読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『大和川付け替え300年』

2009年09月26日 | 評論
『大和川付け替え300年』(雄山閣、2007年)

日本一汚い川として知られている大和川が、現在の柏原市リビエールホールがあるところから北上していた(ちょうど南から北上する石川に合流する形になっていた)のを、まっすぐ西側に付け替えて堺に河口をつくるようにした工事が江戸時代1704年に行われた。

堺の地の人間ではないし、結婚してから堺に住むようになったので、大和川にはあまりなじみはない。それでも毎日電車で大阪方面に出かけて帰ってくるときに、大和川を渡るので、それが大阪市と堺市の境界なんだなと思わせてくれるくらいのものである。

それよりも家の近くを流れている西除川のほうがなじみがあるが、こちらもすごいどぶ川である。狭山市にできた狭山池博物館を見学して、西除川がいかに周辺の水田の灌漑に大きな影響をもっていたかを知るようになって、見る目が変わったといっても、やはりどぶ川には違いない。この川にはすごい治水権があって、なんでも周辺の一戸建ての家は下水を流すのにお金を払っているとかいうような話を聞いたことがある。昔のなごりなのだろう。

大和川の話に戻ると、上にも書いたように、もともとは石川のほうが本流で、柏原市で大和川がこの石川に合流していると見たほうがいいくらいに、柏原市で急に北上するかたちになっていたらしい。河内長野のほうからせり出してきている台地にはばまれて西進できなかったらしい。たしかに藤井寺とか羽曳野のあたりは古墳がたくさんある。古墳を作るのは水浸しになるのを避けて、高台だろうから、それからも石川の西側が高台になっていたことがわかる。

それにしても1700年頃にたった8ヶ月で工事を完了したというからすごい。ただ掘削はしないで、両側に堤を盛り上げる工事だったからだということだが、それでも多少は掘ったのではないだろうか。江戸時代の土木工事というのもなかなかのものだったのかもしれないよ。

昔の大和川は、途中から分岐して久宝寺川となって、今のJR大和路線が走っているあたりを流れていたらしい。柏原、志紀、八尾と進んで、その先からさらに北上して、今の長瀬川がその本流だったようだ。つまり近鉄南大阪線の久宝寺口、長瀬、さらに北上して河内永和、高井田へと進んでいたらしい。もう一本は玉串川となって北上し、深野池や新開池に流れ込んでいた。

面白いのは、そういう玉串だとか深野だといった地名がそのまま現在も残っていることだ。深野池だったところは現在の大東市にあたる。また新開池のあとは新田に開発され鴻池新田となって今も地名がそのままにある。

「はなてん中古車センター」で有名になった放出はどうもこの新開池から水を放出するところだったらしくて、放出地点が短縮して「はなてん」となったと解説にある。

歴史って面白いね。

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延命寺

2009年09月25日 | 自転車
延命寺

今日は一週間ぶりにロードバイクに乗った。久しぶりに金剛トンネルに向かったが、途中でしんどくなり、ちょうど延命寺に抜ける道の表示があったので、そちらへ向かう。以前反対方向から(つまり千早の方から)来たことがあったので、おそよの見当はついた。

澄んだ空、コスモスの花咲き乱れ、金木犀

というような感じで、本当にいい天気で、空は真っ青。今年はお盆が終わってから、なんだかいい天気が続いている。シルバーウィークも行楽には最高だっただろう。昼間はけっこう暑いが、夜はもう秋の涼しさ。だから草花も鮮やかだ。今年はきっと紅葉が美しいだろう。

途中、ログハウスの一軒家があってその前にコスモスが咲き乱れていたのでケータイデジカメで写真を撮ろうとしたのだがうまくいかなかった。まだ時間が早かったので、立ち寄らなかったが、休憩にするのにいいところ。

延命寺に向かう道はほんとうの田舎道で、あちこちに彼岸花が咲いているし、ときどきほのかに金木犀の香りが漂っている。まだ花は咲いていないみたいだが、金木犀はどうも花からあの特有の香りが発しているわけではないようで、花はないのに香りだけがしている。

延命寺には裏手から着くかたちになる。子どもたちが小さかった頃によく家族で遠足に来ていた。その頃は千早口まで電車で来て、そこからそれこそ裏山を一つ超える感じで、大阪にこんな里山風のところがまだあるのかと驚いたものだ。本当に私の田舎を思い出させてくれる珍しいところ。でもそれも20年近く前の話だから、もう変わってしまったかもしれない。その頃でもちょっと道をそれると、清見台の造成された家々が見えて興ざめだったものだ。

延命寺は紅葉が綺麗なところだ。まだ青々としていて紅葉の季節には早い。だからだろう、寺の中は閑散としており、近所の人がお参りにきているばかり。ケータイカメラの使い方がまだよく分からない上に、メガネが遠く用で画面がぼやけるので、あれこれやっているうちに、だいぶ時間がたってしまった。まぁ時間はたっぷりあるし、別にこれからどこに行くあてもないのでいいか。記念に山門横の清めの水の龍を写真に撮った。

帰りは三日市町へ。これもハイキングのときに歩くコースで、なんかもっと広い道路だと思っていたが、自転車でスピードを出せるような道ではなかった。三日市町からいつもの371号線に出て、無事に帰ってきた。

そうそう、今日は河内長野駅方向に降りる坂で、車と正面衝突しそうになった。私のほうが坂を下りるのにスピードを出しすぎて、カープを曲がりそこねそうになったからだ。対抗の車は自転車がぶつかってきそうになって肝を潰したにちがいない。「ほんと、死ぬよ、あんた」と心のなかで自分に言い聞かせたが、足も震えていた。気をつけないといけない。自戒の意味も込めて書いておく。

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『犯罪小説家』

2009年09月21日 | 作家サ行
雫井脩介『犯罪小説家』(双葉社、2008年)

犯罪小説の作家という意味でもあり、犯罪をおかした小説家という意味でもある、犯罪小説家。タイトルだけ見るとなんかすごく好奇心をそそられるが、よく考えてみると、この二つのどちらか、あるいは両方しかありえず、この小説もその両方のケースで、どうということもない作品であった。

待居涼司というデビューして4・5年目の新進の作家が『凍て鶴』という小説で文学賞を受賞する。それを期に映画化の話になり、小野川充という31歳のシナリオライターが監督・脚本・主演をすることになる。小野川が映画化のためにイメージを膨らませるために言い始めた、待居が自殺サイト「落花の会」とのかかわっていたのではないかという話が図星で、この関係を調査し始めたルポライターの今泉の死をめぐって、最後の最後には小野川は待居が「落花の会」のリリーの自殺幇助を行い、松野を殺していたということを知ってしまう、というような話。

犯罪小説家というタイトルにいったい何を求めていたのだろうかと、我ながらあきれる。よく考えてみれば、上にも書いたように、犯罪小説の作家か、犯罪を犯した小説家しかありえないが、犯罪小説の作家なんてごまんといるわけで珍しくもなんともないし、犯罪を犯した小説家なんて、これも面白くもなんともない。

実のところ、この小説の大きなテーマになっている『凍て鶴』の主題―ある地方都市の旧家の主人が息子に自分の愛人をあてがい嫁として娶らせ、夜な夜な息子の知らぬところでこの愛人である嫁を抱いていた―が、たしかにすけべじじいの深層の欲望を刺激する話ではあるけれども、なんだか古臭い話のように思うし、このへんのことを書いてあるこの小説の前半部分―作家の生活や文学賞受賞の経緯などが書かれたあたりは、どうしてこう古臭い雰囲気になるのだろうかと、首を傾げたくなる。

あれだけシュールな思い込みを次から次へと口にしていた小野川充はじつはまったく思いつきで現実に待居がそんなことをしていたなんて露にも疑っていなかったというのも、なんだかなー。要するに、イメージを膨らませる想像力に欠けていたってことなんでしょう。だからあのように次々シュールな思い込みを口にして、今泉を動かして、もっと面白い人物造形ができないものかと苦しんでいたわけなんだろう。

最近は『クローズド・ノート』が沢尻エリカ主演の映画化されたり、『犯人に告ぐ』がトヨエツ主演で映画化されたりと、ちょっと飛ぶ鳥を落とす勢いの雫井だったので、もんのすごく期待していたのだけど、この小説じゃないけど、ちょっと期待に押しつぶされたってとこでしょうか。

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『日本の中の朝鮮文化』

2009年09月17日 | 人文科学系
金達寿『日本の中の朝鮮文化2 山城・摂津・和泉・河内』(講談社、1972年)
   『日本の中の朝鮮文化8 因幡・出雲・隠岐・長門他』(講談社、1984年)

私がまだ高校生だった頃に、こういう人が私の今住んでいるあたりの神社仏閣を回って、その名称やら地名やら仏像などから、かつての日本の文化の基層に朝鮮文化がいかに重要な位置をもっていたかを調べて回っていたんだなと思うと、なんか奇妙なような、不思議なような感情にとらわれる。

最初は関東を中心に書いたものが出版されているのだが、やはりこういうものは自分がよく知っている土地のものを読んでみるのが一番だ。百舌鳥古墳群や仁徳天皇稜は言うまでもなく、最近は自転車でよく回っているのでなじみになってきた古市、藤井寺、柏原、石川、河内長野なんかも、あそこがねというところが次々と出てくる。

そして京都では太秦とか蚕ノ社とか、つまり広隆寺の弥勒菩薩像なんかも。これを読むと、桓武天皇が京都を都とするまえから京都盆地には秦とか百済とか高麗とか加茂などの朝鮮帰化人の広大な領地があって建物を建造したり織物をしたり養蚕をしたりしていたのだという。そういう地ならしがあったればこそ、奈良から京都に遷都したのかもしれない。そもそも桓武天皇自身が朝鮮からきた家系の母親をもつということをたしか井沢元彦に「逆説の日本史」で読んだような気がする。

第2巻を読み終えて、すぐに私の生まれ故郷である山陰地方を中心とした第8巻を読む。鳥取から入って、まず面白いのは「因幡の白兎」伝説である。もちろんこれはこの著者のオリジナルな解釈ではなく、昭和初期に書かれた本の紹介をしながら、著者独自の考えも記してあるのだが、兎と鰐の話を、普通は鰐というのはこちらの方言で鮫のことをさしているというような瑣末な解釈を退け、ワニというのが古代朝鮮の地名で、そこから鉄の太刀や鉄器が持ち込まれたことから、ワニが当時の倭人にとって脅威となるようなものの出所として恐怖の対象となったのではないかということだ。

さらに西進して日野川の日野とか大阪の日根野とかが百済系の渡来人にかかわるというのだから、驚きだ。そういえば、以前郵便番号もかかず、日野町役場宛に郵便物を出したら、滋賀県の日野に行ってしまったことがあって、こんなところにも日野があるのかと驚いたが、きっと同じ帰化人由来の地名なのだろう。

鳥取県の場合は奥日野や隣の島根県の奥出雲がタタラで有名だが、このタタラというのも新羅の古い地名である多羅から由来しているのではないかと著者は推測している。そしてさらに驚いたことに、この日野川上流では大量に砂鉄を取るために山を崩して土砂を流したので、その土砂が日野川の河口である皆生あたりにたまって、もとは夜見が島であったのがつながって、夜見が浜半島になったという。

中海から宍道湖にかけての周辺は日本における朝鮮文化の宝庫のようだ。たぶん弥生時代から、いわゆる大国主命が大和の国々に敗れて、支配者が変わるまで、大量の朝鮮人が移入してきて、農耕、製鉄、土器、古墳などの文化を持ち込み確立していたったところのようだ。まぁ地理的にいっても当たり前といえば当たり前で、日本にまだ国家などというものが出来上がる以前から、朝鮮人がどんどんやってきたのだろう。彼らにしたら、けっして日本に「帰化」したということではなくて、新天地を求めてやってきたということになるのだろう。

面白くて、読み出したら、止まらない。

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『裁判官が日本を滅ぼす』

2009年09月16日 | 評論
門田隆将『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社、2003年)

私が日本の裁判ってなんかおかしいなと思い始めたのは、すこし前にテレビで報道していた痴漢裁判で実刑判決が下りて、被告男性が刑務所に出頭する日に、この問題を手短に紹介したニュース番組を見たときだ。

この男性は痴漢をしたとして女性に通告をされ実行犯として逮捕され、よくあるように罪を認めれば数万円で解放されると言われたが、していないものはしていないという主張を貫き、きっと司法の場にでれば裁判官が公正な裁きをしてくれると期待して、裁判に臨んだが、裁判官は彼の主張など微塵も考慮せず、それどころかあくまでも無罪を主張する彼の態度を「不遜」とみなし、通常よりも重い刑を課したという。

<2021年2月3日追加分>
しかし著者の門田隆将という人がこんな馬鹿な人だと思わなかった。アメリカ大統領選挙で選挙不正を主張するトランプを支持するこの著者の愚かしさは、ツイッターでデマを主張した回数の世界のトップテン入りしているほどで、愛知県知事リコール署名の不正問題でも不正を擁護している。こちら

私はテレビで有名になった例の光市母子殺人事件でも日本の裁判に疑問はもたなかった。というのは、こういう殺人事件の場合に被害者遺族の心情をあまりに考慮しすぎると物事を客観的に見るということに歪みが生じてしまうから、心を鬼にして被害者遺族に肩入れしすぎないように、彼らの悲痛な声に耳を傾けすぎないようにするのが筋だろうと思っていたからだ。

だが、上の痴漢事件の裁判を見ていると、裁判官はまったく公正な裁きをしようなんてこれっぽっちも思っていない、最初からこいつは痴漢なんかしたあほな奴だという先入観で事件を見ているとしか思えないだけでなく、司法に委ねれば公正な裁きをしてくれるという被告の最後のよりどころを無残に打ち砕いた、それは突き詰めれば、日本の司法になにも期待できないということを示しているということがよく分かったのだ。

そしてこの本を読んで、私の素人なりの印象は間違っていなかったということを理解した。調書をまともに読んでいないと思われる裁判官、何人殺したかで刑量を決める悪しき判例主義の裁判官、退官後の天下り(って言うのかどうか知らないが)を見越して被告銀行に有利な判決をだす裁判官、少年法の趣旨を取り違えている裁判官、刑事裁判で有罪になった事件に新しい証拠もないのに民事裁判で無罪をだす裁判官、シンナー常習者なのに心神耗弱を理由に刑を軽くする裁判官(これについてははっきり言わせてもらえば、シンナー常習者は自分がシンナーを吸ったら心神耗弱状態になることを知っているわけで、あるいはそういう状態になりたいがためにシンナーを吸引するわけで、犯行時に心神耗弱状態にあったから無罪とか刑を軽くするなんていうのは、まったく愚かとしか言いようがない)、などなど。

そもそも司法制度というか人を裁くという権力を公的機関が簒奪するようになった理由の一つには、殺人などにたいする復讐を放置しておけば、復讐に復讐が連なって、無法状態になってしまうことを避けるために、被害者遺族に成り代わって裁判所が公正な裁きをして白黒付け、犯罪者に応分の刑を科すためだろう。そうであるならば、裁判所は被害者遺族に成り代わって事件を冷静沈着に判断することを委ねられているのであって、被害者遺族を無視するとか、彼らの被害者感情を視野に入れないのはおかしいのだ。

こういう愚かな裁判官の例を見ていると、たんに馬鹿な裁判官がごろごろいるんだなではすまないことが見えてくる。なぜならこういう判決がでることで、犯罪者はどこまでやったら、どういうやりかたをしたら犯罪が犯罪でなくなるかわかって、社会に善悪の基準が見えなくなってしまうことで、ますます犯罪を助長することになるからだ。まさか正義人ぶっている裁判官たちのしていることが、日本社会の犯罪を助長しているなんてジョークですまされない。笑うに笑えない現実なのだ。

ついでに書いておくと、今テレビをにぎわしている麻薬事件で勾留されている酒井法子の保釈が認められたという。これもまったくおかしな話だ。保釈というのは証拠隠滅や逃亡のおそれがないということで認めるものだが、この人、警察に出頭する前に証拠隠滅のために逃亡していたでしょうが。テレビが騒いでいるので、もう逃げられない、それにもう毛髪からは反応がでないと踏んで出頭したのに、どうして証拠隠滅や逃亡のおそれがないと言う理由で保釈がゆるされるんでしょうね。保釈を認めるのも裁判所だというが、こんなことする裁判所、私には理解できない。

となれば当然、一般庶民の常識・感情でもって事件を見て刑量を考える裁判員制度は望ましいということになるだろう。だから、著者はそういう方向で考えているようだが、最近出版された『激突!裁判員制度―裁判員制度は司法を滅ぼすvs官僚裁判官が日本を滅ぼす 』では基本的にそのような立場に立ちつつも、現実の裁判員制度下での裁判がどうなっているかを冷静に見ている。面白そうだ。

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『ブロデックの報告書』

2009年09月15日 | 現代フランス小説
フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』(みすず書房、2009年)

ロレーヌ地方のある山岳地帯の村幼少の頃に母親と移り住んできたブロデックが、ユダヤ人狩りにやってきたナチスの軍隊におびえた村人たちから「生贄」にされ、強制収容所送りにされてしまう。だが生き延びるために「犬」にまでなったブロデックはそこから生き延びてもどってきた。戦争も終わり村もやっと落ち着いた頃にやってきた一人の男、何をしに、どこからやってきたのかも、いったい何者なのかも分からない一人の男のために、疑心暗鬼になった村人たちは、この男がブロデックを収容所送りにして、逃げてきた三人の女性を殺したことを告発しにきたと思い込み、彼を惨殺してしまう。その顛末を報告書に書くことになったブロデックの回想の物語が、これである。

自分が助かるために人を犠牲にする。それが一人ならそうやって生き延びた一人の人間だけが心の中に罪の意識をずっと持ち続けることになるだろう。だが国のため、村のため、みんなのためという集団の意識にすり替わると、罪の意識もなくなってしまうのかもしれない。それはエスカレートして、ホロコーストする側になると、自分の良心などを押し殺してしまわなければ、自分が殺される、まさに自分が助かるためには人を犠牲にするという円環構造が形作られる。そうなりやすい民族というものがあるのか、どんな民族でも陥る普遍的なものなのか、私には分からない。

ヨーロッパの、とくにフランスの宗教戦争がそうだったように、あるいはヨーロッパ人による新大陸アメリカ原住民への殺戮がそうだったように、文字に残っていないだけで、歴史上あらゆる時代にあった普遍的なものなのかどうか、これも私には分からない。

そして未だに核によるホロコーストという恐怖から逃れられないでいる現代社会。

なんか私には重過ぎるテーマで、いったい何を書いていいのか分からない。

フィリップ・クローデルについてはこちら

フランスの読者の感想を書き込むサイトを見ると次のようなものが載っている。

「言いたいことがたくさんあるので、何から書いたらいいのか分からない。どんなことを言っても読後の思いを言い尽くせないだろう。」

「バカンスの気晴らしに読むような本ではない。あまり軽い内容の本ではないが、よい本だ。戦中から戦後のある村の歴史を通して、クローデルは人間の本性がもつ陰惨なものを提示している。」

「非人間性の教訓。第二次大戦後のドイツとの国境線にある村。どんな村にも名士(村長、教員など)がいるものだが、最も尊敬されるべき人々がつねに思っているような人とは限らない。」

「フィリップ・クローデルを読むということは、人間が歴史と策謀によって罠にかけられた時間、日々をまるまる生きなおそうとすることだ。だれもそれから逃れることはできない。そういう日々が私に取り付き、強迫観念となる。」

2007年度の高校生読者大賞を受賞している。

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疑心暗鬼?

2009年09月13日 | 日々の雑感
疑心暗鬼?

我が家での独り相撲の一顛末。

8月28日に高野山をロードバイクで往復したあと耳鳴り・めまいがするようになったことは書いたが、すぐに耳鼻科を受診して内耳炎―要するに、蝸牛管のリンパ液の流れが悪くなって耳鳴りやめまいがするということでステロイド剤を処方してもらい、一週間ほどで治ったのだが、その耳鳴りがし始めたのとちょうど同じ頃に、我が家のリビングの隣の区画と隣接した角の部分から、原因も出所も不明のブーンという振動音のような共鳴音のような音がしていることに気づいた。

最初はテレビがなにか異常音でも出しているのかと思い、テレビのコンセントを抜いてみたが変化なし。テレビの後の、リビングの角にはコンクリートの柱が通っており、ただそれは完全にコンクリートだけではなくて、板張りの空間のようなものがあるようで、どうもそこで音が共鳴しているように聞こえる。きっと上か下の区画の住人が、エアポンプのようなものを壁にくっつけて設置しているために、壁が共鳴して音が我が家まで伝わって着ているのではないかとめぼしをつけた。

そのときには上さんもいて、一緒にあれこれ推理したのだが、上さんは「まぁ、気にしなきゃいいのよ」とそれ以上追求しようと気はなし。そのときは私も折れて、まぁ我慢するかと忘れようとしたのだが、これまで暑かったので、一日中窓を開けており、こちら側は道路に面しているため、まぁけっこう音が流れ込んできて、昼間はそれでこのブーン音が消されてしまうのだが、夜になっても一晩中不気味にブーンといっている。とにかく四六時中音がしているし、窓を閉め切っているとすごく響くので、これから涼しくなってくると気になって仕方がないだろう。せっかくの落ち着ける空間だったリビングが居たくない空間になってしまった。

そういう毎日がかれこれ二週間も続き、昨夜はもうこれ以上我慢できなくなり、明日は上下左右の区画の住人のところに文句を言いに行こうと決めたのだった。とくに下の住人は一昨年に引っ越してきてから、幼稚園から小学校低学年の女の子三人の子どもがいる家庭で、もう夕方から夜中までうるさいのなんの、どんどん壁をけっているような音がするかと思えば、ホッピングの道具で家の中でジャンプして遊んでいるような音はするし、喧嘩をすれば泣き喚く声が聞こえるし、ときには若い母親が切れて怒鳴りまくっている声はするし、朝方までテレビの音が聞こえる(もちろん空気を伝わってというような大きな音ではなくて、壁伝いに聞こえる音)し、もういい加減堪忍袋が破れるぞというのを我慢して、最近はなんだか静かになってきたなと思っていた矢先ということもあり、とにかくどんな言い方をすればいいか、あれこれ考えて、一晩あまりよく眠れなかったのだ。

今朝は、ジョギングをして、朝ごはんをたべ、さてこれから、上下左右の区画の住民に渡すチラシを書く前にもう一度ブーンがどのあたりから聞こえるか確認しておこうと思って、テレビをどかして、ブーン音に近づいてみると、どうも上のほうから聞こえるな、あれこのスピーカー(うちのマンションは全区画が有線放送に入っており、もとからそれ用のスピーカーがリビングの上につけてある)から音がするような気がする。しかし電源は切ってあるしなぁ、と思いつつ、スピーカーに触ってみると、まさにこいつから音が発生していることを発見。スピーカーにつながっている電線を抜いたら、ぴたりと音がしなくなった。ブーンという音のしなくなったリビングのさわやかなこと!

すぐに上さんを起こして事情を説明する。私も自分ところが発生源だとも気づかずに、隣近所を疑って文句を言っていたら、それこそみっともないどころの話ではすまなかった。よかったよかったと二人して安堵の胸をなでおろした。疑心暗鬼とは怖ろしいものだ。

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『ノルゲ』

2009年09月11日 | 作家サ行
佐伯一麦『ノルゲ』(講談社、2007年)

こういう小説を読むと、私小説って一体なんだろう、純文学ってつまらないなと思ってしまう。そもそも純文学なんて私が言っていることではなくて、作者本人が言っているのだから、訳がわからない。

この小説は、作者が染色を専門とする妻がノルウェーのオスロの大学に留学するので、一人で暮らすことに不安があり、同行して一年間をオスロで過ごした経験をもとに書いたもので、到着直後から一年後の夏にオスロを離れるまでが、時間順に描かれている。

日々の生活―とくに魚などの食材の買い物、ノルウェー語学校への通学、妻の級友や先生の家族との交流、妻が学校に行っている間に起きるもろもろのハプニング―が中心に描かれ、そこから導き出されるように、「おれ」の高校時代の話、前妻の話、電気工としての体験などが回想のかたちで描かれていく。

そういう構成という意味では、まったく破綻のない、よくできた小説といえるだろう。そのことは否定しない。さすがにいろいろな賞を受賞してきた熟練の私小説家だけのことはある。

この小説で一番印象に残るのは、この作家の持病でもある精神の病―うつ病として書いてあったと思う―がノルウェーに多いことである。冬になると白夜に近い状態になるためにただでさえ精神の病の原因になっているだけでなく、季節の変わり目になると急激に強まる太陽の刺激が身体の調子を狂わせることから生じる精神の病もあるそうで、ノルウェーには精神の病に陥る人が多いそうだ。

リーヴという同じ建物に住んでいて洗濯機を共同で使っているので定期的に会って話をするようになった若い女性もそうした病気を抱えているが、いまは回復期にあるという。彼女との会話は彼女が薦めてくれた『鳥』というノルウェーの作家の小説を「おれ」が読み進め、それが話題になるという点で、一番この小説の核になっているように思われる。

この小説では妻との会話はほとんど書かれていないこともあり、またはっきりとは明記されていないが、「おれ」もリーヴもおなじ精神の病を抱えていることをそれとなく告白しあったこともあり、なぜかしら「おれ」も他人には言えないようなことも彼女には語っており、二人の会話がこの小説の一番意味のある会話になっている。このことは、彼女が紹介してくれた『鳥』のマティスに「おれ」が自分を同化していくことがこの小説で重要な位置づけを与えられていることからも推測できる。

だが、と私は最初の疑問に戻る。こういう小説を読んだからといって、何が残るのだろうか。私には何も残らない。たしかにいくつか面白い発見はあったが、それは瑣末なことであって、この小説を読んで得られる喜びにはつながらない。

小林聡美、もたいまさこ、片桐はいり共演の『かもめ食堂』はノルウェーではなくてフィンランドが舞台になっていたけれど、この映画では北欧の夏がのんびりとした、それこそあくせくとした日本人には癒しの空間のように描かれていたが、やはり現実は違うのだろうなと思う。

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朝ジョグ

2009年09月09日 | 日々の雑感
朝ジョグ

昨年の夏に腰痛になってからずっと朝のジョギングは中断したままだった。昨年の秋から運動ができるようになって、ジョギングをしたりロードバイクに乗ったりしてきたが、朝一はずっと避けてきた。起きぬけはまだ体が固くいので、ジョギングをしたりバイクに乗るのが怖かったからだ。体が固いときに腰に負担をかけたくない。しかし夏には朝以外にはジョギングはできない。

盆すぎに米子に旅行したとき、朝がずいぶんと爽やかなので、散歩をしてみた。軽く歩く程度なら問題なさそう。それになんといっても朝は気持ちいい。朝に外で体を動かす楽しみが蘇ってきた。やっぱり朝一のジョギングはいいだろうなとは思いつつも、まだジョギングをする勇気はない。しばらくは歩くだけにしてみる。

それから半月ほど朝一に30分くらいのウォーキングを続けてきて、そろそろジョギングしてもいいかなと思い、一週間ほど前からジョギングを一部に入れている。最初から最後までジョギングではなくて、少しずつジョギングの部分を増やそうという考えである。一ヶ月単位でジョギングの距離ものばしていければいい。そんな風に考えて、腰痛から一年たってやっと朝ジョグを復活することができた。

ここのところ空も青く澄んで、いかにも日本晴れという毎日が続いている。高野山往復で耳鳴りやふらつきがおきて少々滅入っていたけれども、これまでも十数年以上続けてきたジョギングを再開できて、小さな幸福感を味わっている。


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『天使の記憶』

2009年09月06日 | 現代フランス小説
ナンシー・ヒューストン『天使の記憶』(新潮社、2000年)

例えば広島や長崎の原爆とか東京大空襲をまったく知らない世代や外国人に語る人たちがいる。私は聞いたことがないけれども、語り部たちの語る話は、もちろんそうした人たちの語りの能力にも左右されるところもあるのだろうが、たいへんなイメージ喚起力をもっているのだろうなと、私はいつも感心する。

言葉を耳で聞くということによって世界を想像するという経験が少ない私だけが不安に感じているのかもしれないが、私は映像なら問題なく伝わる悲惨さが言葉を聞くだけで本当に伝わるのだろうかと思ってしまう。

それは語る側の問題である以前に聞く側の問題なのかもしれない。たとえば『はだしのゲン』が描く地獄絵図を、言葉で語って、語られた言葉から、『はだしのゲン』が描く程度の地獄絵図をイメージできるのかということだ。どんなに語り部がリアルに語ったところで、言葉そのものに、あるいは聞く側のイメージ喚起能力が伴わなければ、伝えることはできないだろう。

なぜこんなことを(たぶん上記のような語り部をしている人たちからしたらずいぶんと失礼な奴だと思われるかもしれない)書くかというと、この小説でもそうなのだが、主人公の体験してきた悲惨さというものが、まったく伝わってこないからだ。似たような経験をアゴタ・クリストフの小説でも同じことを感じる。つまり私にそうしたイメージ喚起力が足りないのだろう。

この小説ではサフィーが体験したことが小説の原動力となっているので、そのところが理解できなかったら、彼女の行動がまったく理解できない、つまりこの小説が理解できないことになってしまうだけに、重要な問題である。にもかかわらず、小出しにされるサフィーの原体験のようなものは彼女の行動原理として伝わってこない。ましてや、なぜ突然アンドラーシュには心を開いたのかもさっぱり理解できない。登場人物の行動の恣意性ばかりが目に付く作品である。

この小説の二つ目の問題は舞台となっている時代の動きの描写がまったく登場人物の行動と連関していないということだ。サフィーやラファエルが生きるパリは1958年から61年にかけて、アルジェリア独立戦争でパリが混乱していた時代である。ところどころに挿入されるパリの様子やその原因となっているアルジェリアの状態がこの作品にどんな関係を持っているのかまったく分からない。ただたんにそういう時代にサフィーが生きていたというだけのものにしか見えない。作者としてはそうした時代状況を書き込むことで、この作品に社会性を持たせたつもりになっているのかもしれないが、まったく作品の外部のようにしか感じられない。

この作家はたくさんの作品を書いているしけっこう評価されている人らしいけど、観念的すぎると思うのは私だけだろうか。

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