読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

2015年に読んだ本のベスト5

2015年12月30日 | 日々の雑感
2015年に読んだ本のベスト5

今年もベスト5を挙げる日が来た。今年は52冊の本を読んだ。小説がめっきり少なくなっている。映画と同じで、読んでみたけれど(映画館に見に行ったけれど)つまらなかったという経験をしたくないので、ついついよく売れている小説に向かう。すると図書館では長い間待たなければ順番が回ってこない。そのうちどうでもよくなってきて、ついつい興味深いタイトルの評論系に行ってしまう。それと小説の作品世界に入るのがだんだん面倒になってきている。作品世界にすーと入り込めないのだ。作品のせいにしているが、本当のところはどうなのだろうか。

1.白井聡『永続敗戦論』(太田出版、2013年)
戦後日本の根本的な異常さ―アメリカの従属国―をえぐりだし、読者に突きつけてくる衝撃の本。この現実を直視して、真の独立国となることから再出発しなければ、日本の将来はない。

2.須田桃子『捏造の科学者』(文藝春秋、2014年)
2014年を騒がせたSTAP細胞事件を詳細にまとめたジャーナリストの本。この事件のもう一人の渦中の人であった理研の笠井氏や若山氏ともメールをやり取りをする間柄だったジャーナリストだけに、当事者たちが公の場では言えないことをメールから読み取るなど、心の裏まで読み込んだ本だが、それでもまた小保方さんと笠井氏の心は闇の中だ。

3.呉善花『韓国併合への道』(中公新書、2006年)
いま「朝鮮ガンマン」という韓国ドラマを見ているが、その舞台はまさにこの本で扱われている開国前夜の朝鮮である。まだ開国派の人たちが、すでに明治維新によって近代化に歩みだした日本を手本として見習って、開明派の25代国王高宗を中心にして改革を行おうとしている矢先である。その朝鮮の朝廷内部がどんなふうになっていたか、どうやって開明派が潰されていったかを詳細にまとめた本である。

4.菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』(河出文庫、2010年)
なんだか誤解を受けそうなタイトルの本だが、バークリー・メソッドと呼ばれる音楽教育システムを解説しながら、音楽を分析するにはどうやってするのかを、バークリー・メソッドの原点にある12等分平均律が確立されるまでの平均律の歴史をおさらいしながら、実践的に説明している、実に興味深い本である。

5.松本薫『天の蛍』(江府町観光協会、2015)
米子で高校の国語教師をしながら、米子周辺を舞台にした小説を書いている松本薫さんの新作で、江尾という城下町を舞台にして、毛利元就が中国の覇者となるべく尼子氏と最後の戦いをしていた時代に生きた少女を中心として、当時の城主であった蜂塚氏の城下の人々を描き、この時代から現在にまで続く江尾の夏の風物詩である「十七夜」という夏祭りをモチーフにした時代劇である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『私の履歴書』

2015年12月28日 | 評論
桂米朝『私の履歴書』(日本経済新聞社、2002年)

1996年に人間国宝に認定され、2001年には喜寿を祝った記念に書かれたものだと思う。1999年には弟子の枝雀をなくしている。

生まれから解き明かして、子供の頃から落語好きだったこと、旧制中学から大東文化学園へ進学しても落語三昧の生活を送り、戦後も落語好きが嵩じてついに落語家に弟子入りしたこと、次々と年配の落語家が亡くなりほとんど何も知らない若手ばかりになって滅亡すると言われた上方落語を先頭になって牽引していった駆け出し時代から、ラジオ・テレビの普及によって土台を築き、70年代には独演会、「米朝十八番」、一門会と巨匠への道を確実に上がっていったことなど、まさに「履歴書」というタイトル通りの内容になっている。

天才肌だけど、家族をはじめ、周りのものを不幸にしてしまう芸術家とか芸人といった人が私はあまり好きではない。その点、米朝が気に入ったのはその研究者といってもいいような人柄なのかもしれない。枝雀もそうだ。芸風はもう飛んだり跳ねたりのすごい人だが、研究熱心なことはよく知られている。その点、談志のような、自分は天才だなんて自慢している人は大嫌い。談志のどこが面白いんだか。

枝雀のことはこちら

以前も書いたが、米朝の「鯉船」という落語をテープで何度も聞いているうちに自分でもやってみたくなって、結婚前の上さんの前で演じたことがあるが、米朝の落語にはそういうところがある。つまり、なんか簡単にできそうと思ってしまうのだ。枝雀の落語は最初から観賞用と諦めてしまう。もちろん米朝の味わいは出せるものではないのだが、簡単そうに見えてしまう。これもなかなかすごいことだなと思う。

米朝が亡くなった年なので、今年の米朝一門会では、演者がマクラにみんな米朝の話をしていた。息子の米團治が「それはもう大変な大往生でした」と言っていたが、私はこの「大往生」という言葉になじめない。大往生というのは「安らかに死ぬこと」である。つまりみんなが見守る中、静かに息を引き取ることを意味するのだろうに、「大往生」だいおうじょうという。なんか「だいおうじょう」という語感からイメージするのは、七転八倒して、顔なんか歪めて、もがき苦しんでいくというイメージだからだ。まぁそうではなくて、米朝は安らかに亡くなったそうだ。生前の人柄そのままに。

履歴書つながりで、枝雀の「代書屋」という落語が面白い。
桂枝雀 Shijaku Katsura 代書屋 落語 Rakugo



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂米朝一門会

2015年12月18日 | 舞台芸術
桂米朝一門会(第37回市民寄席、ビッグ・アイ)

桂米朝一門会が堺市の市民寄席であったので上さんと行ってきた。若いころに子連れで一・二度行ったことがあるので、本当に久しぶりだ。堺市民会館が現在建て替え中ということで、泉ヶ丘にあるビッグ・アイでの公演となった。駅のすぐ前で便利。座席も指定席で、急がなくていいから、泉ヶ丘で食事をしてからのんびり行けた。

さて、一門会は、トップがまだ三年くらいの桂団次郎。汗をかきかきの話しで、やっぱまだ若いね。次が、桂しん吉。次は八光さんですので、すぐに終わりますからと言って、何度も「まだ終わりじゃないんですよ」で笑かせていた。

次が月亭八光。若いけど、さすがの親の七光か、自分の嫁をだしにして、夫婦喧嘩の古典落語に持って行った話しはなかなかのもの。ドカンドカンと笑いを取っていた。この後に出てくる桂ざこばはしんどいやろうなと思ったが、さすが伊達に年は取っていない。人情ものの「笠碁」というお話しで笑かせて、しんみりさせて前半のトリにふさわしい話しだった。

中入り後は、米朝の息子の米團治から。長い前説の後、突然、米朝が復活させたことで有名な「地獄八景…」をやり始めたので、ちょっと90分にもなる大作やるの、まだ後に桂南光がいてるで、と心配していたら、三途の川を渡った六郷の辻とかいうところで、往年の有名人の講演会やらコンサートやらがあるというところで、桂米朝が出ている寄席もあるので行ってみると米朝が米團治を見て、なんでお前がここにおるんや、まだ修行が足りん、ここに来るのは早い、と言ったというオチで、切り上げた。なかなか洒落たオチでした。

最後は桂南光。奈良の人はみんな早起きだという話しから、奈良は鹿が神の使いということで大事にされていて、鹿を殺すと人間が斬首刑になるため、みんな早起きをして、自分の家の前で鹿が死んでいたなんてことにならないように用心しているという話しへ、そして江戸時代に正直者の豆腐屋が犬と間違っておからを食べていた鹿を殺してしまったが、名奉行が無罪にしてやったという話しだった。

私が落語に興味をもったのは同世代の人から紹介されたからだったから、その頃の寄席は若い人が一杯だったのに、もう今では年寄りばかり(自分たちも含めて)。私たちのように昔のファンが定年退職してどっとやってきているのだろうなと思う。古典落語なんて若い人には興味ないのかね。

また行きたいと思わせるいい寄席だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『星の王子さまの美しい物語』

2015年12月05日 | 現代フランス小説
サン=テグジュペリ他『星の王子さまの美しい物語』(飛鳥新社、2015年)

『星の王子さま』は1943年4月16日にアメリカでフランス語版と英語版が出版された。この本はそれから70週年を記念した特別版の翻訳である。『星の王子さま』全文の前後に、ゆかりの人々のコメントや論文、そして未発表のデッサンが収録されている。

なぜアメリカで最初に出版されたのかというと、ナチス・ドイツによるフランス占領およびヴィシー政権樹立を嫌ったサン=テグジュペリがアメリカに亡命状態にあったからだ。だが、フランス本土で同胞たちがナチス・ドイツと戦っているのに、アメリカで優雅な生活を送っていることに耐えられなくなったサン=テグジュペリは志願していた空軍への出兵がやっと認められて、1943年4月2日もしくは16日(諸説あり確定していない)にアメリカを発ってアフリカにある空軍基地に赴いた。44年7月に地中海を飛行中に行方不明になった。

そのため、自身は一冊も『星の王子さま』を持っていなかったという話もある。だが自筆サイン入の本があるから、出版されてからアメリカを発ったのだという意見もあるが、仮綴状態のときにサインしたことも考えられるという。

フランスのガリマール書店から出版されたのは、戦後の46年になってからで、しかもサン=テグジュペリが描いた絵が入手できず、アメリカで出版されたものを絵かきに模写させて載せたというから面白い。いろんな版があるようで、それを収集しているサイトも確かあったような。

とにかく全世界で8000万部というすごい数が売れている本で、子供向けの童話のようでもあり、アナロジーを駆使した大人向けの話のようでもあり、子どもから大人まで読める。

語り手は大人、しかも相当の飛行経験を積んだ大人ということから、実年齢(40才を超えた)サン=テグジュペリだと思える。だとすると、そういう年齢の大人が自分の少年時代を振り返って語りだしたのだということを前提に翻訳しなければならないと思うのだが、たいていの翻訳は、まるでちょっと生意気な子どもが語り手であるかのような文体になっているのはいただけない。

星の王子さまと出会った「私」がしばらくやり取りをした後、今度は星の王子さまが自分の星を出て、あちこちに星を巡ってから、地球にやってくるまでは、相変わらず語り手は「私」だが、王子さまが話したことを「私」が回想して語っているのだから、あたかも語り手も王子さまであるように翻訳されているのは、これまたいただけない。

王子さまの星めぐりの話が終わると、王子さまの様子が変になる。初めて「私」の前に出てきたときのような威勢のよさがなくなって、影が薄くなってしまう。いったいこれはなんだろうか?この部分を明確に解き明かすことが『星の王子さま』の本当の意味を示すことになるのではないかと思う。

それにしてもこれがフランスがナチス・ドイツに占領されていた時代にフランスから離れたアメリカで書かれたことは興味深い。1942年に書かれたカミュの『異邦人』も戦時中にフランスから離れたアルジェリアで書かれた。何か共通するものがあるのかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッハ無伴奏チェロ組曲リサイタル

2015年12月04日 | 日々の雑感
バッハ無伴奏チェロ組曲リサイタル(鈴木秀美、大阪倶楽部)

バッハ・コレギウム・ジャパンの主席奏者をしている鈴木秀美。バッハ・コレギウム・ジャパンの音楽監督の鈴木雅明は兄にあたる。神戸のクリスチャンで、アマチュア音楽家の家族にもとに生まれたそうだから、兄弟して、音楽家になられたのだろう。

大阪倶楽部は、もう20年位前に、ドビュッシーの弦楽四重奏曲を聞きに行ったことがある。目の前での演奏は、奏者の息遣いだけでなく、丁々発止のやり取りが見れて、その熱気にこちらまで熱くなるという経験をした。

今回はバッハの無伴奏チェロ組曲なので、そのような丁々発止のやり取りはないが、ブーレ、クーラント、ジーグのような速めのテンポの曲と、ガヴォット、サラバンドのような遅めのテンポの曲の組み合わせで、静と動が表現されている。

バロックチェロを使用して、両足で挟むようにして演奏するので、さすがに3曲めにはコントロールが難しくなったのか、かすれた音が多くなった。だが、左手の運指の速さは決して衰えることはなかった。

目の前での演奏なので、鈴木秀美の呼吸、様々な顔の表情、指使いなどが聞こえるし、見える。こういう演奏を目をつぶって聞くのはもったいない。奏者を見なければ。大阪倶楽部はコンサート専用ホールではないので、奏者は同じ高さで演奏する。椅子も宴会用の椅子を並べただけ。4列目だったので、前の人で見えない。

久しぶりに上さんと一緒に音楽を聞きに行った。これまた久しぶりに梅田で晩ごはんを食べた。御堂筋はイリュミネーションで飾られていた。素敵な夜だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする