読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「博士の愛した数式」(映画)

2006年12月31日 | 映画
『博士の愛した数式』(小泉尭史監督、2006年)

昨日と同じ小泉尭史監督による「博士の愛した数式」を見た。これも小川洋子の原作はすでに読んでいるが、この作品は原作に負けぬくらいのいい出来だと思う。

ルート君が大人になって高校の数学の先生になり、最初の授業で自分と博士の出会いと交流を生徒たちに回想風に話しながら、数学でもちいられる数字のあれこれについても説明していくという枠組みが設定されていて、しかも大人になったルート君を演じている吉岡秀隆がまた申し分ないほど上手い。数学を愛する人間のシャイな資質と博士との楽しかった時を喜びをもって回想する語り口が、じつにいい。映画特有のこうした作りがこの作品では功を奏している。

最初に天才数学者の寺尾と深津絵里演じる家政婦(彼女もじつによかった)との行き違いというかごたごたがあってもよかったのではないかとおもう。なんせ深津で9人目の家政婦というくらい人付き合いが下手な上に、記憶が80分しかもたないという状態なのだから、最初から上手く行くわけがないのだ。だがそこを深津がうまくコントロールしていくことによって大きな振幅の揺れがじょじょに落ち着いていくという風に描いてほしかった。だいたいにこの監督の作品は静的すぎる。ダイナミックさに欠ける。

原作では博士が熱を出してそれを看病するために家政婦が契約を破って博士の家に泊まりこむことが、母屋の義理の姉に分かってしまい、契約を破棄されることで終わっていたように思うが、そこがやはり小説と映画の違う所で、小説だと盛り上がった所でぷつんと張り詰めた糸が切れたということで物語を終わらせてしまうことが可能だが、映画だとそういうわけにはいかない。

ルート君が博士の所に遊びにいきつづけ、義理の姉に深津家政婦が呼び出され、叱責されるが、その場にいた博士は愛する義理の姉にEπi+1=0(かつて博士は彼女への手紙の中では0でなくて-1と書いていた)と書いたメモを渡し、それを見た義理の姉は深津家政婦と再び契約をする。これが博士の愛した数式(オイラーの公式)なのだ。この数式の話をルート君がしてくれるのだが、意味はよく理解できなかった。

さらに深津家政婦に冷たくしてきた義理の姉(浅丘ルリ子)も心を開き、自分たちの冒した罪を告白する。これはこれでよかったと思う。小説ではあまりそのあたりのことを触れていないが、映画だと義理の姉は頻繁の登場するし、それだけ存在感があるので、いったいこの二人はどういう関係なのか、とくに深津家政婦が若き日の博士と義理の姉の寄り添った写真を見つける場面を入れた以上は、きちんと説明しておかなければならないほどの存在感を与えてしまったのだから。

このあたりの義理の姉の心の動きについては、原作になかった能を見る場面(原作者の小川洋子が写っていましたね)との関連を、あるサイト(http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=323420)でKUMAさんという人が説明してくれている。以下はその引用である。

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オイラーの公式を示された浅丘はなぜか深津親子が寺尾の世話を再開するのを認める。その場面の間に出てくるのが、寺尾と浅丘が事故をする前に見たという能の場面なのである。

能は「江口」という題目である。諸国一見の僧が江口の里を訪れ、西行法師と遊女とのやり取りを思い出す。そこへ里女、実は遊女・江口の君の幽霊が現れ、そのときのやり取りを回想する。西行法師は一夜の宿を遊女に求め、断られる。しかし、それは遊女が出家に対して世捨て人を思う心からで、宿を惜しんだのではないと弁明する。今江口の君はそのときを回想し、仮の宿であるこの世への執着を捨てれば、心に迷いも生じないし、人との別れの悲しさもないと仏教の悟りを開く。そしてその姿は普賢菩薩と変じ、西方浄土に去っていく。そういう「筋」であるが、講師は「後半は言葉では説明できない。」という。たから少し長いと思える能の場面をじっくり見て感じるしかないのである。
オイラーの公式のe(πi)+1=0は調和の0悟りの0でした。
能「江口」はオイラーの公式の「解」だったのです。
悟りを開いたのは浅丘ルリ子です。
だから彼女は「仮の宿」という執着を捨て、木戸を開いたのです。

私はこの説明でものすごくすっきりしました。
言葉では説明できない何かを感じたような気がしました。
0は確かに「無」ではない。博士はこの公式を悲しんだのではない。
やはり愛していたのだ。
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私は能のことがさっぱりわからないので、上の能江口の説明もよく理解できないのだが、監督があえて江口という能を博士と義理の姉に鑑賞させ、その結果彼女の気持ちが変わっていったのかということを考えると、おそらくKUMAさんが指摘されているような意図があったからだろうと思えるので、ここにあえて引用させてもらいました。

小泉尭史監督は一作ごとに上手くなっているというような評もあったが、たしかにそう思う。

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「阿弥陀堂だより」(映画)

2006年12月30日 | 映画
『阿弥陀堂だより』(2002年)

『雨あがる』の小泉尭史監督の作品。原作の南木佳士の作品を読んで感動したので、一度見てみたいと思っていたところ、ちょうどケーブルテレビで上映していた。

もちろん原作どおりにすることはないし、映像芸術と文字芸術とではその伝え方が違うのが当たり前だから、そこのところ前提にしてみる必要があるのだが、それでも原作が言いたかったことをちょっと履き違えているように思った。

まず作品のつくりとして残念に思ったのは、完璧を求めるあまり、子宮内流産をして完璧な妊婦を演じることが出来なかったことからパニック障害になった妻の美智子をつれて孝夫がふるさとの信州に帰ってきた冒頭のシーンから、妻の美智子がニコニコしすぎなのだ。この作品全体に流れる美しい信州の里山の自然の四季の移ろいが生きてくるためには、まず冒頭で心の病に陥った美智子の姿や、亀裂が生じつつあった孝夫と美智子の夫婦の人間関係などをある程度ていねいに描いておく必要があったと思う。そしてそれをある種強烈な映像で描いておくことによって、そのあとに提示される信州の美しい自然が彼らの関係や病んでしまった美智子の心を徐々に癒していくものとなることができるのはないだろうか。

もう一つは、田村高廣演じる幸田重長という老人だが、これは原作にはなかった人物だと思う。彼は末期ガンで先が長くない。彼の役柄は、これも原作者の南木佳士のほかの作品の主題の一つでもある死と心の病というものを提示するためのものだと私は見た。田村は末期ガンで先が長くない、そのことを受けいれている。つまり体は病に冒されているが、心は病んでいないのだ。南木佳士がかつての人間が死を受け入れるのはそういう風にして受けいれていたのだということをどこかの短編で書いていたと記憶するが、彼が延命医療が進むことで、体の病よりも心の病によって惨めな死を迎える人間たちをたくさん見てきたために自らパニック障害になって従来の仕事が出来なくなった経験から、こうした心を病むことなく死を迎える人間のあり方に注目することになったのは興味深いことである。だから、この作品にそういう人物を取り入れて、この問題を映画のもう一つの主題とすることには異論はない。原作者の南木佳士のものではないものを取り込んでいるわけではないのだから。

だが、田村高廣演じる老人の死はきれいすぎる。あんなふうにきれい事ではすまないだろう。しかしあれが阿弥陀堂守のおうめ婆さんなら別だ。その生きてきた生き様そのものが心の病にかかりようのない生き方をしてきたのだ。だから、おうめ婆さんこそがこの作品では心を病むことなく死を迎えることができる登場人物なのに、どうも監督はそのあたりのことが理解できていないのか、彼女がこの作品で占める割合はかなり低くなって、原作にありもしない幸田というような人物をでっち上げることが必要になってしまったのだ。

広報のなかの「阿弥陀堂だより」はまさにそうした心を病むことなく96年を生きてきたおうめ婆さんの生き方を伝えるものでもあるのであり、原作では孝夫にとっては自分の祖母の生き方とも重なるものになっている。

見る前は、また北林谷栄かよ、と思ったが、さすがに自然に演じている。たぶん自分も死を意識していたのではないだろうか。彼女をちょい役にしないで、彼女の生き方からもっと学ぶような作りにしてほしかったと思う。

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「白い薔薇の淵まで」

2006年12月27日 | 作家ナ行
中山可穂『白い薔薇の淵まで』(集英社、2001年)

女性の同性愛者の愛憎を描いた小説と要約しても、なにも説明していないことになるだろうな。

なんだか見てはいけないものを見てしまったような、そんな読後感が残る。きっと女同士の同性愛って、男同士の同性愛とはまったく違った様相を見せるのだろうと思う。どちらもまったく知らない世界だが。

男の場合には射精ということで、一応ひと区切りがつくのだが、女の場合にはそうはいかないようだ。きりがない。そのことをよく分かっていた塁がだから最初は土日しかとく子(クーチ)の家に泊まらなかったのに、最後には同棲のようになってしまい、どろどろの人間関係に行き着いてしまう。

塁の父親は刑務所に、母親は精神病院に入っており、二卵性双生児の弟は失踪中で、彼女は天涯孤独だということが、そしてそうした自分の生きてきたわずか20数年を乗りこえるために(?)小説を書いているということが、クーチにはどうでもいいことではない。

いったい自分は何を書いているのだろう。こういう世界について自分は書くべきものをなにももっていないことがよく分かる。

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「魔笛」

2006年12月26日 | 作家ナ行
野沢尚『魔笛』(講談社、2002年)

なんだか恐ろしいものを読んだという印象で、暗澹たる気持ちになる。ラストで同時進行する複数の殺戮の場面がおどろおどろしいというだけでなく、このテロ活動をする新興宗教の、あるいは公安の人間の異常なまでの精神的集中が、人間をここまで駆り立てるのかをいう恐怖感を読むものに感じさせる。たんなるサスペンスの域を越えた人間本質の恐ろしさを見せつけ、読者に考えさせる小説だと言ってもいいのではないだろうか。

この小説はいくつかの人間関係が最後に一つに収斂するような作りになっているので、最初は人間関係がよくわからないところがあるのだが、読みすすめていくうちにそれも解けてくる。

一つは、多額の保険金をかけられて、夫から殺されそうになり、またその口実に娘を瀕死状態になるまでにされた安住籐子と彼女を担当した刑事の鳴尾の関係。彼女の取調べをするうちに、一度は自分の娘にあまりのストレスのために思わず暴力をふるったことで自分を責めつづける籐子にたいして愛情を抱くようになり、娘が死ぬと全てを自白して刑務所に送られた彼女に何度も面会して彼女と結婚することになる。そして自らが犯罪を犯したことで犯罪者の心理が分かる籐子に鳴尾はアドバイスを受ける。

次は、オウム真理教を思わせるメシア神道なる新興教団の内部に入り込んだ公安のスパイである照屋礼子である。沖縄で大学まで過ごした彼女は小学生のときに友人を殺し米兵のレイプ殺人に見せかけたことがある。大学を卒業してしばらく後に警察に入り公安に配属されてメシア神道にスパイとして入り込む。教団がテロを計画していることを掴み上層部に連絡したが、上層部は公安の存在感を高めるためにこれを黙殺した結果、官庁爆破事件が起きて、多数の死傷者をだした。その頃から彼女は公安との連絡を絶ち、教団が手に入れていたプラスチック爆弾をもって教団からも逃走した。そして渋谷交差点での爆弾テロを起す。

もう一つは、かつての礼子の上司であった警察庁警備局の阿南課長と鳴尾や照屋礼子との関係である。阿南が照屋礼子を公安のために利用してきたことは鳴尾の掴むところとなり、阿南はなんとかして照屋礼子をうやむやのうちに殺害しようとする。鳴尾はあれこれ理由をつけられて捜査から外される。

しかし最後に鳴尾が照屋を探し出し、爆弾処理班の若者と協力して爆弾を解除し、照屋を阿南の前に連れ出す。

一方、籐子は照屋が送り込んだ女によって殺されそうになる。剃刀を武器にしたそのもみ合いの描写は恐ろしい。まるで血まみれの悪夢を見ているような恐怖感がある。

公安というものが反社会的な団体を監視することを任務とするといいながら、じつはいかに反社会的な団体であるかを如実に明らかにしているところも、また宗教法人法がいかに日本社会のなかで利権の温床となっているかを示した点でも、じつに意義のあるサスペンスだと思う。かつての松本清張なんかとはちがうが、新しい時代の社会的サスペンスと言ってもいいのではないかと思う。

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「川の名前」

2006年12月24日 | 作家カ行
川端裕人『川の名前』(早川書房、2004年)

子どもの頃は「カワガキ」だったことは確かだ。春や秋は魚釣りに出かけたし、夏は水泳や魚とりに毎日のように出かけた。

村の前で川が二つに分かれているので、日替わりで板井原川と真住川のどちらかを上がるのだ。竹の先にヤスをつけ、竹の反対側には自転車のタイヤのゴムを切ったものをつけて、動力とする。水中眼鏡で大きな岩の下などを覗き込んで、はえやうぐいを刺してとるのだ。そんなことをしながらずっと上流まで上がっていき、隣村に入ったくらいのところにたいてい淵があったりするので、そこでちょっと飛込みをしたりして遊んでから、国道に上がって歩いて帰る。

たぶん最初は上級生に連れられて行っていたのだと思うが、そのうち同じ学年や気のあったものだけで行くようになる。たぶんそうやって次から次へとそうした遊び方が伝承されてきたのだろう。昔はきっとそれで取れた魚をさばいて夕食にでもあげていたのだろうが、私が小学生の頃にはさすがにそこまでしなければならないような食糧不足でもなかったから、家で食べるということはなかった。帰りにハンザメ(オオサンショウウオ)を飼っている家があるので、そこに投げ入れてやるのだ。

この小説風に川の名前で言えば、日野川、板井原川、真住川ということになるだろうか。渓流釣をするところまで上流ではないので、さすがにイワナとかはいない。蛇が出てきて肝を冷やすとか、たまにハンザメがいてパニックになってしまうということがあったが、国道から離れると周りにはなにもなくて、大きな岩の上で日向ぼっこをしたりするときには別世界のような気分になる。

うちの子どもがまだ小さかった頃にこうした川遊びをさせてやりたいと思い、夏休みに東吉野のほうへキャンプに行ったことがあるが、水が冷たくて長いあいだ水に浸かっていることができないくらいだった。やはり川遊びができる地域というのがあるのだろう。水が冷たすぎてもダメ、あまり川幅が広すぎて水量も多すぎるのもダメ、こどもの膝上くらいが普通で、時に頭が浸かるくらいの深さの淵もある、周囲はほとんど竹やぶで、ところどころに大きな岩が転がっていてスリルに富んでいる、そういうところでないと、子どもの遊び場にはならないのかもしれない。そういう点では私たちは恵まれていたのだろう。

一見するとどぶ川のような桜川での一夏の冒険を描いたのが、この小説である。小学5年生の菊野脩、ゴム丸こと亀丸拓哉、河童こと河邑浩童は夏休みの自由研究の課題に、たまたま見つけたペンギンのつがいと、彼らが育てている卵の観察にあてることになる。この周辺の水域や生き物のことを前年の自由研究で手がけた河童は最初だけ彼に手助けをして、あとは川岸にうもれていたカヌーの修復を課題にした。

無事に雛がかえって、夏休みも終わりに近づいた頃、親ペンギンのパペンが下流で餌取りをしているところが人々の注目を集め、ついには鳳凰池にペンギンが営巣していることも知られてしまい、「やらせ」で有名なディレクターが作る番組に取り上げられそうになったとき、脩たちは雛を知人の水族館員の鈴木さんに引き取ってもらうべく、河童が修理したカヌーにのって雨台風で増水した桜川・野川・多摩川を下っていく。何度かの難所をこえて、水族館がある河口までやってきたところで水族館のボートに収容される。

こういう子どもたちの冒険話に彼らの人間としての成長物語までがセットされ、なかなか面白い作品になっている。

かつて私が住んでいた地域の川である日野川ではいかだを組んで河口まで下っていくというイヴェントもあるそうだ。まだまだ川の水がきれいだからできるイヴェントなのだろうし、一度参加してみたいものだな。

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「王の男」

2006年12月23日 | 映画
『王の男』(韓国、2006年)

韓国では赤ちゃんも人数に入れて、4人に1人の韓国人が見たという大ヒット作らしいのだが、うーん、いったいどこがそんなに韓国人を興奮させるのか、ちょっと私には理解できない。いや、けっして作品がつまらないという意味ではない。非常によく出来た時代劇だと思うし、チャングムを見慣れた目でみても、時代考証などもしっかりしているように見受けられる。

それに登場人物だって、カム・ウソンとイ・ジュンギがじつにいい人間関係をみせ、また当時の芸人という最下層の人間の、しかし芸に対する心意気のようなもの、反権力的な生き方を魅力的に描いていた。

王も、母親を毒殺されたことでの、ちょっとマザーコンプレックスのような異常な性格がよく描かれていた。

カム・ウソンとイ・ジュンギやそして三人の芸人が王を笑わせるためにやる芸は、なんだか、ルイ14世の前で彼の寵愛を得ようと滑稽な芸をやるモリエールのように思えた。一歩間違えば死が待っている世界。しかし彼を笑わせることができれば、宮殿に住んでおいしいものを食べ、きれいな服をきることができる。天と地ほども違う世界。

でもあー面白かったという感想が沸いてこない。なぜだろう?私のなかでは、もう一度見たいという印象が残った作品がいい作品ということになっているのだが、この作品はもう一度見てみたいとは思わなかった。なぜだろう?


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「古代史【謎解き事典】」

2006年12月22日 | 人文科学系
関 裕二『古代史【謎解き事典】』(三修社、2004年)

古代史の専門家ではなく、歴史作家が古代史についていろいろ調べて、素人の立場から、興味深い点を事典形式に、91のポイントにまとめたもの。私も歴史はまったくの素人なので、最初から難しいものを読むよりも、こういった興味をひく形でまとめたもの、読み物的なものから始めるのがいいのかなと思って読んでみたが、なかなか面白かった。

邪馬台国論争は古代史の好きな人なら、それなりの一家言をもっているのだと思う。だれもがなんか一言いいたがる。でもまぁたいした内容にはならないし、専門家ではないからたいした説得力のある内容でもない。

出雲の神々の話も何度も繰り返し語られているが、私は出雲の近くの出身なので、興味深く読んだ。出雲大社には中学生の頃に毎年家族で初詣に行っていたし、最近は、巨大な神殿を思わせる土台が見つかったということで新聞をにぎわしたのも記憶に新しい。この人が繰り返しいっているように、かつては日本海をはさんで中国朝鮮との関係で言えば、山陰は表日本であるのはそのとおりで、大陸との交易で巨額の富を蓄積した豪族が支配していたであろうことは容易に想像がつく。今後もっと面白い遺跡の発掘があるかもしれない。

大化の改新とか壬申の乱とか、古代史の重要な出来事も語られているが、どうも人間関係が私には分かりづらくて、出来事自体もよくわからない。それにしても大化の改新で班田収受の法ができたというのは、私なんかからみるとじつに理にかなった政策のように思えるけれど、やはり理論と現実は違うということなのだろうな。このシステムができてすぐにもう多くの豪族などはこれをうまく利用して私腹を肥やしていたのだから。

第二章の神話の世界というのも面白かった。天照大神が女性の神であったなんて、聞いたことある? ないよね。よく柔道とかの道場の床の間に天照大神てかいたのがつってあるけど、女だって知っているのかな?たぶん知らないでやってるんだよね。

浦島太郎の元ネタが浦嶋子という『日本書紀』に出てくる話だというのも初耳。でも浦島太郎の話もなんか意味がありそうだ。それと地元の近くの因幡の白兎の話も。中沢新一さんあたりに解釈してもらいたい。彼なんかだったら、面白い解釈をしてくれると思う。

最後に、それにしても神話の人物たちの名前って、なんなんだろう。やはり元は漢字で、それをなんらか古代日本語の研究にもとづいて読んでいるのだろうけど、なんとも不思議だ。どうしてそんな読みが分かったのか。古代日本語の本も一度読んでみなければ。

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「そこへ届くのは僕たちの声」

2006年12月20日 | 作家サ行
小路幸也『そこへ届くのは僕たちの声』(新潮社、2004年)

広告製作会社にライターとして14年間勤務した後、ゲームのシナリオ制作を契機に退職し、作家デビューを果たしたという経歴の持ち主なのだが、なんか最近こんな感じで会社勤務をしていた人が、ある程度年齢がいってから、作家としてデビューするというようなケースがけっこうあるなと思う。少し前にあったような、20歳くらいの若者の鮮烈なデビューというようなとは違って、渋めの感じだが、いいことだと私は思う。

この作品もそうだが、現代の小説はほんとうにイマジネーションがないと書けないと思う。ありきたりのことをちょっと変わった風に書くのは不可能に近いような気がする。

この小説も「遠話」という、一種のテレパシー能力のようなものをもつ子どもたちの話だ。テレパシーと違うのは、テレパシーだと頭の中で会話が交わされるのであって、「遠話」のように実際に喋るわけではない。「遠話」では実際に喋っているから、喋っている子の言葉は周りの人にも聞こえるが、相手からの声は「遠話」の能力のある子にしか聞こえない。周りの人には聞こえない。

そういった能力を持った子どもたちのネットワークが、危機にある子どもたちの声を聞き取り、一種のワープによって、火災現場とか交通事故現場とか地震現場などから子どもたちを助け出すということをしている。その一人であるリンこと倫志(ともし)と彼の両親、そしてその周辺にいる大人や同級生たちが、しん・みなと線という開業したばかりの電車内でのテロ事件から人々を救い出すというお話である。

私がこの小説にすごい違和感を覚えるのは、登場する中学一年生たちの、あまりにもいい子ぶりである。もちろんぶりっ子をしているわけではない。人に対する妬みとか恨みとかはもちろんのこと、大人に対する反抗的な考えも態度もない。自分の世界だけをみて生きている。とても生身の人間とは思えない造形に、違和感を覚えるのだ。リンの父親の友人で新聞記者の辻谷がちょっと大人ぶった江戸っ子弁で悪ぶってみせるくらいのことで、登場する人物のだれもがいい人なのだ。おまけにテロによる爆弾事件になって登場する警察関係者もみんないい人ばかりで、世の中こんないい人ばかりだったら苦労はないわなと、皮肉の一つも言いたくなるような世界が描かれているのには、ちょっと苦笑せざるを得ない。

それは、この作品が登場人物のリン、同級生で、かつて阪神大震災のときにこのネットワークのおかげで救われたかおり、かおりの友だちの満ちる、辻谷などが回想して話したのを速記したような形式でかかれているので、その語り口がまさに彼らの人間性を表す形になっているから分かることなのだ。

「遠話」のネットワークの中心にいる子どもは「ハヤブサ」と呼ばれるのだが、両親がいなくて、自分自身も虚弱な体をしていて、ずっと車椅子で生活している葛木(リンと同年齢)が、現在はその「ハヤブサ」の役目を果たしている。彼がこのテロ事件で発揮する自己犠牲の精神などをみても、この小説の主題はたいへんなヒューマニズムに貫かれていることは分かるのだが、なんだかゲームを見ているような、そんな現実から遊離した世界の登場人物たちの話のように思ってしまう。

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「パリ歴史探偵術」

2006年12月17日 | 人文科学系
宮下志朗『パリ歴史探偵術』(講談社現代新書1610、2002年)

中世のパリの様子から話が始まるのだが、そこに掲載された「フィリップ・オーギュストの城壁」というのを見ていると、「あれ、これって私がもっている1575年の地図の城壁と同じだなー」ということに気づき、読み進んでいくと、この城壁がずっと18世紀の終わりあたりに、あらたに徴税請負人の壁というのがもっと外側にできるまでの城壁だったようだ。筆者は同じ時期に出版された、もっと詳細な「バーゼルのパリ図」というのを参照しながら、現在に残る、その当時の城壁の跡だとか、街の名前の名残だとかを説明してくれるのだが、なかなか面白い。私も凱旋門のみやげ物屋でかった地図を見ながら、読んでいったので、なるほどなるほどと感心するところがたくさんあった。

たとえば地図でみてもはっきりと分かるのだが、当時の左岸(つまりソルボンヌのある方)は右岸に比べると小さい。半分くらいしかない。というのも当時の左岸は大学の町であって、一般庶民や商人・貴族などが住んでいたところではなかったからだということだ。なるほど。私の地図でも「ソルボンヌ通り」というのがあったりするから、このあたりが大学になっていたのだろう。またサン・ジェルマン・デプレ教会なんかは城壁の外にある。

また筆者の説明によると、「バーゼルのパリ図」には城壁の外に処刑のイラストが書いてあって、処刑場を示しているということだが、私の地図では右岸のモベール広場に同様の処刑のイラストが書いてある。こんな街中でもやっていたのだろうか?

次にパサージュ(商店街)のことに話が移るのだが、これも私には興味深かった。というのは筆者が筆頭に取り上げているパッサージュ・ショワズールのことは私もよく知っているからだ。このパサージュはオペラ座通りや昔の国立国会図書館の近くにあって、入ってすぐのところに日本語が使えるインターネット・カフェがあるのでよく行ったのだ。このインターネット・カフェは、この本ではかつてランボーとヴェルレーヌの掛け橋となった『高踏派詩集』の版元のアルフォンス・ルメール書店のとなりに位置する。もちろん今はこの書店はどこにでもあるような古本屋になっているが。このパサージュには中華料理のお惣菜屋があったり、ピザ屋があったりして、よく食事をした。私なんかからみると雨の日でもぬれないですむし、もっとにぎわってもいいと思うのだが、どうもフランス人はこういうところがあまり好きではないようで、行くたびに寂れていく感じがする。

ただこの界隈はオペラ座に近いこともあってか、日本人向けの店(ラーメン屋・すし屋・ブックオフのパリ店、日本の食材屋)が多く、なにかと便利なので、よくこのあたりのホテルに泊まった。

19世紀のパリ観光ガイドをもとにして19世紀のホテル・馬車・レストランなどの話がしばらく続いたあと、おお!と喜んだのは、公衆トイレの話が一章をとってかかれていたからだ。いやー、宮下さんもトイレが近くて、いろいろ苦労なさったとは、なんだか親近感がわいてきましたね。

「パリの街をそぞろ歩きしていても、われわれはトイレのことを気にしていないといけない」そうそう! 「日本の都会なら、デパートやファッションビルに駆け込めば、清潔なトイレがある、駅にだってたいていトイレがあるのに、パリの場合はトイレがない」という記述にも、そうそう!とうなづいた。そして宮下さんが学生の研修旅行の付き添いとして貸切バスに乗ったとき、バスのなかにトイレがあるのに、運転手が使わせてくれなかったことに腹を立てていらっしゃるが、本当にごもっとも!である。私も今年の夏にモンサンミシェルのバスツアーで同じ目にあったのだ。せっかくトイレつきのバスだとおもって安心していたのに、使えなかった。トイレ休憩では長蛇の列。本当にひどい!

宮下さんは、もちろん学者であるから、それだけで終わらせないで、革命以前の様子からの変化について詳細に説明してくださる。そしてなぜフランス語ではトイレをles toilettesと複数形で使うのかということについても説明しておられる。それによると、トイレなどという恥ずかしいものをはばかる気持ちが(日本でも「はばかり」などと呼ぶ)単数形によって直截な言い方で呼ぶことをためらわせ、複数形にすることで特定化を避けているのだということだそうだ。他の言語でもレストルームと言ったりして直接的な表現を避けるのと同じことだろうという。へぇー、そうなんだ!

と、まぁ、こんな感じで、いろいろためになる本でした。

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「しゃばけ」

2006年12月15日 | 作家ハ行
畠中恵『しゃばけ』(新潮社、2001年)

第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した作品らしい。もともと漫画家志望で、88年にマンガ雑誌でデビューしていこう、最近になって作家をめざしていたらしい。

江戸時代の大店の若だんなを主人公だが、じつは妖(あやかし)の血筋で、祖父や父親は人間だが祖母や母親が妖怪で、祖父の遺言で腕っ節のいい妖怪の犬神と白沢が若だんなの一太郎を守るために手代としてはっている。

一太郎が自分には兄の松太郎がいることを知って、夜中に一人で会いに出かけた帰りに、人殺しにばったり遭遇してしまったことから、命を狙われるようになる。じつは年季の入った墨壺(大工道具の一つ)がつくも神になりかけていたのに、この墨壺の持ち主だった大工の棟梁を殺して墨壺を奪った男がこの墨壺を壊してしまったために、つくも神になれないで恨みをもった墨壺の妖怪が人にのり移って、魂を取り戻すことができるという(生き返ることができるという)返魂香をもとめて、薬種問屋を襲っていたのだった。

連続殺人の事の次第がおぼろげながら分かってきつつあった頃、見越しの入道というえらい妖怪がやってきて、一太郎に祖父母や父母のことを話して聞かせ、もし一太郎が自分でなんとか決着を着けることができないのなら、一太郎はダキニ天様に仕えている祖母のもとへ送り返すという話になっていることを伝える。一太郎はじぶんで決着をつける決心をする。

墨壺の妖怪は松太郎が住む界隈に大火事を起して一太郎をおびき寄せる。二人の手代が火柱に囲まれて動きが取れなくなったとき、意を決した一太郎は護符で妖怪を人間から引き出して殺してしまう。死んだと思っていた兄の松太郎もじつは生きていたことが分かり、一件落着する。

時代小説ってあまり好きじゃないのと、言葉が読みにくくて最初は難儀をしたが、だんだん慣れてくると面白くなってきた。

なんか作品の雰囲気に心地よいものを感じる。いったいこの心地よさはなんだろうと自分なりに反省してみると、上下関係のはっきりした人間関係(妖怪関係というべきか)にあるのかなと思う。自分を犠牲にして一太郎の魂を生き返らせた祖父母(とくに人間だった祖父)の命によってつねに一太郎を護衛する二人の手代、彼らはけっして一太郎を主人といいながらも一太郎の言いなりになっているわけではないが、主従関係ははっきりしている。これってまるっきり水戸黄門の世界じゃないかということに気づいた。鳴家(やなり)だとか屏風の妖怪だとかにも主従関係というか上下関係がはっきりとあって、それを守ることによって生じる暖かな雰囲気、ほのぼのとした雰囲気、滑稽さなどがこの作品の、ファンタジー感を強めていることはたしかだ。

だがそれって黄門様が印籠でもってあらゆる城主やら藩の重役やらを這いつくばらせるように、でも黄門様と二人の護衛の関係も上限関係あっての和やかさであり、そういうことを考えると、上下関係や支配被支配関係を前提としたところに和やかさを感じる自分の感性というものにたいして、不信感を覚えるのだ。

かつて宮崎駿のアニメにたいして、どうしていつもお姫様ばかりが主人公なのか、戦争で簡単に殺されてしまう人たちのことをどう思っているのかという批判をする人がいるということをどこかで読んだことがあるが、一理あるかもしれない。

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