読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『風立ちぬ』

2013年07月27日 | 映画
宮崎駿『風立ちぬ』

昨日なんばの方に用事で出かけたついでに『風立ちぬ』を観てきた。まったく面白くなかった。

理由1.主人公堀越二郎は1903年生まれで、たぶんゼロ戦を完成させたのが1940年くらいだろうから、10歳くらいの少年時代から始まってゼロ戦までの30年くらいを描かねばならないために、展開の早いこと早いこと、十分に描き切らないうちに、次、次と話が飛んでいってしまう。これまでの宮崎作品には見られなかった作品構成の悪さがここにある。

理由2.取ってつけたような菜穂子との恋愛の描き方のまずさ。関東大震災の時の出会いからして、作りものめいているし、飛行機の設計者となってからは、毎日そのことしか頭にない二郎が、軽井沢で延々の一週間以上も休暇をとって滞在しているのもわざとらしい。二郎少年の品行方正ぶりもなんか作りものめいている。人間にどろどろしたところがまったくない人などいないだろうに。

理由3.時代が描かれていない。たしかに関東大震災があり、飛行機の注文は軍からのものであり、彼が作る飛行機は戦闘機だけというのは、堀越二郎が生きた時代を描いているかもしれない。だがこのような描き方は時代を描いているとは言えない。彼は時代を超越している。これまでの宮崎作品はそもそもがリアルではないから、みんな作りものとして見ている。だから、背景にある時代なんてものを考慮にする必要はなかった。だが、この作品は実在した人物を主人公にしたれっきとした歴史物である。時代の描き方があまりに一方的、主観的すぎると言ったほうがいいだろうか。まるで堀越二郎が見た夢のような映画と言うべきだろう。見たくないものはすべて捨象されている。

後は感想の羅列になるが、背景の絵も以前に比べて、ずいぶんと雑になってきたように思う。関東大震災のあの揺れの描写は、ただボニョの波の描写を「甍の波」に置き換えただけだろう。人物の描き方がもう類型的というか、信じられないくらいに雑というか、手抜きをしすぎるだろう。以前の宮崎吾朗作品のことでも書いたけど、どこかで見た人物、どこかで聞いた台詞、そんなのばっかりで、新鮮味もなければ、驚きもない。たしかにハラハラ・ドキドキも大笑いするところもないよとは聞いていた。それはそれでいい。しかし…もうやめよう。

宮崎駿も息子吾朗のレベルに落ちてしまったというのが私の感想。

yahoo映画ではたくさんの感想が寄せられているが、その中で私の気持ちに近いものがあったので、リンクを張っておく。こちら。


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『心療内科に行く前に食事を変えなさい』

2013年07月20日 | 評論
姫野友美『心療内科に行く前に食事を変えなさい』(青春出版社、2010年)

今年の2月初め、昨年から続けてきた白ご飯ダイエットの成果もでて、お腹の出っ張りもなくなり、体重も4kgから5kgくらいヘリ、ジョギングも再び10kmコースを走ることができるところまで復調し、大学のクラスの採点も終わり、さぁこれから長い春休み、がんばって論文を書くぞ!と張り切っていた矢先、なんか頭が変、なんかこれまで経験したことがないような頭の変調が起きた。本が読めない。文字に集中できない。

ちょうど耳鳴りに気づいて、耳鼻科に行ったところ、これは治りませんと言われて、ちょっとショックを受けていた矢先でもあり、なんか鬱っぽい気持ちになり、それが日に日に悪くなっていくのが自分でも分かるようになった。そのうち、食事も肉類が食べられなくなり(戻しそうになる)、急に眠くなったり、気持ちが内向きになって、まさに頭を抱えて丸くなっているような状態になり、これは自分でもおかしい、変だ、うつ病なんだろうか、医者に診てもらいたいと思うようになった。一週間でそういう状態に。そのうち、食後1時間から2時間くらいして眠くなったときに、横になると、急に心臓がドキドキして、激しく脈が打ち、このまま死ぬのではないかと怖ろしくなることが、2回ほどあった。

あまりの恐ろしさにすぐにネットで心療内科や精神科を探した。できれば、漢方薬を処方してくれるところがいいと思い、ちょうどいいところを見つけて、受診した。とりあえず、漢方で様子を見ようということになって、抑肝散加陳皮半夏をもらって飲む。最初は2日に一回くらいのテンポで通院して、2週間くらいたって、完全に落ち着いてきたので、それから一週間おき、二週間おきと間隔をあけて、今は三週間おきで通っている。薬は同じだが、量は減っている。(そもそもこの薬は更年期障害の薬なんだけどね。)

この訳の分からない急性期の変調が起きた時に、私はてっきりうつ病だろうと思って、その後、近所にうつ病になって10年くらいかかって社会復帰した人がいるので、その人と会って話を聞いたら、どうも違うような気がする。そもそもうつ病って私のように急に変調が起きてなるものだろうか?そして症状も1週間か2週間で治るものだろうか?などあれこれ疑問が生じて、ネットで調べていたところ、姫野友美クリニックのサイトにつきあたり、そこでの説明を読んでいたら、まさにこれだ!低血糖症だったのではないかと思うようになってきた。

たしかに私もこれまで甘いモノをよく食べてきた。白ご飯ダイエットを始めるまでは、晩御飯の後には必ず甘いデザートがなければ生きていけないみたいなところがあったし、夏はビールとアイスクリームなんてことが30歳代から40歳代にかけてずっとあったのだ。まさにインシュリンの出すぎで、食後眠くなるのは当たり前状態だった。まさに低血糖症ではないか。もちろん糖質のとりすぎだけでなく、たぶんビタミンB群の欠乏もあったのだろう。それで全般的に必要な栄養分やミネラル、ビタミンが不足し、あのような変調が起きたのではないかと思うようになってきた。

もちろん素人判断で勝手に薬を飲んだり、辞めたりするのはよくない。この本は、そういうことを勧めているのではなくて、食事から変えていこうということで、どんな食事をしたらいいということが書かれている。私もいまはあの変調はなんだったんだろうというところまで普通に戻っているので、食事を変えることで、二度とあのようなことにならないようにしたいと思っている。

姫野友美クリニックはこちら。
更年期障害やうつ的傾向についてはこちらの記事が参考になる。マイナビ


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『さらば食料廃棄』

2013年07月19日 | 評論
クロイツベルガー『さらば食料廃棄』(春秋社、2013年)

世界で廃棄されている食料は3分の1に、とくに大都市圏では半分が捨てられているという。私もうすうす感じてはいたことだが、こんなに酷いとは思わなかった。

どこで?もちろん生産段階から廃棄は始まり、大型小売店で、そして家庭で廃棄される。
曲がったキューリはだめ、形の悪い果物はだめ、二股になった大根はだめ、などなど、バイヤーから拒否されると思われるような農産物は、そのまま畑に捨てられる。

売れ残った弁当どころか、まだ賞味期間が来ていない食品も、スーパーの棚から早々にピックアップされて、廃棄される。それどころか、箱のなかに一個でもカビが生えた果物があったら、箱ごと廃棄。

一個買ったらもう一個おまけしますよ、という売り文句に誘われて要らないものまで買い込んだり、賞味期限と消費期限の違いもよくわからないから、とりあえず期限の過ぎたものはすてちまおう、ってわけで、冷蔵庫からゴミ箱送りになってしまう、数々の食べ物。
こういうものが積もり積もって全生産物の半分が捨てられてしまうというのだから、世も末だ。いったいどこに問題があるのだろうか?どうしたら、もっと効率よく、生産そのものを抑えることができ、それによって消費エネルギーを減らして、持続可能な社会を作れるのだろうか?おまけに、他方では餓死する貧困層が大量に存在するというのに。

私は昔から、諸悪の根源はスーパーにあると思っている。農業生産者に、こんなキューリはだめ、こんなトマトはだめといって、農産物の味や安全性とは別に、見た目だけで選別することを強要するのもスーパーだし、消費者に要らないものまで買わせるのもスーパーだし、もちろん売れ残った弁当を廃棄してしまうのもスーパーだ。おまけに、だれがこんなエスニックな果物を買うのというようなものを、たんなる客寄せのためだけに置いて、その費用は売れ筋の商品の代金に転嫁しているのもスーパーだ。

個人商店なら、だいたいの商品の販売可能量が読めて、できるだけ売れ残りを少なくして、万が一売れ残ったら、それは自分の家で消費するということができるが、大型スーパーは、そんなことが不可能だ。それに棚に商品がつねに一杯ないと見た目が悪いというのだから、スーパーある限り、大量廃棄はなくならないだろう。

もちろんかつてのソ連の計画経済のように、必要な物しか生産しない、というか、生産できたものしか消費できないというのも困る。諸悪の根源は、資本主義的な大量生産、大量販売にある。

世界の食料廃棄を主題にした映画ができたらしい。そのサイトはこちら。
また予告編をYoutubeで見ることもできる。こちら




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