林真理子『幸福御礼』(朝日新聞社、1996年)
さっそく林真理子の『不機嫌な果実』とは毛色のちがう小説を読んでみました。東京の郊外で英語教室をしている由香を主人公として、彼女の夫の大鷹志郎が郷里の河童市の市長選挙に出て落選するまでの顛末を、由香の視点から描いた小説である。30になったばかりの夫もちの女性の視点ということでは変わりないが、今度は愛とか恋とか不倫といったことがテーマではなく、市長を長年やってきた叔父の跡をついで市長選挙にうってでる夫との関係、長年市長を出してきた家柄をかさにきる姑の春子との関係、そして由香自身が河童市の若い女性を組織して後援会組織をつくっていく過程を描くなど、たんに姑との軋轢に不満を口にさせていただけの『不機嫌な果実』とはちがって、由香に積極的な行動にうって出させている。
たしかに小説の技法も語り手と主人公の関係も別のものになっているから、決して林真理子はばかではないということが分かった。やはり一作だけで判断してはいけないなと思う。会話のテンポもよく、構成もよくできているし、保守的な陣営の選挙の裏側のようなものも見ることができて、一気に読んでしまったから、できのいいほうに入るのだと思う。選挙が描かれているということで、ちょうどすこし前に読んだ重松清の『いとしのイナゴン』と比較して読んでしまった。
でどちらがいいと聞かれれば、私は重松清のほうに手を上げる。それは小説の上手さの問題ではなくて、誰の視点から選挙を描いているか、どんな選挙を描いているかというところにある。林真理子のほうは保守の選挙、なんのために選挙やっているのかなどは問題にならないで、これまでの地盤を引き継ぐためにやっている選挙、だから最後にはお金を配って回るということまでもするような選挙であって、河童市の未来とか市民の生活とかといったビジョンなどまったく問題にならないような選挙が描かれている。それに対して、重松清のほうは、過疎でさびれていく比奈町をどやって立て直していくのか、町民の暮らしをどうやって守っていくのかという切実な問題がヒナゴンで町おこしという(これ自体は非現実的なものだが)ことと結びつけて選挙を戦おうとする人たちの視点で描かれている。だから、林真理子の小説からはなにも得るものがなかったが、重松清の小説からは感動を得た。
だから(二人はなにも競っているわけではないけど)私は重松に軍配を上げるよ。
さっそく林真理子の『不機嫌な果実』とは毛色のちがう小説を読んでみました。東京の郊外で英語教室をしている由香を主人公として、彼女の夫の大鷹志郎が郷里の河童市の市長選挙に出て落選するまでの顛末を、由香の視点から描いた小説である。30になったばかりの夫もちの女性の視点ということでは変わりないが、今度は愛とか恋とか不倫といったことがテーマではなく、市長を長年やってきた叔父の跡をついで市長選挙にうってでる夫との関係、長年市長を出してきた家柄をかさにきる姑の春子との関係、そして由香自身が河童市の若い女性を組織して後援会組織をつくっていく過程を描くなど、たんに姑との軋轢に不満を口にさせていただけの『不機嫌な果実』とはちがって、由香に積極的な行動にうって出させている。
たしかに小説の技法も語り手と主人公の関係も別のものになっているから、決して林真理子はばかではないということが分かった。やはり一作だけで判断してはいけないなと思う。会話のテンポもよく、構成もよくできているし、保守的な陣営の選挙の裏側のようなものも見ることができて、一気に読んでしまったから、できのいいほうに入るのだと思う。選挙が描かれているということで、ちょうどすこし前に読んだ重松清の『いとしのイナゴン』と比較して読んでしまった。
でどちらがいいと聞かれれば、私は重松清のほうに手を上げる。それは小説の上手さの問題ではなくて、誰の視点から選挙を描いているか、どんな選挙を描いているかというところにある。林真理子のほうは保守の選挙、なんのために選挙やっているのかなどは問題にならないで、これまでの地盤を引き継ぐためにやっている選挙、だから最後にはお金を配って回るということまでもするような選挙であって、河童市の未来とか市民の生活とかといったビジョンなどまったく問題にならないような選挙が描かれている。それに対して、重松清のほうは、過疎でさびれていく比奈町をどやって立て直していくのか、町民の暮らしをどうやって守っていくのかという切実な問題がヒナゴンで町おこしという(これ自体は非現実的なものだが)ことと結びつけて選挙を戦おうとする人たちの視点で描かれている。だから、林真理子の小説からはなにも得るものがなかったが、重松清の小説からは感動を得た。
だから(二人はなにも競っているわけではないけど)私は重松に軍配を上げるよ。