読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『北朝鮮に消えた友と私の物語』

2011年09月22日 | 評論
萩原遼『北朝鮮に消えた友と私の物語』(文藝春秋、1998年)

北朝鮮に消えた友と私の物語 (文春文庫)
萩原 遼
文藝春秋
自分史を書く人がたくさんいるらしいし、またこれからももっと増えるだろう。私の母親とか上さんの両親の話をきいていると、思わず、自分史を書いてみたらどうですか、と勧めたくなる。ちょうど彼らの青春時代が戦中戦後の激動期、そして高度経済成長期にあたるという興味深い時代であったということもあるし、また親族であるだけに、そこに自分の知らない自分の先祖とか自分の係累の見えなかった糸が、両親や親戚が自分史を書いてくれることで見えたくるのではないかという期待もあるからだ。どんなに平凡な自分史であっても大文字の歴史に関わっていないはずはないので、そこから歴史が見えてくることもあるだろう。

この著者の場合は、しかし自分史が激動の戦後朝鮮史とか日本共産党史とかに深く結びついているという点で稀有なものをもっている。そこには戦後日本の底辺層の日常があり、共産党と在日朝鮮人の運動の歴史があり、赤旗特派員としての平壌での生活があり、友人関係として戦後朝鮮の歴史がある。つまり自分史を書くことが、戦後日本と朝鮮の関係を描き出すことになるという意味で、稀有なものであるということだ。

極貧の少年時代から青年時代。当時はみんながそうだったのだろうけど、なかでも著者の場合は、生まれた高知を離れて大阪や東京に行かねばならなくなったことが貧困に拍車をかけたようなところがある。家族みんなでガリ版書きをして生活ができたというのだから、どんなものなのだろう。在日朝鮮人の友人との関係で朝鮮語を勉強し始める。天理大学朝鮮語学科を受けるも21人中一人だけ不合格に。あそこは公安や警察関係者が朝鮮語を勉強しに行くところ、それ以外の人間は受け入れないと後で知ることになる。その数年後ちょうど大阪外大に朝鮮語学科が新設されて入学することになる。

そして赤旗記者になり1972年平壌へ特派員として派遣されて、北朝鮮の隠された姿を知るようになる。純真に社会主義の大義を信じ、北朝鮮もそれが実現されている素晴らしい国と思っていたのが、じつは暗黒の独裁国家であることがわかってくるようになる。青年時代の友人の消息を求めて行動したことからスパイの嫌疑をかけられ73年に国外追放になる。1988年に突然に理由もなく赤旗記者を解任されたのを機会に、赤旗記者を辞め、フリーになる。

世界一周旅行(いわば赤旗特派員のいる都市巡りといったところ)の最後に行ったアメリカ、ワシントンで閲覧した北朝鮮関係の公開文書全文を読破することになる。その成果が『朝鮮戦争、金日成とマッカーサーの陰謀』として出版される。その後、朝鮮関係の本を次々出版。

この本で、第30回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『金正日 隠された戦争』

2011年09月20日 | 評論
萩原遼『金正日 隠された戦争』(文藝春秋、2004年)

金正日 隠された戦争―金日成の死と大量餓死の謎を解く (文春文庫)
萩原 遼
文藝春秋
1989年に始まったソ連と東欧諸国の崩壊、とくにルーマニアのチャウシェスクが反乱人民によって処刑されたことに恐れをなした金父子は、軍事を強化し、軍隊に絶対に勝手なことをさせないことで生き延びようと考えた。そのため金正日を国防委員長にして、北朝鮮のあらゆる機関よりも上位の存在に位置づけた。同じ時期に成立したアメリカのクリントン政権との交渉で、核をちらつかせて、まんまと軽水炉二基と重油の大量輸入を約束させた経験が、金正日に核を外交カードとして使うのが有効だということを学ばせることになった。核開発を進め、さらに軍備を増強するために、北朝鮮の全人民に十分な食料を配給するだけの生産があるにもかかわらず、自然災害を利用して、外国から穀物の救援を受けつつ、もともとあらゆる物資の配給制度が確立していたことから、食料の配給を統制することで、人為的な大量餓死(推定で300万人)を生み出した。いわば金正日による餓死殺人であった。とくに金正日が最も怖れた敵対階級が多数生活する北東の二道で餓死者が多かったのも、金正日による人為的操作によるものだったと推定される。さらにこの大量餓死殺人を遂行するうえで、じゃまになったのが父親の金日成であった。軽水炉の導入が調印されるジュネーブでの会議の直前に、それまで引退同然の閑職にあった金日成が、飢饉報告を知り、民生安定の方針を打ち出し、軽水炉よりも火力発電所を優先させ、飢饉を乗り越える方向に方針を転換させようとしたため、このままでは自分の目論見が実行できないと考えた金正日が金日成を除去した。

以上がここ10年くらいの間に北朝鮮に起きた出来事である。このうち、大量餓死は金正日による配給統制を利用した餓死殺人だという点、金日成の死はこの餓死殺人と核開発・テポドン開発を遂行するために最大の障害となったために「除去」された結果であるという点、この二点を明らかにしたことがこの本の意義だと著者はあとがきで述べている。

とくに大量餓死と関わる後者の点、金日成と金正日の方針の対立による前者の「除去」ということは、重要である。なぜなら金日成は飢餓報告を聞くと激怒して、金正日が進めようとしていた核開発優先・軍事優先の方針を阻止して、農業を立てなおして人民に食料を供給することで民生安定と政権維持を優先しようとしたからである。だが、金正日は知っていた。父親が進めようとしていることは無意味だと。なぜなら北朝鮮の穀物生産量は餓死がでるほど低かったわけではない。普通に生活していけるのに十分なコメの生産量があった。ただそれでは核開発を進め、テポドンを作って、韓国はもちろんのこと、日本やアメリカ本土まで火の海にしてやるぞと脅せるような技術を確立するためには、足りなかっただろう。だから父親を「除去」したというわけだ。邪魔者がいなくなって、金正日は大手を振って食料支援を進め、そこから生じる余剰分で開発費用をつく出し、軍事開発を進めると同時に、敵対階級を抹殺するために大量餓死殺人を起こさせた。言ってみれば、これまで人道支援という理由で北朝鮮に食糧支援をしてきた国々は、北朝鮮の核開発と弾道ミサイル開発の片棒を担ってきたようなものだということだ。

以上のことが分かれば、韓国の太陽政策や小泉が吹聴していた国交正常化などもってほかであり、今すぐに北朝鮮とのあらゆる関係を断ち、あらゆる支援は中止し、経済制裁を強化するようにすべきであるという著者の主張も理解できるし、こういう状況のなかで、北朝鮮の出先機関である朝鮮総連との関係を復活させたりすることがどういう意味をもつのか、一目瞭然だろう。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自炊代行紛争

2011年09月19日 | 日々の雑感
自炊代行紛争

今日の朝日新聞によると、相変わらず、自炊代行業者と出版社のあいだで、自炊代行をやめろ、やめないで紛争が続いているらしい。

出版社にすれば、自炊そのものは個人が個人で利用するために行うという範囲内の行為なので問題ないが、それを代行するということは一冊の本で何冊分もの電子本ができることになり、紙の本が売れないということを懸念しているからだ。

これにたいして代行業者のほうは、出版者が電子本を作ったら、代行業は行わないと断言しているらしい。

普通に考えれば、私は代行業者に分があると思う。こういう代行業者が流行るということは、電子本にたいする需要があるということだろう。需要があるにもかかわらず、出版社が電子本を出さないのは怠慢としかいいようがない。出版社としては電子本を出したら、紙の本が売れないというようなことを考えているのかもしれないが、もしそうだとしたら、現実を見ていない。

現実にはまだまだ紙の本が優勢だし、電子本を購入したいというような人は、そうとうの読書家で、紙の本は重いしかさばるから、持ち運びに不便だと思っているだけのことだ。つまり紙の本の購入者が、電子本に移行するだけのことで、販売部数は減るどころか増えるだろう。彼らは、紙の本だったら買わないが、電子本なら買うというような人たちでもないと思う。

そもそも電子化するのにいったいどれだけの手間暇がかかるというのだろうか。今時は著者が出版社に入稿するのだって、最初から電子化されたもので入稿するのが一般的だろうから、それに手を入れて紙の本を作ると同時に、電子化するのにたいした手間暇はかからないはずだ。だから、同時に両方の媒体で出版すれば、きっと出版部数が落ちるどころか、増えると思う。

電子本というのは紙の本とはちがったメディアとなる可能性を秘めている。ちょっと考えただけでも、たとえばクリックひとつで知らない単語の意味や歴史的背景などをその場で確認できるようにすることもできるし、視覚的あるいは聴覚的な表示が有効であれば、そういうもので提示することも可能になる。紙の本を読んでいる場合のように、いちいち別の辞書や本を探してきて意味を探すなんてことをする必要がない。たとえばある曲名が書いてあっても知らない場合、紙の本なら、自分がその曲の入ったCDをもっていなければ、どんな曲かはわからずに読み進めるしかないが、電子本ならそこをクリックするだけで曲の一部や全部を聞いて確認するなんてことも可能になるだろう。そういう意味で電子本はたいへんな可能性を秘めたメディアであることくらいはだれにでも分かるだろう。

だが現在の代行業紛争の問題はそんなレベルの話ではない。たんに紙に印刷された文字を電子化するかしないかという話であって、そんなことは電子化すればいいだけのことだ。そんなことでやめろなどと裁判沙汰にしようとしている出版社の気が知れない。

そんなことに力を注ぐよりも、海賊版を虱潰しにすることのほうに精力を傾注したほうがいいのじゃないのかな、出版社としては。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『灰色の魂』

2011年09月18日 | 現代フランス小説
フィリップ・クローデル『灰色の魂』(みすず書房、2004年)

灰色の魂
フィリップ・クローデル
みすず書房
クローデルの小説をそんなにたくさん読んでいるわけではないが、2009年の『ブロデックの報告書』系列の、人間の腹黒さを暴きだすことを狙った、陰気な小説。

彼のこういった小説に入り込めないのは何故だろう?普通、読者は登場人物の誰かにある程度は感情移入しながら読もうとする、あるいは感情移入できる登場人物を探しながら読もうとするものではないだろうか。もちろん最初から最後まで一人の人物だけに感情移入するとはかぎらないが、少なくともだれかに感情移入できたら、作品世界に入ることができたことになるだろうし、その場合には作品世界にたいして違和感をあまり抱かずに読み進めることができる、と思うのだが。

この小説の場合は、誰一人としてそういう対象にならない。というかそれを拒否しているような気配さえある。たんに読者である私、フランスの第一次世界大戦や第二次大戦のことは頭で知っているが、その頃のフランスの片田舎に住んでいたフランス人がどんなことを感じる人々だったのか、まったく知らない私にとって、訳のわからない世界に住む、訳のわからない人々の世界で起きた、訳のわからない事件について、たぶん日本の読者など想定しない作者によって書かれた小説のいったいどこに感情移入できるというのだろうか?

現代のテレビや雑誌で描き出されているフランスの姿が作り物であることぐらいは私にも分かる。そういうことは数十年前の日本の片田舎でさえもあった。日本にも、ここに描かれるフランスの片田舎と同じように、現代人の目から見たのではおどろおどろしいような世界があった。グローバリズムはそういうかつての村落がもっていた閉鎖された社会に固有のおどろおどろしさを、のっぺらぼうな、つるんとした肌触りの世界に変えていくという功罪をもっている。

私には理解出来ないけれども、そういうものを描き出したクローデルの作品が現代フランス人に大いに評価されるというのは、あり得ることだろう。だからこの小説に意義がないなどと私は主張するつもりはまったくない。ただ私には理解できない世界だったというだけのことだ。だがアマゾンのブックレビューで、日本人読者たちさえもが絶賛していて、なかにはカラマーゾフにつぐ傑作だなどと評価する意見もあるのを見ると、驚きというほかない。そういう意見も含めて、なんだか私自身が世間というものから遠く離れてしまったような感覚が感じられることに、驚きを覚える。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『北朝鮮へのエクソダス』

2011年09月17日 | 人文科学系
テッサ・モーリス・スズキ『北朝鮮へのエクソダス』(朝日新聞社、2007年)

北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる
テッサ・モーリス・スズキ
朝日新聞社
1959年から10年近くに渡って続いた在日朝鮮人の北朝鮮への「帰国事業」がどういった経緯で始まったのかを、おもに日本赤十字社、日本政府、赤十字国際委員会に焦点をあてて解明した著作。著者はイギリス出身で、現在オーストラリア太平洋アジア学院の教授をしている人。

もちろんあとがきにも書いているように、「帰国事業」に関わって大きな役割を果たしたのは上に書いた団体だけではなく、日本の政党・団体、メディアも重要な役割を担っていたのであり、それについて書こうとすれば、それだけでまた一冊の本ができるのであって、ここでは、「実行犯」としての意味から、上記の組織だけの本になったと記している。

またあとがきでこの本では通常の学術論文とはちがって著者である自分も描き出したことについて少々気後れしたようなことが書かれている。それは取りも直さず、「帰国事業」がどうやって始まり何万にも在日朝鮮人が北朝鮮に送り込まれる事業になったかは書いたが、その人たちが北朝鮮でいったいどうなったのかをまったく書けなかったことへの気後れだということだ。なぜならその部分こそがこの研究に首をつっこむことになるこの著者の動機であるはずだから。その部分をきちんと解明することができずに、ただそこにいたるまでの、ある意味で序章しか書かなかったことへの気後れでもあるだろう。

北朝鮮へ送り込まれた何万という在日朝鮮人や日本人妻たちがその北朝鮮でいったいどうなったのか。その部分は知ろうとしても知ることができない闇の中にあるということは誰でも知っている。現在の北朝鮮の庶民の悲惨な状態から類推するしかない。あるいはそれ以下だったのかもしれない。

植民地時代に軍人として徴用され、あるいは「契約」によって非雇用者として、あるいは強制徴用として、日本に連れてこられた在日朝鮮人のうち1950年代にもまだ日本に残っていた約60万人を日本から追い出したいという日本政府の思惑。南北朝鮮に分裂していなければ、単純な問題であった在日朝鮮人の母国への帰還が、南北への分裂、そして南朝鮮の李承晩独裁政権が帰還を拒否したこと、そして北朝鮮にとどまっていた中国の志願兵30万人の帰国による労働力不足を解消したい金日成の思惑などがぴったり一致して始まることになる。

「帰国事業」を推進した団体・政党やメディアを一概に責めるつもりはない。この著作にも記されているように、1961年の韓国の国民所得は一人あたり82ドルという極貧国家であり、李承晩独裁政権に支配され、反体制派は拷問処刑されるのが常だったのだ。いかに韓国が貧しかったか、日本の564ドルだけでなく、フィリピンの170ドルとかタイの220ドルにさえ、はるかに及ばない数字を見れば一目瞭然だろう。同年の北朝鮮がどの程度であったかは記されていないが、当時はどこの「社会主義国」も開発計画のさなかで、ユートピアではなかったにしても、韓国に比べればましだったのかもしれない。どちらにしても、現在の韓国や北朝鮮の実態から当時のことを判断することはできない。

だが日本政府だけは別だろう。この事業の根本的責任者は日本政府であることを暴きだしたことから考えて、この著作は、たぶん外国人であるこの著者にしかできなかったことかもしれない。

しかしこの事業を煽ったメディアにたいする批判が全くない点を鋭く衝いているブックレビューもあった。だから「朝日新聞社」が出したのだという指摘。ブックレビューを読んでいると、自分の読みが一元的、というか、あまりにものを知らないということを、思い知らされる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日本人の9割に英語はいらない』

2011年09月11日 | 評論
成毛眞『日本人の9割に英語はいらない』(祥伝社、2011年)

日本人の9割に英語はいらない
成毛眞
祥伝社
<日本人の9割は、実は英語なんて必要ないのです>。私もそう思うって、書いたところで、だれも注目しないだろうけど、元マイクロソフト日本法人社長という肩書きのこの人がどういう意図でこんな本を書いたのか、私には分からないし、またしらなくてもいいが、その肩書の人がこんな主張をしているということで、世の中の人はみんな注目するだろう。

今や小学校から英語教育が始まり、英語が出来なきゃ人間じゃないみたいな風潮になっている。その前にきちんとした日本語を話したり書いたりする能力をつけることが大事だろうというような主張は、もちろん出ているが、大方無視されている。

なぜこんなにも英語教育がオーパーヒートするのか? 中学高校と3年間英語を勉強したのにちっとも喋れない、海外展開をしているのに、外国のビジネスマンと英語で営業ができない、そういうシーンがよく出てくるのを見せつけられて、英語でビジネスができるようにする教育が必要なんじゃないかという発想なのだろう。

そもそもどうして日本人が英語を中学高校と勉強しなければならないのか?こんなことを問題にしてみる必要のほうが大きいのに、英語を喋れないといけないということが前提に話が進んでいる。

英語は必要だ。必要なところには必要だ。だが日本人が日本人として幸せに暮らすためには必要ではない。これから観光立国をして海外からたくさんの観光客が来るようになったとしても、また海外展開する企業が多少増えたとしても、これは変わらない。

実際にビジネスで海外とのフロントラインにたって英語で営業をする必要がある人というのはこの著者が言うように日本人の1割にも満たない。1割って1千万人でっせ。東京の人口全員が英語ペラペラってことですよ。こんなに英語ペラペラのビジネスマンはいらないだろう。逆に言えば、それだけいれば十分でしょう。ところがもう日本人みんな英語がペラペラにならなければ人間じゃないみたいな風潮になっていることに、この人は警鐘を鳴らしている。当然のことだ。

よく海外に派遣されて英語が話せなくて苦労するという話がある。そういう話を聞くたびに私は思う。どうして英語の出来る人を出さないのだろうか?そもそも海外展開をするような会社なのに英語ができるかどうかで採用を決めるということがほとんどない。世の中とくに女性で英語が出来る人はごまんといるのに、そういう女性たちを採用しないで、ろくに能力もない男ばかり採用している会社がどれだけ多いことか。最初から英語のできる女性を採用して、海外に派遣すれば、海外からも日本人は英語ができないと馬鹿にされることもないだろうに。

英語が必要なところはなくならないだろうが、だからといって日本人全員が英語を喋れるようにならなければならないという論理はありえない。だから英語を喋れるようになりたい人だけが自分のお金で勉強すればいいのだ。とうぜん英語の喋れる人はそれだけの努力をしてきたのだし、喋れない人よりも優遇されるべきだろう。あるいはそういう人達を国として養成するべきという考えがあってもいいかもしれない。しかしいずれにしても、ごく一部に英語の堪能な人たちがいればいいことだろう。これはもちろん他の外国語すべてに言えることだ。

もちろん高校で教養として外国語を勉強するというのはまた別の話である。高校くらいになれば、そういうことをしてもいいだろう。そこではもちろん英語だけではなくて、アジア近隣の言語を中心として、好きな外国語を勉強する機会が与えられるべきだろう。

ほんと、英語業界と文部科学省に騙されてはいけないよ。推理小説の殺人の真犯人を推理する場面ではないが、これでいったい誰が得するのかよく考えてご覧なさい。そいつらがこの風潮の真犯人。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『最終講義』

2011年09月08日 | 評論
内田樹『最終講義』(技術評論社、2011年)

最終講義-生き延びるための六講 (生きる技術!叢書)
内田 樹
技術評論社
自分はなぜこんなことをしているのかつねに問い続けている必要がある。よく言われることだが、それを実践することはそんなに簡単なことではない。こんなことを書くのは内田樹の「日本人はなぜユダヤ人に関心をもつのか」のなかで彼がなぜユダヤ研究と武道をするようになったかを自分なりに分析しているのを読んだからだが、度重なる反米闘争に負けた当時の敗北感から彼らを睥睨する思想と一体化したかったがゆえに、レヴィナス研究を始めたというのも、興味深い。

また「日本の人文科学に明日はあるのか」も興味深かった。とくに仏文学会(それだけではないだろうけど)における研究者のあり方を批判する論旨―いったい誰のために誰に向かって誰を背負って研究しているのかをたえず自らに問い続けていなければ研究者は堕落する―は、私のような愚かな者でさえも、たえず気になっていたことを、ズバリ指摘されたようで体が震えるようであった。本当に多くの「優秀な」研究者の多くの姿がここに描かれている。私などはそういう人たちの足元にも及ばないので、そういった範疇にさえ入らないが、研究の意欲ではけっして引けを取ることはないと思っていただけに、研究というものが本来持つ公共性を意識していなければ、研究そのものが堕落するという指摘は、実に深い。

私の父親は脱サラして苦労して畳の会社を起こし、さらにインテリアにまで手を広げて、ちょっとした規模の会社を経営していた。だから息子にもそれを継がせたかっただろうし、その息子が大学に進学したいと言い出したときには、経済とかを勉強してもらいたいと思っていたのだろう。それが直截に出たのは、息子が大学四年になって就職活動をする時期になったときのことだった。私に何も知らせずに、その地方の銀行(ということはもちろん父親の会社が資金のやりくりなどで世話になっている銀行ということだ)に私の就職内定をもらっていた。九月に大学院入試があって合格したことを知らせると、実はこれこれの銀行から内定をもらっているが断っておくと残念そうに言っていた。それにしても父親としては、どうして文学などというようなゼニにもならないことをやろうとするのか、わからなかっただろう。

私の大学時代はいわゆるニクソン・ショックというやつで、初めて就職氷河期を迎えた時代だった。いまのそれに比べたらたいしたものではなかったのかもしれないが、それまでずっと高度経済成長を続けてきて、右肩上がりの時代に合わせて、就職率だってたぶん100%だったのだろう。ところが、ニクソン・ショックで原油価格が高騰し、それまでのように無尽蔵にエネルギーを消費して生産をすることができなくなり、御堂筋線の駅なんか蛍光灯を間引いて、薄暗くなっていた。トイレットペーパーはスーパーからなくなるなどの騒動も起きた。そういう中で初めての就職氷河期を迎えた大学生たちは必死になって就職活動をしていた。そういう状況で銀行の内定をもらえたということは別世界のような話だった。もちろん銀行の権威もそのころはまだあって、今のようにボロボロではなかった。

たぶんそういう世間の地は這うようなコセコセした生き方を見下しているようなところがあったのだと思う。文学なんて言うようなまったく金にならないような学問をすることに意義があると思っていたような気がする。そういうものの考え方そのものがそういった時代の影響を受けているということもわからずに、時代の影響を受けないような超越的なことがしたい(文学研究にさえそんなものはありはしないということも知らずに)と思っていたようだ。

それにしても「日本はこれからどうなるのか」の北方領土と沖縄問題のところを読み出したら、「箸がとまらない」。これからしないといけないことがあるのに。またあとのお楽しみにとっておこう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上さんが作った布ぞうり

2011年09月04日 | 日々の雑感
上さんが作った布ぞうり

我が家はマンションで、一室ある和室以外はすべてフローリングしてある。夏は素足で歩くのももちろん気持ちよくていいのだが、風呂上りだとか足がベタベタするときにはやはりスリッパのようなものを履かねばならない。そういうときに、布ぞおりがあるといいなと前々から思っていたのだが、やっと上さんが作ってくれた。左に小さいのは、孫用。

初めてにしてはなかなかの出来だと思う。ぼろにするようなものはいくらでもあるし、私の部屋には物置みたいに3つくらいの大きな袋にいれておいてある。だが、布ぞおりを作るにはある程度同質の布が、たとえばシーツ一枚分くらいはいるようで、結局、私の分を作るのに、押入の奥に入れてあった古いシーツを探しだして、作ってくれた。

江戸時代には着物は何度も持ち主を変えたあと、もうボロボロになったら雑巾にでもなるし、オシメにもなるし、いろんなものになって、最後は燃やして灰にして、農家が使うということになったのだろうけど、今は流行に左右されて買ったはいいが、数回しか着ていないのに、もうたぶん一生着ないだろうというような服が山ほどある。人に上げることもできず、捨てるのももったいないし、結局は、切って食器の油を拭きとったりするのに使うくらいしかできない。

私なんかは気に入った服は何度でも着るというたちなので、あの人いつも同じ服を着ているように思われないようにするために、クローゼットにかけてある服を順番に着ていくようにするなどしているが、近くにあったユニクロがG.U.とかに変わってからは買いたいものがなくなって最近はあまり新しい服がクローゼットに供給されないので、本当に擦り切れ状態になりつつある。なんとかしなければ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ギリシャ神話入門』

2011年09月01日 | 人文科学系
吉田敦彦『ギリシャ神話入門』(角川選書393、2006年)

ギリシア神話入門―プロメテウスとオイディプスの謎を解く (角川選書)
吉田 敦彦
角川学芸出版
副題に「プロメテウスとオイディプスの謎を解く」とあるとおり、プロメテウス神話とオイディプス神話やそれを題材にしたアイスキュロスやソフォクレスの悲劇作品の詳細な解説と、それらの神話を当時のギリシャの現実におきた出来事と関連させて解説がなされている。入門というタイトルどおり、読みやすくわかりやすい本である。

ギリシャ神話というのはとにかく複雑すぎてわかりにくい。とくに縦軸にそって解説されることが多く、横軸は縦軸から離れるとちょっと名前が出てくるくらいで、あれこの英雄とこの英雄は同じ時代の人たちだったのかと、びっくりすることがある。たとえば今回のオイディプスの最後にはテセウスが出てくるといった具合だ。ただこれは英雄の場合で、神々は不死なのでどこに出てきてもおかしくはないのだが。

ゼウスから火を盗んで人間に与えたことで罰を受けることになったプロメテウスの話は有名だが、パンドラがその罰の一つとしてプロメテウス(というか直接には弟のエピメテウス)に与えられ、人間が女をもつことになったという神話と結びついているというのは初めて知った。それも土と水からアフロディーテそっくりに作られたというのは、なんだか聖書の話にも通じるようなところがある。パンドラの話は有名なパンドラの箱のことしか知らなかったので、それがプロメテウスと関係しているとか、パンドラが人間の女の最初の先祖にあたるということも知らなかった。

しかしプロメテウスとゼウスの騙し合いの戦いを見ていると、生き馬の目を抜くような現代社会の有り様を見ているようで、人間の本質というものはすでに古代ギリシャ時代からこのようであったのだろうかと暗澹たる気持ちになる。ヘシオドスがこうした神話の一方で『仕事と日々』のようなものを書いたり、あるいは時代は変わるがローマ時代になるとウェルギリウスがアエネアースのような冒険活劇のようなものの一方で牧歌を書いているのは、すでに彼らの時代から、激しい権力闘争のような現実生活があり、それから逃避願望として牧歌に描かれるような田園生活を夢見ていたのだろう。

私のようなものが、日々の仕事の合間に、不可能なことながら、引退したら、どこか山の中の庵にでも住みたいなと夢見るのも当たり前なのだなと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする