読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『まわり舞台の上で荒木一郎』

2017年05月31日 | 評論
『まわり舞台の上で荒木一郎』(文遊社、2016年)

私にとって荒木一郎といえば何と言ってもシンガー・ソングライターのはしりだった『空に星があるように』(下にyoutubeの動画を張ってある)という名曲を歌った歌手であり、少女淫行事件で捕まって(これは無罪放免になった)、母親の荒木道子という、いかにも良妻賢母を絵に描いたような女優さんが言った「本当はいい子なんです」という言葉として残っているばかりだった。

サングラスの風体といい、ただのマザコンというイメージしかもっていなかったのだが、この本を読むと、これがやはりテレビの作り出したイメージだったのだなということがよく分かる。

あまりいいイメージを持っていなかったのにどうしてこんな本を、たまたま新聞の一面下の広告欄でたまたま見たということで、読んでみたのかと言えば、やはり『空に星があるように』という歌の良さに惹かれたというしかない。

初っ端から驚かされた。母親は女優だった、つまり専業主婦ではなかったので、小学生の頃から家にいなかった。しかも小学校は青学の付属に通っていたので、近所の小学校に通っている子どもたちと接点がない、つまり友達が一人もいなかった。ふつうならそこで家で一人遊びをするだろうが、荒木少年は、どうやったら友達ができるかあれこれ考えて、試行錯誤をして友達を作ったという。

しかも女の子たちを引っ張ってくると、それにつられて男の子たちもやって来るということが分かった。女の子は生まれながらにしてストリップが好きだ、つまり自分の身体を見せることに本能的な喜びを持っているなどという、S…あたりが言いそうなことを、小学生にしてすでに学び取っていたというから恐るべし。

他人の心を読む能力が培われ、人を喜ばせる、人の心をつかむにはどうしたらいいか、どんな見せ方をしたらいいかということを学んでいったのがこの頃のようだ。それが役者をやるようになって、ドラマや映画の監督よりも演出が上手く、自分で書割をしたり、台詞を書いたりするようになって、ドラマの監督から、どうやったらできるのか、どこで演出法を学んだのか教えてくれと懇願されたという。

高校生の頃にはジャズにも入れ込んでいた。スウィング・ジャズが趣味ですなんていうのはたんに読書が趣味ですと言っているようなもので、馬鹿みたいだから、モダンジャズが趣味ですと言いたい。でも何曲も聞いてもすきになれない。気分が悪くなるだけだったが、我慢して何曲も聴き込んだ。これが後年歌謡曲のリズムと違うジャズふうのリズムをもった荒木独自の音楽になっていったという。

そして淫行事件のあと芸能界から干されていた頃に桃井かおりの付き人をしていた頃の話は、面白かった。まさにそれまで彼の生き方が桃井かおりという、普通の人には捉えきれない独特のイメージをもった女優を操ることを可能にしたと言っていい。

なんか30才までに、いや25才くらいまでに、普通の人の一生分の仕事をしたような印象を受けた。その意味で、淫行事件で芸能界を干されて、忸怩たる思いで生きていたのかなと思っていが、決してそんなことはなかったということが分かってよかった。別に荒木一郎のファンというわけではないけどね。

アマゾンの評価がほとんど星5つというのも驚いた。レビュアーのほとんどが私のようなジジイばかりのようだけど。

空に星があるように 荒木一郎(’66)


夜明けのマイウェイ PAL【「ちょっとマイウェイ」主題歌】
年代から考えてリアルタイムにこのドラマを見たことは一度もないから、この曲も聞いたことがないはずなのに、この懐かしい感じはなんだろう。荒木一郎の音楽っていいね。


ベンチャーズのパクリかと思うような、ノリの良い曲もある。
いとしのマックス 荒木一郎('67)

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「亀山法男~永六輔を歌う」

2017年05月30日 | 舞台芸術
「亀山法男~永六輔を歌う」(子ども劇場例会)

子ども劇場などといいながら、来ているのはジジババばかりの「ジジババ劇場化」している現状に、こういう催し物をすることになったのかどうか、委細は知らない。

とりあえず「永六輔を歌う」に惹かれて上さんと行ってみた。冒頭から演歌「影を慕いて」。そして裏声で歌うからという話しの流れから「エーデルワイス」。まったく一貫性のないプログラム。

いつになったら永六輔を歌ってくれるのかなと思っていると、いよいよ永六輔との出会いの話しになって、永六輔の歌のなかでも聞いたことがないようなマイナーな曲から。知っている曲といえば、「上を向いて歩こう」をジャズ風にアレンジ。すぐにまた関係ない曲に。

今日はだれやらの誕生日という話から、「ハピバースデー」の旋律をバッハ風に、モーツァルト風に、シューベルト風に…ドビュッシー風にと編曲して弾いていた。それはそれで面白かったけど、永六輔とどんな関係があるのか?


結局、永六輔の歌は二・三曲歌っただろうか。私の斜め前に座っていたおじいさんがチラシに書いてあった曲のリストにチェックを入れていたが、きっと終演後にクレームを付けに行ったはずだ。立派な心がけだ。

亀山法男って人、こうやって小規模な演奏会をあちこちでやっているのでしょうね。いつも歌っているから、声はいいし歌も上手い、ピアノも上手い、和声感覚に優れているから、いろいろ編曲できる。もう少し話術を磨いて、テーマをもって一つのリサイタルを組み立てたら、もっと人気出ると思うけどな。

それにしてもピアノって雑音にしか聞こえない。



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『読書する女たち』

2017年05月23日 | 人文科学系
宇野木めぐみ『読書する女たち』(藤原書店、2017年)

読書する、とくに女性が読書するという行為が、18世紀に飛躍的に増加した、しかし18世紀における女性の読書は不道徳というレッテルが貼られていたという事象を、絵画、小説、女子教育論などを素材にして明らかにしようとしたもの。

第一章の絵画を扱った章は、具体的で分かりやすい。しかし著者はもともと美術史の専門家というわけでもない。

第二章の文人たちの女子教育論では、18世紀初頭のランベール夫人、18世紀中頃のルソー、そして末期のラクロの女子教育論が論じられ、彼らが総じて女性の読書を実用的なものだけにすべきで、小説などに手を出したら、女性を堕落させることになると反対していたことを指摘する。

第三章から具体的な小説が対象となる。ルソーの『新エロイーズ』、ロベール・シャール、ラクロの『危険な関係』など。さらに第四章ではマリヴォー『マリアンヌの生涯』『成り上がり百姓』『マノン・レスコー』『危険な関係』『ポールとヴィルジニー』など。だが、これらの小説で女性の読書が扱われることはごくわずかで、いったい何の分析のためにこれらの小説が分析対象とされているのか、理解に苦しむ。

結局、冒頭で挙げられた、この著作の目的である、18世紀における小説と読書する女という関係については、絵画と女子教育論については、それなりに面白かったが、第三章以降の半分以上のページ数を当てた部分では、具体的な小説からは何も見えてこなかった。

初出一覧を見ると、この著者は、もともと女子教育論を研究していたようだが、読書する女というテーマを思いついて、むりやり結びつけて書いたような感を否めない。もっとつっこんだ分析を期待していたのだが、がっかり。そしてこんな本を出す藤原書店にもがっかり。


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こんな国に未来はない

2017年05月21日 | 日々の雑感
こんな国に未来はない

今日の新聞で「働き方改革を問う」というシリーズの一環として、3月に東京地裁で非正規雇用の格差是正を求める訴えを退ける判決が出たという記事が載っている。

地下鉄の駅構内のキヨスクで働く非正規雇用の女性が訴えた裁判だ。私もかつて大学の非常勤講師の格差是正を求めた裁判をやろうかとも考えたことがあったので、この女性に敬意を表する。

同じ仕事をしながら正社員か非正規雇用かで大きく待遇が違うということが日本の労働現場ではあちこちにある。大学教員、この女性のようなキヨスクの販売員、小学校の教員、市役所の職員、民間の企業にたくさんあるだろう。

裁判所でもきっと一般職員に非正規雇用がいるに違いない。そういう現場にいながら、裁判官がこういう判決を出すような、つまり裁判所が積極的に非正規雇用の格差に手を貸すような国に未来はない。

19日に「共謀罪」が衆議院特別委員会で強行採決された。これに対して、国連の特別報告者のジョセフ・カナタチという人が「どんな行為が処罰の対象になるのか不明確で、刑罰法規の明確性の原則に照らして問題がある」と懸念を表明した書簡を安倍に送っているらしい。

こんな法律ができたら、国民の意識は萎縮し、国民自身が密告者になるような社会になってしまうだろう。まさに戦前の日本と同じだ。他所様からこんな心配をしてもらうような法律を国会議員の数を頼みに強行採決するような国に未来はない。

東京オリンピックに東京都の出費が1兆円近くになるという。数十円、数百円、数千円のお金が払えなくて、学校で肩身の狭い思いをしている子どもたち、何十万円という学費が払えなくて高校進学や大学進学を諦める若者たち、奨学金という借金が返せなくて恋愛にも結婚に展望が見いだせない働く人たち。

本当にオリンピックなんか必要なのか、いやオリンピックを東京でやって、国民の幸せにつながるのか。こんな国に未来はない。

政府が、原発事故を、つまり目に見えない放射能汚染が何百年も続く原発事故を、震災や火災などと同じレベルで語り、原発再稼働にも、原発廃棄物の処理にも、現に原発で放射能汚染の危機に晒されながら働いている人たちがいることに無頓着な国に未来はない。

こんな国でも子どもたちは育つ。子どもたちには未来がある。



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金剛山ハイキング

2017年05月20日 | 日々の雑感
金剛山ハイキング

高野山町石道登頂練習ハイキング第一弾として金剛山に上がった。

8時15分のバスで河内長野駅前を出発して30分で登山口に到着。そこからほぼずっと急登の正面登山道を上がること1時間10分、10時すぎに社務所前に到着。ゆっくり歩くを心がけたおかげか、それほどしんどい思いをすることもなかった。というか、わりと楽に上がった。

社務所前には、南海バスのバス停にある時刻表の塔があり、一瞬、ここまで南海バスがくるのかなと勘違い。よく見ると(バスは来ません)と書いてある。

今日は山登りだけが目的ではないので、すぐに下山コースに進む。同じ道を下りるのではなくて、ロープウェー駅のほうへ下りるコースだ。こちらはしばらくは山の稜線を歩くかんじで、ゆるやかに下って、途中から一気に下りる。

もともと車が通れるようになっている道なので、急だが舗装がしてある。ちょうど高野山町石道の最初の急坂みたい。下りのほうが足が疲れてきた。1時間くらいでロープウェー乗り場まで下りてくる。そこから車道をしばらく歩いて、マス釣り場に着く。

金剛山にはあちこちにマス釣り場があるが、その一番高いところにあるもの。ここでは、マスの塩焼きが食べれる。今日のもう一つの目的がこれ。


マスの塩焼き定食を注文する。マスの塩焼き、ご飯、お吸い物(味噌汁ではない)、フキの佃煮、こんにゃくのマヨネーズあえで1000円。マスは意外と蛋白で、たっぷりと塩が付いているが、それほど塩辛くなくて、いいお味だった。

13時2分のバスで河内長野駅に到着。帰宅して昼寝した。

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『「レ・ミゼラブル」を読む』

2017年05月17日 | 評論
西永良成『「レ・ミゼラブル」を読む』(岩波新書、2017年)

私は小学校2年生の時に担任の先生から『ああ無情』という子供向けの本をもらったことがある。なぜ私だけにくれたのか、分からない。祖母が担任に付け届けでもしたお礼だったのだろうか?

それに小学2年生に読めると思ったのだろうか。アマゾンで調べてみたら、いまでも「こども世界名作童話全集」とか「少年少女世界名作の森」といった子供向けのシリーズがあるようだから、昔もそういうものがあったのだろう。ただ読んだという記憶はない。

そしてこの本の西永良成といえば、『評伝アルベール・カミュ』で、新しい仮説を提示して30才くらいで一躍この世界で著名な研究者となり、卒論でカミュを扱った私にとって憧れの研究者だったのだが、だがいつの間にかカミュ研究から離れて、ミラン・クンデラ研究に移り、翻訳が仕事かと思われるほどあれこれと翻訳を出している人だ。

そんなこんなで、この本を手にとってみたのだが、500ページの文庫本が5分冊もあるとか、何十ページもの哲学的脱線があるとか、これを省略したらこの小説の醍醐味がなくなるだとか、登場人物の数、物語の展開の複雑さなどという話を読んで、もう読む気が失せた。学生時代には、ドストエフスキーとかトルストイとかやたらと長い小説を読むのがまったく苦にならなかったが、最近は長いものはもう気力の体力もついていかない。残念ですけど。

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『スタンダールのオイコノミア』

2017年05月14日 | 人文科学系
柏木治『スタンダールのオイコノミア』(関西大学出版部、2017年)

スタンダール…学生時代に『赤と黒』や『パルムの僧院』などを読んでリアリズム小説ってこんなのを言うのかなと少々不思議に思ったことがある。私が学生時代に読んだのは新潮文庫の小林正訳だったと思うのだが、少し前に野崎歓の新訳が出て、またスマッシュヒットくらいに売れたが、誤訳が山ほどあるという批判が起きたりした。

この著書でも軽く触れられているが、世界文学全集などに確実に収録される上の二作品は別として、最近はこの時代の文学などというものがほとんど若者に読まれなくなっている。私自身この時代の文学というものへの関心がほとんどなくなってしまったのだから、今の若者は当然だろうというような、まったく理路の立たない理屈でそう思っている。

そういう世相を反映してなのかどうかしらないが、この著者もいわゆる文学作品の文体分析だとか、テキスト読解型の作品分析の方法はとらなかったとあとがきで述べている。ここでは、スタンダールが生きた19世紀初めのフランスという、金と経済が社会を動かすようになった時代、まさにバルザックが活写した時代の、ジャーナリズムやサン=シモン主義など、スタンダールが関わりをもった分野を詳細に調べて、スタンダールの立ち位置を明らかにしようとしている。

そういう意味では、リアリズムだ、個人主義だ、エゴイズムだといった従来のスタンダール研究とは一線を画する研究だと言えるのかもしれない。ただ第一章を始めとした、スタンダール研究の前提となるような、時代背景の記述はたいへん興味深いし、ためにもなったが、スタンダールそのものがバルザックなどとは違って、そうした社会との関わりを持ちたくない(?)タイプの作家であったわけで、そうした手法の研究が、スタンダールの新たな局面を解明してくれることにはならない点が残念だと思う。



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勇気ある人々

2017年05月05日 | 日々の雑感
勇気ある人々


50数%の支持率があるからと自慢気に国会答弁で発言する首相がいるような国で、国の支配的な論調に反対して様々な発言をする人たちに敬意を評したい。

1.2020年東京五輪に反対する人たち
二ヶ月ほど前にテレビを賑わしていた東京五輪のボートやその他の会場問題での議論を見ていると、○億円という単位が、私たち庶民の○千円程度の感覚で論じられている。数十円の高い安いに一喜一憂する庶民感覚とは離れたところで、東北復興だとか都民ファーストなどという耳障りのいい言葉で、私たちの庶民感覚など踏みつけにされ、東京五輪開催の目玉とされた東北復興など完全に置き去りだ。

原発事故で避難している人々について自己責任だと発言する大臣を選任する首相をみんなどうして支持するのか、理解に苦しむ。復興など進んでいないのに、いや原発事故の跡にはもう生きているうちにには帰れないだろうのに、そんなことにはお構いなしにお祭り騒ぎの東京五輪に浮かれている。そういう現状に反対の声を挙げる人たちに敬意を評したい。

2.共謀罪法案に反対する人たち
今の世界を見ればテロで一色だ。どこでテロが起きても不思議ではない。だからテロ防止のために共謀罪を作らねばならないという政府の主張は多くの国民の支持を得ているのかもしれない。

しかし、今日の新聞では、国際組織犯罪防止条約締結のために政府た必要としている共謀罪について、国連指針を作ったあまりかの享受が、これはテロ対策のためのものではないと言っていると報道している。

さらに元警察庁長官の国松孝次さんが、当初はマフィアなどの国際組織犯罪に協力するためのものだという話しだったのに、突然反テロ対策という話しになったので不思議に思ったと主張している。

このように、安倍政権が国際的な動きを利用して、国内で戦前の治安維持法を作ろうとしていることが浮き彫りになった。しかしテロ防止という美名のもとに政府が推進しようとしている共謀罪に反対の声を挙げている人たちがいる。

3.憲法改正に反対する人たち
アベは本当に巧妙だ。自衛隊を憲法に明記するのと高等教育無償化をセットで出してきた。高等教育の無償化なんか憲法改正しなくてもできるだろうに。

災害には自衛隊を出動させて、自衛隊を国民の間に浸透させることもしっかりやって来た。現在の朝鮮半島の情勢を見たら、自衛隊に反対とか言いにくい。でもそういうことをきちんと主張する人たちがいる。



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