読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『ローラ・フェイとの最後の会話』

2012年01月26日 | 作家カ行
トマス・H・クック『ローラ・フェイとの最後の会話』(早川書房、2011年)

ローラ・フェイとの最後の会話 (ハヤカワ・ミステリ 1852)
トマス・H・クック
早川書房
どこかの書評のサイトで見て、興味を惹かれなかったら、絶対に自分から読んでみようとは思わなかったと思う。それほど期待もしていなかった。現に、図書館から、取りに来てくださいと連絡があってから、4日くらい放っておいたくらいだから。他の本を借りにいったついでに引き取ってきた。

以前にも書いたが、こういう小説をじっくり読むような気分ではない、というかそういう時間もないし、意欲もない。たまたま、いま我が家には娘が出産後で赤ちゃんと2歳になる子どもを連れて来ているので、その子たちの生活リズムに合わせるために、好きなように時間配分ができず、どうしても手持ち無沙汰になってしまう時間帯があちらこちらに出来てしまう。そういうときに(テレビを見ることもできないので)できることといえば、静かに本でも読むしかなく、しかもいつ孫に邪魔されてもいいように、あるいは上さんや娘から用事を言いつけられても対応できるように、小説のようなものでも読んでいるのが一番いいので、読み始めた。

アメリカのアラバマ州のグレンヴィルという小さな町で雑貨屋を営む父親と読書好きの母親のもとで育ったルークがその優秀さを学校教師に見出されて、そこから出てハーバード大学に入って歴史家になるという夢のために、どんなことを犠牲にしてきたのか、自分の心の奥底に隠していたことが、当時彼が父親の愛人だと思い込んでいたローラ・フェイとの20数年ぶりに再会して、父親が彼女の夫に射殺された日のことなどを回想しながら話すうちに、明らかになるという物語である。

会話の巧みさによって読者を引きこんでいく物語巧者な作家なんだろう。この人の長編小説の一覧を見ていると2年に一本の小説を出版している。もちろんその間には短編を雑誌に書いたりしているのだろうけども、たぶんこのようなペースで書くのが一般的で、東野圭吾なんかを始めとして日本の作家はものすごいペースで仕事をしているなと感心する。このあいだ朝日新聞だったかに佐伯泰英という時代小説の作家が一日の過ごし方を書いていたが、面白かった。毎朝6時くらい起きて、すぐに書き始め、その間に飲み物や果物程度の軽い朝食を食べながら書き続け、午前中で執筆は終わる。昼食後にはゲラ刷りを読みなおして朱を入れたりする。夕方には1時間以上ウォーキングで運動する。夕食後に軽く本を読んで、10時くらいには就寝するというような感じだったと記憶している。それで2週間から3週間で一冊分の原稿をかき上げるというのだから、すごいとしか言いようがない。

自分が一番いい老後のスタイルってなんだろうと最近考えることがある。私は、暖かな地方の海辺に住んで、この作家みたいに(でもきつい締め切りなしに)、午前中は執筆をして、午後は本を読んですごし、午前か午後にしっかり運動をして、夕食後はテレビをみてから寝るというような生活をするというのがいい。それで食っていければ、だれも文句言わないよ!

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『世界を語る言葉を求めて』

2012年01月18日 | 評論
辻井喬・宮崎学『世界を語る言葉を求めて』(毎日新聞社、2011年)

世界を語る言葉を求めて
辻井 喬,宮崎 学
毎日新聞社
「東日本大震災によりこれまでの世界観に大きな変更を強いられたという二人が、9・11以後の世界を捉えうる切迫感のある思想と言葉を求めて交わす注目の対話」というのが、アマゾンでの紹介文で、実際、この対談の冒頭では、そういうことが話題になっているのだが、アメリカのWTCにハイジャックされた飛行機が突っ込んだときにも、9・11以後とかいって、世界がひっくり返ったようなことを主張する言説があちこちで聞かれたが、阪神大震災の1・17という話は聞かない。

私はこの二人のこうした言説を読んでいると、本当に腹立たしくなる。この人たちは、いった何をもって天地がひっくり返ったかのようなことを言っているのだろか。何をもって3・11以後の世界を語る言葉が見つからないとか、自分だけが事の重大を分かっているかのようなことを言っているのだろうか?まさかこの二人は地震とか津波で原発事故なんて起きない、巨大地震なんて自分が生きている間には起きないとでも思っていたのだろうか?

たしかにNHKの震災後の報道を始め、「がんばろう日本」などの、彼らが言うところの「劇場型」言説には、私も違和感を感じる。地震の時期は休みだったことをあり、一日中テレビで見て、巨大津波の恐怖をまざまざと見せつけられたが、他所の国の出来事のような感じがある。しかしちょっと想像力を働かせれば、私が住んでいる関西にだって、いつ起きても不思議でないような事態だろうことはすぐ分かることだ。いつかはあそこに写っている人たちと同じ目に自分も遭うかもしれないと思う。

そして一番の問題はそれから後のことだ。どうやって生きていくのだろうか?テレビの映像に写っている人たちのように、前向きに生きていけるだろうか?雪がちらつく寒い日々に、家も家財も、もしかしたら家族もなくなってどうやって生きていく意欲が生まれてくるだろうか?そんなことを考えたら、言葉はなくなるだろう。そういうときに、NHKのように、腫れ物にでも触るような報道や、3・11で世界が変わったみたいな、訳のわからない言説が、どんなふうに響くのか、たぶんそんなものなんかどうでもいいと思うだろう。

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『困ってるひと』

2012年01月17日 | 評論
大野更紗『困ってるひと』(ポプラ社、2011年)

困ってるひと
大野 更紗
ポプラ社
原因不明の難病であり、かつその難病ぶりが想像を絶するような重度の身体的精神的苦痛を与えるものであるのにもかかわらず、なんだかそんな様子がまったく伝わってこないのは、文章の力なんだろう。身体的苦痛を与えるその難病そのものよりも、病名を特定するまでの苦労、何科を受診したらいいのかという現代医療の抱える問題への腹立たしさ、受診できても、目の前の苦しんでいる病人の苦しみを理解して少しでも軽減するために自分は何ができるかということに気持ちが行かない医者たちに対する怒り、大量の書類を書かねばならない行政への絶望的な気持ちのほうが、私は想像できるし、理解できるし、共感できる。ところがこの人の病気そのものは、あまり共感できないのは、文章の軽妙さのせいか、あるいは私の想像力の欠如のせいかもしれない。

膝が痛いと言ったら、そこしか見ない現代医療には絶望するが、かといってそういう現代の医者のなかに、そうではない、名医とでも呼べそうな医者がいたりするから、全否定できないところが、難しい。玉石混交のなかから名医を選ぶのは、もう現代では患者の自己責任みたいになっている。インターネットで調べたり、風のうわさに頼ったり、たぶん一番いいのは口コミなんだろうけど、そうなるとまさに当人の人間関係がものをいう。

うちのカミさんはリウマチなのだが、最初に手が痛くなった時、近くの整形外科に行ったら、リウマチともなんとも言わないで、なんの説明もなくステロイド剤を処方された。私もカミさんも決してステロイドを全否定するつもりはないが、長期に使うと、骨粗鬆症になったりするから、それを説明してくれれば、カルシウムを積極的に摂取するなどして対策を取ることができるのに、この医者は何も説明しなかったため、2年くらいして人間ドックで骨密度がひどく落ちていることでやっと分かった。すぐにこの医者から離れた。

今度はいつも行っている大きな総合病院に行ったが、リウマチ専科の医者なのに、数値が出てこないからと言って、身体の関節があちこち痛くて正座はおろか、椅子から立ち上がるのも大変だし、寝返りしても痛いと言っているのに、まだリウマチと判定できず、ろくな治療もしてくれない。家の近くにある大学病院を紹介されて通いだしたが、こちらも数値が出ないために、積極的にメトトレキサート系の薬を処方してくれず、抗リウマチ剤ばかりで、どれを飲んでも痛みはとれないどころか、熱がでる、腹痛を起こすで、一向によくならないで、2年くらいが過ぎた。

最初の薬なんか、薬疹で顔がみるみるうちに腫れて、お相撲さんみたいになったりもした。その間に、仕事も早期退職した。なにを飲んでもよくならないので、医者も観念したのか、やっとメトレートを処方してくれた。すると飲み始めた一ヶ月後にはもう効果が現れ、ずいぶん痛みが減少して楽になった。まだまだ痛みがあるし正座が出来る状態ではないので、完全ではないが、上さんは精神的にもずっと楽になったと言っている。こうなるまで3年近くかかった。体中の関節が痛いと言っているのだから、数値に頼らず、最初からメトトレキサート系の薬を処方してくれていたら、もっと早くに良くなっていたのに。

こういう現代医療への、というか患者の苦しみを理解しようとしない医者への怒りなら、私も共感できる。でもいい医者もいるからねー。やっぱりいい医者をいかに早く見つけるか、それにかかっているんじゃないのかな。そういう、これまで患者としての苦しみを出版物という形で、社会の共有にするということが少なかったが、もっと広まればいいと思う。


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『身体のいいなり』

2012年01月14日 | 評論
内澤旬子『身体のいいなり』(朝日新聞出版、2010年)

身体のいいなり
内澤 旬子
朝日新聞出版
アレルギー(アトピー性皮膚炎や喘息)とか低体温症とか腰痛持ちとか、別に自業自得的なことをしたわけでもないのに、子どもの頃からつらい毎日を過ごさねばならない、一種の持病のようなものをもった人は結構いる。みんながみんな健康優良児ばかりではない。

とくにアレルギーは最近の病気だから、私が子どもの頃には認知されていなくて、当然本人もアレルギーなんて知らないから、一人で悶々としていたなんて人も結構いるだろう。たとえば、私なんかも、この人も書いているような、唇の不調を子どもの頃からずっともっていた。私の場合は唇の潤いがなくなって皮がむけて、最後に切れていた。どうしていいのか分からないので、メンソレータムを塗ってみたり、名前は忘れたが、家にあった白いクリームを塗ってみたりしたが、あまり効果がなくて、ついには逆に歯ブラシで擦って余計ひどくしてみたこともあった。これがアトピー性皮膚炎の一種だろうとわかりだしたのは、大人になってからだったような気がする。

中学時代からはフケがひどくなり、家で机に向かって勉強している間に知らず知らずに掻くので、机の上にいっぱいたまり、それを下敷きで集めて、山のようにして遊んでいた。フケは今でもひどい。電車の中で読書用のメガネに付け替えるとき両耳のあたりからはらりーとフケが落ちてくる。周りの人には見えているかも。50歳を過ぎた最近になって、シャンプーが良くないと思いあたり、今はシャンプーをまったく使わないが、それでもフケは治らない。

結婚してから、鼻炎になるようになった。寒くなる11月くらいから鼻汁が出始め、鼻が詰まって、酷い時には、夜中に口で息をするために喉が乾いて呼吸できなくなり、それで目が覚めることもあった。耳鼻科へ行って薬を処方してもらっていたがだんだん効かなくなる。これはジョギングをして、鼻の粘膜を強くすることで治った。

同じ頃に、お尻がお猿のお尻みたいに真っ赤っかだった。ちょっとしたおできみたいなものをかきむしったのがキッカケで炎症を起こし、痒いから掻く、掻くと炎症が広がる、の繰り返しで、掻かなければひどくならないことは分かっているのだが、あまりの痒さに我慢できなくなっていた。パンツの上から掻くので、パンツのお尻の部分がよく破れるようになった。数年は続いただろうか。このままではいかんと思い、我慢に我慢を重ねて、やっと治った。その頃息子もアトピー性皮膚炎で抗アレルギー薬やらステロイドの薬をもらっていたので、それを失敬してつけると良くなっていたから、アレルギー性であることは間違いない。

30代半ばから咳が出ると、止まらなくなった。咳を出す箇所がだんだん下の方に、つまり気管支の方へ降りていくのが自分でも分かる。そのうち、食べ物がある箇所にあたっただけで、気管支が収縮して呼吸できなくなるという恐ろしい症状が起きるようになり、大きな病院の咽喉科で内視鏡で見てもらったが、とくに異常はないと言われた。しかしどう考えてもアレルギー性の喘息の一歩手前のような気がする。母親が喘息持だから、そうに違いないと思っている。以前は、近所の医者でいつも吸入と飲み薬ですぐに治してくれる人がいたのだが、この先生が廃業してしまったので、今は冬になったら喉を冷やさないように昼間も寝ている間もマフラーをしている。ちょっと咳が出そうになったら、のど飴をなめて、喉を潤すことにしている。ジョギングをするようになってから、ほとんど風邪をひかなくなったので、風邪から喉をやられることもほとんどない。

50数年の体験から思う。私程度のアレルギーの場合、アレルギーそのものは治らない。炎症が出る箇所があちこち変わる。唇に出て唇が切れるときもあれば、頭に出てフケが酷いときもあれば、鼻に出て鼻炎になっている時期もあれば、お尻に出てお猿のお尻になっていた時期もある。でも気管支のような、致命的な箇所に炎症が出なければいいのだ。気管支に炎症が出て喘息のようになるよりも、鼻炎になって夜中に息ができなくなるよりも、フケが酷いほうがいい、お猿のお尻のほうがいい。

人間、自分の身体をよく知って、なだめすかしつつ、生きていくしかないということだね。ヨガで体調がよくなったというこの著者の話も興味惹かれるな。私は身体が硬いから、腰痛防止のためにもやってみようかな。



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『現代フランス社会を知るための62章』

2012年01月11日 | 評論
三浦・西山編著『現代フランス社会を知るための62章』(明石書店、2010年)

現代フランス社会を知るための62章 (エリア・スタディーズ84)
三浦 信孝編著,西山 教行編著
明石書店
たとえば、フランスに関心があるといっても、普通は表層的なものに終わることが多いものだ。あるいは、自分に興味のあることや関わりのある分野のことは玄人はだしに知っていても、それ以外のことはまるっきり知らないという専門バカ的な知識のどちらかだろう。しかし文化から社会や政治も含めて、広く知っておくことは決して意味のないことではないと思う。そんなに深くなくていいから、広く浅く知っておきたいというときに、便利かなと思って読んでみたのだが、果たしてどうだろうか?

まず執筆者がほとんどフランス語教師という偏りがあることが、なんか抽象的な話ばかりという印象を作り出す原因になっていると思う。要するに自分の専門でもないことをちょっと調べて書いた的な書き方になっていて、とにかく抽象的すぎる。そのいい例が、どの章も、過去(しかも200年も前の大革命時代)の話から始まって、やっと現代にいたるという論述の仕方にある。現代の諸相をスパッと切り取って、具体的に見せて欲しい。できれば日本との比較で、わかりやすく、というのが私のような普通の読者の期待だろうが、そうなっていない。図表などがほとんどないのもいただけない。失業率の推移のような、図で見れば一目瞭然のようなものは図表を使って欲しい。論述ばかりだとしんどい。

分かりやすい分かりにくいは、私自身の知識との関係もあるので、まったく客観的なものではなくて、独断によるものであることを断った上で言えば、「売春」「ピル」「パックス」「学校」「グランゼコール」「ユーロ」「国籍」「選挙制度」などが面白かった。私自身興味を持っているがあまり知識がないためによく理解できなかったのが、「新聞・放送・メディア」「年金」「社会保障」「銀行」「租税」「国防」である。たとえば、年金とか租税なんかはいくつかのケースを想定して、具体的に書いてくれたら、日本の状態と比較できて面白かっただろうと思うのだが、さっぱり分からなかった。まったくイメージをつかめなかった。国防も非常に興味があるのだが、残念。

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