読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『今こそルソーを読み直す』

2013年05月31日 | 人文科学系
仲正昌樹『今こそルソーを読み直す』(NHK出版生活人新書、2010年)

アマゾンのエントリーを見ていると、この本はほとんどが☆5つで、その内容も、著者のファンが書いているようで、人文科学系には珍しくファンの多い著者のようだ。分かりやすい、懇切丁寧で、具体的な論述の仕方が好評のようだ。

私が驚いたのは、デリダの『グラマトロジーについて』におけるデリダのルソーの音声中心主義批判の核心ををほんの数行で分かりやすくまとめているところだ。まずはエクリチュールの意味。もちろんエクリチュールというは文字などの書かれたもののことを意味するのだが、この著者はそれをもうすこし拡大解釈する形で、パロールが定着してラングという強制力をもつものになったものというふうに説明している。たとえばこんなふうに。

「しかしながら、こうしたパロールの優位は、本当のところ表面的な現象である。エクリチュールというのを文字通り、神などの物質的媒体に刻み込まれた文字の連なりと取れば、確かに、それはパロールから派生した二次的なものにすぎないが、そのパロール自体は、決して自然発生的に私の口から生じてくるものではない。(…)音の最小の単位が何か決まった観念を表象する、あらかじめ音韻論的に割り当てられている必要があるわけである。そうした慣習=規約の体系が成立していることを前提にパロールがパロールとして機能するわけである。(…)そうした記号の体系が、私の心の内に「書き込まれて」いなかったら、私の自己内対話も成立しない。私の心にしっかりと「書き込まれて」いる記号の体系こそが、最も根源的ない見での「エクリチュール』だとすれば、むしろエクリチュールがパロールを生み出していると見るべきだろう。」(p.57)

デリダによるルソー批判の核心がここにあるという説明は私には目からうろこだった。ただ私としては、もしデリダによるルソー批判の核心がここにあるということが真実ならば、これはかつて丸山圭三郎が『ソシュールの思想』で明確に説明している「構成された構造」というソシュール理論の重要な柱の一つであって、これに近いことをルソーはすでに『言語起源論』や『音楽辞典』で指摘している。それがルソーに二つの歌概念だ。一つは原初の状態に近い言語と音楽がほぼ同じであるような状態をもつ古代ギリシャ語では、詩を朗読することがそのまま歌になるという。この場合、歌とは言語がもつ抑揚に一定のリズムを与えるだけで音楽的になるという意味である。ところがルソーによれば、言語と音楽が完全に分離した近代西洋では、言語は音楽的ではないし、音楽は言語の抑揚とはまったく無関係な体系をもっているので、歌うとは、言語とは無関係な音楽の体系に入ることを意味する。この場合、音楽の体系に入らなければ、歌は歌とはならない。これが「構成された構造」のもとでの必然性というソシュール理論の重要な柱の一つを先取りするものであると私には思われる。

とまぁ、こういうわけで、この本の始めの部分でこうした解説にであったことから、さらに読み進めようという気になった。

しかし一般意志の問題などは、こういう解説を読めば読むほど難しいなと思う。学者が読んでも分からない、あるいは各人各様の解釈ができるような概念はどうしようもないという気がしてくる。その点から考えれば、各人は自由な意志によって政治に参加し、その多数決による決定にその限りで拘束されると考える立憲民主主義的な考え方のほうが、ずっと分かり良い。

しかしずっと大きな視野で見ると、ルソーの政治思想は、契約論にせよ、自然状態と堕落した状態から社会契約のやり直しによる新しい社会の創造という考え方にせよ、この著者もマルクス主義の源流として説明しているように、社会変革の理論に大きな武器となったのだろうと思う。と同時に、ルソーの一般意志論は全体主義的な色合いを持っていることは確かで、全体主義に絡め取られないために、何が必要なのか、さすがにこればかりはこの著者もよく分かっていないのではないだろうか?

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ある研究者の死

2013年05月28日 | 日々の雑感
ある研究者の死

ある年上の知人の弔問に友人三人とともに行ってきた。この知人をF氏としておく。F氏は4・5年前の暮に大掃除をしているときに脳溢血を起こし、それ以来右半身が不随になった。それほどひどい不随ではなかったので、多少苦労はするものの日常生活には支障がない程度のものであった。だがそれ以来、それまでもあまりよくなかった家族関係が急速に悪化し、3年ほど前に妻に三行半をつきつけられる形で、別居中であった。その後も状況はよくならず、離婚調停を起こされ、その一回目の調停日に出廷しなかったので、訪問してみると、心不全で亡くなっていたということらしい。それが昨年の末のことであった。家族葬を行っただけだったので、誰も知らされていなかったのだが、今年の年賀状の返信から私たち知人が知るところとなり、やっと今日になって弔問をしてきたというわけである。

なぜF氏がこんなことになったのか。もちろん家族内でのことは私たちのあずかり知らぬことではあるし、別居ということについても私たち知人がどうこうできることでもない。別居前にF氏が私たち知人からF氏の妻に話をしてもらえないかということで自宅に呼び出されたことがあったが、すでにその夫婦関係は私たちが仲介をすることができるような状態ではなかった。もともと仲の良い夫婦だったし、子煩悩な人であったから、娘さんとの関係だって、なぜこんなにも悪化していったのか、私たちには理解できなところがあった。私が思うに、家族関係の悪化のウラには、F氏の研究者としての崩壊があったのではないだろうか。

この人は、大学や高校で非常勤講師をしながら、研究を行なっていた。ところが20年ほど前に、ある事件があって、それ以来、研究者としてのよって立つところを失い、論文が一つも書けなくなった。それはF氏が人間としての土台を失ったに等しい。その頃から彼は家族の中でうまく行かなくなったのではないか。娘につらくあたるようになり、酒量が増え、最後にはアル中同然だったという。

非常勤講師は、今の生活も不安定、これから先の生活も不安定、老後も不安で、社会的にも認知されていない存在である。しかしそれでも自分が本当にやりたい研究をして、そうすることで社会に貢献しているという自信があれば、決して人間的に揺らぐことはないし、多少の不安定をものともすることもないし、かりに妻に食わせてもらっているような状況であっても、それで自己卑下する必要はない。つまりプライドは保てるのだ。だが、その土台の研究が崩壊すれば、人間的にも崩壊することが多い。F氏などはその典型のような気がする。ご冥福をお祈りします。




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「天上の花園」

2013年05月12日 | 韓国文学
韓国ドラマ『天上の花園』(BS朝日)

3月中頃から32回にわたって放送されてきた韓国ドラマの『天上の花園』が金曜日に終わった。これまた先に書いた『ボクヒ姉さん』と同じく、良いドラマだった。

「手つかずの自然が残る美しい村・江原道(カンウォンド)のコムベリョンを舞台に」という謳い文句であるコムベリョンというところがどのへんになるのかよくわからないのだが、『太王四神記』でペ・ヨンジュンを守る四神の一人である白装束の集団が暮らしている村がたしかコムベだったような気がする。

主人公のジェイン(ユ・ホジョン)は二人の娘がいるが、上の子(ウンス)は夫のテソプが前妻(テレビ女優のジュホン)との間にもうけた子で、いまや家庭を顧みないテソプの浮気(?)を見つけたジェインは離婚も考えて、実家のコムベリョンに帰る。ここにはテソプとの結婚に反対して結婚式にも出て来なかった父(ブシク)が一人で住んでいる。母はずっと以前に上の息子を連れて出てしまい、今はフィリピンかどこかで事業をしている。

駆け落ちのようにしてテソプと結婚し前妻の子ウンスを引き取り、テソプとの間にもヒョンスという娘をもうけながら苦労しているジェイン親子にたいして最初は冷たく当たっていた父ブシクと口を開けば喧嘩腰の物言いをしていたジェインも自分たちの悪かったところを認め、互いに歩みよる。

もともと人がいいジェインは他人の苦労や心配事に首を突っ込む癖があり、それが物語の展開の原動力になっている。家の近くの河で自死しようとしていた脱北者のミョンオクはジェインに命を救われて、近所のナムギルと結婚し、子供をもうける。前妻のジュホンは会社が要求するアイドル路線と自分のしたい事との間のギャップのせいで不眠症になり自殺をはかる。彼女を助け、いつでもコムベリョンにおいでという呼びかけに応えて、過去の恋愛出産のスキャンダル騒動のときはジェインの家に泊まって、村の生活やブシクとの会話から自分の生きる道を見出す。

朝鮮戦争にまつわる村の老人たちの話も興味深い。もともとブシクの家はこの村の地主だったようでたくさんの土地をもっていたが、朝鮮戦争の混乱の中で共産党によって土地を取り上げられ、当時小作で共産党に協力的だったオ・チョルチュの父親のものになった。それが1980年ころにオ・チョルチュが勝手に証人をたてて、代々自分の土地だったという登記を行ったのだった。ブシクは仕方なく彼から土地を借りて五味子やその他の作物を作ってきた。また朝鮮戦争が始まった直後に結婚式をあげたパルボクお祖母さんは式の日に戦争に狩りだされた夫をずっと待っている。孤児のビョンドを引き取って育てているが、ついに亡くなってしまい、ブシクが代わりに引き取る。

子役たちもうまかった。母親が二人いるウンス、殺人を犯したということで投獄されている父をもつスンウは育ての父がその父を逮捕したときの刑事だった人だ。小学校6年生のときにそのことを知り、実の父にも面会にいく。二人の父を受け入れる選択をしたスンウ。普通の子供が普通に感じていることを口にしているようなやり取りをしているウンスとスンウは、勉強のためにこの村を出て行くけれども、いずれは帰ってくると誓う。

スンウの育ての父であるウギョンはジェインに恋する。自分のことを放っても他人の苦労に首を突っ込むジェインの優しさに惚れたのだ。だがジェインもウギョンが好きになるが、テソプのことを離婚した後も父親として慕う下の子のヒョンスのことや、だれと再婚してもいいよといいながら、血のつながりがまったくなくなってしまうことを不安に感じているウンスのことを思い、踏ん切りがつかない。ときにはわがままな対応をしながらも、ジェインを苦しめたくないからいつまででも待つというウギョンに、まだ踏ん切りはつかないが、もし再婚するとしたら、その相手はウギョンさんだと明言したジェイン。最後はこうした穏やかな関係としてこの先がずっと続くよと思わせるようなエンディングであった。

その他、ナムギルの母親とか、最初は意地悪な村の婦人会のボス的存在であるオ・チョルチュの妻とかオ・チョルチュの母親とか、見たこともないような面白い俳優たちも登場して、じつに面白いドラマだった。いつも思うけど、本当、日本にはないドラマ。また最初から見直したいものだ。


韓国ドラマ「天上の花園」

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『菩提樹の香り』

2013年05月04日 | 評論
永見文雄『菩提樹の香り』(中央大学出版部、2010年)

パリの南部14区にある国際大学都市の日本館の館長を2006年4月から2008年3月までの2年間務めた著者の日記を選りすぐって一冊の本にしたもの。

以前、1970年代に館長を務めた小林善彦の体験談『パリ日本館だより』(中公新書)のこともここに書いたが、フランス人と付き合う方法、フランス人気質などにまとめて論じたのにたいして、小林の東大での弟子にあたる永見文雄は、ただ日記をまとめただけのものだ。

だが、著者本人も「はしがき」や「あとがき」で触れているように、めったに知ることのない、パリ日本館の運営の問題などが書かれていることは多少とも興味深かった。といっても、そんなことを知ったところで、館長になる可能性があるわけでもないのに、どうでもいいことではあるが。

またオペラもよく観劇に行っているようで、これの感想が面白い。私が日本で見たラモーの『遍歴騎士』のときのように、スッポンポンで性器丸見えのダンサーを登場させるという演出がやはり他の作品でも行われているようで、それにたいしてこの著者も憤慨している。全般的に審美観が私と似ているらしく、あまりにモダンな演出はお好みでないようだ(たとえばスーツ姿で登場させるなど)。

まだ大学院生であることが多いレジダンはN君とかOさんなど匿名で書かれているが、すでにその分野で名をなしている人などは本名で書かれている。そのなかに私の知り合いが登場してきたりして、驚かされたりした。

モンスリ公園を散歩するのが日課だったようで、ここの様子が季節の移ろいを示している。唯一抒情あふれる箇所である。

著者の永見文雄という人の経歴を見たら、鳥取県境港市出身とあった。たしかに私が通っていた米子東高校でも永見といえば境港から来た子たちばかりだった。しかも1947年生まれというから、あの頃鳥取県から東大に行けるといえば、米子東しかないだろう。この人も米子東出身なのだろうかね。

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