読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

2010年に読んだ本ベストテン

2010年12月31日 | 日々の雑感
2010年に読んだ本ベストテン

ベストテンと銘打っているのに、10冊もないという、体たらくである。一年間に読んだ本が52冊と、このブログをはじめてから最低の記録となった。私の読書タイムは通勤電車が一番多いのだが、今年はこの時間を仕事がらみに使ったために、大幅に読書量が減った。そうするとなぜかしら、何を読んでも面白くないという悪循環に陥ってしまった。幸い仕事がらみのほうは順調であるので、まぁ文句を言う筋合いのことではないのだが。

1.司馬遼太郎『竜馬がゆく』(一巻~八巻)(文春文庫)
文庫本で読んだので、原作がいつ書かれたものなのか知らないが、かつて武田鉄矢が大学時代だか高校時代だかに読んで感動したというから相当昔の本である。今年は福山雅治主演でNHKの大河ドラマにもなったので気になって読み始めたら、もうとまらないほどの面白さだった。次は何かと論評されることが多い『坂の上の雲』に手を伸ばしてみようかと思っている。

2.川嶋伸次『監督 挫折と栄光の箱根駅伝』(パジリコ、2009年)
マラソンや駅伝好きの私なので、いろんなレースを見ているうちに走る選手や監督を覚えてしまう。なかにはウッチの対象となるような選手も出てくる。そういった人の一人がこの川嶋伸次で、彼が自分のランナーとしての経験や東洋大学の大学駅伝の監督としての経験を自分自身の言葉で語っていることにずいぶんと感動した。本当にいい本である。

3.松浦玲『勝海舟』(中公新書、1968年)
えらい古い本で、これをベストテンのなかに入れることに若干の抵抗がなくもないのだが、2010年に私が読んだ本ということだからいいのだと弁解しておく。幕末の情勢がどんどん変わっていく過程を的確にまとめて、そのなかで勝海舟の動きを浮き上がらせるという老練の研究者にして初めてできるようなことを、若干37歳で書いたということに少々驚いた。

4.大前研一『衝撃!EUパワー』(朝日新聞出版、2009年)
EUのことが知りたい、でもあまり文献がない上に、あっても統計や数値にこだわるばかりで、EUがどんな意義をもっているのか、なにをもたらしたのか見えてこない、そんな不満を解消してくれたのが、この本だ。大前研一という人についてはもう一つ分からないが、勉強になった。統計の使い方も上手いので、よく分かる。残念なのは、リーマンショック、ギリシャ炎上以前に書かれたものなので、これら以降に揺れているEUを念頭に置いて書き足してくれるといいのだが。

5.内田樹『日本辺境論』(新潮新書、2009年)
過去のベストテンを読みかえしてみると、毎年のようにこの人の本を挙げていることが分かった。うーん、どうなんでしょう。面白から仕方ないか。グローバリゼーションの波に飲み込まれないために、日本人のあるべき姿を示している本といったら、おかしいだろうか。

6.堤未果『アメリカから<自由>が消える』(扶桑社新書、2010年)
単純にこのような立派なジャーナリズム魂をもった人を支援したい。この人がリポートしてくれるアメリカは日本の進もうとしている方向なのだ、そっちのほうに行ったらだめだと言っている。だから敬意を込めて「堤未果さん」とさんづけで書く。

7.小林善彦『パリ日本館だより』(中公新書、1979年)
またまた古い本で恐縮である。しかしフランス人の面白さをこれほどストレートに書いてくれた本も珍しいのではないか。しかも笑い話のネタとして書いているのではない。じつに真面目なフランス人論なのだ。それでいてこれだけ面白いのは、パリ国際学園都市の日本館館長という地位ゆえに得られた経験というだけではなく、著者の批判精神の表れなのだろう。フランスに少しでも興味のある人は読んでみるべきだ。

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『どくとるマンボウ青春記』

2010年12月30日 | 作家カ行
北杜夫『どくとるマンボウ青春記』(中央公論社、1968年)

何を想ったのか、北杜夫の『青春記』が読みたくなって(というか、読み返したくなって)図書館から借りてきた。私もこの借りてきた本と同じように、たぶん初版を持っていたはずなのだが、いったいどこに消えたのだろうか?

北杜夫じゃないが、私ももともとは理科系というか自然科学が好きな人間で、将来は天文学とか宇宙科学を研究する研究者になりたいと思っていたし、現に高校までは数学も理科も得意中の得意であったのが、まさにこの『青春記』に出会ったがために、文学などという世の役にも立たないようなものにはまり込んでしまい、それから30数余年をこんな世界ですごしてきてしまった。したがって今年のはやぶさ騒動やら金星探査機騒動などを見るにつけ、本当なら(?)あそこに私がいるはずだったのにというような、夢と現が混ぜ合わさってはいるが、じくじたる想いにとらわれている。

この『青春記』に書かれている旧制高校というもののバカらしさにとかく高校生という時代ははまりやすいものだ。オイルショックでスーパーからトイレットペーパーがなくなるだのという騒ぎなどをバカにしたように見下して、ブンガクの世界に深く沈潜してみたり、幣衣破帽をまねて、といってもそもそも時代が違うので、弊衣とか破帽なんてものは無理なので、とりあえず下駄を履いて、マントを肩にかけて、ちょうどこの『青春記』の掲載されている北杜夫の旧制高校時の写真を真似て、記念写真を撮ってみたりしただけでなく、自分も小説などが書けるような気がして、何本か書いているうちに、なんだかこの世界で食っていけるのではないかと錯覚して、高三のときの進路希望欄に「物書き」などと書いて、担任から「何考えとんだ!」と言われてみたりしたものだが。そうした余韻は、大学に入学してからも一年くらいは残っていたようで、本気になって小説を北杜夫に送ったところ、思いもかけず彼から「もっと修行してください」みたいな返事がきたりしたが、いったいあの葉書はどこにいってしまったのだろうか?

こういう風に後ろ向きになるのってなんだかよろしくないなと思いつつも、同時に昔私が面白がっていた『青春記』が想っていたほど面白いものではなかった、というか、今の私には面白いとは思えないのが、少々残念だが、少しは私の成長したということなのだろうと気を取り直している。




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『ゲゲゲの女房』

2010年12月29日 | 作家マ行
武良布枝『ゲゲゲの女房』(実業之日本社、2008年)



NHKの朝ドラを全部通して見たのはたぶんこれが初めてだろう。だいだい朝の時間にせよ、昼の時間にせよ、朝ドラを見れるような時間帯には家にいないのが普通なので(子どもの頃は学校だし、大人になってからは仕事だし、学生の頃はテレビもってないし)、ありえないことだったのだが、最近はビデオというものがあるし、また朝ドラそのものが地上デジタルだけでなく衛星放送やハイビジョンでもやっているし、夜でもやっているからその気になれば見れる。向井理と松下奈緒という役者が米子や安来の方言を惜しみもなく喋ってくれたおかげで、続けてみようという気になったのだろう。あれを標準語やへんな方言でやられたら、見る気も失せてしまっていただろう。

原作のほうも大変な人気のようで、春に申し込みをしたのがやっと年末になって図書館から連絡があった。読み出したらあっという間に読んでしまえる。私よりも先に上さんが読んでしまった。朝ドラとの違いも比較しながら読むのも楽しい。ただ結婚直後から数年間の極貧生活というのは、本を読んだだけでは伝わらなかったかもしれない。

極貧生活のエピソードとそこから這い上がっていくサクセスストーリーの小気味よさがたぶん多くの視聴者や読者の心をつかんだ(もちろん主演の二人の魅力も大きい)原因だろうけど、私は水木しげるの思想的なバックボーンとなっている、たとえばゲーテの思想にたいする捉え方とか荒俣宏が弟子にしてくれと言ってくるほどの異界についての捉え方などを知りたいものだと思う。

NHK連続テレビの総集編DVDもある。

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『五重奏』

2010年12月21日 | 現代フランス小説
アンヌ・フィリップ『五重奏』(晶文社、1995年)

あの名優ジェラール・フィリップの妻だったという女性作家の小説。だからといってどうということはないのだが、ジェラール・フィリップ云々よりも、その詩情あふれる文章が出色の作品。

生涯他の相手との人生なんて考えられないと思っていたのに、突然の夫の心変わり―若い女性を愛してしまう―に動転して、うつろになってしまう中年女性と彼女を見守る同世代の女性リセ教師。まだ夫の変心を知らない段階でひと夏を息子のヴァンサンと過ごしに南仏にバカンスにでかけたイザが過ごす南仏の海辺での生活は、これこそフランス人のバカンスと思わせる毎日。何もしないでただ毎日を海とそして素晴らしい自然と戯れて過ごす様子が詩情ゆたかに描かれている。

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『葬られた王朝』

2010年12月10日 | 人文科学系
梅原猛『葬られた王朝』(新潮社、2010年)



副題に「古代出雲の謎を解く」とあることから分かるように、オオクニヌシの時代の出雲にあったとされている古代国家(王朝)がどんなものであったのかを、古事記、日本書紀、出雲風土記などを読み解き、さらにここ数年のあいだに次々と発掘されて新発見が続いている山陰地方の考古学なども参考にして、出雲に古代日本を支配するような国家があったらしいと述べている。もちろん古代日本といっても、今の近畿から中国地方あたりまでのことなのだが。

最初に古代出雲王朝関連地図というのがあって、東は鳥取県米子市あたりから中海と宍道湖をはさんで、西は出雲大社のある出雲市や大田市あたりまでの地図。これを眺めているだけでも私の地元である米子市をはじめ、よく知った地名ばかりなので、昔はこのあたりはすごかったんだなという気持ちになって、見ているだけでも楽しい。こういう研究というのは、はやり地元の歴史研究家の右に出る人はいないわけで、ただそういう人たちに欠けるのは壮大な俯瞰的視点ということになるのだろうから、その両方を統合するようことができるためには、両方の研究家が共同でやれば鬼に金棒ではないかと思うのだが、あまり聞かない。

今回も著者は当然のことながら、現地に行ってはその地の郷土史研究家の話を聞いたり、案内をしてもらったりしながら、遺跡などを見て回るということをしている。そういう一時的なものだけではなくて、もっとじっくりと議論しあうような場が必要なんじゃないかと思うのだが。

たとえば、オオクニヌシの遺跡とか神社というのはたくさんあって、この本でも須我神社とか須佐神社などを訪れているのだが、スクナヒコナ関連の遺跡はほとんどないと書いている。しかし、米子には彦名という文字通りスクナヒコナを漢字に当てたときに使われる漢字名の地名がある。今年の夏に親の家の近くあるということで私が行った粟島神社のあたりが彦名というのだ。

面白い発見もあった。ヤワタノオロチといえば、その尻尾から剣が出てきたというエピソードがあるので、これはきっと出雲といえば鋼が有名なので、きっと製鉄の技術による周囲の国々の武力支配に関わることかと思っていたのだが、どうも今の富山県新潟県あたりの越の支配に関わるものらしいという。というのはこの地方は古代において貴重品とされた勾玉の材料となるヒスイがとれたからだという。それにしてもヤワタとか八雲とかやっぱガラスとか8という数字が何度も出てくるというのはいったいどういうことなのか興味を引く。発掘された銅矛の数も8の倍数だという。この8が何を意味するのか書いてなかったと思うのだが、だれか研究している人はいるんだろうな。

面白くて一気に読んだ。

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