読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「地上八階の海」

2006年06月02日 | 作家カ行
角田光代『地上八階の海』(新潮社、2000年)

最近世の中というものについて分からないことが多くて驚く。二十代の頃だって分からないことは多かったが、その頃は自分が若いせいであって、年をとれば分かってくるのだろうと思っていたが、どうもそうではないようで、いい年になってからも分からないことだらけだ。
なんにも不養生もしていないのに、どうしてこう体調が悪いのか?
私の書いたものを本にしてくれる出版社はないのに、どうしてこんな下らない小説が本になるのか?
私は不正規のままなのに、どうしてあんな奴があんな肩書きと年収を取れるのか?
私のことなど知らないはずの人から、どうして新築マンションで蓄財のお勧めの電話がかかってくるのか?
特別変わったことをしていないのに、どうして突然便秘になるのか?
本当に分からないことだらけだ。

私は時々怖くなることがある。自分が妄想狂の、ひねくれた、つんけんしたジジイになっていくんじゃないか、と。この小説を読んでいて、主人公の母親というのがなんだか将来の自分を見ているようで嫌だった。私が母親のかたくなさを記述している箇所で愕然ときた。

「母の言っていることは、自意識過剰でありながら卑屈で、つねに自分の見える世界を二分し、自分が属さない一方をひどく憎んでいるように聞こえる。その一方は隙あらば母を拒否し、排除しようとしているとかたくなに信じこんでいるのだ。私はふいに息苦しさを感じた。母の線引きにしたがって、母の側にまわればいたるところに隙間なく悪意が埋めこまれているような気分になるし、反対側にいけば母にとことん憎まれているように思えてしまう。」

これはまるで昨日読んだ香山リカの『<私>の愛国心』で分析されていた現代日本の典型的な日本人像ではないか。自分が抑圧され排除されているとねたんで、自分の世界以外の他者をバカとみなし、「やつら」の悪意に対抗するために暴力的な態度にでる、解離性精神疾患を患った人間か。やっぱ、一見下らないように見える小説にも真実が描かれている、だからこそ評価されるということだろうか。

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