ドキュメンタリードラマ「うつへの復讐」
俳優の高島忠夫がうつ病になりそれとの闘いの様子をドラマにしたものを昨日見た。じつは私も身近にうつ病になって長年闘い社会復帰した人を知っているので、ひとごとのようには思えなかった。
Kさんとは、子どもが通っていた保育園の父母会とか、小学校に上がってからは学童保育の父母会で一緒に役員をしたりした関係で親しくなった人で、家は近所だったが、車で通勤していたので、私は普段はあまり会うことはなかった。
Kさんに異変が起きたのを知ったのは、忘れもしない12年前の秋のことだった。平日に休みだった私は近くのスーパーに買い物に行った帰りに、向こうから歩いてくるKさんにばったり出会った。昼間に家の近くで会うのも珍しいので、どうしたん?と聞くと、仕事を辞めたとのこと。外見はいつものにこにこしたKさんで、特別変わったところはない。まぁ家に来てコーヒーでも飲みますか?と誘うと、そうだねといって家に来た。コーヒーを飲みながら、彼が話すには、どうも職場の同僚との共同の仕事がストレスになって、これ以上仕事が続けられないと判断して辞めたとのこと。だいたい誰に対しても愛想のいいKさんに、そんな人間関係で仕事を辞めるなんてと、そのときの私は思ったが口にはださなかった。よっぽどのことなんだなと思ったからだ。そのときは、世間話などして分かれた。
そして転機はその半年後に起きた。私がいつものように出勤のために駅に向かっていると、向こうからKさんらしき人が来る。しかしどう見てもいつものにこやかなKさんではない。スーパーのビニール袋をぶらさげて、背中を丸めて、俯きかげんに歩く姿は、普通じゃないなと一瞬にして分かるほどだった。しかし「おはようございます」というとちょっと顔をゆがめてあいさつを返してくる。ちょうどKさんの長男がこのあたりでは有名な私立高校に合格したということを聞いていたので、「A君、受かってよかったですね」と言うと、「なにがいいんだか」と思いもよらない返事。しかもこちらも見ずに、投げ捨てるようにつぶやいた言葉に、私は思わずひるんだ。「じゃまた」と言って、私は駅のほうに向かった。
ちょうどその頃人からKさんがうつ病だという話を聞いて、なるほどと合点がいったのだが、それ以降Kさんの病状は急激に進み、たまにすれ違うので、声を掛けても、もう返事は返ってこなかった。
Kさんは現在は社会復帰を果たして新しい職場を見つけて働いているが、そうなるまでに10年くらいかかっている。一口に10年というが、それは長い。とくに本人も苦しければ、家族も苦しいなかで、本当に治るのだろうかという確信が持てないで10年も暮らすのは大変な苦痛だろう。たぶん子どもたちはすでに高校から大学そして就職をした時期だから、それほど苦にしないでいたのかもしれないが、本人以外には奥さんが一番大変だったのだろう。もともと共働きだったから、食事をKさんがつくったりして待っていたのかもしれない。そうした新しい夫婦の関係もいいじゃないかと思えるようになれば、ずっと楽かもしれないと思ったりするが、どうなんだろうか。
俳優の高島忠夫がうつ病になりそれとの闘いの様子をドラマにしたものを昨日見た。じつは私も身近にうつ病になって長年闘い社会復帰した人を知っているので、ひとごとのようには思えなかった。
Kさんとは、子どもが通っていた保育園の父母会とか、小学校に上がってからは学童保育の父母会で一緒に役員をしたりした関係で親しくなった人で、家は近所だったが、車で通勤していたので、私は普段はあまり会うことはなかった。
Kさんに異変が起きたのを知ったのは、忘れもしない12年前の秋のことだった。平日に休みだった私は近くのスーパーに買い物に行った帰りに、向こうから歩いてくるKさんにばったり出会った。昼間に家の近くで会うのも珍しいので、どうしたん?と聞くと、仕事を辞めたとのこと。外見はいつものにこにこしたKさんで、特別変わったところはない。まぁ家に来てコーヒーでも飲みますか?と誘うと、そうだねといって家に来た。コーヒーを飲みながら、彼が話すには、どうも職場の同僚との共同の仕事がストレスになって、これ以上仕事が続けられないと判断して辞めたとのこと。だいたい誰に対しても愛想のいいKさんに、そんな人間関係で仕事を辞めるなんてと、そのときの私は思ったが口にはださなかった。よっぽどのことなんだなと思ったからだ。そのときは、世間話などして分かれた。
そして転機はその半年後に起きた。私がいつものように出勤のために駅に向かっていると、向こうからKさんらしき人が来る。しかしどう見てもいつものにこやかなKさんではない。スーパーのビニール袋をぶらさげて、背中を丸めて、俯きかげんに歩く姿は、普通じゃないなと一瞬にして分かるほどだった。しかし「おはようございます」というとちょっと顔をゆがめてあいさつを返してくる。ちょうどKさんの長男がこのあたりでは有名な私立高校に合格したということを聞いていたので、「A君、受かってよかったですね」と言うと、「なにがいいんだか」と思いもよらない返事。しかもこちらも見ずに、投げ捨てるようにつぶやいた言葉に、私は思わずひるんだ。「じゃまた」と言って、私は駅のほうに向かった。
ちょうどその頃人からKさんがうつ病だという話を聞いて、なるほどと合点がいったのだが、それ以降Kさんの病状は急激に進み、たまにすれ違うので、声を掛けても、もう返事は返ってこなかった。
Kさんは現在は社会復帰を果たして新しい職場を見つけて働いているが、そうなるまでに10年くらいかかっている。一口に10年というが、それは長い。とくに本人も苦しければ、家族も苦しいなかで、本当に治るのだろうかという確信が持てないで10年も暮らすのは大変な苦痛だろう。たぶん子どもたちはすでに高校から大学そして就職をした時期だから、それほど苦にしないでいたのかもしれないが、本人以外には奥さんが一番大変だったのだろう。もともと共働きだったから、食事をKさんがつくったりして待っていたのかもしれない。そうした新しい夫婦の関係もいいじゃないかと思えるようになれば、ずっと楽かもしれないと思ったりするが、どうなんだろうか。