読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『服従』

2016年04月24日 | 現代フランス小説
ミシェル・ウェルベック『服従』(河出書房新社、2015年)

近未来の2022年のフランス大統領選挙の第一回投票で、移民排斥を訴えて急伸した国民戦線のマリーヌ・ル・ペン(実在の政党で実在の党首)とイスラム同胞党のモアメド・ベン・アッベス(フィクションの政党で党首)が第一と第二になり、決選投票になる。フランス人は、ファシストかイスラム主義者かという選択を迫られることになる。

この小説ではイスラム主義者のモアメド・ベン・アッベスが大統領になり、大学はイスラム化されて、イスラム教徒でなければ教員になれない。そのため主人公のフランソワは、まだ40代なのに(定年まで働いた場合と同じだけの)高額の年金をもらって退職するが、学長になったルディジェに説得されてイスラム教徒に改宗して大学教員に戻ることになる。

実際の議論は見ていないが、たぶんいろいろ議論のあるところだろう。たとえば、このような究極の選択を前にして、社会党(現在のオランド大統領の政党)やUMP(サルコジの支持基盤政党)がファシストよりはイスラム主義者のほうがましと考えるだろうか。フランス人のイスラム感情が根強いとすれば、棄権して、どちらの政権ができても打倒のための戦いを起こすだろうか。国民戦線にせよイスラム主義者にせよ、政権を取れば、そんな簡単に引き下がるわけがない。たぶん強権的な態度にでるだろうから、内戦のようになるのではないか。しかし今の国民に、社会党にそんな根性があるのか。

こんな小説を書き始めた限りは、ウェルベックは内戦という究極の結論も念頭にあったはずだが、彼はそんな結論にはしないで、大方の国民はおとなしくイスラム主義政権に「服従」するという結論にした。早い話が、フランス式の「長いものには巻かれろ」という物語である。

私にはまったく腰砕けの展開としか思えない。ある意味、ミシェル・ウェルベックもつまらないものを書くようになったなとがっかりするばかりだ。



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学習能力ゼロの安倍首相

2016年04月19日 | 日々の雑感
学習能力ゼロの安倍首相

熊本の地震災害の報道で流れてくる、避難所でシンドイ思いをしている人たちや自家用車の中で眠れぬ夜を過ごしている人たち、学校の校庭にSOSの文字を椅子で作って救援物資を求めている人たちの様子を見ていると、行政って学習能力ゼロだなとため息が出る。

20年前の阪神・淡路大震災のときは、あんな都市型の大規模災害は近年初めてだった。事態の重大性が分からず初動が遅れた村山首相はずいぶんと批判された。あれから防災・防災というようになってきて、行政も備蓄をしたり、防災訓練をしたりやってきただろう。

そして三陸沖地震のときは、あんな津波被害や原発災害も初めてだった。原発災害という困難な事態を前に菅首相もずいぶん非難された。これまた該当する行政ではそのための訓練や防災の準備がなされてきた、はずじゃなかったの?

地震は避けられない。予知もできない。せめて被災したときに、惨めな思いをしなくても過ごせるようにできないのか。

今回だって、安倍首相は迅速に復旧とかなんとか言っているが、口先ばかり。いったい何をしている?

被災地の行政は、ある意味、被災者である。だから行政にいる人たちだって家族の心配をしなければならないし、情報収集をしようにも、電気がなければコンピューターだって動かせない。道路が寸断されていれば、車を走らせることもできない。現地の行政に丸投げしてはいけないことぐらい誰だって分かる。

だから、少なくとも初動の3日間くらいは自分が熊本に入って、陣頭指揮を取り、十分な機動力を持てるように自衛隊から必要なものを集結させるとか、ヘリコプターを使って、情報収集をさせ、避難場所に必要なものを十分に送り届けるとか、テント村を作らせて、プライバシーが守れる避難所を設置させるとかということが、どうしてできないのか?自衛隊を動かすことはそれこそ首相にしかできないことだ。

自分が熊本入りができないのなら、緊急に代理の人間を投入すればいいことだ。それを通して、上記のような対策をどんどん打てばいいのだ。

国のトップとしてやるべきこともやらないで、今度は緊急出動する法律を作ろうとしているという話だ。そんなものなくても、やる気になればできるだろうに。国のトップが馬鹿だと苦しむのは国民だ。

こちらを見ると、安倍首相は学習能力以前に、今回の震災に本気で対応する気がないと論評されている。ホント、安倍って、TPPでもなんでも、平気で嘘を言う輩だ。
熊本震災問題はこちら
TPP問題はこちら
拉致被害者帰国問題はこちら
安倍首相の学歴詐称疑惑についてはこちら



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『学術書を書く』

2016年04月18日 | 評論
鈴木・高瀬『学術書を書く』(京都大学学術出版会、2015年)

私はすでに二冊の学術書を出版している。一冊目は博士論文をそのまま出版した。二冊目は学生向けに書きおろしたものを出版した。どちらも自費出版だ。

前者は文部科学省の出版助成に応募したが、不採用だったので仕方なく、自費出版にした。100万円以上かかった。博士論文は出版するのが常識だと聞いたことがある。もちろん課程博士ではなくて、論文博士のほうの話だが。随分と出費はいったが、出版してよかったと思っている。書評を1本書いてくれた人がいるし、引用回数は22回を数えるからだ。この分野の基本文献と認めてくれているのだろう。

他方、二冊目の本は、学生向けに書いたものなので、新書で出したいと思い、ある新書の編集部に送ったら、編集者の一人が読んでくれて、「私は出版する価値があると思うが、残念ながら編集委員会で通らなかった」と手紙をくれたので、それなりに意義はあると考え、格安の自費出版をした。

『学術書を書く』を読むと、私の出版経験のさいに、こうしておけばよかったなと思われることが浮かんでくる。たとえば、一冊目の学術書の場合、第一章の研究史が難しすぎる。この本でも研究史はできるだけアウトラインをざっくりとまとめるべきで、そうでないと読者が先に読むのをやめてしまうと指摘されている。

第二に読者を想定してから主題を決めるという、一見逆ではないかと思えることが指摘されているが、これもそのとおりだと思う。研究者、あるいは相当な「読書人」(職業専門家ではないが、マニアックな人たち)を読者として想定するのか、それとも学生向けなのかによって、主題を設定の仕方が変わってくる。一冊目は博士論文だったので、否応なく専門家向けになったが、それは一回きりだから、それ以降はこの点をよく考えねばならない。

いま三冊目を書いているところだが、専門家を相手にした本にしようと考えている。私が取り組んでいる分野は、マニアックな愛好家は専門家でなくても、知識が深いので、学生向けよりも専門家向けとして、しっかりした内容のあるものを書くほうが、受け入れやすいと考えたのだ。

それにしても編集者の目を通して書き直しや編集の提案をしてもらえるのが、本当はいい。著者の書き捨てはどうしても独りよがりになるし、読者の視点が欠落するからだ。だが、ただでさえ出版不況の昨今、いったいどこの出版社が持ち込み原稿など見てくれようか。この本では大学出版会が前提になっているが、これだって、その大学の専任教員でなければ相手にしてくれない。私のような名もなき研究者は自費出版するしかない。悲しいけれども、それが現実だ。


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中高年研究者のための最適デスクトップ環境

2016年04月16日 | 日々の雑感
中高年研究者のための最適デスクトップ環境

私はもう紙の辞書を読むのを諦めている。毎度まいどメガネを外して目を近づけないと小さなあの活字が読めないからだ。

私はもう外国語の本を読むのを諦めている。アルファベットは活字が小さくてそのままではとても読めないからだ。

ハズキルーペのようなものは使いたくない。視野が狭いし、メガネの上からメガネをつけると耳が痛くなるからだ。

こんな私だが、いま最高にストレスフリーなデスクトップで仕事をしているので、ちょっと紹介しよう。

まずパソコンのディスプレイ。これは横長のものにする。私が使っているのは、三菱の20型ワイド液晶ディスプレイだ。これだとワードファルのような、通常縦長で使うファイルは二つ並べることができる。最近なら15000円も出せば、24型が買える。これなら三つくらい並べることができるのではないか。

こうして左にPDF化した本を開き、右にワードを開いて、翻訳をしたり、左に参考にすべき資料を開いて、右のワードに書き込んでいくという作業がストレスなくできるようになる。

PDF化した資料は好きな様に拡大・縮小ができるので、遠視の進んだ中高年にもってこいである。

だから私はなんでもかんでもプリンター複合機でスキャンしてPDF化して使っている。

次は、日本語入力。これは標準でウインドウズについているMS-IMFなんか使ってはだめ。これは、学習機能がないから、何度同じ単語を入力しても、直近の変換候補が出てこない馬鹿な代物。有料のATOKもいいが、グーグルイMFがいい。無料だし、学習機能がある。

外国語、とくに英語以外の外国語をよく使う人なら、言語の入力はウインドウズに標準で付いているが、スペクチェッカーなどはないから、その言語パックをマイクロソフトから購入してインストールする。ただ無料で使えるオープンオフィス系のLibreOfficeというソフトなら、無料でスペクチェッカーや文法チェッカーもできるようになる。こちら


さらに辞書を使わずに研究活動をすることは不可能だが、いちいち紙の辞書を見ないでも調べるには、パソコンに電子辞書を入れるにかぎる。もちろん電子辞書は各種出ているのだが、それを検索してストレスなく調べるにはそれなりのソフトが要る。

そこで便利なのが、Logophileというソフト。これはオックスフォードやロングマンなどの英語の電子辞書、フランス語の電子辞書、医学事典などが使える。クリックして切り替えて、検索できるソフト。インストールの仕方も使い方も簡単。こちら

長い文章の形で意味を調べたい時にはグーグル翻訳もそれなりに役立つ。

以前はフランス語の本を読みながら、自力で入力をしていたが、無料のOCRソフトもある。プリンター複合機でスキャンしたファイルをこのソフトでワード化することができる。こちら

電子化された資料があればそれをダウンロードしてしまえば、上のやり方が使える。電子化された資料を調べるには、まずグーグル・ブックス、そしてそれぞれの分野で最も大量の資料を持っているサイトを調べる。私ならフランス国立図書館の電子化された資料をまとめているサイトなどである。もう手に入らないと思っていた本がこうしたサイトで見つかる。

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『サラバ』

2016年04月12日 | 作家ナ行
西加奈子『サラバ』(小学館、2014年)

圷歩(あくつあゆむ)の誕生から、精神的危機を迎えた30数才までを自伝風に描いた小説。テヘランで生まれ、まだ物心つかないうちに日本の大阪に戻り、小学校1年生のときにエジプトのカイロに引っ越しをして、そこで4年生まで過ごし、また大阪に戻り、高校まで過ごしたあと、東京の大学に入学する。卒業するが、コミュニティ紙のようなところに音楽その他のレビューを書くような仕事をして過ごす。髪の毛が抜け始めたのをきっかけに精神的危機を迎える。

夫にせよ、息子にせよ、または訪問客にせよ、人が喜ぶことに一生懸命になる母親、かつての婚約者を歩の母親とともに裏切ったことで心に傷を一生背負いながら生きてきたが、最終的に出家をした父親、生まれた時から「私を見て」と怒りに生きて、やっと30才になってであったアイザックのおかげで精神的安定を見出した姉。

語り口も面白いし、物語展開も波乱万丈だし、言うことないのだが、物語世界に入っていけない。別に作品の問題ではなくて、読者である私の問題なのだろう。義務感だけで最後まで読んだ。

だから、ここにも何を書こうかを考えあぐねるも、書きたいことが浮かんでこない。私のほうこそ精神的危機を迎えているのかもしれない。なんちゃって。

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万歩計の日々

2016年04月04日 | 日々の雑感
万歩計の日々

2月中旬に左足のふくらはぎに肉離れを起こした。それから約一月はジョギングはおろか、長距離を歩くこともままならなかった。今もジョギンは怖くてできない。それでウォーキングをしている。

10時すぎから、上さんと、一時間くらい歩くのが日課になっている。上さんも食っちゃ寝の日々なので、ずいぶんと体重が増えているからちょうどいい。

ジョギングコースの近くの村や畑の中を歩くと、車も来ないので、気楽でいい。帰りは、ジョギングでよく使っている池の周回コースを回ってから帰ってくる。今は桜が満開で、たくさんの人出だ。

ただいったいどれくらいの歩数になるものか気になりだしたので、万歩計を買ってみた。高機能はいらない。単純に歩数が分かればいい。

ということで、近くのダイエーのドラッグストアに行ったら、これしか売っていなかったけど、ぴったりだったので買ってきた。千円札だしていくらかお釣りがくる程度の値段だった。使い出してから2週間くらいになる。

上のコースで約1万歩になる。だから1万歩はわりと簡単に行ける。さらに駅前まで用事で出たりすると簡単に15000歩くらいになる。

一番多かったのは、高松旅行で金毘羅さん参りをした日だった。25000歩くらい行った。体的にはそんなにしんどくなかったのだが、体にこたえていたようで、次の日は足が痛くなった。

今は上のウォーキング以外はデスクワークが中心なので、1万歩程度だが、仕事が再開すれば、毎日2万歩くらいはいくだろうか。とりあえず普通に2万歩いけるようにしたい。ジョギングも再開しようか。

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我が家の盆栽たち

2016年04月02日 | 日々の雑感
我が家の盆栽たち


これが高松旅行で買ってきた長寿梅の盆栽。


幹のねじれ具合がなんともいい景色を出している。蕾がたくさん付いているので、これから開花が楽しみ。

じつは昨年から盆栽を始めていて、サツキとイチョウを挿し木してあった。
二年目には仕立て鉢に植え替えるのだが、今日植え替えした。


出来上がりのイメージがないままに植え替えを始めたので
ずいぶん苦労した。
最初からイメージをもっていないといけないことが分かった。

こちらは三年目くらいになるウメモドキ。


これからが楽しみ。


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