読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

朝日新聞は原発問題よりも高校野球のほうが大事なのか

2012年07月17日 | 日々の雑感
朝日新聞は原発問題よりも高校野球のほうが大事なのか

今日の朝日新聞の第一面はプール監視についての警察の見解。死者が出たりする事故が毎年起きているから、まぁ大事な問題だろう。しかし昨日はたしか東京で反原発の集会があったはずだ。しかもかなり大規模な集会だったはず。政府が大飯原発の再稼働にゴーサインをだしたことにたいする、反対の意志を表明する重要な集会である。

朝日新聞をめくってもめくっても、そんな記事は出てこない。やっと一番最後の三面記事に、写真付きとはいえ、ごく小さな記事が載っているだけ。かたや、全国高校野球の予選会である地域大会の様子は、2面も3面も使って、詳細に報じられている。

なんなのこれ?毎日のように福島の復興・復興と論じているくせに。今回の福島の復興には、原発問題ぬきには語れないはずだ。阪神・淡路大震災や中越地震のように、少々時間はかかってもみんなで力を合わせれば復興できる災害もある。だが今回の東北沖大地震と福島の原発問題は、放射能汚染が何十年・何百年続くような災害であって、復興・復興というだけではダメだということは、チェルノブイリ事故が証明済みだろう。

つまり福島の復興には原発問題が重要であり、今回の反原発集会は、福島以外のところに、二度と福島の災害を起こさないようするために、早く原発を止めて、処理していこうということを全国民の意志にしようとするための集会だろう。

朝日新聞が原発問題にたいしてどんな態度をとっているのか知らないし、知りたくもないが、少なくとも福島の復興を社論としているのなら、今回の集会を無視する、あるいは三面に小さな記事にして済ますことはできないはずだ。高校野球の地方大会の紙面を縮小してでも、でかでかと報道する義務があるはずだ。

ほんとうに下らない新聞だね、朝日新聞って。私のようなものに、こんなこと書かれるようじゃ、もうおしまいだよ。購読やめることも考えなきゃね。話し変わるけど、書評欄もぜんぜん面白くないんよね。職場で読んでいる、毎日新聞のほうがよほど面白い。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代医療の訳の分からなさ

2012年07月06日 | 日々の雑感
現代医療の訳の分からなさ

先週金曜日の夜に寝入りばなにちょっと油断をしたために寝冷えをして、喉にきた。最近は起きていなかったイガイガが喉の奥にできてしまった。これができるとなかなか治らない。放っておくわけにもいかないので、駅前にある耳鼻咽喉科に行った。4月に突発性の耳石によるめまい症になったときに、その的確な説明が気に入ったからだ。あの先生なら、適切な対応をしてくれるかもしれないと思った。

三種類の薬(タリオン、カフコデN、アンブロキソール)を処方してくれた。二・三回飲むともう効いてきたような感じになり、喉のイガイガがなくなって咳もでなくなった。まだヒリヒリ感はあるが、これで治りそうだと喜んでいた。ところが二日目くらいから毎日夜になると、まるで薬が切れたみたいに咳がひどくなり、夜中の1時・2時まで咳き込むようになった。でも翌朝になると嘘みたいに、また楽になる。朝に楽なので、まぁいいかと思い、とりあえず薬を処方された5日分全部飲んでみないと分からないからと、水曜日まで飲み続けたが、まったく同じ。夜の咳き込みの苦しいこと。

それで木曜日の朝に件の耳鼻咽喉科に言って状態を説明すると、これは「風邪の咳ではなくて、喘息性のものかもしれないから、ステロイド剤を入れた吸入をしてもらったほうがいい。だがうちは耳鼻咽喉科でそれができないので、かかりつけの内科に行って、それをしてもらいなさい」と言うので、紹介状に書いてもらった。

さて、木曜日は昼から仕事だったが、もう夜中の咳で声帯がやられたようで、声がかすれ、大きな声が出せない。その夜も咳で苦しむ。

今日、金曜日に、これまで行ったことがないけど、わりと近くにあって、昔からの内科医に言って事情を説明すると診てあげますということで、やれやれこれで治るわいと一安心。1時間近く待って、診察室に入ると、さっきの説明メモで診ると判断したのは看護師のようで、医者は私の書いていったメモも耳鼻咽喉科の紹介状もまだ読んでいない。それで経緯を説明すると、喉の中を見て、聴診器で呼吸の様子を診て、まぁ大したことないですね、と言うので、今は楽なんだが、夜になると1時・2時まで咳き込んで寝れないのだと説明する。

耳鼻咽喉科が言っていたネブライザーでステロイド剤というのは、私はてっきり医院のなかでするものかと思っていたら、どうも違うようで、最近は喘息治療のスタンダードとなりつつある、ステロイド剤の粉末を自分で吸入するものをくれた。医院に通ってするか、自分でするかの違いなので、どちらでもいいと言えばいいのだが、こんなの使ったこともないのに、一日朝昼晩に2回づつ吸い込むのだという説明だけで、いつまで続けるのかの説明もない(また聞きに行けばいいのだろうが)。処方してくれた薬も山ほど。

私は同じ病気に10数年前にもよくなっていて、最初は風邪からくる咳だったのだが、だんだんひどくなって、今回と同じように声がかすれるほどになったので、その頃かかっていたお医者さん(お年寄りで山羊の髭のお医者さん)はすぐに薬を変えて、その場でネブライザーをしてくれるようになった。これを毎日夕方に通って行い、薬も一粒だけの薬を1日分だけ処方してくれる。これで3日もするときれいに治っていた。こんなことが数年続いていたが、だんだんと起きなくなり、それ以来、そのお医者さんに行くこともなくなり(風邪もまったくひかなくなったということもあり)、ご無沙汰している間に、もともとかなりの高齢だったので、廃業され、さらにはお亡くなりになった。

もちろんこの山羊のお医者さんだって最初から名医だったわけではないだろう。かなりの勉強家のようだし、医院の建て替えのあいだは休診して針や東洋医学の勉強をしてその免許をとって、再開したときには鍼治療もしておられた。私の咳を喘息系だと判断して、ステロイド剤にすぐ切り替えた(と私は思うし、耳鼻咽喉科もその話をしたらきっとそうだろうと言っていた)というのも、あの時代としてはよく勉強していたからではないかと思う。

本当に的確に最小限の薬だけで治してくれた名医と言っていいお医者さんだった。薬の出し方も一日分だけなので毎日通い、状態を見ながら、処方してくれる。夕方だけの診察なので、仕事帰りに行くにはちょうどよかった。返す返すも、この山羊のお医者さんがどんな処方をしてくれていたのか、お元気なうちに聞いておかなかったのが悔やまれる。聞いていれば、他の医者に診てもらう時でも、これと同じ処方をしてくださいと言うだけですんだのに。

また長い長い回り道をしなければならない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『トゥーランドット』

2012年07月01日 | 舞台芸術
プッチーニ『トゥーランドット』(河内長野市マイタウンオペラ)

プッチーニの『トゥーランドット』はかなり以前から存在した話にシモーニたちが台本を作ってプッチーニが音楽をつけた最後の作品だということだ。未完成だったがアルファーニが完成させて、1926年にトスカニーニの指揮で初演された。

私は名前だけは知っていたが一度も聞いたことも見たこともなかい状態で、初めて舞台で見た。ヴェルディの『アイーダ』などと同じで、架空の物語すぎて、登場人物の感情の動きが大雑把すぎるし、とにかく大文字の「愛」ですべてが決まるというような、大味の物語と、大音響の音楽に閉口した。

まだ同じプッチーニでも『蝶々夫人』のほうは、これも作り物とはいえ、同時代の日本で現実におきたかもしれないと思わせる内容で、蝶々夫人の感情の動きにもじっくり向き合っていればこそ、音楽も生きていたが、こちらはまったくお話にならない。見ている側がまったく感情移入できない。たしかに「誰も寝てはならぬ』だとかフィナーレのアリアだとか、どこかで耳にしたことがあるメロディーが出てきたりするが、ただそれだけのこと。

唯一の収穫は、ピン・パン・ポンだった。もともとイタリアの伝統的なコメディア・デラルテのスタイルに基づいているそうで、仮面をかぶったり白塗りにして登場するらしいから、日本での上演ということを考えて、『西遊記』の三蔵法師の物語の付き人役の孫悟空、猪八戒、沙悟浄を模して、猿、豚、河童のメイクをして登場させたのは、じつに素晴らしい演出だと思う。しかも歌手がまたぴったり。とくにピン役の歌手は豚そっくり。もっと面白おかしく動いてもよかったと思う。

最近は真面目一筋のオペラには面白みを感じなくなってきている。その点モーツァルトは素晴らしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする