読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

トイレのお供

2014年08月29日 | 評論
トイレのお供

今年に入ってから私のトイレのお供はクロスワードパズルだ。いま使っているので三冊目。トイレに長時間座っているのはよくないらしいが、私の場合は、あまり排便がスムーズでないことが多いので、ある程度の時間座っている必要がある。何もないと息んだりするので、それがよけい悪い。そこでやり始めたのがクロスワードパズルだった。問題を解いている間にいつの間にかスルリということも多々あって、なかなかいい。でも最近飽きてきた。そこで久しぶりに紀伊國屋書店に行ったので、これを買ってきた。

花本知子『だいたいで楽しいイタリア語入門』(三修社、2014年)
仕事関係もあって、イタリア語が訳せるようになりたい。10年位前にかなりやっていただが、忘れてしまっているので、もう一度初歩から確認をしながら再出発して、とにかく基本文法を復習したら、長文を読みながら文法も広げていくやり方で行こうと思う。以前は会話中心にとか思っていが、別にイタリア人と喋るわけでも、イタリアに行きたいわけでもないので、そんなことはどうでもいい。ちょっと頁をめくってみると、意外と覚えているものだ。

栗原景『書き込み式ハングルBOOK』(成美堂出版、2005年)
とにかくハングルを覚えることに特化した本を見つけたので、これをトイレのお供にして、ハングルを覚えていきたい。同時に韓国語の単語を覚えていくこと。この二つがとりあえずの目標だ。


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『体幹トレーニング20』

2014年08月28日 | 評論
長友佑都『体幹トレーニング20』(ベストセラーズ、2014年)

米子に行くときにバスの中で読む本を探していて、仕事関係の本もあるし、軽いものがいいなと思っているところに、これが目について、買ってしまった。とはいってもこの本が新聞などで紹介され始めた頃から欲しいと思っていた。

表面の筋肉を鍛えるのでなくて(これを長友佑都は体を飾ると書いているのがなんとも素敵だ)、体の内部の筋肉、しかも表面の筋肉よりももっと大事な筋肉を鍛えようという考えもいいし、トレーニングの器具を使わないで、自分の体重だけを使ってトレーニングしようという発想もいい。じつは以前ぎっくり腰になったときに、医者から、腹筋などの筋肉を鍛えるのはいいけど、トレーニング器具を使わないほうがいいと言われていたのだ。

こういう本を買って、「やるぞ」と張り切っている人は、こういう本で紹介されているトレーニングを全部やってやろうと頑張るものだが、それは意味がないとも書いてある。何のためにトレーニングするのか、目標と、そのために必要なのはどんな筋肉を鍛えるのかをしっかりイメージしながらやることが大事だと主張している。そのために素人が目的や目標を明確に定めることができるように、いくつかのコースが紹介されている。

私はやはり腰痛対策だ。日常生活に支障をきたす腰痛はないが、ジョギングをやり過ぎる(私の場合には、毎日ジョギングをする)と、腰が痛くというか、重くなってくる。だから二日ジョギングして、一日休んだり、ウォーキングするというようにしている。それもいいのだが、そういう心配なくしたい。

腰痛対策コースを見ると、すでに知っているメニューもたくさんある。でも、こういうふうに自分がトレーニングをするのは何のためか、そしてどの筋肉を鍛えているのかを自覚しながらトレーニングするということが大事なのだろう。

この本には長友佑都選手が体験してきた失敗談なども書かれており、長友って、真面目で、なかなかいいヤツやなと、なんだか親しみを感じた。テレビコマーシャルなんかを見ている限りでは、なんかむさ苦しいヤツとかと思っていたのだが、ちょっと見方が変わった。これから応援しよう。(私ってけっこう軽いね)

とにかく最初の第一歩を踏みだそう。

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国宝投入堂

2014年08月23日 | 日々の雑感
国宝投入堂

両親の家に久しぶりで上さんと一緒に行ったついでに、倉吉、三朝温泉の奥にある三徳山三仏寺の投入堂に行ってきた。昨年は倉吉観光をしたので、行く時間がなかったため、今年は行きたいと話していた。でもなんか天候が不順でどうなるか分からないとテレビでも言っているし、そもそも日頃運動をしていない上さんが上がれるのだろうかという不安もあった。

倉吉からちょうどいい時間にバスがあった。倉吉駅で買った「大山おこわ弁当」と「かにずし」を食べながら40分くらいで三徳山三仏寺門前に着く。すぐ目の前に急な階段。そこを上がると受付があり入山料を払う。また階段を上がると、登山受付がある。そこで靴や服装をチェックされて、滑りやすい靴だとわらじ(600円)に履き替えるよう要求される。服装が不適切なら、登山そのものを断られるらしい。わらじをはいた若い女の子たちもいた。200円を払って登山開始。

すぐに驚くような急登あり。木の根っこを手がかりにしながら上がる。降りるときが怖いなと心配になる。そんな急登ばかりで休む暇もない。30分から40分くらいで文殊堂に着く。ここは大きな岩の上に建てられている。その岩に行くまでが急登のうえで、さらにこの岩そのものを鎖を頼りによじ登るのだが(写真参照)、私たちはこればかりは遠慮して、回り道で上がった。

ここまでのコースがあまりにしんどいので、文殊堂で休憩しつつ、最後まで行けるだろうかと少々心配になってきた。でもご安心を。ここから先はそれほど距離もないし、危険なところはあまりない。馬の背牛の背というところが難所となっているが、濡れていないかぎり、心配はない。案内冊子などを見ると、文殊堂から二倍くらいの距離のように描かれているが、それはたくさんのお堂があるからで、距離はそれほどない。文殊堂までくれば大丈夫。ただ文殊堂のすぐ後の岩山がちょっと怖いだけ(私は高所恐怖症なので)。

すぐにお堂が見えてくる。投入堂と同じように、柱状列柱が崩れてできたくぼみに小さなお堂が作られている。それがいくつかあって、最後の角を曲がると国宝投入堂が見えた。ついにやってきた。無理だったら途中で帰ろうと話していたのだが、最後まで上がってくることができた。わらじを履いた若い女の子たちも到着して、順番を待っているので、写真をとると、お先にと言って、帰路に。

帰りも急登だったところ、とくに木の根を頼りに上がってきたところは危険だから、降りるときにもくれぐれも注意が必要。天気もよくて、本当にいい旅行になった。

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『フロイスの見た戦国日本』

2014年08月17日 | 人文科学系
川崎桃太『フロイスの見た戦国日本』(中央公論新社、2003年)

勝手にリンクを張っているインテレクチュアル・ヒストリー研究者のヒロ・ヒライさんが、彼のサイト「海外研究生活の日々」で、現在日本に帰国中で、昨年の骨折手術時に入れた金属を取り出すために入院している間に、フロイスの『日本史』を読んでいるというのを見て、私もと思い借りてみたはいいが、あまりに細かい内容なので、ちょっと気が引けていたところに、ちょうど訳者の川崎桃太という人がこれをまとめたこの本を出していることを知ったので、借りてみました。

日本史の中でも信長・秀吉の時代というのは、邪馬台国あたりの古代史とならぶ人気のある時代ではないだろうか。現在NHKでやっている「軍師官兵衛」も、本屋大賞を受賞した「村上水軍の娘」も、同じような時代だ。戦国時代は物語にしやすいエピソードが山ほどあるだけでなく、とくに信長が新しい日本の仕組みを作ろうとしていたことへの共感やそのために彼が行った数々の極悪非道の行為への反感も相まって、日本人の関心をひく強烈さが、この時代にはある。

フロイスの『日本史』はちょうどそういった時代の信長や秀吉を初めとした戦国武将や日本の風俗を事細かに記録した、しかも外国人が記録したものとして貴重な資料であろう。しかし、原本は散逸し、写本しか残っていないとか、あちこちに散らばっていたものがやっと最近になってまとめられただとか、しかしポルトガル語による出版が遅れていただとか、言葉の古さなどが障害となっていたが、松田毅一と川崎桃太という二人の研究者によって完訳が行われた。

アマゾンあたりのカスタマーレビューでよく書かれているように、著者による忠実な要約なのか、著者の意見なのかフロイスのどちらが主張していることなのかよく分からない箇所もあり、そういうものとして読む必要がある。

私としては、彼の書いたものがその後のヨーロッパ社会にどんな影響を与えたのか知りたいものだ。

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またまた京都小旅行

2014年08月16日 | 日々の雑感
またまた京都小旅行

久しぶりに上さんと京都に小旅行に出かけた。上さんは4月から父親の看病をしていたので、ほんとうに久しぶりだ。でも、天気予報では雨。昨日の時点では、どうしようか、明日の天気を見てから決めよう、だった。朝ジョギングをしているうちに晴れてきて、出かけようか、となった。でも京都方面の天気予報は雨。おまけに大雨注意報が出ているところもある。でも家の近所はあまりに天気がいいので、とりあえず行ってみようか、となった。

3daysチケットを買ったはいいが、まだ一回しか使っていない。8月中に三回使わないと行けないのに、上さんの父親の逝去などでそれどころではなかった。でも1700円以上の距離に行かないと元が取れない。しみったれオジサンの私には辛いところだ。それで比叡山に行くつもりだったが、さすがにこんな怪しい天気のときは平地がいいということで、広隆寺に弥勒菩薩像を見に行くことに。ついでに映画村に行ってもいいかな。

阪急で大宮まで行って、そこから嵐電で太秦広隆寺前まで行く。昔、大学生になりたての頃、高校時代のボート部の同級生が立命館大学に入学して、この太秦に下宿していた。5月になって大学生活に慣れた頃に遊びに呼ばれて、初めて来たのが太秦だった。

この漢字、とても読めない。渡来人である秦氏が養蚕を行って絹織物を作っていたが、それを天皇に献上したところ「禹豆満佐=うずまさ」の姓を与えられ、これに「太秦」の漢字表記を当てたという説がわりと有力なようだ。太秦の二つ前には「蚕ノ社(かいこのやしろ)」という駅もある。嵐電は、今も昔もレトロなイメージがあって、いい。

着いたのが11時半ころだったので、腹ごしらえということで、目当てのレストランを探す。たしかにウェブで確認したのに、見当たらない。次の駅の帷子ノ辻まで行ってしまった。途中に「アララ」というカフェ・レストランがあったので、そこに入った。

とりたたてどうというレストランではないが、オーナー夫妻がお客さんを(もちろん自分のレストランも)大事にしていることが分かる丁寧な感じの、とてもいいレストランだった。週替りランチを注文した。パンならスープ(ポタージュスープ)、ライスなら味噌汁にしてくれる(もちろんクロス注文でもいい)。今日はエビフライとハンバーグ。エビフライは有頭エビのフライで、一品だけ別皿で出された。衣が薄くて美味しい。デザートにコーヒーとアイスクリームの盛り合わせ。これで1200円。目当てのレストランはなかったけど、結果オーライということで、上さんも喜んでいた。「アララ」の情報はこちら

それから駅まで戻って、広隆寺を見物する。聖徳太子のもっていた弥勒菩薩像を譲り受けてこの広隆寺(かつては蜂岡寺と言った)を創建したということで、宝物殿には、国宝第一号の弥勒菩薩像を初め、聖徳太子16才の像もあるし、12神将像もある。薄暗いのはいいとして、空調を入れてもいいのでは。暑くて暑くてたまりませんでした。


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『在日コリアン百年史』

2014年08月09日 | 評論
金賛汀(キム・チャンジョン)『在日コリアン百年史』(三五館、1997年)

今、うちのマンションで、バスルームのリフォームをしていて、リビングにもあれこれ資材を置いているし、職人さんたちが出入りをするので、落ち着いて仕事ができず、本でも読んでいるしかない。それで、たぶん普段だったら、こんなスピードでは絶対に読まないというようなスピードで読んでしまった。

著者の端書きによると、在日コリアンの歴史を扱ったものはあまりないという。しかも、在日三世や四世が当たり前になり、またこの著書でも触れられているが、日本人と結婚する在日が80%くらいになっている現状では、在日コリアンが舐めてきた艱難辛苦をほとんど知らない在日が多数を占めてきたので、ぜひとも明らかにしておきたいという思いから、この本を書いたという。

強制連行されたのは、戦争前あるいは戦時中の時期だけで、明治初めから始まった朝鮮人の移民はある意味自主的なものなのだから…とぼんやり思っていたのだが、なぜ朝鮮人が日本に移民しようとしたのかまで思いが及ばなかった。半島支配によって朝鮮人の田畑は収奪されたこと、またその日本人地主のもとでの小作の厳しさから、日本や中国(満州)に移民せざるをえなかったということだ。決して来たくて日本に来たわけではないだろう。普通に考えれば、生まれ故郷を捨てて外国に移民するというのは、それなりの厳しい事情があってのことだ。

この本を読むと、朝鮮人差別というのが明治のはじめからあったという。そもそも明治政府が発行した小学校の教科書で、朝鮮人は自分たちで政治を行うことができないから、日本が統治してやらねばならないみたいなことを子どもたちに教えていたという。日本よりも劣った民族、独り立ちできない民族という烙印を学校教育で植え付けられたら、普通の日本人はそんなふうに見ることになるのは火を見るより明らかだ。

戦後の在日の置かれた状況は、祖国に帰って自分たちが新しい国を作るということができないもどかしさに、日本での戦前と変わらぬ抑圧状態に、言葉もない。日本敗戦によってやっと祖国が建設できると期待をもったのに、連合国による統治、朝鮮戦争、分断。頼みの綱の韓国政府は在日のことには何ら関心を向けず、逆に、国内経済へのテコ入れに必要な資金欲しさに日韓国交正常化を急いだ朴正熙政権のもとで1965年に調印された「日韓基本条約」でも在日の有り様は悪くなることはあっても良くなることはほとんどなかったという。

逆に、「在日朝鮮人は共和国の公民」という言葉に夢をみて北朝鮮が呼びかけた帰国運動に期待をかけて北朝鮮に渡っていった在日を待っていたのは、悲惨な状況だったというから、悲劇としか言いようがない。

その頃の在日からしたら、現在の日本社会はどう見えるだろうか? 共生可能な社会になっただろうか? ネット社会の当たり前のようにある、韓国や中国へのヘイトスピーチ的発言は、一部の表層的なものなのか、それとも日本人の深層に眠っているものなのだろうか。私は韓国ドラマや韓国語などへの関心の高まりが、日本人のおばちゃん世代を中心にしていることに、好印象をもっている。彼女たちは、本音でものを言う、男たちのような利害がない、そしてクチこみという強力な武器をもっているからだ。



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『JAZZ聴き方入門!』

2014年08月08日 | ジャズ
中山康樹『JAZZ聴き方入門!』(宝島社新書、2003年)

なぜジャズには聴き方入門のような本がたくさんあるのだろうと不思議に思っている。変な話だが、私は静かな音楽が聞きたくなって、クラシック音楽一辺倒だったので、教会音楽を探して、静かな音楽を聞いていた。モーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』だとかパレストリーナの『グロリア』だとか、アレグリの『ミゼレーレ』だとか。そのうちそういえばフランス映画の『死刑台のエレベーター』の音楽はマイルス・デイヴィスのトランペットで、なんか静かな音楽だなと思い出し、それを聴き始めたのが、ジャズに入り込むきっかけになった。

だから私にとってジャズの最初の選び方は「心地よさ」だった。感覚的にそういう曲を選びとっていたと思う。その結果が、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』とかジョン・コルトレーンの『バラード』とかビル・エヴァンスの『ダンス・フォー・デビイ』とかだった。

この著者も書いているように、ジャズは繰り返し聴くのがいいという。別にそういうアドバイスを人から受けたわけではなくけど、私は昔から気に入ったものをしつこく聴く習性がある。だから、上に書いたような曲ばかり何度も聞いていた。さすがに、同じ曲ばかりではいけないだろうと思いだし、その時の手探りの基準は、私の場合、同じ演奏家の他の曲ということになる。マイルス・デイヴィスをあれこれ。でも最初は彼の名盤と言われる『ビッチェズ・ブリュー』なんかはちょっと入り込めなかったが、これもたくさんジャズを聴いているうちに入り込めるようになった。ビル・エヴァンスは『ポートレート・イン・ジャズ』や『アイ・ウィル・セイ・グッバイ』、コルトレーンも『ブルー・トレイン』や『コルトレーン・プレイズ・ザ・ブルー』などに広がっていった。

もちろんジャズの愛好家からみたら、初心者の初心者くらいのジャズしか知らないし聞いていないけれども、クラシック一辺倒だった自分がこれほどジャズに入れ込むとは思わなかった。なによりも聞いていて心地よいということを基準にして、あれこれ触手を伸ばして新しい演奏家や曲を見つけ出すことが楽しい。だから別に聴き方を教えて欲しいとは思わないし、聴き方が分からないからジャズは難しいとも思わない。ただ、どんな曲が、どんな演奏家がいるのかは、知らないことばかりなので、こうした初心者向けのジャズ本を図書館から借りてきては読んでいる。

この本は中山康樹という人が、ビートルズとビーチ・ボーイズ一辺倒だった高校時代にもっと新しいものを求めて、ジャズの世界に入っていった経緯を、まったく個人的なものとして回想しつつ、ジャズの初心者に入門の仕方を提示している本で、私のようにすでに入門済みの人でもまだこれから入門しようと思っている人でも、興味深いと思う。

いまはYoutubeがあるから、手っ取り早く聞いてみることができる。もちろん音質はよくないから、気に入ったら、CDを購入すればいい。そういう当たり外れのなさが、私のようなけちんぼには性があっている。最近はアート・ペッパーの『スマック・アップ』の17分あたりから始まるコントラバスの響きが心地よくって、よく聴いている。

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京都小旅行

2014年08月07日 | 日々の雑感
京都小旅行

なんだか無性に比叡山に行きたくなり、そういえば1800円程度で関西一円の私鉄の電車バスを乗り放題の3daysチケットがあると思いあたり、これを使って京都に小旅行しようという気になった。(←レストラン『雍州路』)

さっそくまず吹田にある大学の図書館から、返却期限が過ぎている本があるから早急に返却せよというメールが来ていたので、そちらに行って本を返してくる。吹田から取って返して、北浜から京阪電車に乗った。考えてみると、途中の阪急淡路駅から京都線に乗り換えてもよかったのだが、なぜかしら比叡山に行くには京阪電車とインプットされていて、北浜まで戻ってきたのだ。

京阪電車は空調が快適だった。大阪地下鉄は冷房がガンガン効いているので、長いこと乗っていると寒くなってくるが、その点京阪電車は適度な温度で快適。一眠りするかなと期待していたが、全然眠れなくて、一時間ほどで終点の出町柳駅に到着。(←とろろ蕎麦定食、写真には山菜おこわは写っていない)

ここから京福電車で比叡山へ。しかし食事の時間だ。なんだか数年前に友人と鞍馬に行ったときに食べた山菜おこわが食べたくなり、鞍馬に行くことに。貴船に行く観光客が多いのか、満員電車。30分ほどで終点の鞍馬に。

記憶を便りに駅前を歩くが、目当てのレストランが見つからない。駅から門前まで1分とかからないほどの距離で、その両側にあるのは、せいぜい5・6軒の店。レストランは2軒ほどあるが、私の記憶とはまったく違う。おかしいなーと、首を傾げつつ、二三度往復するも見つからない。とりあえず門前まで行って見ようと、石段を登ったら、あたりー。門前のすぐ手前にあったのだ。その名も「雍州路」。山門のすぐ脇にある。

ここの山菜おこわが絶品。夏なので、とろろ蕎麦定食と山菜おこわを注文する。とろろ蕎麦といっても、ざるそばだけではなくて、しろあえとナスの味噌田楽などもあって美味しい。とろろ蕎麦が1600円。山菜おこわが300円で、約2000円。比叡山見物に来たのに、鞍馬で何しとるんや!てなことで、食事が終わったら、山門の写真だけ取って、また出町柳方向に引き返す。

途中の宝ヶ池という駅から、比叡山に行くケーブルカー乗り場のある八瀬方面に乗り換える。ここで30分くらい待ったかな。いっそ出町柳まで戻っても間に合ったかも。地元の大学生らしきグループが賑やかにしゃべっていたので、気が楽だったが。八瀬までは二駅なのですぐだ。八瀬というところは、清流が流れ、水遊びをしている親子がたくさんいた。京都の中心部からこんな近くで、水遊びができるなんて、京都ってふしぎだね。

ケーブルカーとロープウェーにのって比叡山山頂に着く。降りたところには比叡山ガーデンスクエアという植物園があるが、ちょっと気持ちが惹かれるが、比叡山延暦寺に行くバス停まで10分位歩かないと行けないし、ちょうど10分後にはバスが出ると言われていたので、急いで行く。ちょうど下り道だったので、ラッキー。バスから見える琵琶湖の景色が最高!ドライバーがこの絶景に見とれて事故るじゃないかと心配したが、どうもこの道はバス専用みたいで対向車がまったく来なかった。(←根本中堂)

数分で延暦寺入り口に着く。500円の入山料を支払って、延暦寺境内に。有名な根本中堂がすぐにあったので、そちらを見物。けっこう観光客がいて、お寺さんがマイクでいろいろ解説をしてくれていた。さすがに涼しい。広い境内をちょっと散歩してから、帰ることに。

ここから坂本(つまり琵琶湖側)に降りるケーブルカーは日本一の長さを誇るというものらしい。そこまでも下り道を8分程度歩いたが、ここでも琵琶湖の絶景を見ることができた。ケーブルカーの駅に着くと、30分に一本の割合で運行しているという。だいぶ時間があったので、涼しい風に吹かれながら琵琶湖を堪能する。いい時には白山や信州の山々も見れるという。

ケーブルカーで坂本に降り、そこから京阪坂本駅まで少し歩く。ちょっと見ただけだが、坂本って街はなんだか素敵な街のよう。京阪坂本駅から浜大津駅で乗り換え、京阪三条駅で、また京阪本線に乗り換えて、北浜まで戻り、大阪地下鉄、南海電車で帰宅。

3daysチケットを使うと、1800円くらいでこれだけの旅行ができる。これ以外に使ったのは、八瀬から比叡山山頂までののケーブルカーとロープウェーの850円だけ(この区間だけはこのチケットが使えないらしい)。さすがに疲れました。

レストラン「雍州路」はこちら


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ベランダの草花

2014年08月06日 | 日々の雑感
ベランダの草花

上さんの父親(つまり私の義理の父親)が7月末に90才で亡くなった。入院のきっかけそのものは、昨年から治療していた白血球増殖異常と赤血球の減少による呼吸困難だったが、じつは大腸がんが相当に進行していたらしくて、食べると下血するため食事ができず、入院した4月から三ヶ月間ほぼ点滴だけだったので、骨と皮だけのようにやせ細っていた。それでも最後の日には家族を呼ばせたというから、もう自分の命がないということが予感されたのだろう。しかもその夜には、上さんが父親の様子がいつもと違うと気づいて、看護師さんの勧めもあって、妻(つまり上さんの母親)を夜中に病院まで呼んだところ、妻が添い寝をしている間に息を引き取ったというから、上さんもいいタイミングで母親を呼ぶことができたと胸を撫で下ろしていた。上さんは、父親が4月に入院してからずっと病院で介護をしていたから、上さんとしても娘としての勤めを果たしたと、肩の荷をおろしたようだ。

その間、私は一人残って、家事をしつつ、仕事に行っていた。最初は戸惑いもあったり、出勤が朝の早い曜日などは大丈夫だろうかと少々心配になったりしたものだが、仕事があるほうが、仕事が終わって帰宅したら、食事の用意をして、『いとしのソヨン』とか『ゴールデンタイム』といった韓国ドラマの録画を見ながら、夜を過ごし、仕事がない日には、ジャズを聞いて過ごすというような生活リズムができてきて、それはそれで快適だったが、もともと人付き合いが上手い方ではないので、ますます会話がなくなり、仕事のない日などは一言も喋らないで終わるなんてことがあるようになった。なんだか、老後のお一人様の自分を見るようで、あまりうれしいことではないが、それも仕方がないだろう。

昨年の今頃はマンションの大規模修繕が始まって、草花たちを部屋の中に片付けていたために、今年の春にはほとんど花が咲かなかった。それが春くらいから、定期的に花の栄養剤をやったり、水やりも定期的に行うようになって、見事な花を咲かせてくれた。とくにピンクの花と黄色の花は、うちは午後からの日当たりが悪いために、写真のようにならないことが多いので、裏の公園の日当たりのいい場所に出しておいたところ、こんな立派な花を付けてくれた。デュランタも紫の可愛らしい花をたくさん付けてくれた。

暑いこの時期にはたっぷりの水やりが必要ということが分かった。あまり大量の水をやると根が腐るのではないかと心配していたのだが、これほど暑いとベランダもすごい熱さになるので、大量の水をやって土がオーバーヒートしないようにしてやる必要があるようだ。おかげで花を咲かせない草木たちも新しい芽を次々と出して、元気をアピールしている。先日初七日もすんで、やっと上さんも戻ってきたし、またいつもの毎日が始まるだろう

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