読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『恋するパッケージ・ツアー』

2018年11月27日 | 映画
『恋するパッケージ・ツアー』(韓国ドラマ)

少し前までLaLaTVで『恋するパッケージ・ツアー』というのをやっていた。上さんも私もとても気に入って、終わった時には、いいドラマだったね、と言い合ったくらいである。

ソウルの仁川国際空港でツアーの待ち合わせ時間にやってきた団体さん。そのなかで最もけたたましいおばさん連中がパスポートを持ってくるのを忘れていたために、7人だけのツアーになって出発する。初老の夫婦、結婚前のカップル、不倫カップル?。そんな中に一人だけの参加者がいる。

彼がパリのシャルル・ドゴール空港に到着するやいなや問題を起こした。マルとい名前がよくある名前なのかどうか聞かれて、よくある名前だけど、あまりない、とかいい加減なことを答えたので、怪しまれた。1時間位遅れてしまう。そしてこの若者がトラブルメーカーに。

彼らを迎えたのがこのドラマの主人公のソソ。フランスで彼氏と結婚式を挙げたのに、捨てられてしまい、そのまま勉強をするためにパリに居着き、生活費のためにツアーガイドをしている。

ツアーのコースは、パリで一泊してから、モンサンミッシェルで3泊、そしてサン・マロで1泊、パリに戻ってきて1泊するというもの。

三組のカップルのいわくもだんだんと明らかにされるが、メインは、マルとソソの恋愛である。ソソはモンサンミッシェルのミカエル像の下で出会った男性が運命の人だと思いこんでおり、そのとおりソソとその下で一緒になる。ソソはもしかしたら彼が運命の人と思うのだが、ことは簡単に進まない。

何度も喧嘩したり、仲直りを繰り返して、最後に本当に運命の人だったら、いつかきっと再会するはずだと思うソソは、それをマルに話して、分かれる。

このドラマは、韓国ドラマ特有の愛憎がないし、それぞれのカップルが抱えている問題をしっかり描いているし、すごく好感の持てるドラマだった。恥は旅のかきすてと言うが、みんないろんな失敗をやらかすので、面白い。

傑作なのが、交際7年目で、そろそろ結婚かという彼氏と来ているOLのソラン(ハン・シウン)が買い物をするときに、店員に必ず「ユー・シンクー・ディス・オア・ディス?」という変な英語の発音だ。英語自体も変だが、クーにアクセントを付ける発音が傑作。

ソソを演じたイ・ヨニは不思議な魅力を持った女優さんだ。皮肉っぽい(人をバカにしたような)表情をすることが多いのだが、なんかいい。マルを演じたチョン・ヨンファは間抜けな若者を演じて上出来だし、不倫疑惑カップルだったが、実は親子だったという娘役のパク・ユナも大人びた雰囲気がよかったし、初老夫婦の奥さん役のイ・ジヒョンという役者さんも、この歳で初めてのドラマ出演みたいだが、一見ブサイクに見えて、可愛らしい人だ。

もう一度見たいな。主題歌や挿入歌も良かった。2曲目のUn realと3曲目のLike a Destinyと6曲目のImagineなどが絶妙の出来。

Compilation Ost Soundtrack of The Package (2017)

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『江南出身の卑弥呼と高句麗から来た神武』

2018年11月21日 | 人文科学系
小林惠子『江南出身の卑弥呼と高句麗から来た神武』(現代思潮新社、2011年)

小林惠子の日本古代史シリーズ第1巻である。タイトル通り、3世紀の日本(列島)と朝鮮(半島)と中国のことをさまざまな史書を解読して解明した本で、卑弥呼や神武と呼ばれることになる人々のことが書かれている。

この人の本はいつも登場人物が多すぎて、混乱することが多いのだが、それ以上に、高句麗の王だった東川王が戦に敗北して、列島の越(当時は東倭と呼ばれていた)から日本に来て、さらに北九州を支配していた卑弥呼を破り、トヨを女王に立てて、東遷を開始し、吉備にいた間に死去し、息子が王になってさらに大和地方に東遷を進めたというような話は、本当に刺激的というほかない。

神武の東遷といっても、通常言われているものは264年頃のものだが、これは第三次の東遷で、それ以前に一世紀頃に月氏がスクナヒコナを破った第二次東遷もある。

日本に入ってきたのは、だいたい3つの方面(朝鮮東部やその北から日本海を渡って、今の越に入ってきた部族、朝鮮南部から壱岐島を通って北九州に入ってきた部族、沖縄諸島を北上して種子島から九州に入ってきた部族)で、彼らが入り乱れて、日本の各地を支配していた時代である。

卑弥呼の邪馬台国はどこにあったのかという人気の話題についても著者の考えが説明されているが、この人によれば、卑弥呼は一人ではなかったこと、奄美大島に邪馬台国があったが、後には北九州(伊都国)に移ったという。

それにしてもスケールの大きな話で、一つ疑問に思うのは、1万や2万の大軍という話が出てくるが、そんな輸送力がこの時代にあったのだろうか?陸続きならいざしらず、日本海を渡るなんてできたのだろうか?人間だけではない。馬もいるし、食料その他もそれだけの人数分を確保するというのは、たいへんなことだと思うのだが。

そして、中国での出来事が、朝鮮に影響を与え、それがさらに列島に影響を及ぼすという連鎖があまりに速いテンポで描かれていることだ。あの時代にそんなに情報が飛び交っていたのか(人的行き来があったのか)という疑問が湧き上がるほどだ。まるで現代の政治情勢を見ているような気になる。

この「日本古代史シリーズ」を順番に読んでいく予定だ。





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『広開土王と「倭の五王」』

2018年11月12日 | 人文科学系
小林惠子『広開土王と「倭の五王」』(文藝春秋、1996年)

少し前まで『太王四神記』をやっていた。数年前に見ているので、初めてではないが、他に面白いものがないので、また見始めたら、やはり面白くて、途中でやめられない。

それで広開土王の時代というのはどんなだったのかと思ってアマゾンを見ていたら、この本が紹介されていた。「倭の五王」の一人の讃は広開土王のことだと書いてある、うそー!ってわけで読み始めた。

時代としては西暦400年ころから500年ころまでの100年間が記述されている。その初っ端が広開土王の話だ。ドラマでもタムドクが広開土王になる。タムドクは漢字では談徳で、413年まで高句麗の王をした後、日本(この本では朝鮮が半島で、日本は列島と書いてある)に来て、応神亡き後に仁徳になったというのだ。

またここでうそー!仁徳って言えば、堺(私の地元)にある日本一でかい古墳で有名な仁徳天皇?その後、百済王の餘映が履中天皇になり、広開土王の息子がその次の反正天皇(珍)になり、その次は高句麗王と新羅王もやった訥祇が允恭天皇(済)になり、その次は列島に一度も来ることなく天皇になった安康(興)が天皇になり、さらに百済の将軍であった昆支が雄略天皇(武)になり、さらに百済王の牟大が武烈天皇(武)になったというのだ。

上に書いたように仁徳が讃で、以下、珍、済、興、武で倭の五王と呼ばれた(中国の史書でのこと)王たちはみんな半島の高句麗や百済の王たちで、列島にやってきて、倭の王にもなった。つまり、もうこの時代の列島は半島の一部みたいなものだった

この著者は、日本の『古事記』や『日本書紀』だけでなく、半島の『三国史記』その他や、中国の当時の文献をつぶさに渉猟して、『記紀』の記述の傾向を見つけて、これらの史書のあいだの照合をしていった結果、これらのことを発見したという。1世紀から7世紀までの日本と朝鮮の歴史はほぼ解明したと豪語する人で、少なくとも私にとっては、この後に来る聖徳太子と大化の改新といった超有名な歴史をこの著者がどんなふうに記述しているのか知りたい。

ちょうど『日本古代史シリーズ』として出版されているようなので、少しずつでも読んでいきたいものだ。素晴らしい研究者の、素晴らしい本に出会うことができた。



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『暗幕のゲルニカ』

2018年11月03日 | 作家ハ行
原田マハ『暗幕のゲルニカ』(新潮社、2016年)

一方には、ピカソのゲルニカ製作現場とそれがパリ万博展示以降にアメリカに渡ってMoMa美術館に保管されるに至った時系列。こちらは史実にかなり忠実なようだ。

他方には、フィクションとして、2003年にMoMa美術館で「9.11」後のテロとの戦いというきな臭い戦争が勃発した状況での「ピカソと戦争」という大回顧展を企画した日本人キュレーターの八神瑤子が「ゲルニカ」をソフィア王妃芸術センターからMoMa美術館に借り出すために奮闘する姿を同時並行して描いている。

この作者は生きてもいなかったような時代の、場所の、人物の日常生活を、目の前で見てきたように書くのが本当に上手だ。1937年ピカソとドラ・マールが付き合い始めた頃のパリでの生活、パリ万博の展示用に依頼された「ゲルニカ」の製作現場、それがパルド・イグナチオの協力によってアメリカに移送されることになった現場がじつにリアルに描かれている。

もちろんフィクションなので、ドラ・マールが1945年にピカソと分かれるときに身ごもっていた子が、小説の最後に瑤子を拉致したバスク独立戦線の一味のマイテで、二人をつなぐ線がピカソの描いた鳩の絵であった、そしてマイテが最後には瑤子を助けることになる、という作りになっている。

これだけのものを書くのにどれだけの下調べが必要だったことか。眼の前で登場人物たちが動き出すようになるまでの準備の膨大さに気が遠くなるような気がする。

原田マハ渾身の一作だと思う。

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