読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『龍馬を超えた男 小松帯刀』

2009年06月27日 | 人文科学系
原口泉『龍馬を超えた男 小松帯刀』(グラフ社、2008年)

NHKの「篤姫」が終わって半年たった今頃になってやっと図書館からこの本の連絡が来た。順番待ちをするのは嫌だという人の気持ちが分かる。今頃になって小松帯刀といわれてもねぇ。しかし篤姫もしらなかったが、龍馬をかくまったり、西郷や大久保の先頭にたったりと、これまで知られていなかったけれども明治維新に重要な役割を果たした人物のことを、せっかくの機会だから知っておいたほうがいいんじゃないの、という気持ちだけで読みはじめた。

鹿児島県人だったら西郷と同時代にこんな優れものがいたのかと狂喜しそうなことが満載である。諸藩のなかで唯一幕末に藩上層部と下級武士のあいだで対立が起きなかったのは薩摩だけだということだが、これだっていわば明治維新にいたる改革を先導したのが城代家老の帯刀だったからで、藩が先頭になって改革を進めてくれるというなら下級藩士たちにとってはいうことはないだろう。

私はこの点については明治維新もののドラマなどを見るたびに思っていた疑問―どうして薩摩藩は藩主の久光と西郷や大久保などの下級武士のあいだがすんなりまとまっているのだろうか―がこれで氷解した。なるほど帯刀のような人物が藩主のそばにいて、藩をとりまとめていたのだなということ。それだけでなく、そうしたまとまりを作り出せるだけの財政的な裏づけも殖産や貿易などによって作り出していたのだ。

さらに江戸末期の激動を大政奉還から王政復古という道に進めたのは帯刀のようだ。もちろん彼一人が社会を動かしたということではなくて、勤皇、幕政改革、尊王攘夷、開国など収拾がつかないような情勢のなかでうまく道を切り開いて先導役をつとめたという意味である。もちろん幕府側には勝海舟という先見の明のある人物がいたり、改革側には西郷や龍馬のような人物がいた上で、かれらを取りまとめる役として帯刀が重要な役割をはたしたということだ。

この本でも指摘されているが、どうしてこれほどの人物がこれまで知られてこなかったのだろうか。西郷や大久保は明治新政府の推進者であったり暗殺されたり西南戦争で自害したり、また龍馬もテロにあって死んでいる。帯刀は病死だったというところが彼らと違う。そういうものなのだろうか?でも勝海舟は長寿を全うしているぞ。なんか分からないけど、やはり正当に評価されてしかるべき人物が正当に評価されない歴史学はおかしい。もっと本格的に研究されるべきだと思う。

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蔵王峠

2009年06月26日 | 自転車
蔵王峠

何度もこんなことを書くと、狼少年みたいに、だれにも信用されなくなりそうなので怖いが、本当にこれで南大阪ヒルクライムの完了。

なぜ高野山のときで完了と書いたかというと、蔵王峠というのは、大阪側は悪路で有名で、ロードバイク向きというよりもMTB向きの道だから、上るのにあまり意味がないからだ、なんていうのは意味のないいいわけになるだろうか。ローディーのブログを読んでいると、よく出てくるのだ。ただし大阪側からみんな上っているわけではないけどね。

先週の土曜日に午後から用事があったので、午前中だけということで、久しぶりに滝畑ダムに上った。本当に初めて上ったときのことが嘘のように軽く上って、まだ時間があったので、ついちょっと蔵王峠方面に行けるだけ行ってみようと思い、走り出した。ダム湖の尻にある食堂を確認し、細くなった道を進む。そばには清流がながれ、家族ずれがキャンプを楽しんでいる。

そういえば、子どもたちが小さかった頃に、知り合いの家族とここに遊びに来たことを思い出した。そのときのこのあたりのイメージがいま目の前にしている姿とあまりに違っているので、すっかり思い出すのに時間がかかった。もっと広々とした川原の思い出なのだが、実際には渓流の雰囲気である。

さらに細い道を進む。とても車がきたら、そのまますれ違うことはできない。私のほうが止まって脇によけなければならないだろう。だいぶ進んだところ、ちょうどキャンプ場の事務所があるあたりで工事をしており、引き返す時間でもあるので、先週はここで引き返えしたのだった。

今日は8時12分に出発して、9時10分にダム売店に到着。いつもだいだい1時間くらいだ。もう売店が開いていたのでおにぎりかパンでも買おうと入る。予想通りおにぎりはない。パンがあったのでそれを買って食べるが、あまり腹持ちがいいとはいえない。

9時22分に売店を出発。先週来たところを過ぎると、すぐに急坂。8%か9%はありそう。ダンシングでやりすごす。あとはゆるめの坂がつづくが、うわさどおりのすごい道だ。ダートでははないが、舗装がもうぼろぼろででこぼこ。砂、枯れ木、小石が満載。上りはゆっくりだからいいけど、この道は下りには使えない。二・三度短い急坂があっただけで、意外と簡単に峠に10時着。たぶん峠の中では一番簡単な部類だろう。この道さえどうにかなれば。林間コースで涼しいから夏なんかいいのだが。

峠でどら焼きを食べてから、和歌山県側に下る。堀越観音の標識があちこちにある。よほど有名なお寺なのだろう。また機会があれば行ってみよう。和歌山県側は道はいいが、急だ。あっという間に紀ノ川まで下りて、川を渡り、左折して、東に進む。今日はここまで軽く来たので、金剛トンネルの和歌山上がりをすることに。紀ノ川沿いを東進。途中のローソンで買ったアイスが冷たくてうまい。何度も24号線はこちらの標識があり、そちらに行きそうになるが我慢して168号線との合流地点まで来て北進。五條市内を横切って、金剛トンネルへの道を上り始める。一応覚悟はしていたのものの、さすがに和歌山側は急できつい。やっとのことでトンネルまで上がった。1時間近くかかっただろうか。やっぱ疲れているときにの帰りにはこの道は使えない。紀見峠を上るしかなさそうだ。ちょっと休憩して、2時前に無事に帰宅した。

走行時間4時間51分。走行距離89Km。


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『凍える島』

2009年06月25日 | 作家カ行
近藤史恵『凍える島』(東京創元社、1993年)

第4回鮎川哲也賞受賞作で、たぶん近藤史恵のデビュー作なのだろう。デビュー作だから、大家の円熟期の作品なんかと同列に扱うことはできないのだろうけど、こういう小説を読むと、推理小説っていったい何なのだろうと思う。

この小説では謎解きは問題にならない。つまり謎解きの興味を読者に与えるような小説ではない。そもそも殺人事件の謎解きをするには殺人の動機に対する情報だけでなく、どんなふうにしてアリバイ工作ができたのかということについての情報が少なすぎる。たいていは探偵役がいて、その探偵役が集める情報を読者は利用していっしょに謎解きをすることになるのだが、そもそもそのような役を担っている人物もいない。

では謎解きの面白さではなくて殺人にいたる人間関係にフォーカスして現代社会の暗部を明るみに出すような作品なのかというとこれもまたそのようなことを目指した作品ではない。

結局、私にはこの小説の何が面白いのか、さっぱり分からない。

この回の選考には貫井徳朗の「慟哭」が残っていて、受賞作にはならなかったが、これがきっかけでデビューしたことは以前に書いたことがある。こちらは、たしかにモンタージュ破りの構成で問題ありといえるが、それなりに管理社会・無差別殺人社会ともいえる現代人の病理を描き出しているという意味では興味深い作品であった。

まぁ、その後次々と面白い小説を書いてきた近藤史恵だから、私的にはいいけど。しかしこんな小説だけで、彼女の将来性を見て、受賞作におした鮎川哲也の慧眼には驚く。


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『自由の子どもたち』

2009年06月24日 | 現代フランス小説
Marc Levy, Les enfants de la liberte, Editions Robert Laffont, 2007
マルク・レヴィ『自由の子どもたち』(ロベール・ラフォン書店、2007年)

自由の子どもたちとは、第二次世界大戦でフランスを占領統治したナチス・ドイツに対抗して運動したレジスタンスの闘士たちのことを指している。

南フランスのトゥールーズ近郊の町でレジスタンスに参加していたジャノことレイモンと弟のクロードが、ナチス・ドイツにつかまって他のレジスタンス闘士たちとともにドイツに連行される途中にフランスが解放され生き残り、ジャノの子どもが18歳になったおりに行われた記念式典にともに参加したのを機会に、自分の過去を息子に語るという体裁になっている。

一貫してジャノの視点で書かれているが、もちろん彼が知りえなかった出来事まで書かれているので、きっと語りの現在を息子に語っている時点においており、解放されてからジャノが知ったこととしてそれらは語られている。

レジスタンス活動の回想だからと言って、決してフランスに自由を取り戻したのは俺たちだ式の勇ましいものというわけでもないし、逆にナチス・ドイツによる拷問や死刑がいかに悲惨だったかを売りにしたような文章になっているわけでもない。淡々とした語り方が、最初は、この「自由の子どもたち」というのが何を指しているのか分からなかったこともあり、まさかあのレジスタンスの話とは思わなかったというのが正直なところだ。

あまりにも淡々としているだけでなく、この主人公のジャノの性格なのだが、いまのフランスはナチス・ドイツに占領され自由もなく、しかも自分はレジスタンスの闘士としてつかまったらすぐにでも殺されてしまうような状況にあるという自覚がないのか、あるいはだからこそなのだろうが、時にはそうした現実から逃避するかのように、夢のような話になってしまうことがしばしば。

たとえば、マルセルというスペインからやってきた闘士がナチにつかまり裁判にかけられて死刑にされるという事件が起こる。裁判の様子や死刑執行の日の様子などもかなり克明に書かれているので、けっこう深刻な場面であるのだが、それからしばらくして、ジャノがダミラというイタリア人娘とカフェで待ち合わせする使命を与えられて出かけると、このダミラに惹かれてしまい、彼女とイギリスで幸福な生活を送っている自分を思い描いてしまう。そんな若者なのだ。

このレジスタンスの活動そのものがけっこう幼稚な側面をもっていたことも書かれている。このあたりのことは作者自身が意図的に書き込んだのだろうと思う。たとえば、ジャノの初めてのミッションが自転車泥棒だったり、ドイツ人将校を射殺することだったが、なんとかうまく射殺したものの、自分のしたことに驚いて拳銃を落としてしまい、貴重な武器を失ったとか、食べ物が十分にいきわたらず、闘士たちは貧しい食事を我慢していたが、ときどき我慢できなくなりレストランで食事をすることがあり、だがみんなが行くと一網打尽でつかまるので、けっして行かないようにと指示されていたのに、弟のクロードに、みんな指示を守って行かなかったら、僕たちが行ってもだれにも分からないよと言われて、行ってみると、みんなが居て、もう席が二つしか空いていなかったとか。

上記のマルセルに死刑判決を出した検事のレスピナスを殺してマルセルのかたきをうとうということになり、電話帳でレスピナスの住所をしらべて、張り込みをして、彼が毎日どれくらいの時間に帰宅したり家を出たりするのかを調べて、暗殺の場所や時間を用意周到に準備したつもりだったのに、いざ決行という直前にジャノは電話帳に載っていたこのレスピナスというのが同姓同名の別人だったということに気づき、あと一歩というところで別人を殺さなくて済んだ、などなど。

しかしこれを滑稽と思うのはまさに歴史の流れということを無視しているからだろう。いまから思えば幼稚なことであっても、そのコンテクストの中では必然性があったことなのだ。だから「私」は話の冒頭で次のようにいましめる。

「いいかい、私たちが生きていた状況というものを理解しなければいけないよ、大事なことなんだ、状況というものは、たった一つの文章だってね。この状況を離れたら、その文章は意味が変わってしまうのがたいていなんだから。」(p.17)

1961年生まれの作者のマルク・レヴィという人はずいぶんと行動派の人のようで、18歳でバカロレアを取ると同時にフランス赤十字社に入り、6年間交通救急師として活動をしたり、パリ近郊の県の責任者をしたりした。その間にパリ大学のドフィーヌ校で情報学や管理学を勉強している。またロジテック・フランスなんて会社を起業したりしているというからすごい。その後もいくつかの会社を興しているが、結局失敗して、29歳のときにパリにもどる。37歳のときに、将来息子が読んでくれるという予定で書いた「もし本当だったら」という小説がロベール・ラフォン書店に認められて2000年に出版され、同時にスピルバーグの目に留まり映画化された。それが『恋人はゴースト』(2005年)。

そういうわけで小説を出すたびにたいへんな売れ行きという人気小説家らしい。とくに『自由の子どもたち』は出版と同時にベストセラー入りをして、50万部を売ったとのこと。今年の6月25日には彼の第9作目Premier jourが出版予定というから、フランスではけっこうホットな作家のようだ。

マルク・レヴィのオフィシャルサイトはこちら

マルク・レヴィの邦訳はたくさんある。『夢でなければ』(早川書房、2001年)、『永遠の七日間』(PHP研究所、2008年)、『あなたを探して』(PHP研究所、2008年)、『ぼくの友だち、あるいは友だちのぼく』(PHP研究所、2009年)、『時間をこえて』(PHP研究所、2009年)がある。

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フランスの農業

2009年06月23日 | 人文科学系
フランスの農業

日本の農業は耕作面積、農業人口、生活レベル、どんな面をとっても壊滅的な状態にある。歴代の自民党政権がアメリカの農業開放要求に屈して、農産物の自由化をおし進めてきた結果、大量の安い中国・米国の農産物によって日本の食卓は席巻されてしまったからだ。自給率30%なんて、中国やアメリカに喉元を締められているのと同じではないか。

他方、フランスも農業人口は減少して、労働人口に占める農業人口の割合は1960年の22%から2000年の3%と激減している。しかし一戸当たりの平均農地面積は1960年の17hから42hに増えているし、その多くは100h以上の企業経営のような農家の割合が増えている。その結果、フランスではほとんどの農産物が自給率100%を超えており、EU諸国の食料庫といっていいほどなのだ。とくにEUの全産出量のうちフランスが占める率は、小麦で36%、とうもろこしで40%、牛肉で22%、ワインで33%である。

まぁ、フランスの地図を見てもらえば分かるけれども、アルプス山脈とピレネー山脈というスイスとスペインとの国境線あたり以外には農耕ができないような土地はない。つまり国土のほとんどが農地に適している。だから100h以上の企業経営のようなことが可能なので、一律に日本と比較はできないが、それにしても農業を保護しようという政府の立場があればこそこれほどの農産物自給率になっていることは明らかだろう。

貿易摩擦を起こしている自動車や電化製品のために農業を切り捨てる日本の歴代政府とはまったく政策が違う結果が、この数字である。

パリから電車で30分もいくと、えんえんと小麦畑やワイン畑が広がっているのを見れば、フランスが農業国であるということはすぐ分かるが、やはり地方地方で特産の食べ物などもあって、旅行をするときはそれはそれで楽しい。

北だと生牡蠣にレモン汁をかけて食べるのがおいしい。ノルマンディーあたりだとリンゴの産地なので、リンゴから作ったシードルという酒や、これを蒸留して作ったカルバドスなんて酒も、日本では余り知られていない。

シャンパーニュ地方はいわずとしれたシャンパンだが、ランスあたりではシャンパンの会社の地下がカーヴになっていて、ツアーできるし、もちろん試飲もできる。東フランスはドイツに近いこともあり、シュークルートという塩漬けキャベツや、ベーコンをのせたキシュ・ロレーヌというタルトなんかも美味しい。私はブダンというソーセージだけはどうしてもなじめないが。

ワインで有名なブルゴーニュでは赤ワインで牛肉を煮込んだブール・ブルギニョンという料理がある。リヨンは美食の町として有名で、旧市街にあるレストラン街なら、どこでも美味しい料理が楽しめるから便利だ。

南フランスではなんといってもブイヤベースだろう。なんでも最低でも4種類の魚を丸ごと煮るとか。私はまだプロヴァンスでブイヤベースを食べたことはないので、一度味わってみたい。知り合いがカトーズ・ジュイエにブイヤベースを食べに、パリからわざわざマルセイユまでTGVで出かけて、入ったレストランでぼったくられたという話を聞いたことがあるので、まぁ評判のいいところに入るほうが賢明かも。

西のほうではボルドーのワイン。カベルネ・ソーヴィニョンという葡萄の種類を使っているので、滓が多く、それをグラスに流れ出さないようにするために、いかり型のボトルになっているのがボルドー・ワインの特徴らしい。このあたりはフォワグラとかトリュフという珍味の産地でもある。フォワグラは、味付けをしてパテのようにしたものをトーストに塗ってワインといただくだけでもけっこういける。


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『親の顔が見たい』

2009年06月21日 | 舞台芸術
劇団大阪『親の顔が見たい』(作・畑澤聖悟、演出・熊本一)

毎年恒例の「大阪春の演劇まつり」の一環として劇団大阪が『親の顔が見たい』を上演しているので見に行った。

東京にある私立の伝統校の星光女子中学で2年3組の道子が教室で首吊り自殺をする。第一発見者の担任である戸田先生にもとにはその日の夕方に道子の遺書が郵送されてくる。その中に五人のクラスメートの名前が書かれていたことから、この五人は学校に呼ばれて、別々の部屋で事情聴取を受け、そのあいだに彼女たちの父母(保護者)が呼ばれる。舞台は保護者たちが集められた進路指導室で進行する。登場人物は、校長、2年の学年主任、担任、五人の保護者たち。五人の中学生たちは彼らの会話のなかには出てくるが、登場人物にはならない。

「親の顔が見たい」というタイトルが予想させるように、テーマは学校でのいじめとそれによる自殺というものだが、いじめのありようが主題というわけではなく、いじめた側そしていじめられた側の保護者(両親ばかりでなく、片親だけというところや、祖父母が育てているところもあるので保護者ということ)が何をしたのか・どういう対応をしたのか・こんなときにどんな反応を見せるのかということがこの作品の主題である。

作品そのものはよくできていると思う。一気にいじめの実態を提示するのではなく、自殺した道子が自殺前に遺書としてあちこちに送った手紙が次々と出てくるとか、それまで知っていることを黙っていた保護者の一部が実は知っていたことを告白するというかたちで、真実が徐々に明らかになるように作られている。

最初は弁当に泥を入れられたとか服をゴミ箱に捨てられたというような程度のことと思わせておいて、それで自殺するのは自殺する側にも問題があったのではないかと保護者たちに言わせる。そして道子の親も片親でその母親が朝早くからパートの仕事に出ているというようなことや道子自身が学校で禁止されているアルバイトをしている事実が出てくると、それを口実にして五人のクラスメートのしたことをなんとか正当化しようとする保護者たちの醜い姿を見せる。

だが、道子がアルバイトをしていた新聞配達店の店員が道子の遺書をもって乗り込んできて、五人にむりやり服を脱がされて裸の写真を撮られたとか、売春をさせられていたなどという事実が明るみにでると、そのことを知らせたこの新聞配達員の見かけ(金髪に髪を染めているなど)を正当化の理由にしようとする。

結局、五人が事実を認めないのだから、いじめの事実はなかったと主張したい保護者の一部に対して、別の保護者が自分が娘に黙っているように、また証拠の携帯データはすべて消去するように指示したのだと名乗り出ることで、事実を否定することはできなくなって、話は終わる。

このように見てくるとこの劇の主題はいじめということを通してみた親子の問題を主題にしていることが分かってくる。

劇団大阪の谷町劇場は小さなスペースだが、今回はぐるりを客席にして、まんなかに長いテーブルをおいた配置になっており、この演出が新鮮だった。しかし俳優さんの語り口の特徴というのはどんな役をやっても変わらないものなのだなと、劇団大阪を何年も見ていて思う。

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脳死

2009年06月19日 | 日々の雑感
脳死

昨日の衆議院本会議で、脳死を人間の死とするということが決まったらしい。私は脳死を人間と死とすることには反対である。

第一に、脳死ということ自体が本当に脳死なのかどうか疑わしい。いったいなにをもって脳死というのか、いわゆる自分を自分として認識できるような大脳の部分が機能しなくなった場合に脳死というらしいが、しかしそれだって完全な脳の死とはいえず、だから、脳死と言われながら、体をコントロールする機能は残っていて、妊婦が出産をしたり、体が成長したりということがある。

第二に、そういう疑わしい脳死規定にもとづいて、脳死だから死んでいるんだという規定をすることは疑わしきに輪をかけて疑わしい。現実問題として上にも書いたように、脳死だと言われながら、出産したり、体が成長している場合がほとんどなのだから、それは死とは言えないのではないだろうか。そういうことが可能ということは、脳の一部が生きていて、そうしたことをコントロールしているからであって、そうであれば、それは死んでいるとは言えない。

第三に、にもかかわらずそれを死んでいると規定するのは、議論の仕方が臓器移植ありきということになっているからで、本当に人間の死とは何かを議論したからではない。なんとかして生きている心臓を取り出して移植したいから、脳死は人間の死だと規定して生きている人間を死んでいるとみなしたいのではないか。それは本末転倒というものだ。

こんな規定が通ってしまったら、「あなたのお子さんは脳死です。お亡くなりになりました」と医者から言われて、「いやこの子はまだ生きている」と言って家に引き取って看病し続けたら、死体隠匿とか言われるのだろうか? もちろん死体に医療をほどこすなんてことはありえないから医者からも生命維持のための医療を拒否されることになるのだろうか? きっと医者は医療を拒否するだろう。死者に医療をほどこすなんてありえない。

心臓が止まったという本当の意味での死の場合でも、生き返ることがあるかもしれないということで、まるまる一日は荼毘にふすことができないのに、生きているのに、脳死だから、早く心臓を求めている人に移植しないといけないということで、切り刻まれてしまうなんて、信じられない。

第四に、もし脳死は死だということになれば、闇で脳死者の臓器売買が行われるようになるのではないか。現在は脳死は死ではないから、脳死患者の臓器を売買すれば、犯罪、しかも殺人罪になるが、脳死が死だということになれば、闇で脳死者の臓器を売っても、それは殺人罪にはならない。どの程度のことになるのか私には分からないが。通常の臓器提供はたぶん無料のはずだから、闇で売買しようとするやからが暗躍するようになることは目に見えている。

最後に、では脳死を死と認めないのなら、心臓移植でなければ助からないような人たちの助かる命も助からないではないかという反論には、私は答えるつもりはない。

すべての生命は、動物であれ植物であれ、ほかの命の死の上にその命を維持している。人間だって野菜という生命や家畜という生命を屠って生命を維持している。にもかかわらず、殺人が許されないのはなぜなのか考えてみて欲しい。

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『映画音楽 時の流れとともに』

2009年06月18日 | 評論
関光夫『映画音楽 時の流れとともに』(日本放送出版協会、1973年)

最近、映画音楽のことについてあれこれ考えている。映画というのは、たとえば人物の描写にしても、ちょっと専門用語が分からないので、素人書きをするが、ずっとカメラを引いて遠望というのか、遠くからバックにある自然なんかも入れて写す方法もあれば、アップにして顔の表情だけで内面を表そうとするような方法もある。それに音楽がつけば、人間の内面を表現するのにこれ以上の方法はないというくらいに、効果があるだろうし、そういう方法は現在では当たり前のように使われているが、はたしていったいどれくらいの時期から音楽がそのような使われ方をし始めたのだろうかということが知りたいとおもった。

この本を読んでみると、最初のサイレント時代やトーキー時代も初期には、どんな音楽をつけるということはまったく映画監督の念頭になく、映画が出来上がってから、適当に既成のクラシック音楽をつけてみたり、音楽家に作曲を頼んでみたりしていたらしい。つまり映画の主題―それは多くの場合に主人公の内面によって表される―を表現するために音楽が必須だという意識は当初は、というかかなり最近までなかったようなのだ。

やはりそういうところまで考えた映画監督のさきがけはチャップリンらしい。音楽の担当を委ねられた音楽家が喜劇の音楽は、こっけいなものしようと提案すると、チャップリンは「音楽はあくまで情緒をあらわすため、ドタバタ喜劇に対する優雅と魅力の対立的なあり方の裏づけとして使いたい」と主張したらしい。この引用部分がいったいどこから引かれているのか分からないが、この本の参考文献に挙げられているから、たぶんチャップリン自伝あたりではないだろうか。チャップリンがここで言いたいことは、ドタバタ喜劇だからこっけいな音楽というのではなく、音楽が優雅さと魅力をもったものであればあるほど、その対極にある映像―どたばた―の滑稽さが生きてくるし、その滑稽さに哀れみのような感情が付随してくるということではないだろうか。『キッド』なんかに見られるような、生きることの滑稽と哀しみを表現するものとして音楽を考えていることがよく分かる。

これは映画ではないが、1973年の市川昆監督のテレビドラマ『木枯し紋次郎』でも音楽がすごかった。音楽を担当していたのは湯浅譲二だったと思うのだが(YouTubeで確かめたらやはりそうだった)、もう前衛的というか、バイオリンの弓を弦に押し付けてギギーと鳴らすとか、裏で何か起きているぞということを予感させるために、何の音か知らないけど、カタンカタンと不協和音を二つ鳴らしてみるとか、とにかくいままでのテレビドラマで聞いたこともないような音が満載でそれが、これまで見たこともない泥まみれの渡世人像にピッタリだったのだ。

また私たちのよく知っている日本映画ではなんといっても黒澤監督の音楽にたいする執着は有名のようだ。この本では「映画は画と音の芸術だと考え、音楽が、撮影終了後、雰囲気作りに適当に投げ込まれるものではないと考えている黒澤のような監督」(p.254)と書かれているから、映画音楽というものを映画の一部としてとらえていたのだろう。ただ黒澤監督の音楽というのはクラシック一辺倒なので、その辺がどうなのかなと私は思う。そういう意味では一緒に仕事をした音楽家はたいへんな苦労だったのだろう。武満徹あたりも後期の黒澤映画で仕事しているが、多くを語らないのは、その辺の苦労が大きかったからではないだろうか。黒澤監督と映画音楽の関わりについての本を知り合いに紹介されて以前読んだことがあるので、もう一度読み返してみたいと思っている。

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『乳と卵』

2009年06月17日 | 作家カ行
川上未映子『乳と卵』(文芸春秋、2008年)

芥川受賞作であるが、まぁそんなことはどうでもいい。私は『わたくし率イン歯ー』こそが芥川賞をもらうべき作品だと思っている『わたくし率』にくらべるとぶっとびかたが足りないから、まぁなんとかこれで選考委員たちの気持ちも胸をなでおろした、というところだろうか。なんとか受賞作にしてもあれこれ言われないですむというところだろう。

『乳と卵』の山場の一つは、何と言っても豊乳手術をしようという若い女性に別の女性がそれは男性中心主義的イデオロギーにあんたが丸め込まれているからや、いったいどうして大きな胸のほうが貧乳よりもいいと思うようになったのかそのいわれをきちんと考えたことあるのかという議論を「私」が思い起こすところである。ちょっとフェミニズム思想をかじったことのあるものならだれでも言い出しそうな言説ではあるが、それが突然、ヤンキーみたいにぶっとんだものいいをする若い娘の口から出てくると、それはそれでじつに新鮮な意味合いをもつようになる。そうやそうや、ほんとに私ら、当たり前に自分で考えてやっていると思っているようなことでも、じつはイデオロギーっていうん、コーロギーちゃうで、秋になると空き地で鳴いているやつな、あれじゃなくて、なんでいうたらいいんかしらんけど、というような感じで、ぶっとんだ話になるのが、この小説ではこの箇所だけなので、本当に貴重な場面であろう。

さらに、この小説の第二の山場は、なんといっても緑子の日記というかメモというか、そういうエクリチュールだろう。そこに見られるのは心身分離症とでもいえるような状態である。緑子は自分の意識と自分の身体をまったく別のものとして理解している。

「その日は一日不思議な感じやったのを、覚えてる。あたしの手は動く、足も動く、動かしかたなんかわかってないのに、色々なところが動かせることは不思議。あたしはいつのまにか知らんまにあたしの体のなかにあって、その体があたしの知らんところでどんどんどんどん変わっていく。」(p.46)

緑子というのは作者川上未映子のまさに自分自身が12・3才くらいのそうであった心身分離の状態を書いているのだろうと思うのだが、たしかに男にも体の成長に心のほうがついていかないようなときがあるものだし、夢精などといって、突然びっくりするようなことが起きたりするし、それはそれでだれにもいえないようなことであったりするので、一人でもんもんとするものもいたりするのだが、女の場合は、またもんもんの仕方が違うのだろうということがこうした小説を読むと分かる。

それにしても突然に生理が始まったときの対処の仕方をリアルに書いてみたりしてあるが、そのときの女性の心理、うっとうしいなというような気持ちはたぶんそうだろうなとは分かるが、それはまた実際には別物なのだろう。

それにしてもこの小説では女であることはなんとうっとうしことであるかというように読めるのだが、もしそうだとすれば、現代の女性がもし自分たちのことをそのように思っているとすれば、それはそれで男性中心主義的イデオロギーにまみれているということなのだろうか。

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『カルメン』

2009年06月14日 | 舞台芸術
ビゼー『カルメン』(河内長野マイタウンオペラ・不朽の名作シリーズvol.1)

13日ラブリーホールでビゼーの『カルメン』を観た。指揮は牧村邦彦、オーケストラは大阪シンフォニカー交響楽団、演出は中村敬一、カルメンは田中友輝子、ドン・ホセは松本晃、エスカミーリョは松澤政也、ミカエラは木澤佐江子であった。

だれでも聞いたことがあるあの序曲(たしか「ウォーターボーイズ」のなかで使われていたよね)、そしてメインテーマのように何度も使われる闘牛士エスカミーリョのテーマで、超がつくほど有名なオペラで、フランスのオペラといえば、たいていの人はこれしか知らないのではないだろうか。

たぶんこれは観客だけでなく、出演する側も、フランス・オペラといえば『カルメン』で、これをやったことがなければ、フランス語オペラも初めてということのようだ。事実、配布された冊子のキャスト紹介のなかで多くの歌手が、フランス語は初めてでてこずったというようなことを書いている。イタリア語のような開口音に比べると、閉音も多いし、曖昧な母音も多いから、大音量で歌うにはきついのかもしれない。たしかにエスカミーリョの有名なテーマソングは変な歌い方に私には聞こえた。音がスムーズに流れていないというか、ごつごつした歌い方なのだ。聞いていてまったく乗ってこない。

このオペラはやはりスペイン人がやってこそ、と言えるような、まったくインターナショナルとは反するオペラだと思う。たとえばけっしてだれにも束縛されたくないというカルメンの自由奔放な生き方は、漆黒の髪をもち内部に熱い思いを秘めた、そう、たとえばペネロペ・クスルみたいなスペイン女性にぴったりの役柄だろう。なんか白色の西洋女とも違う、かといって従順な東洋女とも違う。そしてラテン系だから男だって自由奔放と思うかもしれないが、スペインの男性は意外とまじめな人が多い。たぶんカトリックの教育のせいかもしれないが、このドン・ホセのように、母親思いでまじめなのだ。だから、一度道を踏み外すと、今日で言うようなストーカー的な行動に出る。

ただパリ生まれでおそらくフランスから出たこともないらしいビゼーがどの程度スペインのことを知っていたかは分からないし、こうした自由奔放に生きる人間を主人公にしようとする意識は時代のものだと考えられる。1850年にクーデタによって第二共和制を倒して皇帝についたナポレオン三世は、パリの大改修工事(いわゆるオスマン・パリ市長によるパリ改造工事)やフランス国内の鉄道網の整備などインフラの整備を中心とした政策によって産業の育成・発展、雇用の創出を実現して、フランスに上げ潮の時代をもたらした。こういう産業発展時というのは同時に労働者の意識も変化していく時期であり、労働運動も活発になっている。フランス語版の『資本論』が出版されたのも、このオペラが初演されたのと同じ1875年だったというのは、偶然ではないだろう。

産業も発展し、労働者の意識も高揚したこの時代だからこそ、ジプシー女というどちらかといえばマイナーな社会的存在を主人公にしているけれども、殺されようが何をされようが、自分の思うように生きたいという、まさに新しい人間像をカルメンに託して表現していると思う。

今日は二階席で全体の見晴らしはよかったのだが、遠く用のメガネを忘れたために、役者の顔どころか、字幕さえあまりよく見えなくて、オペラに没入できなかった。演奏なんかはなかなかよかったんだけどね。

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