読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

板垣恭介

2006年06月11日 | 人文科学系
板垣恭介『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』(大月書店、2006年)

タイトルを見て、一度読んでみたいと思っていた本が、やっと図書館の予約の順番が回ってきたとの連絡があって、さっそく行って手にして読んだ。期待にたがわず面白いものであった。

内容的には、初めての民間から皇室に入った美智子さんへの前皇后やその取巻きの皇族からのいじめ問題から、昭和天皇の戦争責任の問題、そして即位にあたって平和憲法である「現憲法を遵守する」と明言した平成天皇と美智子さんの意向に反して、天皇の国事行為はすべて内閣が決めるとする現憲法のもとで平和憲法が戦争憲法に変えられようとしている昨今の情勢の中で、皇族の人権を無視している現状を打破するためにも、「明仁さん、美智子さん」に「皇族をやめませんか」と呼びかけている。

とくに平成天皇と美智子さんには私は特別な思いはないが、皇太子と雅子さんの問題は、マスコミでもよく取り上げられもするので、思うところがある。皇室問題は複雑だと思うのは、雅子さんが適応障害になったのははやり皇室内部でのいじめとか、皇太子の言う「人格否定」などがあったからだろう。私は一時、自由にさせてあげたらいいじゃないと思っていたが、よく考えてみると、それも通らない話なのだ。皇族は勝手なことはできない。言葉一つだって、日本国内での旅行だって、宮内庁をとおした内閣の承認がなければできない。それが天皇を象徴として規定する現憲法の絞めなのだ。皇太子の娘が使っている遊具がマスコミで流され、その結果売上が伸びたというようなことがあったが、本来そんなことはあってはならないことだ。だからあれ以来、その手の話は報道されなくなった。まさに皇族には人権なんかない。その代わりに税金でいい暮らしができるのだ。

この人の主張で面白かったのは、米長とか石原のような人間たちが天皇を利用して、<国旗・国歌の強制>を進めようとしているが、少なくとも平成天皇はそうではないということが次のエピソードから読み取れると指摘されていることだ。2004年の秋の園遊会で東京都教育委員の米長(将棋の元名人)が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事」などと挨拶をしたのにたいして、平成天皇が「やはり、強制になるということではないことが望ましい」とやんわりと自らの意志を示したという話である。この著者は長年宮内庁記者をしてきた経験から平成天皇の人柄やなんかをよく分かっていて、「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」と呼びかけているのだというところが、じつに面白い。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする