔を出しておいたほうがいいのかなと思った。
なんだか久しぶりにこうして親戚が集まってみると、なかなかこれもいいものだなと思う。毎日毎日顔を合わせるものではないだろうが、なにかをきっかけに昔話に花を咲かせるのもいいものだね。

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「シラクのフランス」

2008年01月22日 | 人文科学系
軍司泰史『シラクのフランス』(岩波新書、2003年)

1995年に14年ぶりに社会党のミッテランから大統領職を取り返した保守本流ゴーリストのシラクが、目の前に迫った欧州連合の通貨統一の前提として域内国に要求されていた財政赤字の縮小のために、これまでタブー視されていた社会保険の大幅赤字解消をするために打ち出した改革案が国民の猛反発を受けて起こった、三週間にもおよぶ交通・ガス・電気などの公共部門でのストライキから始めて、ミッテラン時代には凍結されていた核実験を再開して、核軍縮の方向に進みつつあった国際情勢を元の木阿弥にしてしまったこと、国の危機にしか下されることのなかった国会解散総選挙を党利党略のために机上の分析だけでやった結果、大敗北を喫した1997年の総選挙のこと、そして2002年の大統領選挙での、予想もしなかった極右フロンナショナルのルペン党首の決選投票進出が示す国民感情から、最後にはフランス人がもっているアメリカ感情にいたるまで、シラク時代のフランスの政治を点描的に描いたもの。さすがにジャーナリストだけあって文章と言うか導入の仕方と言うか、読ませ方がうまい。

たとえば1995年の大ストライキは、68年革命にも比べられるくらいに大規模な国民の運動となり、そして今のストライキと違うところは、通勤通学に苦労しながらも多くの国民がこのストライキを支持していたところにある点を、まるでテレビの報道かなにかのように描き出している。

また1997年にシラクが党利党略のために行った解散総選挙の場合もそうだ。まるで見てきたかのようなリアルさでドビルパンによるリサーチと日程表の作成、そしてそれを直前まで知らなかった社会党のジョスパンによる対応と国民の反応が手に取るように見えてくる。

またルペンショックと移民問題を書いた第6章の出だしの読者のひきつけ方なんかはジャーナリストらしさが上手に出たところだろう。移民問題を語るのに、どうしてパリ空港から一歩も出ないで空港内に住むイラン人の話をしなければならないのか冷静に考えてみると分かるのだが、そうしたセンセーショナルな話から読者を引き込んで、W杯での高揚感があっという間にしぼんでしまったと言う話から、決して問題は何一つ解決されたわけではないことを、私たちに簡潔に示している。

こうした著者のジャーナリストとしての筆力は大変なものがあるが、だからと言って、フランスの社会が抱える問題がリアルに描き出されているかというと、そこまで賞賛することはできない。というのはジャーナリストだけあって、そうした社会的表層の出来事を上手に使って問題を提起するまとめるという能力には長けていても、いったいこれらの問題がなにに起因しているのかを、とりわけ経済問題の分析から導き出すという点ではまったく不十分と言うか、まったくないというべきだからだ。ジャーナリストに経済分析を要求しても、もとから無理と言うものかもしれないが。

だから面白かったけど、なぜフランスは移民問題を抱えているのか、失業問題が解決できないのか、そして社会党から政権をとった保守にもなぜこれらの問題が解決の兆しを見出せないのかまったく分からないのだ。

ジャーナリズム的分析と描写の優れた点と弱点をまざまざと見せつけてくれた一冊と言うべきかと思う。

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耳ツボ

2008年01月21日 | 日々の雑感
耳ツボ

ツボを刺激してやることで様々な病気が治るということは、私が結婚した直後に、中国かぶれの、上さんの両親から磁電針というものをもらったときに、そのなかに全身のツボを描いた本が病気別のツボの位置を示していることから、知っていた。しかし、東洋医学というか、ツボなんてももので病気が治るということに半信半疑だった私は、ほとんど見向きもしないでいた。まぁ上さんは彼らの娘だから、それなりに小さい頃から薫陶を受けていたのか、私が頭が痛いといったり、目が疲れたなんて言うと、ここのツボが利くよと言って、頭のあちこちやら指先やらを指圧してくれたりした。

その本についていた付録の大きな絵図(「法の臨床」(谷口書店)より転載)には全身の経略とかツボの位置とともに、耳の絵が描いてあった。それを見ると耳たぶに人間の姿がグロテスクに描かれている。耳にも全身のツボが配列されているということらしい。そのときはそれがお母さんのお腹の中にいる赤ちゃんの姿に似ているということは私には分からなかったが、そういう主張をする医者もいるらしい。

さてそれは置くとして、私が耳ツボに注目しだしたのは次のようなきっかけによってなのだ。私はときどき上さんに耳そうじをしてもらうのだが、耳そうじをしてもらうたびに、便意がやってきてウンチをしたくなるので、すぐにトイレに走ることがよくあった。それで耳の中にツボはないから、きっと上さんの手が耳そうじをするときに私の耳たぶに触れ、それが刺激になって便意を促すことになっているのではないかということに気づいたのだ。そういえば耳に全身のツボが集まっていると読んだことがあるから、腸を刺激するツボがあっても不思議ではないと思ったのだ。

それで耳たぶをあちこち触ってみた結果、上のほうに腸を刺激するツボがあるらしいことが分かった。そこを指先で揉むようにしてやると、あっという間にお腹がごろごろになって腸が動き出し、ウンチがしたくなるのだ。私は45歳くらいから、腸の動きが悪くて、便意があるのに、なかなかウンチが出ないということで、嫌な思いをしていたのだが、これを知ってからは、あっという間に腸が動いてウンチが出るので、すごくうれしい。

一時期は、便秘でもないのに便秘薬を飲んで排便したいくらいに、ウンチの出が悪かったのだが、これでだいぶ改善した。もともと毎朝食後に排便の習慣があったので、食後にトイレにって耳ツボを刺激してやるとカンタンに排便できるようになったのだ!

これを書くためにインターネットで調べていたら、下のようなサイトが出てきた。ここを読んでいたら頻尿も治したことがあるという。今度はこれに挑戦してみよう。それにしても、人間の身体って不思議だね。

耳ツボの部屋



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パソコンが壊れた

2008年01月20日 | 日々の雑感
パソコンが壊れた

少し前から調子がおかしかったパソコンが壊れた。思えば最初11月後半にブルースクリーンが出始めたころに調子が悪くなり始めていた。訳が分からないので、修復インストールをかけてみたりしたが、いっこうに直らなかった。一時はUSBが使えなくなって、上さんが趣味で写してくるデジカメのファイルを移すの困ったので、なんとかしようとあれこれやっていた。これは修復インストールで直った。

しかしブルースクリーンは相変わらずで、でも何度か再起動を繰り返すと立ち上がり、いちど立ち上がると、あとは問題なく使えていたので、なんとかこのまま使い続けようとおもっていたのだ。

そしたら先日、本屋で立ち読みをしていたらパソコン関係の雑誌に、起動の途中でブルースクリーンがでたり再起動を繰り返すのはメモリーかHDが壊れかけているという記事を見て、さっそく家に帰ってメモリをはずしてみたりしたが、いっこうに直らない。

ついでだからと内部の埃を掃除機で吸いだしていたら、あれあれ、変な色になっている箇所がある。どうも上から下になにか液体のようなものが流れ出して乾いた跡ようなかんじだ。そしてその発生源あたりをみるとどうもコンデンサの下になにかかさぶたのようなものが張り付いている。それを触ってみるとぽろっと取れてしまった。コンデンサの中身が熱かなんかで溶け出したのだろうか?うそー!

これを見てさすがに私も観念した。これはイカン。どうも流れ出して乾いた液体のようなもので漏電している様子はないが、これではいつ動かなくなってもおかしくない。そして今朝はブルースクリーンどころか、初めて見るレッドスクリーンが出た。レッドスクリーンにはさすがの私も度肝を抜かれた!強烈! 何度も何度も再起動を繰り返してなんとか立ち上がらせ、バックアップをとって、インターネットで安いパソコンを探して注文した。やれやれ。あと5年くらいは使うつもりでいたのに。

それにしても不思議なのは、一度立ち上がると、なんということもなく使えることだ。再起動をしても問題ない。シャットダウンして直後なら、電源を入れなおしても問題ない。ところが一晩くらい、電源を切ったままでいると(もちろんスリープ状態でも)、今度電源を入れたときに、一発では立ち上がらない。ブルースクリーンの繰り返し。たぶん液漏れをしたコンデンサというのが、電源を入れた直後にしか使わない回路のものなんだろうな、と素人考えをしているが、どうなんだろうか。

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「鹿男あおによし」

2008年01月19日 | 作家マ行
万城目学『鹿男あおによし』(幻冬舎、2007年)

図書館の予約受付から順番が回ってきたという連絡が入ったと思ったら、ちょうどテレビで玉木宏主演でドラマが始まったところだった。なんというタイミングだろう。通勤の行きかえりであっという間に読んでしまった。これだから小説というのは面白い、やめられないって感じでしょうか。でも、いつもいうけど、あまり心には残らないタイプかな。一気に読めた、でもそれだけってやつ。

だれが読んでも、夏目漱石の『坊ちゃん』を下敷きにしていると思うのじゃないのかな。関東から、失敗をして都落ちして、地方にやってきた若者。学校の先生になりたいわけじゃない。赤シャツならぬリチャードの支配する学校。男子校ではなく女子高だが、うまく生徒たちとコミュニケーションがとれない「おれ」。下宿先の女主人を「ばあさん」と呼ぶこと。マドンナの存在、などなど。

漱石と違うところは、「坊ちゃん」の主たるテーマが権威に対する反抗と金や富にたいする批判にあったのにたいして、そうしたテーマはまったく存在せず、常陸の国(茨城県)の鹿島大明神と奈良の春日大社、そして京都の伏見稲荷をむすぶ、鹿に乗ってやってきた大明神となまずと地震の関係という、まったく神話のたぐいをもとにしたまさにファンタジーとなっている。

一時期奈良にはよく行ったことがあって、奈良公園や東大寺は当たり前だが、「おれ」が学校からの帰りにときどき使う新大宮駅だとかも馴染みの場所だけに、なんだが親しみが湧いた。ましてやリチャードに誘われていく「奈良健康ランド」は、ほしのあきが出てくるテレビコマーシャルで関西では有名だから、思わず笑ってしまった。

最期に玉木宏主演のテレビドラマについて。きっと関西の人間はみんな、玉木宏は関東からやってきたという設定だからいいとして、どうして他の登場人物が関西弁を使わないのか、不満に思っているはずだ。

たとえば、堀田イトが最初の日に遅刻してきた言い訳に「マイ鹿」を駐車禁止で捕まって手間取ったなどと言ったことを放課後学年主任になんでそんな嘘をついたのかと詰問されて「ボケただけですよ」と言う場面がある。もちろん「ボケた」というのは関西人には当たり前の「ボケとつっこみ」の「ボケ」のことで、老人が「ボケた」のとは違う。当然「ボ」にアクセントが来るのに、堀田役の若い子は老人が「ボケた」のほうのイントネーションで(つまり標準語で)言っている。ぜんぜん意味が違ってくることが分からないのかな。

どうもこのドラマを作っているプロデューサは東京の人間で関西弁のニュアンスがちがうことを知らないようだ。だから原作はコメディーなのに、テレビドラマはなんだかシリアスというか、ミステリー風というか、ぜんぜん雰囲気が違う。それに「おれ」とずっと絡みのある(つまり「おれ」がつっこみとすれば「ボケ」役の)「藤原君」がどうして男じゃなくて女になってるわけ?しかも綾瀬なんとかというアイドル系の子だ。わけわからん。

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「変貌するフランス」

2008年01月18日 | 人文科学系
長部重康『変貌するフランス、ミッテランからシラクへ』(中央公論社、1995年)

1995年に出版されたこの『変貌するフランス』と2006年に出版された「現代フランスの病理解剖」を読んで、フランスの抱える問題がだいぶわかってきたような気がする。これまで不思議に思っていたことが、まさにフランスの病理の一つだったのだということが分かってきた。

たとえばパリといえば路上駐車が当たり前で、日本のように車検という制度がないこともあって、一列に並んだ路上駐車から車を出すのに前後の車にボンネットをぶつけるというようなことがよくあると思われている(それは実際にはそんなにしょっちゅうあることではないだろうけど)、なぜこんなに路上駐車をするのかと言えば、駐車場がないから。東京でもロンドンでもニューヨークでも大都市ではどこでも都市再開発によって巨大ビルと地下駐車場で狭い土地の有効利用と情報高度化を図っているが、パリは相変わらず街の景観を大事にするという理由でそうした近代化がまったく行われていない。当然、大企業の本部などはパリ市内には置けず、郊外に出ることになる。

一事が万事この調子で、要するにフランスは日米が一生懸命に近代化、技術革新にはげんできたときに、ミッテラン政権が中心となってまったくそれと逆をいく政策をとったために、世界の先進国に大きく後れを取ってしまったのだ。その結果が、高失業率であり、テクノロジーの遅れであり、貿易赤字であり、硬直した社会に固有の貧困である。

この本ではミッテラン社会党政権がどういうことをしてきたのかをかなりはっきりと描き出している。社会主義的政策に固執したりするあまり、いつまでも重厚分野への偏重が激しく、コンピュータテクノロジーをはじめとする技術革新への投資が弱くて、科学技術の点で日米に一歩も二歩も遅れたのだ。

ミッテランはそれをまったく理解しておらず、70年代の社共共闘のなかで伝統的に主張されてきた産業政策、つまり国有化による雇用創出というケインズ主義的手法を行い、ものの見事に失敗した。それが完全に机上の空論であるということを「ミッテランの実験」として証明して見せたのだった。たしかにこの意味では「ミッテランの実験」は意義のあるものだったのかもしれない。

そしてすぐにミッテランと社会党(というか社会主義そのもの)への失望はフランス国民の多くを覆っていたのに、右派たちも経済というものがよく分かっていなかったようで、相変わらずのゴーリズムとディリジスムを繰り返すばかりで、フランスの経済は一向に好転せず、ミッテランの統治下に失業者は急増し、失業率も10%以上をキープし、労働組合の組織率は10%を切るようになる。

一方では移民問題にも有効な手が打てないまま、失業の増大と移民の増大があたかも相関関係にあるかのように描き出す極右のフロンナシオナルの急成長を許してしまうことになる。また共産党が強く赤い地帯と呼ばれていたパリ周辺の諸都市で共産党が凋落すると、それまで共産党とその影響力の下にあった労働組合のCGTが移民の統合というフランス共和国の根本理念をまがりなりにも実践していたのに、それができなくなり、これらの地域は逆に未組織の移民の若者たちが荒れ狂う地域になってしまったのだ。

私はダニエル・サルナーヴ、リディ・サルヴェイル、ミシェル・ウェルベックたちが描くフランス人のどうしようもない貧困(物質的貧困、精神的貧困、性を絶対的で決定論的なものとみなすことなど)は、エリート主義に毒され、政治はエリートにまかせておけばいい、庶民は口出しをするなというような分業的考え方が、底辺のフランス人の絶望感をどうしようもないところまで深めてしまっているように思うのだ。こういうことが、この二冊の長部氏の本を読んで初めて分かったような気がする。

この本を読むと、今のフランスはにっちもさっちも行かないところまで来てしまったように見える。移民問題はどうしようもない袋小路に入っているし、官僚主義は根強く、たぶんこれを打破することなしには、フランス経済の発展はないだろうが、サルコジがそこまでやれるのかどうかということも、たぶん悲観的な展望しか出てこないようだ。


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